第2章 4)ソマリランドはなぜ治安がいいのか
ほんとうの「カート宴会」に初めて参加したのはベルベラだった。私たちは一連の小旅行を終え、今度はソマリランド国内でも「辺境」として知られる「東」への旅に出ていた。
ソマリランドには舗装道路がいくつもない。東へ行く街道はたった一つだ。だから行きたくないのに毎回、ベルベラを通らねばならない。
しかも東行きのときは、ハルゲイサを出て一時間もしないうちに車のショックアブソーバーが壊れた。修理および部品交換のため、酷暑のベルベラで午後を過ごすはめになった。
暑すぎて昼寝すら到底不可能。こんなときはカートをやるしかない。ワイヤッブの友人で、この町でジャーナリストをしている人を訪ねたら、カフェの庇の下、風通しのよいところで、近所の人たちとすでに始めていた。気温は体温より高いのに、海の沖合をわたってくるせいか、風は若干涼しい。ただ、体を動かすだけで消耗するので、最低限の動きで葉っぱをむさぼる。やがて、体の芯に涼やかな気が通りはじめ、ゴムのウェットスーツを着ているような圧迫感のある暑さが薄らいできた。
昔、南米のアンデス山脈を旅していたとき、高山病に苦しんだときを思い出す。現地の先住民が嗜んでいるコカの葉を買って、彼らと同じように噛んでいたらだんだん苦しさが気にならなくなっていった。意識が肉体的な苦しみから離れるという感触だった。あれとちょっと似ている。
暑さが薄れると同時に例の「人恋しさ」が募り、私は周囲の人たちに「どの氏族に属しているのですか?」と片っ端から訊きはじめた。実はこちらからこの質問をするのは初めてだった。
「氏族」がソマリ人にとって核心的な要素だというのは日本を出る前からわかっていた。ソマリランドはかつて(そして南部ソマリアは今に至るまで)氏族単位で内戦を行っているからだ。
「氏族」は、「部族」とまったく別の概念である。
ニュースや国際情勢関連の本では、いまだによく「部族」という言葉が使われる。部族とは英語のtribeの和訳だが、現在国際的にはtribeの使用は学問の世界でもジャーナリズムでも減ってきている。なぜかというと、tribeはアジア、アフリカ、南米など欧米から見て「遅れている」という地域でしか使われないからだ。差別用語に類する語という認識が強まっているのである。
tribeが使用されなくなっているもう一つの理由は、定義が曖昧だからだ。そこで最近は、同じ言語と同じ文化を共有する人々をethnic group(エスニック・グループ)と呼ぶ。日本語では「民族」でよいと私は思う。
一方、同じ言語と文化を共有する民族の中に、さらに明確なグループが存在することがある。文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ先祖を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」と定義されている。
だが、日本のメディアやジャーナリストはいまだにtribeの訳語である「部族」なる語を使いつづけ、民族と氏族の両方にあててしまう。そこに誤解や混乱が起きる。
例えば、「アフリカはどこも部族社会であり、国家統一が難しかったり、内戦が起きやすい。ソマリア内戦もそうである」などと書かれているのをしばしば見かけるが、明らかな間違いだ。
ほとんどのアフリカ諸国では一つの国に複数の民族が同居している。同じ国に日本人と中国人とコリアンがいるようなもので、それでは揉めるのも無理はない。いっぽう、旧ソマリアはアフリカには珍しく、国民の95%以上が同じソマリ民族だった。言語と文化を共有する同一民族なのである。隣国ケニヤやエチオピア系の少数民族が若干いたが、人口はひじょうに少ない。
そして彼らが戦闘を行うのは氏族の単位である。これが他のアフリカ諸国と決定的にちがう。むしろ、リビアやイエメンなど中東諸国に近い。(そちらも日本では「部族社会」とか「部族間の抗争」と呼ばれるが、実際には「氏族社会」「氏族間の抗争」であることが多い)
もっとわかりやすく言えば、氏族とは日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族〜」という表現はソマリにふさわしくない。
要するに、ソマリアが「日本の戦国時代みたいだ」というのは、単に武装勢力が多くてカオスだからでなく、氏族抗争という共通項もあるわけだ。
(註:ただし、ソマリ社会には士農工商といった階級やカーストはないから、誰もが某かの「氏」に所属する。成人男子は誰もが戦争に参加する権利と義務を等しく持っている)
そして、ソマリランドも氏族ごとに内戦を繰り広げ、また氏族間の話し合いで奇跡の和平を成し遂げたと聞いている。「氏族」がひじょうに重要な概念であるのは間違いない。
ただ、これまではワイヤッブ以外の人に「氏族」について訊くのをためらっていた。
前述のように、多くのアフリカ諸国では氏族や民族の単位で内戦や虐殺が起きる。例えばルワンダではフツ族がツチ族を大量虐殺した。その結果、今ではルワンダ人に「フツかツチか」と訊くこと自体がタブーとなっている。
そこを配慮したつもりだったが、まるで杞憂だった。この宴会の席でワイヤッブに「ここにいる人たちはどこの氏族?」とひそひそ声で訊いたら、「自分で訊けばいい」と言われた。
「氏族のことは誰に聞いても問題ない。俺たちだって初めてあった人間にはまずどこの氏族か訊くんだから」
そうだったのか。早くそれを確認すればよかった。日本人的な配慮は本当に時間の無駄だ。
さて、ソマリ民族全体では5つのメジャーな氏族があるとされるが、ここソマリランドでは8割がイサック氏族で、残りがダロッド氏族とガダブシル氏族ということになっているらしい。
ここにいるのは全てイサック氏族。その中でも、ハバル・ジャロ分家と同じくイサック氏族のハバル・アワル分家のさらに分家(ここでは「分分家」と呼ぶ)サアド・ムセの二グループだった。
もう、ここで読者のみなさんは混乱し、この箇所をすっ飛ばすか、読書そのものを放棄したくなるだろう。私も最初氏族の話を聞いたときは頭が痛くなった。
いったい全体、ソマリの氏族構成はあまりに複雑で長い。イサック氏族は8つの分家に分かれ、それがさらに2つか3つに分かれ...と細かく枝分かれしていく。
以前、ワイヤッブに「あなたの氏族はどうなってるの?」と訊き、ノートに書き出してもらったことがある。すると以下のようになった。
イサック氏族
ハバル・アワル分家
サアド・ムセ分分家
イサック・サアド分分分家
アボコル・イサック分分分分家
ジブリール・アボコル分分分分分家
レール・ウマル分分分分分分家
バハ・ウマル分分分分分分分家
マゴル・カダン分分分分分分分分家
目眩がしてくる。一体なぜこんなに細かく分かれているのだろう。同じアフリカのコンゴにも氏族はあったが、はるかに単純なものだった。
これもカート宴会の途中でわかった。
この町は砂漠地帯にある。周辺には今でも家財道具一切をラクダに積み、草と水を求めて移動する遊牧民がたくさんいる。彼らは50キロや100キロも平気で移動するという。
「もし干魃のとき、他の遊牧民がやってきて、『水場はないか?』って訊かれたらどうするの?」私は思いついた疑問を、何も考えずに口に出した。
「ちゃんと教えるよ。水のことで嘘をついてはいけないという掟がある」
「でも、どこの誰かわからないわけでしょ? 一滴の水でも貴重なときには嘘を言ってでも自分たちだけで確保したくなるじゃない? 相手にはわからないわけだし」
するとワイヤップが「おまえは馬鹿だなあ」という顔をした。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘を言えば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない。あとで大変なことになる」
そうか、そういうことか。目から鱗が落ちた。ニュースや専門書では、「ソマリ人はイサック、ハウィエ、ダロッドなど5つの氏族に分かれ...」というふうに説明があるが、「なぜ氏族に分かれているのか」という説明がない。
要するに氏族は、日本人のような定住民にとっての「住所」もしくは「本籍」みたいなものなのだ。私の実家の住所は「東京都」「八王子市」「北野台」「二丁目」「××番地」である。それを外国人が「どうしてそんなに細かく分かれているんだ?」といえば、私たちはその外国人が馬鹿だと思うだろう。
私たち日本人が重要犯罪で指名手配されたら、出身地、親族、職場のつながりでほとんどが捕まるように、ソマリランドでも、掟を破ったら氏族の網を通じて必ず捕まるのである。つまり、氏族間で抗争がないかぎり、治安はとてもよく保たれる仕組みができている。
ソマリ人は気質的には強烈な個人主義的である。自己主張が強いだけでなく、個人が自立しており、自由を好む。ラクダに家財道具を乗せてどこでも行ってしまう人、あるいはビジネスと称してあちこちを行き来している人がひじょうに多い。海外への移住も気軽に行う。
人の動きの活発さに比して、警察や兵隊は著しく少ない。旅をしていても、たまにチェックポイントに出会う程度で、とても治安維持活動を真剣にやっているようには見えない。それでいて、ソマリランドが驚くほど治安のいいのはこの氏族の網があるせいなのだ。
いっぽう、氏族の網は個人を縛るだけでなく恩恵ももたらす。
実は千葉のサマター教授、最初に泊まった宿「マンスール・ホテル」のオーナー、大統領スポークスマンのサイード翁、ドライバー、そしてワイヤッブまで、みんな、ハバル・アワル分家のサアド・ムセ分分家なのである。だからマンスール・ホテルのフロント係が大統領スポークスマンの携帯番号を知っていたのであり、あらゆる物事がひじょうに速かったのだ。私たちがソマリランドで落とすカネはことごとくサアド・ムセ分分家に吸い込まれていた。さらに言えば、私たち自身も氏族の網に思い切り乗っかって動いていたといえる。
氏族を知らずして、ソマリランドとソマリ人は語ることができない。
カートでハイになっているとこれだけでも「大発見だ!」と興奮してしまう。ダブルの快感で天に昇るような気持ちになってしまった。
ソマリランドには舗装道路がいくつもない。東へ行く街道はたった一つだ。だから行きたくないのに毎回、ベルベラを通らねばならない。
しかも東行きのときは、ハルゲイサを出て一時間もしないうちに車のショックアブソーバーが壊れた。修理および部品交換のため、酷暑のベルベラで午後を過ごすはめになった。
暑すぎて昼寝すら到底不可能。こんなときはカートをやるしかない。ワイヤッブの友人で、この町でジャーナリストをしている人を訪ねたら、カフェの庇の下、風通しのよいところで、近所の人たちとすでに始めていた。気温は体温より高いのに、海の沖合をわたってくるせいか、風は若干涼しい。ただ、体を動かすだけで消耗するので、最低限の動きで葉っぱをむさぼる。やがて、体の芯に涼やかな気が通りはじめ、ゴムのウェットスーツを着ているような圧迫感のある暑さが薄らいできた。
昔、南米のアンデス山脈を旅していたとき、高山病に苦しんだときを思い出す。現地の先住民が嗜んでいるコカの葉を買って、彼らと同じように噛んでいたらだんだん苦しさが気にならなくなっていった。意識が肉体的な苦しみから離れるという感触だった。あれとちょっと似ている。
暑さが薄れると同時に例の「人恋しさ」が募り、私は周囲の人たちに「どの氏族に属しているのですか?」と片っ端から訊きはじめた。実はこちらからこの質問をするのは初めてだった。
「氏族」がソマリ人にとって核心的な要素だというのは日本を出る前からわかっていた。ソマリランドはかつて(そして南部ソマリアは今に至るまで)氏族単位で内戦を行っているからだ。
「氏族」は、「部族」とまったく別の概念である。
ニュースや国際情勢関連の本では、いまだによく「部族」という言葉が使われる。部族とは英語のtribeの和訳だが、現在国際的にはtribeの使用は学問の世界でもジャーナリズムでも減ってきている。なぜかというと、tribeはアジア、アフリカ、南米など欧米から見て「遅れている」という地域でしか使われないからだ。差別用語に類する語という認識が強まっているのである。
tribeが使用されなくなっているもう一つの理由は、定義が曖昧だからだ。そこで最近は、同じ言語と同じ文化を共有する人々をethnic group(エスニック・グループ)と呼ぶ。日本語では「民族」でよいと私は思う。
一方、同じ言語と文化を共有する民族の中に、さらに明確なグループが存在することがある。文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ先祖を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」と定義されている。
だが、日本のメディアやジャーナリストはいまだにtribeの訳語である「部族」なる語を使いつづけ、民族と氏族の両方にあててしまう。そこに誤解や混乱が起きる。
例えば、「アフリカはどこも部族社会であり、国家統一が難しかったり、内戦が起きやすい。ソマリア内戦もそうである」などと書かれているのをしばしば見かけるが、明らかな間違いだ。
ほとんどのアフリカ諸国では一つの国に複数の民族が同居している。同じ国に日本人と中国人とコリアンがいるようなもので、それでは揉めるのも無理はない。いっぽう、旧ソマリアはアフリカには珍しく、国民の95%以上が同じソマリ民族だった。言語と文化を共有する同一民族なのである。隣国ケニヤやエチオピア系の少数民族が若干いたが、人口はひじょうに少ない。
そして彼らが戦闘を行うのは氏族の単位である。これが他のアフリカ諸国と決定的にちがう。むしろ、リビアやイエメンなど中東諸国に近い。(そちらも日本では「部族社会」とか「部族間の抗争」と呼ばれるが、実際には「氏族社会」「氏族間の抗争」であることが多い)
もっとわかりやすく言えば、氏族とは日本の源氏や平氏、あるいは北条氏や武田氏、徳川氏みたいなものである。武田氏と上杉氏の戦いを「部族抗争」とか「民族紛争」と呼ぶ人はいないだろう。それと同じくらい「部族〜」という表現はソマリにふさわしくない。
要するに、ソマリアが「日本の戦国時代みたいだ」というのは、単に武装勢力が多くてカオスだからでなく、氏族抗争という共通項もあるわけだ。
(註:ただし、ソマリ社会には士農工商といった階級やカーストはないから、誰もが某かの「氏」に所属する。成人男子は誰もが戦争に参加する権利と義務を等しく持っている)
そして、ソマリランドも氏族ごとに内戦を繰り広げ、また氏族間の話し合いで奇跡の和平を成し遂げたと聞いている。「氏族」がひじょうに重要な概念であるのは間違いない。
ただ、これまではワイヤッブ以外の人に「氏族」について訊くのをためらっていた。
前述のように、多くのアフリカ諸国では氏族や民族の単位で内戦や虐殺が起きる。例えばルワンダではフツ族がツチ族を大量虐殺した。その結果、今ではルワンダ人に「フツかツチか」と訊くこと自体がタブーとなっている。
そこを配慮したつもりだったが、まるで杞憂だった。この宴会の席でワイヤッブに「ここにいる人たちはどこの氏族?」とひそひそ声で訊いたら、「自分で訊けばいい」と言われた。
「氏族のことは誰に聞いても問題ない。俺たちだって初めてあった人間にはまずどこの氏族か訊くんだから」
そうだったのか。早くそれを確認すればよかった。日本人的な配慮は本当に時間の無駄だ。
さて、ソマリ民族全体では5つのメジャーな氏族があるとされるが、ここソマリランドでは8割がイサック氏族で、残りがダロッド氏族とガダブシル氏族ということになっているらしい。
ここにいるのは全てイサック氏族。その中でも、ハバル・ジャロ分家と同じくイサック氏族のハバル・アワル分家のさらに分家(ここでは「分分家」と呼ぶ)サアド・ムセの二グループだった。
もう、ここで読者のみなさんは混乱し、この箇所をすっ飛ばすか、読書そのものを放棄したくなるだろう。私も最初氏族の話を聞いたときは頭が痛くなった。
いったい全体、ソマリの氏族構成はあまりに複雑で長い。イサック氏族は8つの分家に分かれ、それがさらに2つか3つに分かれ...と細かく枝分かれしていく。
以前、ワイヤッブに「あなたの氏族はどうなってるの?」と訊き、ノートに書き出してもらったことがある。すると以下のようになった。
イサック氏族
ハバル・アワル分家
サアド・ムセ分分家
イサック・サアド分分分家
アボコル・イサック分分分分家
ジブリール・アボコル分分分分分家
レール・ウマル分分分分分分家
バハ・ウマル分分分分分分分家
マゴル・カダン分分分分分分分分家
目眩がしてくる。一体なぜこんなに細かく分かれているのだろう。同じアフリカのコンゴにも氏族はあったが、はるかに単純なものだった。
これもカート宴会の途中でわかった。
この町は砂漠地帯にある。周辺には今でも家財道具一切をラクダに積み、草と水を求めて移動する遊牧民がたくさんいる。彼らは50キロや100キロも平気で移動するという。
「もし干魃のとき、他の遊牧民がやってきて、『水場はないか?』って訊かれたらどうするの?」私は思いついた疑問を、何も考えずに口に出した。
「ちゃんと教えるよ。水のことで嘘をついてはいけないという掟がある」
「でも、どこの誰かわからないわけでしょ? 一滴の水でも貴重なときには嘘を言ってでも自分たちだけで確保したくなるじゃない? 相手にはわからないわけだし」
するとワイヤップが「おまえは馬鹿だなあ」という顔をした。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘を言えば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない。あとで大変なことになる」
そうか、そういうことか。目から鱗が落ちた。ニュースや専門書では、「ソマリ人はイサック、ハウィエ、ダロッドなど5つの氏族に分かれ...」というふうに説明があるが、「なぜ氏族に分かれているのか」という説明がない。
要するに氏族は、日本人のような定住民にとっての「住所」もしくは「本籍」みたいなものなのだ。私の実家の住所は「東京都」「八王子市」「北野台」「二丁目」「××番地」である。それを外国人が「どうしてそんなに細かく分かれているんだ?」といえば、私たちはその外国人が馬鹿だと思うだろう。
私たち日本人が重要犯罪で指名手配されたら、出身地、親族、職場のつながりでほとんどが捕まるように、ソマリランドでも、掟を破ったら氏族の網を通じて必ず捕まるのである。つまり、氏族間で抗争がないかぎり、治安はとてもよく保たれる仕組みができている。
ソマリ人は気質的には強烈な個人主義的である。自己主張が強いだけでなく、個人が自立しており、自由を好む。ラクダに家財道具を乗せてどこでも行ってしまう人、あるいはビジネスと称してあちこちを行き来している人がひじょうに多い。海外への移住も気軽に行う。
人の動きの活発さに比して、警察や兵隊は著しく少ない。旅をしていても、たまにチェックポイントに出会う程度で、とても治安維持活動を真剣にやっているようには見えない。それでいて、ソマリランドが驚くほど治安のいいのはこの氏族の網があるせいなのだ。
いっぽう、氏族の網は個人を縛るだけでなく恩恵ももたらす。
実は千葉のサマター教授、最初に泊まった宿「マンスール・ホテル」のオーナー、大統領スポークスマンのサイード翁、ドライバー、そしてワイヤッブまで、みんな、ハバル・アワル分家のサアド・ムセ分分家なのである。だからマンスール・ホテルのフロント係が大統領スポークスマンの携帯番号を知っていたのであり、あらゆる物事がひじょうに速かったのだ。私たちがソマリランドで落とすカネはことごとくサアド・ムセ分分家に吸い込まれていた。さらに言えば、私たち自身も氏族の網に思い切り乗っかって動いていたといえる。
氏族を知らずして、ソマリランドとソマリ人は語ることができない。
カートでハイになっているとこれだけでも「大発見だ!」と興奮してしまう。ダブルの快感で天に昇るような気持ちになってしまった。