はじめに
日本にはお天道様という考え方があります。私も幼年時代に祖母から、「お天道様は見てらっしゃる」というようなことを言われて育ちました。中国には、超越的な天という存在を前提とする考え方があります。
本文
「天」とは空間的な上空を意味するのではなく、超越的な存在を意味することがよくあります。
「論語」の中で孔子は、「吾五十にして天命を知る」と言い、五十歳で天の命ずる使命を直覚するようになったことを語っています。ここでは、「天」すなわち超越的な存在を前提としています。
中華文明が始まったころ、中国の北部、黄河のほとりに夏(か)と言う国がありました。紀元前2000年ころのことです。この国は王が上帝を祀り、上帝のみ心に沿って政治を行おうとしていました。
「史記」によれば、まず尭(ぎょう)、次に舜(しゅん)という王が現れました。舜は、治水に功績のあった禹(う)に王位を譲りました。たびたび流れ道を変えたほどの暴れ河である黄河の治水は国政の根本だったのですが、容易なことではなく、それを成した偉大な人物を王にしたのです。
上帝は禹に現れ、30年間にわたってお示しなどを通じてお導きくださいました。これこそ、歴史上、天が人類にお現れになった唯一のケースです。つまり、上帝は天だったのです。
上帝を祀ることは、形式的には歴代の王朝で行われ、後漢(西暦25年−220年)まで続きました。
上帝は、後に「天」あるいは「天帝」と呼ばれ、中国の倫理観、世界観の底に流れ続けました。
日本(1世紀に北九州に起こった倭)は、後漢の時代に後漢の王から「漢倭奴国王」の金印をもらい形式的には属国でした。
遣唐使を派遣して中国文明を学んだ奈良時代・平安時代時代前半、疎遠になった平安時代後半など時代によって濃淡はあれ、長く中国文明の影響を受け続けた日本にも天の思想が流れています。
福沢諭吉は代表的な著書「学問ノススメ」の冒頭に、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと言へり」と書いていますが、明治になっても日本人の中に中国の教養が生きていたと言えます。
こういう意味の天は存在するのでしょうか?現在では、「存在する」という人は中国にも日本にも少ないと思います。しかし、その傾向はここ100年くらいのことであって、それまでの永い間、その存在は疑われていませんでした。
魂の存在が疑われているのが現在の特徴であるように、天の存在が疑われているのが現代の特徴なのです。子供一人作れない未熟な科学で確認できないものは存在が疑わしいというわけです。
しかし、魂の存在が確実であるように、天の存在は確実です。これから、人類は再び天を信じ、魂を信じるようになるでしょう。
天は悠久の昔から存在します。そして人を創り育ててこられたのです。
ダーウィンの進化論は科学の学説としては優れたものですし、その流れを汲む現代の生物学もすばらしい進歩を遂げています。しかし、人類発祥には天の配剤という別の面があって初めて可能だったのです。
では、天は何の目的で人類を存在させたのでしょうか?それは、人類によって天国のような社会を造らせ楽しませたい、ご自身もそれをご覧になって楽しみたいからなのです。
ただ、全能の天をしても、それは容易なことではありません。それゆえ、天はこの世を天国にしようというご計画を営々と進めておられるのです。
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