空の軌跡エヴァハルヒ短編集
第三十話 LAS小説短編 犬はかすがい(前編)


「えっ、ギターが欲しい?」

葛城家の夕食の食卓で、シンジに話を切り出されたミサトは驚いてそう言った。

「アンタ女の子にもてたいからそんな事言いだして、あーいやらしい」

アスカがからかうような表情でシンジを見つめる。

「そんなんじゃないよ、トウジ達とバンドを続けようって話になったんだよ」
「チェロがあるじゃないの」

力説するシンジにアスカはそう返した。

「まあ、バンドをやるならギターがあった方がいいわね」

ミサトは腕組みをしながらうなずいた。

「何でシンジがギターをやるのよ? 文化祭ではキーボードを弾いていたじゃない」
「うん、綾波がキーボードをやってくれる事になったから」

シンジのこの発言を聞いたアスカは目を三角にして怒り出した。

「勝手に何してんのよ!」
「だって、ケンスケがアスカより綾波の方が反対もしないし、誘いやすいだろうって」
「あちゃあシンジ君、それは火に油よ」

鬼のように荒れ狂うアスカを見て、ミサトはため息をついた。

「シンジ君、バンドに使うギターは何万円もするのよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ミサト、バンドやってた事あるの?」
「いやあ、ちょっち酔った勢いで友達のギターをポッキリと折っちゃった事があってね、弁償したのよ」

ミサトはバツが悪そうに頭をかいた。

「ほらみなさい、中学生程度の小遣いで買えると思ってるの?」
「トウジ達には悪いけど、バンドは諦めようかな……」

アスカが勝ち誇ったように腰に手を当てて言うと、シンジはうなだれた。

「シンジ君、気を落とすのはまだ早いわ」

ミサトは笑顔でそう言うと、シンジの前に10万円の束を突き付けた。

「ミサトさん、このお金は?」
「シンジ君も頑張ってるからね、ボーナスよ」
「ちょっとミサト、シンジに甘すぎるんじゃないの?」

シンジに向かってウィンクしたミサトにアスカは怒鳴り散らした。

「余ったお金でアスカの服も買っていいから」
「本当!?」

ミサトの言葉を聞いてアスカは目を輝かせた。

「こ、これはデートじゃないんだから勘違いしないでよね!」
「分かってるよ」

翌朝、アスカとシンジはそんな言い合いをしながら葛城家の玄関を出て行った。

「シンジ君もようやく打ち込めるものが出来たのね、よかったわ」

ミサトは微笑みを浮かべながらシンジ達を見送った。



だが、戻って来たシンジ達の姿はミサトの予想を裏切る物だった。
アスカの胸にはトイプードルが抱かれていたのだ。
そして、シンジはケージ(檻)やトイレシートなど犬用のグッズを汗を流しながら持っている。

「アスカ、その犬はどうしたのよ!?」
「ペットショップで見たら飼いたくなっちゃった♪」

アスカは満面の笑みを浮かべてミサトにそう答えた。

「じゃあ、シンジ君のギターは?」
「買えませんでした……」

シンジは気弱そうな表情でミサトに微笑み返した。

「全く、家にはペンペンも居るのよ?」
「クェッ?」

大型冷蔵庫から出て来たペンペンとアスカの抱いているトイプードルとの目が合った。
すると、トイプードルは顔を背けて吠え出した。

「こらっ、驚かすんじゃないわよ、この子が怯えているじゃないの!」
「クェェェ〜ッ」

ペンペンは何もしていないのにアスカに怒られてしまった。
やるせない気持ちになったペンペンは悲しそうな鳴き声を上げる。

「かわいそうにね、とんだ濡れ衣よね」

ミサトはそう言ってペンペンを胸に抱きあげた。

「で、この犬の名前は考えたの?」
「ブッツにしようと思って」
「ドイツ語で小さな子って意味ね」
「シンプルな名前だね」

シンジはほめたつもりなのだが、アスカの逆鱗に触れてしまったようだ。

「アタシが単細胞だって言いたいの!」
「呼びやすくて良い名前じゃない。アスカ、あんまり大きな声を出すとブッツが怖がってしまうわ」

ミサトがそう声を掛けると、アスカは気がついたように表情を和らげる。

「大きな声で怒鳴ったりしてごめんね、ブッツ」

アスカは猫なで声で子犬のブッツに声を掛ける。
シンジはそんなアスカの姿をじっと見つめていた。

「どうしたのシンちゃん、アスカの顔をじっと見つめちゃって」

ニヤケ顔でミサトがそっと耳打ちする。

「あ、いや、アスカもあんな優しい表情ができるんだなって」
「そんな事アスカに聞かれたら叩かれちゃうわよ」

シンジとミサトのヒソヒソ話はブッツに夢中になっているアスカの耳には入っていないようだ。

「ほらシンジ、ぼーっとしていないでブッツのケージを準備してよ」
「その優しさを少しでも僕に向けて欲しいよ、まったく」

シンジの皮肉もアスカに無視され、シンジはブツブツ言いながらケージを奥の和室へと運んだ。
リビングはケージを置くスペースがすでに無かったし、ペンペンの冷蔵庫を移動させるわけにもいかないからだ。
トイプードルは座敷犬と言われるように、散歩の時以外はトイレも寝るのも屋内だった。
その日のアスカは上機嫌で、ブッツの前である事もあり、激しく怒ると言う事も無かった。
そして夜になって寝るときも、アスカはブッツを離そうとしない。
そんなアスカに向かってシンジが忠告をする。

「アスカ、犬は夜にはケージに戻さないといけないんだよ」
「何を言っているのよ、アタシはブッツを抱いて寝るんだから。トイプードルを飼っている人の中には抱いて寝ている人も居るじゃない」
「ダメだよ、子犬にはケージを家だと思い込ませるまで躾けないと」
「そうそう、ブッツのためよ」

シンジとミサトに説得されて、アスカはやっとブッツを離した。

「ブッツ、狭いけど我慢してね」

アスカはケージに入れられたブッツにそう声を掛けた。



そして葛城家で最初の夜を迎えることになったブッツは予想通り夜鳴きをした。
悲しげなブッツの鳴き声に耐え切れず、シンジは部屋を出てブッツの様子を見に行くことにした。
リビングに足を踏み入れた時、シンジはアスカが先にブッツの元にやって来ている事に気がつき、そっと廊下の物陰に隠れた。

「ブッツ、1人で寂しいの? そうよね、アタシと同じでママともパパとも引き離されてしまったものね」
「アスカ……」

シンジはブッツに手を差し伸べるアスカを見てそうつぶやいた。

「だから、アタシがブッツのママになってあげる。寂しい思いは絶対にさせないから!」

アスカは我慢しきれなくなってしまい、ケージを開けてブッツを抱き締めてしまっていた。
躾から言うとアスカの行動はいけない事なのだが、シンジはアスカに注意をせず、黙って自分の部屋に戻った。



次の日の朝、自分より早く起きているアスカにシンジは驚いた。
アスカはシンジが起きたのも気が付かずに、熱心にブッツのトイレやケージの汚れなどを掃除している。

「アスカってば自分の部屋は掃除しないのに、ブッツのためなら一生懸命なんだね」

シンジは皮肉めいた言い方でアスカの背中に声を掛けると、アスカは飛び上がって驚いてシンジの方を振り向いた。

「まだ朝早いじゃない。アンタ、今日は早起きしたの?」
「そんなこと無いよ、僕はいつもこれぐらいの時間に起きているよ。洗濯物を干したり、お弁当を作ったりしなくちゃいけないし」
「……いつも悪いわね」
「えっ?」

アスカから聞こえた言葉に、シンジは耳を疑って聞き返した。

「ありがとうって言ってるの、何度も言わせないでよ!」
「う、うん」

シンジは少し顔を赤くしながら、キッチンに向かい、朝の準備に取り掛かるのだった。
そしてしばらくして起き出して来たミサトも、アスカが先に起きていることに驚いた。
毎朝シンジに起こされるとき揉めていたのがうそのようだった。
ブッツとずっと一緒に居たいから学校を休むというアスカのわがままはミサトに却下された。
それどころかアスカがわがままを言うのならブッツを飼うのに反対すると家主のミサトに言われては、アスカは引き下がるしかなかった。

「ペンペン、ブッツをいじめるんじゃないわよ!」
「クェェ……」

アスカはペンペンに念を押してシンジと共に玄関を出て行った。

「ペンペンがブッツをいじめるわけないじゃない」
「クェッ」

ミサトはペンペンと見つめ合ってそうつぶやいた。
ブッツは昨日より葛城家の雰囲気に慣れたのか、ちょこまかと部屋の中を歩き回っていた。
そして、ペンペンに対しても怖がらなくなっていた。

「クェッ?」
「キャンキャン」
「クェーッ!」

ついにはブッツの方がペンペンを追い回し始めてしまった。

「こらこら、ペンペンをいじめちゃダメよ! まったく、この子は内弁慶になりそうね」

ミサトはペンペンを吠えて追いかけるブッツを見てため息をつくのだった。



「へえ、アスカってば犬を飼い始めたんだ」
「うん、トイプードルよ。ちっちゃいからブッツって名前を付けたんだけど、とってもかわいいの!」

学校に登校したアスカはさっそくヒカリに飼った子犬の事を楽しそうに話し始めた。

「何やて、やっぱりバンドはやめるやと!」

同じ頃、教室にトウジの怒声が響き渡った。

「昨日、街で会ったときはミサトさんにギターを買うためのお金を貰ったって喜んでいたじゃないか」
「あの後ペットショップの前を通りかかってアスカが犬を飼いたいって言うのを断りきれなくて」

ケンスケが尋ねると、シンジは困った顔でそう謝った。

「何や、惣流が悪いんか!」

トウジはそう言うとヒカリと楽しそうに話しているアスカのところへ向かい、アスカとの言い争いが始まった。

「碇、綾波もバンドがやれるって楽しみにしていたんだぜ」

ケンスケに言われて、シンジはレイの席に視線を向けた。
するとレイは怒りを感じさせる視線でシンジをにらみかえした。
それはシンジが初めて目にするレイの表情だった。

「ご、ごめん綾波」
「あなたはセカンドのわがままをきいてしまうのね」

期待を裏切られたレイの怒りは冷ややかながら鋭いものだった。
シンジはそれ以上レイに謝ることもできずに自分の席へと戻るのだった。
それに反してアスカは授業中も笑顔を絶やすことが無かった。
ブッツが自分に慣れて来たらヒカリやクラスの女子に紹介すると約束までしていた。
そして、アスカは同じように犬を飼っているクラスメイトとも急速に親しくなり、ヒカリがうらやましがるほどだった。

「さあシンジ、ブッツが待っているわ、早く帰るわよ!」

アスカに声を掛けられて帰ろうとしたシンジを、トウジが引き止める。

「待てや、センセはワシらとゲーセンに行くんや」
「そうだ、新型のビートマニアが入ったからやりに行くのを忘れたのか、碇?」
「ごめん、僕も早く帰ってブッツに会いたいから」

シンジは頭を下げて謝り、アスカの元へと駆けていく。

「こらっ、男の友情より犬っころをとるんか!」
「犬っころとは何よ、ブッツはとってもかわいいんだから!」

アスカはトウジに怒鳴り返して学校を走り去るのだった。
帰り道の通学路、シンジはアスカに腕を引かれて走って行く。

「ほら、もっと早く走りなさいよ!」
「精一杯走ってるよ!」

周囲の注目もどこ吹く風、笑顔のアスカには家で待っているブッツの事しか頭に無いようだった。



アスカとシンジが葛城家に帰ると、ブッツはアスカに向かって飛び付いて来た。

「ブッツ、アタシも寂しかったわ。おお、よしよし」

アスカはブッツを胸に抱き寄せてその頭をなでる。
シンジはブッツを抱きしめるアスカをうらやましそうに眺めている。
シンジもアスカに劣らずブッツの事が気になってしまったのだ。

「シンジもブッツを抱っこしたいの?」
「いや、別にそんな事は無いけど」

シンジは口では否定したが、アスカはからかうような顔でシンジを見つめる。

「仕方無いわね、ブッツが人見知りしたままじゃ困るし、他の人にも慣れさせなきゃいけないわ」

アスカはため息をつくと、シンジにブッツを近づける。
シンジがブッツに震えながら手を伸ばすと、アスカがそれをとがめた。

「ダメよそんなおぼつかない様子じゃ、シンジが警戒している事がブッツにも伝わっちゃうでしょう?」
「ご、ごめん」

シンジは意を決してブッツをしっかりと抱きしめた。
するとブッツの方も暴れる事無くシンジに抱かれている。

「うわあ、かわいいな」
「当たり前よ」

歓声をあげながらシンジはブッツを抱き続けている。
そんなブッツにしっとしたのか、ペンペンがシンジのふくらはぎを固いくちばしで突っつく。

「もう、しょうがないな」

シンジは抱き上げていたブッツを床に降ろしてペンペンの餌を用意する。
ペンペンの餌に興味を持ったのか、ブッツが顔を近づける。

「ク、クェッ?」
「こらっ、ペンペンは雑食で何でも食べるけど、ブッツが食べたらお腹を壊しちゃうんだからダメよ」
「すっかり自分がペンペンより上だって思い込んじゃってるね」
「シンジより上だと思っているかもしれないわよ」
「そうだったらひどいな」

アスカとシンジは声をあげて笑った。
シンジが夕食の準備をしている間も、アスカはブッツと遊んでいた。

「早く慣れて、みんなと外で遊べるようになろうね」

ブッツに躾を覚えさせようと、アスカは張り切っているようだった。
シンジは苦笑しながらそんなアスカとブッツの様子を見ていたのだが、突然ブッツが床に倒れ込んだ。

「ブッツ、どうしたの? しっかりして!」

アスカの悲鳴が上がり、シンジも驚いて駆け寄った。
アスカの腕の中で、ブッツはグッタリとして何の反応も示さない。

「ただいまー……ってどうしたの2人とも?」

帰って来たミサトがただならぬ雰囲気を感じ取り声を掛けた。

「ミサト、ブッツがさっきまで元気だったのに……」
「いきなり倒れてしまったんです」

アスカもシンジも目に涙を浮かべてミサトに言った。
特にアスカの方は号泣寸前だ。
事態の深刻さを悟ったミサトはネルフのリツコに電話を掛けた。



意識不明の重体となったブッツはミサトの超スピードの運転によってネルフに運ばれた。

「頑張ってブッツ……アタシはもう誰かに置いて行かれるのは嫌なの……!」

車の中でアスカは涙を流してブッツを抱きしめていた。
そしてネルフ本部の医療スタッフにより診察が行われた。

「リツコ……!」

医務室から出て来たリツコに、廊下で待っていたアスカ達が駆け寄る。

「リツコさん、ブッツが倒れたのは何かの病気が原因ですか?」
「そんな、予防接種も受けさせたのに」

シンジとアスカの前でリツコは首を横に振った。

「違うわ、あの子犬が倒れたのは体力の低下が原因よ。ゆっくり休ませればじきに良くなるわ」
「よかった、病気じゃ無かったのね」

リツコの言葉を聞いて、アスカは安心して大きく息を吐き出した。

「油断しちゃダメよ。子犬は休ませてあげないとね、遊び過ぎて死んでしまう事があるの」
「アタシのせいだ、ごめんね、ブッツ」

アスカはガラス越しにベッドに寝かされているブッツに声を掛けた。

「赤木博士、これは何の騒ぎだ」
「碇司令、実は……」

リツコが担ぎ込まれたブッツの事を話すと、ゲンドウは渋い顔をした。

「犬だと、くだらん。そんなものエヴァのパイロットには必要無い。手放せ」
「嫌だ」

シンジが答えると、ゲンドウはシンジをにらみつける。

「これは命令だ。その犬を手放せ」
「止めてよ父さん、アスカの、僕達の大切な家族を奪わないで!」

シンジがそう言ってゲンドウをにらみ返す。
そして、シンジは決してゲンドウから視線を反らさない。

「好きにしろ」

先に目を反らしたのはゲンドウの方だった。
そして、ゲンドウは面白くなさそうな顔で立ち去って行った。

「やるじゃないシンジ、司令に逆らうなんて。腰抜けとばかり思っていたけど、今回はアンタを見直したわ」
「そ、そうかな?」

アスカにほめられたシンジは照れ臭そうに頭をかく。
そして楽しそうに話しながらミサトと3人でブッツの居る医務室の中へ入って行く。

「あら、レイ?」

リツコも続いて医務室に入ろうと思った時、いつから見ていたのか、レイが廊下に立っているのに気がついた。

「赤木博士。私もペットが……欲しいです」
「困ったわね、そうね、猫なら何とかなるかもしれないけど……」

レイの見つめる前で、リツコは祖母の住んでいる家へと電話を掛けるのだった。

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