2010-12-14 本当に恐ろしい、戦前の表現規制
周知の様に、都議会民主党の裏切りによって、表現を規制する悪法都条例が可決されましたが、今後は批判の声を、口が酸っぱくなる位に上げ続ける事によって行政による恣意的な運用を阻止し、ゆくゆくはこの悪法を廃絶させなければなりません。決して自分たちには関係のない話だと思わず、放置した先の結末を想像しなければなりません。
ここに、戦前の表現規制を経験した「小国民世代」からの警醒の声を全文引用紹介しておきます(太文字は引用者)。
■児童文学者 山中恒さんに聞く 「漫画規制 戦前と似ている」(14日付東京新聞24ページ。Web情報なし)
過激な性描写の漫画やアニメを、十八歳未満に販売できないように規制する東京都の青少年健全育成条例改正案。十三日に都議会総務委員会で可決され、十五日の本会議で成立する公算だが、言論界などには「権力による表現の自由への介入の第一歩」と懸念する声も強い。戦前も「子どもたちのために」と漫画が取り締まられ、言論統制の強化につながった歴史がある。「当時とよく似ている」という児童文学作家の山中恒さん(七九)に聞いた。(出田阿生)
「あばれはっちゃく」などの作品で知られる山中さんは、戦時下の言論統制について研究を続けている。総務委で可決された改正案は「かつての小国民世代として恐ろしい」と感じるという。ちょうど新著「戦時児童文学論」で、戦前の言論統制の一環として漫画や児童書の規制が進んだ経緯を書いたばかりだ。
「当時は、夜店で表紙と中身が違うなどの粗悪な漫画が出回っていたから、誰もが『規制されても仕方ない』と思った」と山中さんは語る。
日中戦争が長期化の兆しをみせ、国家総動員法が施行された一九三八年。内務省警保局図書課は「児童読物改善に関する指導要綱」を出した。そのとき、小川未明ら著名な児童文学者も、「日本の青少年の健全育成のため」と規制に賛成した。
要綱は「過度に感傷的なるもの」など、事細かに規制の基準を定めた。たとえば、少女向けファッション誌の絵は「目が大きすぎて、現実離れしている」として禁止された。
「真の目的は、大衆出版最大手の講談社を統制の賛歌に組み込むことだったのでは」と山中さんは推測する。講談社の絵本が発禁処分を受けた後、他社も損失を恐れて自主規制を始めたとみている。そして児童書は、国体主義を礼賛する内容に変貌していった。
「当局の顔色をうかがって、過剰に自主規制せざるを得ない方向に持っていかれた。今回の都条例改正案にも同じ匂いを感じる」という。販売規制という“兵糧攻め”を恐れて、表現の自主規制が進む危険性は現代でも変わらない。
都の改正案で規制対象になる漫画の性表現は、刑罰法規に触れる性行為や近親者同士の性行為。都側は「不当に賛美・誇張して描いた」場合に限るとするが、判断は審議会の主観に委ねられる。
「過激な性描写の漫画を親に見せ、子どもの手が届く書棚にこんな本が並んでいると言いはやせば、親は驚く。特殊例を普遍化させるイメージ戦略」と山中さん。実際は、ビニール包装や「成人コーナー」への区分が義務付けられ、立ち読みできないシール止めも実施されている。厳しい規制に成人向け漫画の出版社倒産が相次ぐほどだ。
山中さんは「誰もが反対できない“きれいごと”を持ち出し、論点をすり替える。でも、これは性描写の問題じゃない」。ネットでポルノ動画も見られる時代に、なぜ漫画だけを規制するのか。改正案の目的は「権力側が書いて良いことと悪いことを決める」以外の何物でもないと考える。
性描写がだめなら、やがてアウトロー的なテーマの描写まで規制対象になるかもしれない。そうなれば、ヤミ金や詐欺師を題材にした人気漫画までも…。
「もう一度歴史振り返るべき」
山中さんは「日本の完了は法令の拡大解釈にたけている」という。「俗悪漫画だから規制は仕方ない」から始まって、いつの間にか「言論統制の強化につながった歴史」を、もう一度振り返るべきだと感じている。
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石原慎太郎都知事や猪瀬直樹副知事、それに都議会の自民・公明にはもはや何を言っても無駄でしょう。ですが、結果的に戦前と同様の過ちへと大きく舵を切る役割を果たした都議会民主党は、己の不明・不勉強をしっかりと自覚しなければなりません。築地の時と同様に、“付帯決議”とやらで自己満足などしてはいけないのです。