カリタスジャパン(担当司教・菊地功、責任司教・幸田和生)の今年度の全国担当者会議が11月6日と7日、東京のカトリック会館で開かれ、全国の教区担当者ら約30人が集まった。援助活動、啓発活動などの報告の他、「福島の声を聞く」と題した講演会を行い、福島に関わる3人の話を参加者は聞いた。
昨年の同会議は被災地仙台で行われたが、ことしは現地の人たちの話を聞くことになった。事務局長の田所功さんは、「これまで全国会議で講演はなかったのですが、担当者の意図でこうした形となりました」と話す。
講演者は、「福島県に県内自主避難の権利を求める会」の酒井信裕さん、NPO(特定非営利活動)法人「さぽーとセンターぴあ/デイさぽーと ぴーなっつ」代表理事の青田由幸さん、「避難者と支援者を結ぶ京都ネットワーク みんなの手」代表の西山祐子さん。
原発災害は進行中
酒井さんは昨年6月、幼い子どもを含む家族で、放射能の影響を恐れ福島県の郡山から会津若松に避難した。「私は事故後、すぐ避難したかった。放射能が怖いと、なかなか声に出せない雰囲気。不安でいるより安心なところに避難した方がいいと思って」。周囲に避難と言えず、転勤だと説明していた。
他県への避難者には家賃補助などが出ていると聞き、県内自主避難者の会を組織。行政に支援要請し、さかのぼっては認められなかったが、12月からの家賃補助が得られるようになった。
「そもそも何でこうなったのか。原発によって生活が根本からひっくり返された。(全国の原発立地自治体の人々は)自分が生きているうちは爆発しないだろうと思っているだろうが、うちでは爆発した。子ども世代のことを考える。原発はいらないと言える福島県民でないといけない」
青田さんは、大震災時、高齢者と障がい者が取り残され、いまも取り残されているという、厳しい状況を説明した。避難所に入れなかったり、入っても迷惑が掛かると思い、じっと我慢し、自宅に戻る人も多かった。放射能からの避難の際も、高齢者や障がい者は取り残された。その後の安否確認も困難を極めた。
現在、南相馬の人口は震災前の3分の2ほど。「放射能の話はタブー。(いろんな意見があり)話すとごちゃごちゃになる。原発事故は過去現在未来を全部壊す。ふるさとの原風景にも戻れない。福島では医療福祉が崩壊している。支援が必要」と訴えた。
西山さんは幼い娘を連れ福島市から、受け入れ態勢のある京都市に避難。「政府から的確な避難指示がなく多くの人が不必要に被ばくしてしまいました。放射能汚染は福島だけでなく東日本に広がる。地域を問わず避難したい人を支援する必要があります」
夫と離れての生活、会うための交通費負担も重い。「避難すれば家族が離れて暮らすリスクもあります」。昨年、避難者と支援者をつなぐ会を立ち上げた。「災害は進行中。福島の子どもたちを被ばくから守っていきたい」
こうした声を聞き、担当者らで意見交換を行った。自らの教区で大災害が起こる際のことを想定し、「初動の重要性」といった意見が多く出た。

福島の地図も使いながら話をした講演者の西山さん
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