何故、福島県人がふくしま駅伝でこんなにも盛り上がるのか……


他の都道府県の方は少し疑問に思うかもしれない。
今週末、11/18に第24回市町村対抗福島県縦断駅伝競走大会、通称『ふくしま駅伝』が開催されるのだが、この大会に対する福島人の盛り上がりは、結構ハンパない。
市町村対抗の駅伝は他の県でも開催されているし、規模としてはもっと大きな大会もあるだろうが、県民の盛り上がり度では福島が1番じゃないだろうか。


各市町村のエントリーも出揃ったが、また出場する選手も実に豪華である。
白河市の藤田敦史(富士通)、会津若松市の佐藤敦之(中国電力)を筆頭に、いわき市は小川博之(八千代工業)と村上康則(富士通)、郡山市は吉田憲正(SUBARU)、本宮市は橋本隆光(小森コーポレーション)、三春町は岡本尚文(日立物流グループ)など、実業団選手のエントリーも目立つ。
もちろん昨年の震災により、郷里のために、という選手も多いのだろうが、元から実業団選手や学生がこの大会に出場することは珍しくなかった。実際第20回大会にも、藤田や小川は出場している。
ふくしま駅伝は各市町村の中学生~一般が、白河市~福島市を16区間タスキリレーするのだが、小さな町や村では陸上部員だけでなく、長距離走が得意な運動部員は駆り出される。ここで長距離や駅伝の魅力に気づいて、その後陸上を続ける選手も少なくない。
いわば選手たちにとっては原点のような大会である。
では、見る側にとってはどうか。
ふくしま駅伝の沿道には毎年たくさんの観客が集まる。周りに民家が見当たらないコースでも、沿道で選手を応援する人がいたりする。
中には親戚や友人が出場しているという人もあるんだろうけど、にしても関心度は驚くほど高いのである。


元々、福島県がどういう経緯でできたかご存知だろうか?
ま、簡単に言うと(ホントにざっくり)、会津、岩代、磐城という3つがくっついてできたんだが、会津を始め、戊辰戦争では幕府側についた勢力なので、なーんにもなかった土地=今の福島市に県庁所在地を置いて、新しく「作った」県なんである。
つまり、負けから始まったのが福島県の歴史であり、いろいろ取り上げられたところから出発している。
そんなわけだから、目立った産業もないし、これといって日本一になるような特産もない。原発建設の話が来て思わず乗っかるのもわかるでしょ、てこと。
結構何でもあるんだけど、逆に言うと『何もない県』、それが福島なんである。
元々、福島の人間が福島を誇りに思えることはそう多くなかったのかもしれない。更に、東日本大震災と原発事故でそれは少なくなってしまった。何もない県が更にマイナス要因を背負い込んでしまった、というのが今の状況なんである。


そんな中で、多くの陸上選手が活躍しているのは、福島人にとって大きな誇りで、現役の選手たちと身近な人たちが一緒にタスキをつなぐふくしま駅伝は、震災を境に更にイベントととして重要性を増したのかもしれない。
スポーツで日本を代表する選手を数多く排出できているのは陸上だけだし、そんな選手たちの活躍を見ることは、福島の人間にとって大きな誇りなんだと思う。


たとえば、昨年東日本女子駅伝やふくしま駅伝が、放射線量が高いからと開催に反対した人たちがいる。
彼らは今年は何も言わない。
もちろん空間線量は減っているが、おそらく放射線量が今どのくらいだとか、そんなことも興味はないんだろう。
反対運動はブームに乗って簡単にできる。しかし、福島の人たちはこれから何十年と向き合っていかなければならない。
選手が諦めずに競技する姿は、復興に直接役に立つわけじゃないが、誰かが前を向く勇気を持つ活力になるんじゃないだろうか。


そういうのを、多分、福島の人は見たいんだと思う。


ちなみに福島では駅伝人気は非常に高いが、しかし、決して駅伝だけが人気があるわけではない。
福島大が日本インカレで総合優勝すれば、地元紙の一面を飾る。そういう県である。
福島の人は陸上が好きなのだ。


福島人の誇りである選手たちが走るふくしま駅伝は、18日の7:40スタート。
実業団や学生として活躍している選手だけでなく、田村一平(AC須賀川)や横木克宜(会津若松市役所)など、ちょっと懐かしい名前がずっと走り続けていたり、菅野勝子先生(会津黎明高教)が選手として出場されるのも、ふくしま駅伝ならでは。