放射線の人体への影響と専門家の倫理(その2)
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えーそれではフランスはどうかってことをみてみますと、フランスはですね…大西洋側に立っておりますので、大きな地震とか津波はほとんどない…一切ないといってもいいぐらいですね。それから海岸線にあるものも無いじゃないんですが、ほとんど川のほとりにあります。たとえばパリを流れるセーヌ川の上流側に二つの原発があるわけで、パリを流れるセーヌ川に原発の廃液が流れるということになるわけであります。
もうひとつは、南にロアール川があるわけですが、これはまぁご覧になってわかるように、フランスでは長い川で…一番長い川だと思いますが、この上流にですね、原発が約20個くらいあります…中流も含めてですね。そしてよく知られているように、このロアール川の中流から下流にかけてはブドウ畑の産地、ぶどう酒の産地でありまして、ここで有名なぶどう酒が多数生産されます。
このようなことが日本で行われるのか?というとを考えてみますと、なかなかそういうことはいえません。上流に原子力発電所が20個あり、そこからの廃液がどんどん流れてくるところでですね、水道用水を取り、農業用水を取り、そしてぶどう酒を造っているということになりますから…「フランスのワインがおいしいのは、原発の廃液が入っているからだ」というようなジョークをまぁ言いたくなる訳です。こうなりますと、「フランスは危ないじゃないか?」って言うけど、この地図も公開されとりますから、フランス人は、別に気にしていない訳ですね。
っていうのは、もともと廃液は綺麗だからであります。フランス人に「なぜこんなところに原発作るんですか?」っていったら、「安全だから」って答えるでしょうね。それは当然そうで、安全でなかったら、原子力発電所はどこに作っても同じであります。したがって、「まぁまぁ、なぁなぁ」のある文化の日本と、そうではない「論理的」なフランスというのが、ここに差ができているんではないかと思われます。何が何でもフランスがいいとか、そういうことをいってるんじゃなくて、フランスの考え方と日本の考え方の差ですね。
もしも、フランスのロアール川の上流にある原子力発電所の廃液の管理がずさんであれば、ほかの国もですね…「どうも、フランスのワインは放射性物質で汚れてるんじゃないか?」と疑いをもちますからね。それがないように、非常にしっかりやってると、いうことになるわけであります。
いずれにしても、原子力発電所ってのは非常に膨大な装置でありまして、大体ざっというと広島原爆の約1000倍から1万倍ぐらいの放射性物質を持っております。今回福島原発事故で漏れた放射線量は、80京ベクレル…77京ベクレルっていいますかね、日本政府が発表しております。もう少し大きいって説もありますが、まぁこの場合これとしましょう。
そうしますと、広島原爆のときの放射性物質量の約200発分に相当するわけです。そうしますと、皆さんよくお分かりのようにですね、原子力発電所ってのは、どっか僻地に作ったからわからないというものではないわけですね。それが、日本では「危険だ」とされているわけです。原発が危険だとされていて、原発を作る、というのはもともと非常に変なんですが、従って海岸線に…僻地に作るんだと、いうことですね。
「東京で使う電気をなぜ東京で作らないのか?」→「危険だからだ」と。「危険なやつどこで作っても、だめなんじゃないの?」→「新潟と福島では作る」→「なんで新潟と福島では作るんですか?」→「そこは貧乏だからだ。お金を渡せばいいや」と。まぁこういうことで、今まで来たわけですね。
たとえば日本で原発を作る最も適した土地は、私の考えるところ琵琶湖だと思うんですね。まぁこの地域は地震も少なく、津波もなくですね、水も淡水ですから、塩水で冷却するよりはるかに安全であります。しかし日本人は原発を琵琶湖に作りたくないと思ってます。これは滋賀県の人は当然そう思っていまして、こんなこという自体がタブーである、という感じなんですが…。なぜこれがタブーなんでしょうか?それは「原発が危険だ」と考えているからですね。原発自身も危ないし、それから廃液も汚いんだろうと思っているからですね。
「なぜ東京に原発ができないのか?」、「なぜ琵琶湖に原発を作れないのか?」それでいながら、「なぜ原発は安全なのか?」。この矛盾した関係を日本人は飲み込んでしまうんですが、これが原子力発電所の場合、非常に都合の悪いことだったと、いう事が言えるんではないか、という風に思うわけですね。「危ない危ないと思いながら、運転をする」という事態が、非常に異常であろうと、いう風に考えられます。
ところで、本記事の主な内容ですね…「放射線と人体の影響」について、踏み込んでいきたいと思っています。放射線と人体の影響のうちですね…いわゆる1年100ミリシーベルト以下の「低線量被曝」と呼ばれる部分については、医学的には明確ではありません。従って、環境基準を決める、というのも非常に難しいことであります。そこで、日本の法体系では、2つの原則に基づいてこれを行っておりますが。
ひとつは予防原則でありますね。これは1992年のリオデジャネイロサミットで、国際的に合意した、いわゆる原則15でありますが…このブログでも何回か示しておりますが「環境を防御するため各国はその能力に応じて予防的方策を広く講じなければならない。重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れがあるところでは、十分な科学的確実性がないことを理由に、環境悪化を防ぐ費用対効果の高い対策を引き延ばす理由にはならない」
これは国際的な文章を、更に英語を日本語に訳したってことで非常に分かりにくくなっておりますが、簡単に言えば「重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れ」のある時ですね、これは「科学的確実性がないこと」を理由にして、その費用を心配して「対策を引き延ばすことはできない」という風なことであります。
この原則はですね、たとえば…水俣病などをみると分かるんですが、1953年に最初の患者さんが出まして、その3年後…つまり1956年にはですね「おそらく水銀ではないか?」という推定がなされたんですね。ただ、科学的確実性を持つためには時間がかかりますから、その後ぐずぐずとやっている間に、10年、18年と経ちまして、現実的に工場をとめて、水銀の流出が止まったときには、患者さんは1万人以上出ると、こういう悲惨な結果になりました。
つまり、「何か怪しいなと思ったとき、科学的確実性を求めてはいけない」ということがまぁ…経験によって分かってきたということでありますね。もう少し論理的に言いますと、このような人間の健康に及ぶようなことはですね、いってみれば、死人がかなり…死者がかなり出ないと、科学的確実性が出ないんですよ。だから、死ぬ人を待ってるって感じになるんですね。今度の福島で、多くの人が「まるで生体実験をされているようだ」という風にいいますが、まさにその通りで、科学的確実性を求めるということは、人間に対する科学的に確実な結果を得るってことですから、それはもう病人が相当でないければいけない訳で、それを待つということになりますね。これはどうか?ということですね。
でまぁ、現在では国際的な約束であり、日本の法令である限度の「1年1ミリシーベルト」を誠実に守ると。加えてですね、ここは重要なんですが、「1年1ミリシーベルトには、科学的確実性がないと言ってはいけない」っていうことなんですよね。これはもう、ずいぶん多くの専門家が「1年1ミリシーベルトには科学的確実性がない」と…科学的確実性が「無くて良いんだ」っていってんのに…そうすると「危険を煽る」なんて言うですけど、そうじゃないんですよ。
「予防原則」というですね、われわれの環境関係の知恵をですね…これは本当は環境省がちゃんというんですが、環境省が逆の事言ってる訳ですね。特に長崎大学の医師がですね、被曝限度の国の検討会にて「科学的厳密性がない」とこう言っているんですよ。いや…科学的厳密性を守っちゃいけないんだといってるのにですね…それがですね、実は大臣も出席し、環境省の高官も全部出席している中で、このような議論が通るということ自体が、残念ながら「日本の民度が非常に低いな」という感じが致します。
それから、もうひとつの重要な点はですね…「日本は被曝に対してどういう考え方を持っているか」ってことですね。これは、広島・長崎の被爆をうけて、多くの人が知っているように、「電離放射線を受けることは、できるだけ減らさなきゃいけない」ってことは、ひとつの思想っていうか考え方になっている訳ですね。これはいわゆるICRP(国際放射線防護委員会)でもそうでありまして、「正当化の原理」ってのがあるわけですが…これは「被曝というのが、人間の体に影響がある…悪い影響がある」ってことが前提にですね、「被曝によって受ける損害分だけ、利益が必要である」。つまり「損害を受けるとしたら、利益の供与が必要である」という概念を打ち立てているわけですね。
そして、被害が出ない被爆量…これは日本では1年0.01ミリシーベルト…つまり10マイクロシーベルトなんですが…それと、我慢ができる被曝量…これが被曝限度で、1年1ミリシーベルトであります。これはですね…「放射線が有害であるということを、ひとつの前提にしている」ということを、まずここで分かる必要があると、このようになっておるわけです。
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つまり被曝というのは、健康に被害を与えるという、基本的スタンスであるということを了解しなければいけませんね。これは医学的には、もしかすると違うかもしれません。「ホルミシス効果」っていうのがいわれていますが、これについては、ちょっとですね…異なる考えがあるわけありまして。
ホルミシス効果が1年に50ミリシーベルトもあるなんていうと、私はすぐにそれについては…この前も、研究会で質問をしたんですがね…人体もしくは生体が持っている防御系っていうのは、環境からあまり離れた防御系は持っておりません。従ってホルミシス効果が、1年50ミリとか100ミリのとこに相当するってことになるとですね、それはちょっとありえませんね。
自然の放射線が1.5ミリとか3ミリとかいったレベルでありますから、生体におけるの放射線に対する防御は、通常はですね…年間1.5ミリ、もしくは3ミリくらいを目処にできていると考えるのがですね…これまでの学問の成果であります。もしも放射線に対するホルミシス効果が50ミリシーベルトとか100ミリシーベルトもあるというんであればですね、今までの学問が間違ってたってことになりますので、これをどのように考えるかについて、説明を必要とするわけです。
ちょっと話が外れますが、リサイクルのときにいったわけですね。リサイクルが資源を節約するっていうんであれば、エントロピー増大の原則に反するので…それは反してもいいんだけど…「なぜリサイクルがエントロピー増大の法則に反するのか」っていうことを説明しなきゃいけない。まぁ一般の人はいいにしても、少なくとも専門家はですね…その説明の下(もと)に、リサイクルがいいって言わないとですね。
学問ってのは、実験結果が出たから、そのままそれでいいって訳ではないんです。実験結果が出て、それまでの理論と違うときは、「実験結果が出ましたが、これまでの理論とは相反します。だから、慎重に検討しなきゃいけません」っていうのが、良心的な学問でありますので、その点では、このホルミシス効果がですね…1ミリ2ミリぐらいのホルミシス効果があるってのは、普通の免疫系とか、通常の言い方でありますから、特にホルミシス効果とか言わなくていいわけですね。それをもし超えるような効果を放射線に対して持っているならば、その原理原則をきちっと説明するという必要があろうかと思います。
まぁこれはちょっと脱線いたしましたが、いずれにしてもですね…制限を設けているのは人工的に作られた医療以外の被曝であります。これについて、人工的というのに「原爆実験によるものが入るかどうか」ということについては、現在のところ算入されていません。これは本来は入れるべきかもしれませんが、慣用的に算入していないということですね。
そしてICRPの勧告では…最近では1990年の勧告と2007年の勧告がありますが…まぁそれに基づいて放射線審議会などで審議して、決定している訳であります。ここに図を示しましたが、私がかつて「東大の教授は足し算ができない」と言ってましたけど、「自然被曝1.5に対して、原発による被曝は1ミリってのは、自然被曝より少ないんじゃないか」と言う人もいたんですけど、こりゃ足し算ですから…足し算同士を比較するということはできませんからね。
たとえば、100+10は110なんですが、「100と10を比較すると10は小さいじゃないか」ってことは全然関係なくて、引き算でもなんでもないわけなんですね。足し算のことですからね。ここに書きましたように、自然被曝1.5ミリ、医療被曝はまぁ2.2ミリって言うかたもいるし3ミリという整理をされている人も居るんですが…それから核実験被曝0.3、それに原発被曝が足されまして、5ミリシーベルト、これに対して発症レベルがどこにあるか?という議論であります。
ええと…自然放射線がすごく高いところがインドとかイランとかブラジルにあるということで、例えば5ミリとか10ミリのところでも人が普通に住んでいるじゃないか?ということがあったんで私が調べてみましたら、とんでもないことでですね。まずひとつに、「平均寿命が非常に短いので、がん年齢まで達してない」ってのがひとつありますね。
それからもうひとつはですね「まだ医療が発達していないので、”がん”という診断自身が少ない」んですよ。日本でもですね、私が小さい頃なんて”がん”なんてありませんでした。”がん”が無かったんじゃなくて、”がん”という診断が無かったんですね。ですから、まぁ30歳とか40歳ぐらいで亡くなるときにですね…医療の発達してないところで比較をしてもですね、あまり意味が無いということですね。
それからもう一つは、非常に調査が荒いんですよ。例えば、家にずっと居る女性と、それから、ほとんど海岸で…インドなんかの場合そうなんですが…漁に1日中外に…海んとこに出ているという人もいましてね…全然分からない。ブラジルの場合はですね、かつては割合と高かったんですが、現在の線量調査をみますと、コンクリートとかアスファルトのせいなんでしょうか…非常に低いんですね。まぁ我々とあまり変わらない。関西地方とあまり変わらないという線量率なんですね。
しかし、測定値は昔のものを使い、がんの発生は最近のやつを使うっていうですね、都合の良い事をずっととっているわけですね。ですから私が見る限り「自然放射線の高いところで、がんが特に高くない」ってのは、まぁ学問的にはかなり怪しいと…いう風に感じがします。いずれにしましても、合計このような図になっております。
またですね、事故のときに、どういう指針があるかというと、色々指針があるんですが、まず一番簡単な指針はですね、原子力安全委員会なんかがいっている「1事故あたり5ミリシーベルト」。これは、1事故あたりってのが何年に渡るかは知りませんが、福島の事故が1事故あたり5ミリまでは良い。例えば5年と考えますと、事故による被曝が1年平均して1ミリシーベルトだと。最初の年に3ミリシーベルトあたって、次が0.5、0.5、0.5、0.5と五年間で5ミリと…こんな感じですね。これを越すような状態のときは、その地から離れなければいけない。ということですので、福島はやはり、1事故当たり5ミリシーベルトという、原子力安全委員会の事故時の規定にも反すると思います。
それから、その他に色々ありますね。例えば「原子力発電所の事故によって発がん死は通常時の0.05%を上回ってはいけない」ということで、そうなりますと大体150人とか200人の発がん死が限度でありますので、これも現在とはちょっと違うかなと思います。また、更に細かい学問的なことも議論されて、ある程度決まっておりまして…ここに示す図はですね、関係者には非常になじみがある図なんですね。
私この前、あるテレビで原子力の専門家にお会いして、なにか違うこと言っておられたんで「あの階段状の図はご存知ですか?」って言ったら、それだけで「えぇ良く知ってますよ、そんなのは。どこの雑誌にもでてますから」なんて言っておられましたけども、一応、今のとこ隠してるわけですね。
これは、縦軸に事故の可能性をとります。たとえば1万年に1回の事故ならですね…まぁ10ミリシーベルトぐらいまで上げていいですよと。1000年から1万年…まぁそんなような感じが、容認できる領域であります。まぁ3000年にいっぺんとか5000年にいっぺんぐらいだったら…まぁ数ミリシーベルト上げてもいいだろうと、そういうようなことなんですね。これは、いろんな考え方があるんですが、たとえば、集団でDNAが損傷した場合に、それを回復する時間という風に考えても良いんではないか?という風におもいます。
このようにですね、被曝に対する国際的な約束、もしくは色んなことっていうのが、いままで考えられてきてます。一番、今度のですね、一連の専門家の発言で問題なのは「日本人を被曝から守る法律が無い」と言っている訳ですね、これは何を言ってるかといいいますと「電離放射性障害防止規則」であるとか「放射性同位元素等による放射線障害防止に関する法律」というものはあるけれども、原子力関係は法体系が別になってるんですね。
従って、原子力関係の法体系には、実は被曝のことは隠されているわけですよ。それを盾にとっているわけですが、それはですね、いわば実施側の論理ですね…被曝側の論理ではなくて。被曝側の論理としてはですね…レントゲンで被曝しようが、放射線同位元素が研究用で被曝しようが、原子力が爆発しようが、身の回りにあるのはセシウムだったりなんかして…同じわけですね。ですから、国民の健康を守るといういうことをもし政府が考えているならば、法律のうちで、健康に影響のある法律を採用するはずなんです。ところが、国民の健康はどうでも良いと、原発を動かす方に主力を置けば、原子力関係の法律をとる、ということになりますね。
つまり、法律は誰の為にあるのか?ってことになりますね。でまぁ、国民の直接的な健康の為であれば、当然「電離放射性障害防止規則」のようなものが使われるし、それから、「国民のある程度はがんで死んでも、日本国としては発電がするのが大切だ」という観点からみれば、原子力関係の法律を使うということですね。これは見方によるんですが、まぁ私なんかはですね、「いくらなんでも科学技術が国民をがんにさせてもいいっちゅうことないから、国民を守る方の法律を使うべきだ」ということですね。これが、私が「法令に書いてある」といい、国が「法令に書いてない」という差なんですよ。これは両方とも正しいっていや正しいんですよね。まぁ法令と言うのが何の為に(音声はここで切れていました)
(文字起こし by ちゃりだー)