■□■□■ 日本統治下の外地の人の国籍問題(解法者)■□■□■


 日本の国籍を有していない外国人の参政権問題について議論が盛んです。
 議論が盛ん――というよりも、奇妙な洗脳が日本に染み渡っているようで、心配でなりません。
 そのようなとき、解法者さんが、『外国人参政権』に続いて、「日本統治下の外地の人の国籍問題」についてレクチャーしてくださいました。
 外地問題は簡単には資料が得られず、調べようとすると苦労します。
 というわけで、貴重なレクチャーです。
 みなさん、参考になさって下さい。
(オロモルフ)


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(0)  投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時18分21秒 ◆◆◆

 「外国人参政権」を廻って議論が沸騰している。
 かって、日本はアジアに広範囲にわたって「領土」を有していた。
 今では、それもなくなり、かっての「領土」も「ロシア」、「韓国」に侵食されている。
 かっての日本に統治されていた地域の人達に思いを馳せても良いだろう。日本の文化・風俗のすべての影響が失われることはない。
 第一稿として、戦前と呼ばれた時点でのこれらの人々の「国籍」について考えて見た。
 第二稿として、これらの人々の「国籍」が戦後どうなったかについて考えて見たい。
 まず、第一稿を投稿したい。
 なお、「外地」には「樺太」は含まれないが、戦後、ソ連に占領され、そこに対する<主権>を失ったので「外地」の範疇に入れた。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(1) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時06分12秒 ◆◆◆

 日本は、明治時代以降に外国を統治下に置いた。ここに住む人たちの「国籍」はどうなっていたかについて考えてみたい。なお、「植民地」という用語は使用しない。この用語についてはここでの本題と関係がないから、説明は省略するが、機会があったら述べてみたい。「外地」という用語を使用する。これは「大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という)」下での用法例に従ったものである。
 日本が外国を統治下に置くことによって、日本人が「内地―固有の日本(千島列島も含む)」と「外地」に居住する場合が発生し、また、「外地」に居住する人たちが「内地」に居住する場合もあり、そこで適用された法律などが「内地」でも「外地」でも<共通>に適用される必要が生じ、このことを規定するために「共通法」が制定された(大正7年4月17日)。この「共通法」によると、「内地」とは固有の日本(千島列島も含む)と樺太をいい、「外地」には、朝鮮、台湾、南洋群島、関東州をいうとした。正確には「外地」という用語は使用しなかったが、「内地」という用語が使用されたため、「内地」に含まれない前記地域を「外地」と称することが通例となった。なお、「満州」は「外地」にも含まれなかった。一つの「国家」として処遇したのである。
 そして、それぞれの「外地」について適用される「法令」については「勅令」によって定められることとなった(「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」、「台湾ニ施行スル法律ノ特例ニスル法律」、「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」)。
 「内地」である「樺太」についても「樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」、「樺太施行法律特例」で「勅令」によって定められた。
 しかし、「南洋群島」、「関東州」、「満州」には、このような法律は存在しなかった。その理由は、「南洋群島」は「国際連盟」の「委任信託統治」となっていたこと、「関東州」は「清」からの「租借地」、「満州」は「独立国」となっていたことによる。
 「内地」に居住する者で、一定の条件に該当するものは「日本臣民」と称された(明治憲法第18条、国籍法)。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(2) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時05分1秒 ◆◆◆

>朝 鮮(1)<

 先のとおり、「朝鮮」は日本の統治の及ぶ「外地」に該当していた。
 ところが、「朝鮮」には日本の「国籍法」は施行(適用)されなかった。「法令」も「勅令」も存在しない。したがって、「朝鮮人」が「日本国籍」を有する「日本人」であるとする明確な規定はない。「台湾」と大きな差である。どうして、このようなことになったかについては不明であるとされている。
 しかし、このことを以って、「朝鮮人」が「日本国籍」を有する「日本人」ではないとする見解は全くない。
 これは、明治43年条約第4号である「韓国併合ニ関スル条約」(以下「日韓併合条約」という)。ここで、韓国皇帝が日本国皇帝陛下に、韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に譲与し(日韓併合条約第1条)、日本国皇帝陛下がこれを受諾し、韓国皇帝が韓国を日本帝国に併合した(同第2条)ことから、韓国の構成員である「韓国国民」がその住所を問わず、「日本国籍」が付与されたと考えられるからである。
 なお、「日韓併合条約」は、http://www.geocities.jp/nakanolib/joyaku/jm43-4.htmを参照されたい。
 そして、戸籍についても、日韓併合前に朝鮮人について適用されていた「民籍法」を廃止し、「朝鮮戸籍令」が制定され(大正11年12月18日)、それまで「民籍」に登載されていた朝鮮人はすべて「朝鮮戸籍」に登載されることになった。そして、朝鮮人には「内地」の「戸籍法」は適用されなかった。朝鮮人と婚姻して「朝鮮戸籍」に登載されることになった日本人も同じ取扱いを受けた。朝鮮に居住していた日本人は「朝鮮戸籍」に登載されることはなく、「内地」の「戸籍」に登載された。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(3) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時04分1秒 ◆◆◆

>台 湾(1)<

 台湾は朝鮮と異なり、「国籍法ヲ台湾ニ施行スル件」(明治32年勅令第289号)によって、「国籍法」が施行された。
 したがって、「台湾人」はこれによって「日本国籍」を取得した。
 ただし、戸籍については、朝鮮と同じで、「本島人ノ戸籍ニ関スル件」(昭和7年律令第2号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル事務ヲ郡守、警察署長、警察分署長及ハ支所長ヲシテ取扱ハシムルノ件」(昭和7年勅令第362号)、「本島人ノ戸籍ニ関スル件」(昭和8年台湾総督府令第8号)、などにより、「台湾戸籍」に登載されることになった。そして、台湾人には「内地」の「戸籍法」は適用されなかった。台湾人と婚姻して「台湾戸籍」に登載されることになった日本人も同じ取扱いを受けた。台湾に居住していた日本人は「台湾戸籍」に登載されることはなく、「内地」の「戸籍」に登載された。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(4) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時03分4秒 ◆◆◆

>樺 太(1)<

 日本が「南樺太」(以下「樺太」という)を領有するに至ったのは、日露戦争の結果としての「日露講和条約」(略称 「ポーツマス条約」)(明治38年9月5日署名、同年10月15日効力発生)による。
 この条約の「南樺太」に居住する民の国籍に関する規定としては、「南樺太の住民であるロシア臣民において、その地から退去を希望する臣民についてはその所有する不動産を売却する自由を保証する。また、その地に在留することを希望する者は、日本の法律および管轄に服することを条件として、その職業に従事し、かつ、財産権を行使することを保証する。日本の政策により退去を要求するときは、財産権を行使することを保証する。」(第10条)。
 「日露講和条約」の全文は下記を参照されたい。
   「http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nitirokouwajyouyaku.htm」
 ここにいう「ロシア臣民」には、「樺太」に居住する原住民を含まれない。ロシアも「ロシア臣民」とは認めていなかったからである。
 「樺太」には、日本の「国籍法」と「戸籍法」が施行されたが(大正13年勅令第89号)、「原住民」には「戸籍法」が適用されず、「土人戸口届出規則」(大正10年樺太庁35号)によった。ただし、「原住民」のうち「アイヌ」に関しては、日本の「民事法」が適用され、従って「戸籍法」も適用され(昭和7年勅令第37号)、「定籍」が定められた(昭和7年司法省令第47号)。「原住民」のなかには「アイヌ」のほか「オロッコ」など様々な者たちがいたが、「戸籍法」は適用されなかった。しかし、これらの者が「日本国籍」を有していたことは疑いの余地はない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(5) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時02分4秒 ◆◆◆

>南洋群島(1)<

 「南洋群島」が日本の「外地」に含まれるようになった経緯は、第1次世界大戦が始まった当時の大正3年(1914年)10月、インド洋、太平洋からドイツ戦艦を掃討する作戦に出ていたイギリス海軍に「日英同盟」もあって、共同作戦に出る協定が締結され、赤道以北にあったドイツ領の「南洋群島」を同年10月19日に占領したことに始まる。
 このように、「南洋群島」の占領は日本の単独行動によるものではなく、「日英同盟」に基づくものであった。
 第1次世界大戦が終了しても日本は「南洋群島」を占領し続けた。
 イギリスの後押しを受けて、「国際連盟規約(ヴェルサイユ平和条約第1編)」(1919年6月28日署名、1920年1月10日効力発生)にある。それまで「ドイツ領」であったものを日本が占領していた既成事実を認めて、「日本」に<委任統治>を委ねる方針だった。このことは「南太平洋諸島ノ如キハ、人口ノ希薄、面積ノ狭小、文明ノ中心ヨリ遠キコト又ハ受任国領土ト隣接セルコト其ノ他ノ事情ニ因リ受任国領土ノ構成部分トシテ其ノ国法ノ下ニ施政ヲ行フヲ以テ最善トス。」(第22条6号)とされていることからも明らかである。
 ところが、ここには「南太平洋諸島(南洋群島など)」を日本の領土とすることが定められていたわけではない。
 真っ先に、「南洋群島(赤道以北にあったドイツ領の諸島)」が日本の領土に帰属させるのに反対したのはアメリカであった。アメリカはここへの進出を狙っていたからである。アメリカは同じくこの地域に触手を伸ばしている「フランス」、「オーストラリア」に働きかけ、イギリス、日本に対抗したのである。
 イギリスはアメリカの猛烈な働きかけもあって、次第に姿勢が変化し、「南洋群島(赤道以北にあったドイツ領の諸島)」が日本の領土に帰属することに消極的となって行った。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(6) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時01分7秒 ◆◆◆

>南洋群島(2)<

 「南太平洋諸島(南洋群島以外の諸島も含む)」の帰属については、「アメリカ」、「イギリス」、「フランス」の3カ国の交渉に移され、「日本」は<蚊帳の外>に置かれた。国際的な地位を占めていなかったからである。
 そして、大正8年(1919年)5月7日、この三国の首脳会議で、次のように定められた。
1、サモア諸島                    ニュージーランド
2、ナウラ島                     イギリス
3、1,2、を除く赤道以南のドイツ領土の諸島     オーストラリア
4、赤道以北のドイツ領土の諸島            日本
 日本の主張の「領土」は認められず、「委任統治」とされた。他の1、2、3、も同じく
「委任統治」とされた。
 これを受けて、「南洋群島ニ対スル帝国ノ委任統治条項」(1920年12月17日作成)(第2条前段)で日本の「委任統治下」に入ったのである。
 しかし、ここに居住する原住民には、日本の「国籍法」が施行されることはなかった。
 このことから、「南洋群島に居住する原住民」は、日本の「国籍」を有しないというのが定説となっている(「新憲法逐条解説」美濃部達吉 日本評論社 1947年発行)。このことには賛同できない。先の「国際連盟規約」および「南洋群島ニ対スル帝国ノ委任統治条項」の規定から、日本の領土となっており、統治の客体となっている「居住する原住民」は日本の国籍を取得したものと考えるべきである(「国籍法」実方正雄 日本評論社 1938年発行)。
 したがって、「南洋群島」に居住する原住民は、「日本国籍者」ということになる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(7) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)18時00分1秒 ◆◆◆

>関東州(1)<

 「関東州」と「満州」とは異なる。「関東州」は「南満州」の遼東半島の尖端に位置し、東は「黄海」に、西は「渤海」に面する「大連」、「旅順」の付近だと考えてよい。面積は狭く「奈良県」と同じくらいの3462平方キロ余である。これに対し「満州」は現在の中国東北地方から「外蒙古」の一部を除いた地域とほぼ同じだと考えてよい。北はソヴィエット連邦、中国河北省に接していた。「哈爾賓(ハルピン)」、「新京」、「奉天」、「吉林」、「安東(現在の丹東−北朝鮮の新義州と鴨緑江をはさんで接している)」、「間島―現在のエ延吉を中心とした延辺地方」、「熱河」などの省が置かれていた。面積は130万3千平方キロ余である。したがって、「関東州」は「満州」の2.7%くらいの大きさしかなかった。
 「関東州」が日本の支配下に入ったのは、「日露講和条約」(略称 「ポーツマス条約」)による。これによると「露西亜帝国政府ハ清国政府ノ承諾ヲ以テ旅順口、大連並其ノ付近ノ領土及領水ノ租借権及該租借権ニ関連シ又ハ其の一部ヲ組成スル一切ノ権利、特権及譲与ヲ日本帝国政府ニ移転譲渡ス露西亜帝国政府ハ又前記租借権カ其ノ効力ヲ及ホス地域ニ於ケル一切ノ公共営造物及財産ヲ日本帝国政府ニ移転譲渡ス 両締結国ハ前記規定ニ係ル清国政府ノ承諾ヲ得ヘキコトヲ互ニ約ス」(第5条)となっている。
 また、これを受けて、日本政府は清国と交渉を始め、「満州に関する条約(満洲ニ関スル日清条約(明治39年勅令号外))」が締結された(明治38年12月22日調印 明治39年1月31日公布)。これによると「清国政府ハ日露講和条約第5条及第6条ニヨリ日本国ニ対シテ為シタル一切ノ譲渡ヲ承諾ス」(第1条)として、「関東州」を日本に租借している。
 「日露講和条約」の全文は下記を参照されたい。
「http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nitirokouwajyouyaku.htm」
 「満州に関する条約」の全文はHPなどで掲載されていないので、「条約集」などを参照されたい。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(8) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)17時59分5秒 ◆◆◆

>関東州(2)<

 このことから「関東州」が清国からの「租借地」であることは疑いの余地はない。
 この「租借地」の法的性質については争いがある。
 外国の「国際法学者」はほぼ「領土割譲」であるとする。代表的なものを挙げる。「租借は一見正当な双務条約で、租借はその土地の上に単に居住権を取得し、土地の主権は依然その本来租借地の属していた国に存するように見えるが、実はその主権は単に名義のみであって、実際の主権は租借国に移転するものである。これは、当初から租借をなす国は永久にこれを領土とする意思であり、租借させる国はこれを放棄するか永久に相手国に帰属することを了解するからである。租借は租借させる国の領土割譲という自尊心を無視しないということに止まると考えるべきである。そして、租借という領土取得の方法は不法といえべきではない」ルイ・ジェラール(フランス)、その他にも、ドクトル・キューブネル(ドイツ)、ローレンス(イギリス)など多くの「国際法学者」が同様の見解を採っている。
日本でも「蜷川 新―「満州における帝国の権利」昭和12年発行 で「関東州」は日本の領土であると述べている。
 これに対し、日本政府は、一貫して「関東州」は日本の領土ではないという。これは「主権」というものは、統治の永遠性と領土の任意処分権を基本とするが「租借」にはそれが欠けているというのである。しかし、日本政府も「関東州」は清国の領土にあるにしても<施政>はすべて日本領土に準じて行われ、日本の領土と何ら実質上異なるところがないとも認めている。「美濃部達吉」も「憲法提要」においてこれと同じ見解を採っている。
 しかし、そこまで、言うのであれば、「租借地」は「領土割譲」であると考えた法が理に叶うであろう。
 「関東州」に居住する原住民には、日本の「国籍法」が施行されることはなかった。しかし、「関東州」は「日本の領土」であるという考えを採るならば、「日本国籍者」ということになる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(9) 投稿者:解法者  投稿日:11月 2日(火)17時58分13秒 ◆◆◆

>満 州(1)<

 「満州」は昭和7年(1932年)3月1日に建国され、同年9月15日に日本が承認した。
 「満州国」は独立国家であるから、居住する原住民には、日本の「国籍法」が施行されることはなかった。また、居住する原住民は「日本国籍者」ということはない。これについては異説はない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(10) 投稿者:解法者  投稿日:11月12日(金)22時19分14秒 ◆◆◆

>朝 鮮(2)<

 日本統治時代の「朝鮮人」は、すべて「朝鮮戸籍」に登載されることになった。したがって、「朝鮮人」とは「朝鮮戸籍」に登載された「朝鮮人」のことをいう。なお、「朝鮮半島」に居住する「朝鮮人」は「大韓民国」あるいは「朝鮮民主主義人民共和国」が建国されようとされまいと、日本は「朝鮮半島」に居住する「朝鮮人」に対する支配権を実質的に失ったのであるから、「朝鮮人」についての「国籍」という場合には、専ら、日本に居住する「朝鮮人」についての「国籍」についてである。

 1945年8月15日前後からの「朝鮮」に関する支配の経緯を検討する。
1、カイロ宣言(1943年11月27日)
 前記の3大国(アメリカ、中華民国、イギリス)は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。
2、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)
 カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし(8項)。
3、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)
 ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること。
4、民事甲第452号民事局長回答(1945年10月15日)
 内地・外地の戸籍の交流を停止する。
5、若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書(1946年1月
  29日)                          ★ GHQ
 日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限する。
6、朝鮮人・中国人・琉球人及び台湾人の登録に関する覚書(1946年2月17日)
(GHQ)に基づく「朝鮮人・中国人・本島人(台湾人)及び本籍を北緯30度以南(口之島を含む)の鹿児島県又は沖縄県に有する者の登録令(昭和21厚生=内務=司法省令1)および同施行規則
 法令の目的は、帰還希望の有無に関するものに限定(第1条)
  調査の結果
  帰還希望者         登録人数         その内在留希望者
   朝鮮人         647,006人       132、946人
   中華民国人        14、941人        12、569人
   本島人(台湾人)     15、906人         3、122人
7、外国人登録令(昭和22年勅令第207号)(1947年5月2日)
 台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす(第11条)。
 これにより、朝鮮人は日本国籍を持ちながら外国人とみなされることとなった。そして、外国人の登録に当たっては、国籍などの欄に「朝鮮」という表記が採られた。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(11) 投稿者:解法者  投稿日:11月12日(金)22時17分52秒 ◆◆◆

>朝 鮮(3)<

8、日本国憲法施行(1947年5月3日)
9、戸籍法施行(1948年1月1日)
 外地に対する入籍通知を廃止する。
10、国籍に関する臨時条例制定(1948年5月21日)       ★ 韓国
 朝鮮人で日本の戸籍に入っている者は、そこから離脱しない限りは朝鮮の国籍を回復しない。
11、大韓民国の成立(1948年8月15日)
12、朝鮮民主主義人民共和国の成立(1948年9月9日)
13、「李 承晩」大韓民国の演説(1948年10月)         ★ 韓国
 日本のアーニーバイル劇場で「在日朝鮮人は日本に居住していても韓国国民である」と
発言
14、在外国民登録法(1949年11月24日)           ★ 韓国
 外国で一定の場所に住所または居所を定めた在外国民は総領事館、大使館などの公館に申告して、本籍、住所、氏名、兵役関係など一定の事項を登録しなければならない(2条〜5条)、登録申告しない者に対して公館の長は、国民として受けるべき保護を停止することができる(8条)。
15、国籍法施行(1950年7月1日)
16、民事甲第452号民事局長通達(1952年4月19日)
@ 朝鮮および台湾は、条約(平和条約)の発効の日から日本国の領土から分離すること
になるので、これに伴い朝鮮人および台湾人は、内地に在住している者も含めてすべて日本の国籍を喪失する。
A 元朝鮮人および台湾人の者でも、条約(平和条約)の発効前に内地人との婚姻、縁組
などの身分行為により内地の戸籍に入籍すべき事由の生じた者は、内地人であって、条約(平和条約)の発効後も何らかの手続を要することなく、引き続き日本の国籍を保有する。
B 元内地人であった者でも、条約(平和条約)の発効前に内地人との婚姻、縁組
などの身分行為により内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じた者は、朝鮮人または台湾人の者であっても、条約(平和条約)の発効とともに日本国籍を喪失する。
17、平和条約(1952年4月28日効力発生)
 日本国は朝鮮の独立を承認して・・・・朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(第2条(a))


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(12) 投稿者:解法者  投稿日:11月15日(月)22時46分37秒 ◆◆◆

>朝 鮮(4)<

 「在日朝鮮人」は、いつ、「日本国籍」を喪失したのであろうか。これについては、次の見解がある。
1、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)時点
2、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)時点
3、大韓民国の成立(1948年8月15日)時点
4、朝鮮民主主義人民共和国の成立(1948年9月9日)時点
5、民事甲第452号民事局長通達(1952年4月19日)時点
6、平和条約(1952年4月28日効力発生)時点
7、未だに「日本国籍」を喪失していない

 このうち、どの見解が正しいのであろうか。なお、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国は、どの時点で、「在日朝鮮人」がそれぞれの国の国籍を回復したのかについては、見解を明らかにしていない。

1、の見解
 日本は、昭和20年8月14日にポツダム宣言を受諾して事実上朝鮮の独立を承認し、朝鮮も同月15日をその独立記念日としていること、およびそのとき以来独立国の実体を備えていることからすると、その日を以って、朝鮮在住の朝鮮人についても日本国の国籍を喪失したとする。あるいは、ポツダム宣言を受諾して事実上朝鮮の独立を承認したのであるから、ポツダム宣言を受諾した日を以って日本在住の朝鮮人についても日本国の国籍を喪失したとする(奥野健一、藤田八郎―最高裁判所の判決参照)。
 確かに、1945年8月15日をもって、実質上「朝鮮」に対する支配を失った。しかし、このことが、<法的>にも「朝鮮」に対する支配を失ったということにはならない。これを<明確>にする「法的文書」が取り交わされていないからである。
 したがって、先の1、の見解は採りえない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(13) 投稿者:解法者  投稿日:11月15日(月)22時45分31秒 ◆◆◆

>朝 鮮(5)<

2、の見解
 ポツダム宣言を受諾して事実上朝鮮の独立を承認したのであるが、これを具現したのが
1945年9月2日の「降伏文書」であり、この日を以って日本在住の朝鮮人についても日本国の国籍を喪失したとする(東京地方裁判所昭和33年9月11日判決―行政事件裁判例集9巻9号261頁)。大分地方裁判所の杵築支部昭和35年7月12日判決―下級裁判所裁判例集11巻7号1470頁)。  ※ 台湾について。
 日本は、1945年8月14日に「ポツダム宣言」を受諾し、同年9月2日に「降伏文書」に署名した。ただ、この時点で「朝鮮」が「日本」から分離したわけではない。これは「ポツダム宣言」および「降伏文書」の「国際法的性格」に基づくもので、例え、そこに<領土条項>が含まれていても、効力が発生しない。「ポツダム宣言」において、我が国の本州以下の4つの島以外の諸小島の帰属を将来に留保していることからも、「ポツダム宣言」は国際的な約束であっても、直ちに実施が要求されているもではなく、日本の領土に関する最終的な決定は将来の平和条約ないし何らかの国際的な取り決めに委ねようとしたものであると解することができる。つまり、「ポツダム宣言」およびそれによって締結された「降伏文書」は<軍事文書>に過ぎないである。
 このことについては、アメリカ、日本だけでなく、南朝鮮も同じ考えを採り、アメリカの軍政下に入っていた「南朝鮮」でも「朝鮮人で日本の戸籍に入っている者は、そこから離脱しない限りは朝鮮の国籍を回復しない」としていた(「国籍に関する臨時条例―1948年5月21日制定」)。北朝鮮では法律が1963年10月9日の「国籍法」の制定までない(この前日まで、北朝鮮人は「日本国籍」と「北朝鮮国籍」の二重国籍を保有していたと推定)。
 「国籍法の抵触に関連するある種の問題に関する条約(以下 国籍法の抵触条約という」(1937年7月1日効力発生―日本は未批准)は、「何人が自国民であるかを自国の法令によって決定することは各国の権限に属する。とあり、「在日朝鮮人」の国籍の帰趨は、日本の国内法に委ねられていたのである。
 したがって、先の2、の見解は採りえない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(14) 投稿者:解法者  投稿日:11月15日(月)22時44分21秒 ◆◆◆

>朝 鮮(6)<

3,4、の見解
 大韓民国の成立、朝鮮民主主義人民共和国の成立は、朝鮮人の「国籍」の得喪には全く関係ない。「国籍法の抵触に関連するある種の問題に関する条約は、「何人が自国民であるかを自国の法令によって決定することは各国の権限に属する。とあり、朝鮮人の「国籍」の得喪は日本の国内法に委ねられるからである。
 したがって、先の3、4、の見解は採りえない。
5、の見解
 通達とは、各大臣、各委員会及び各庁の長が、その所管事務に関して、所管の諸機関や職員に示達する形式の一つ(国家行政組織法第14条)。執務上依拠しなければならない
命令の解釈や運用方針などを内容とする。いわゆる行政規則の性質を持ち、法規を内容とするものではないから、部内の機関や職員を拘束するが、国民に対しては効力を持つものではなく、裁判所もこれに拘束されない。かっては通牒という語が用いられていた(新版
法律学辞典 有斐閣 昭和42年9月20日発行)。当時の「国家行政組織法第14条2項」は「各大臣及び各外局の長は、その機関の所管事務について、国家公務員法・・・及びこれに基づく規則の規定に従い、命令又は示達するため、所管の諸機関及び職員に対し、訓令又は通達を発することができる」と定めている。これが「日本政府」の見解であり、次の6、の見解と呼応する。
 国民の要件は法律で定めることになっている(憲法第10条)。ここでいう「法律」とは国会が制定する法であることは明白である。こう考えるならば、「民事甲第452号民事局長通達」で、朝鮮人の国籍を定めることはできない。
 したがって、先の5、の見解は採りえない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(15) 投稿者:解法者  投稿日:11月16日(火)21時41分32秒 ◆◆◆

>朝 鮮(7)<

6、の見解
 これは、最高裁判所の判例に基づく見解である(最高裁判所昭和36年4月5日判決―最高裁判所民事判例集15巻4号657頁、判例時報257号7頁)。これについては、詳細に説明する。
「1、上告人は、原判決が憲法第10条、11条、12条、13条及び国籍法に違反した
裁判であるとする。なるほど、憲法第10条は、国民の要件を法律で定めることを規定している。しかし、これを定めた国籍法は、領土の変更に伴う国籍の変更について規定していない。しかも、領土の変更に伴って国籍の変更を生ずることは、疑いのいれないところである。この変更に関しては、国際法上で確定した原則がなく、各場合に条約によって明示または黙示的に定められるのを通例とする。したがって、憲法は、領土の変更に伴う国籍の変更について条約で定めることを認めた趣旨と解するのが相当である。それ故に、憲法第10条に違反するという主張は理由がなく、国籍法も本件に関しては理由がない。また憲法第11条、12条、13条についても、上告人の日本国籍の喪失は、つぎに述べるように、平和条約の規定に基づくものであって、憲法のこれらの規定に違反する点は認められない
2、平和条約は、「本国は朝鮮の独立を承認して・・・・朝鮮に対するすべての権利、
権原及び請求権を放棄すると規定している(第2条(a))」。この規定は、朝鮮に属すべき領土に対する主権(領土主権)を放棄すると同時に、朝鮮に属すべき人に対する主権(いわゆる対人主権)も放棄することは疑いをいれない。国家は、人、領土及び政府を存立の要素とするもので、これらの一つを欠いても国家としては存立しない。朝鮮の独立を承認するということは、朝鮮を独立の国家として承認するということで、朝鮮がそれに属する人、領土及び政府をもつことを承認することにほかならない。したがって、平和条約によって、日本は朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄したことになる。
 このことは、朝鮮に属すべき人について、日本の国籍を喪失させることを意味する。ある国に属する人は、その国の国籍をもつ人であり、その国の主権に服する。逆にいえば、ある国の国籍をもつ人はその国の主権に服する。したがって、日本が朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄することは、このような人について日本の国籍を喪失させることになる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(16) 投稿者:解法者  投稿日:11月16日(火)21時40分36秒 ◆◆◆

>朝 鮮(8)<

3、朝鮮に属すべき人というのは、日本と朝鮮の併合後において、日本の国内法上で朝鮮
人としての法的地位をもった人と解するが相当である。朝鮮人としての法的地位をもった人とは、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載された人である。朝鮮人としての法的地位をもつ人は、日本人としての法的地位をもつ人から、日本の国内法上で、はっきりと区別されていた。このような法律的状態の下に平和条約が結ばれ、日本は朝鮮の独立を承認して、朝鮮に属すべき人に対する主権を放棄し、その人の日本国籍を喪失させられた人は、日本の法律上で朝鮮人としての法的地位をもっていた人と見るのが相当である。
4、本件の上告人は、元来は日本人であるが、朝鮮人Aと婚姻し、朝鮮戸籍に入籍したことは、原判決の適法に確定したところである。それによって上告人は、法律上で朝鮮人としての法的地位を取得し、日本人としてのそれを喪失したことになる。
 これについては、下飯坂潤夫の反対意見がある。「日本国と韓国との間には日本人国籍の得喪に関する条約、協約はもとより話し合いもない。また、朝鮮人Aは未承認国家である朝鮮人民共和国である。日本と朝鮮人民共和国の間には、何ら外交上の手段を持っていないような現段階においては、多数意見のように一般的法理論のみで本事案を解決に持って行くことが果たして可能かつ妥当であろうか」
 同視の判例としては、最高裁判所昭和40年6月4日判決―最高裁判所民事判例集19巻4号898頁がある。ここでは「領土の割譲、併合、復帰等国際法上のいわゆる国籍の変動にあたっては、当該領土に属するものは、旧国籍を離脱するにとどまらず、その変動が主権の移転によるものであるから、当事国ないし相手国の国内法の如何を問わず、旧国籍の離脱と同時に新国籍を取得する」。
 この見解(前記判決の多数意見)は、国際法学者の多数説でもある(江川英文・山田一・早田芳郎―「国籍法(第3版)」 有斐閣 平成9年7月30日発行」、溜池良夫―「法学論叢 94巻5,6号」 京都大学法学会 有斐閣、桑田三郎―終戦後朝鮮男子と婚姻した日本人女子における日本国籍の有無」 ジュリスト 197号、澤木敬郎―「平和条約の発効と国籍」 ジュリスト 228号)。

 この判決には賛成できない。
 「領土の変更に伴って国籍の変更を生ずることは、疑いのいれないところである」というが、こうしたことは「国際法上」で確立したものでないことは、>領土の変更と住民の国籍(1)、(3)< で説明したとおりである。
 それでは、国内法である「平和条約」が日本に在住する朝鮮人の日本国籍を喪失させたのであろうか(朝鮮に在住する朝鮮人が日本国籍を喪失していることは、韓国などの国籍法から疑いの余地はない)。
 「平和条約(昭和27年(1952年)4月28日)」の第2条(a)で「日本国は朝鮮の独立を承認して・・・・朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めているが、直接、「在日朝鮮人」の「国籍問題」には言及していない。
 したがって、日本に在住する朝鮮人の日本国籍を喪失していないと考えるべきである。「在日朝鮮人」は<日本の国籍者>として「参政権」を有している。(同旨  宮崎繁樹―「放棄された領土と住民の国籍」 法律論叢 51巻1号 明治大学法律研究所 1978年8月25日発行」、川上太郎―「朝鮮人の属人法問題」 八幡大学論集19巻1.2合併号、畝村 繁―「朝鮮の人と朝鮮に関係のあった人に対する第二次世界大戦後の国籍の処理」 神戸法学雑誌 30巻2号、田中 宏―「日本の台湾・朝鮮支配と国籍問題」 法律時報47巻4号)
 なお、韓国、北朝鮮が「朝鮮人」の「国籍」について「国籍法」などで定めていても、日本に居住する「在日朝鮮人」には効力が及ばない。日本の<内政問題>だからである。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(17) 投稿者:解法者  投稿日:11月16日(火)21時39分37秒 ◆◆◆

>朝 鮮(9)<

 それでは、最後に、日本に居住する「在日朝鮮人」は、韓国、北朝鮮との「国籍」とはどういう関係にあるのかについて検討を加えたい。
 これについては、次のような考えがある。
1、「在日朝鮮人」の国籍に関して、その喪失を定めた「国内法」がない。
 この見解は、2、のように「在日朝鮮人」の国籍の喪失をその選択に委ねるという考えは採らない。
2、「在日朝鮮人」の国籍の喪失は、その喪失を定めた「国内法」がない場合には、「在日朝鮮人」の選択に委ねるべきである。
 この見解は、1、の見解を基礎とするもので、「国内法」が制定されれば、それに従うというものであるが、それは「民族自決」および「人権の尊重」という原理に基づくものでなければらないというと考えられる。
 この見解の代表的なものは、「大沼保昭」東京大学教授の見解である(「在日朝鮮人の法的地位に関する一考察 @〜E」(法律協会雑誌 1979年(昭和54年)発行)。この基調は、日本の朝鮮侵略史観にあり、民族自決と人権の尊重の論理にある。「人権保障の国際化ということが現在の基調となっていることに鑑み、「民族自決」および「人権の尊重」という原理が個々人の国籍選択という形で保障されなければならない。朝鮮国内法は、在日朝鮮人に「朝鮮国籍」を付与している。一方、日本においては「平和条約」および「国籍法」などでも、在日朝鮮人から「日本国籍」を喪失させる(剥奪する)のか、「朝鮮国籍」を付与するのかは明確ではない。さらに「平和条約」などで、朝鮮が当事者国でないのに、日本が勝手に、これこれの人は「朝鮮に属すべき」であると<合理的に解釈>してみても、それ条約の解釈としては許されないというべきである。そう考えるならば、在日朝鮮人は「日本国籍」を喪失していないと解され、「在日朝鮮人」は「日本国籍」と「朝鮮国籍」の2つを保有し、そのどちらかを選択する権利を有していると考えるほかない」とする。
 しかし、「民族自決」の思想は政治的主張としては有り得るものの、国際法的には確立したものではない。このことは各民族が1国家を形成していないことが「国際法違反」として捉えられていないことからも首肯できる。また、「人権の尊重」が国籍を定めるという原理は確立していない。「国籍」の確定は「人権思想」とは離れた「国家理論」から導かれるのである。
 さらに、朝鮮併合を見ても、日本の「国籍法」が施行されないにもかかわらず、朝鮮人に「日本国籍」が与えられたという点を無視している。つまり、日本が勝手に、これこれの人は「朝鮮に属すべき」であると<合理的に解釈>してみても、それ法(国籍法)の解釈としては許されていたのである。
「大沼保昭」東京大学教授の見解のように「民族自決」および「人権の尊重」という原理を重視するのであれば、最初から朝鮮人は「朝鮮国籍」が保持され、「日本国籍」など取得しなかったことになり、そもそも、ここで、朝鮮人に「日本国籍」を<喪失>したなどとは言い得ないこととになる。さらには、「民族自決」および「人権の尊重」という原理に基づくことが要求されるのであれば、朝鮮が当事者でないのに、朝鮮人の国籍の帰趨が決められないとするならば、「国内法」においても朝鮮人の国籍が決定されないこととなって、先の「国籍法の抵触に関連するある種の問題に関する条約において、「何人が自国民であるかを自国の法令によって決定することは各国の権限に属する。つまり、日本の国内法に委ねられるという原則に反するからである。
 したがって、この見解にはとうてい賛成できない。
 「在日朝鮮人」が「日本国籍」を<喪失>してないのは、「国内法」に規定がないからに過ぎないからである。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(18) 投稿者:解法者  投稿日:11月17日(水)22時20分28秒 ◆◆◆

>台 湾(2)<

 日本統治時代の「台湾人(本島人)」は、すべて、「台湾戸籍」に登載されることになった。したがって、「台湾人」とは「台湾戸籍」に登載された「台湾人」のことをいう。なお、「台湾」に居住する「台湾人」は「中華民国」あるいは「中華人民共和国」が建国されようとされまいと、日本は「台湾」に居住する「台湾人」に対する支配権を実質的に失ったのであるから、「台湾人」についての「国籍」という場合には、専ら、日本に居住する「台湾人」についての「国籍」についてである。

 1945年8月15日前後からの「台湾」に関する支配の経緯を検討する。
1、カイロ宣言(1943年11月27日)
 前記の3大国(アメリカ、中華民国、イギリス)は、台湾及び澎湖島(以下 台湾という)を中華民国に返還する。
2、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)
 カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし(8項)。
3、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)
 ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること。
4、民事甲第452号民事局長回答(1945年10月15日)
 内地・外地の戸籍の交流を停止する。
5、中華民国台湾省行政長官により台湾接収手続(1945年10月25日)
                                ★ 中華民国
 台湾を中国領土へ編入
6、若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書(1946年1月
  29日)                          ★ GHQ
 日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限する。
7、朝鮮人・中国人・琉球人及び台湾人の登録に関する覚書(1946年2月17日)
(GHQ)に基づく「朝鮮人・中国人・本島人(台湾人)及び本籍を北緯30度以南(口之島を含む)の鹿児島県又は沖縄県に有する者の登録令(昭和21厚生=内務=司法省令1)および同施行規則
 法令の目的は、帰還希望の有無に関するものに限定(第1条)
  調査の結果
  帰還希望者         登録人数         その内在留希望者
   朝鮮人         647,006人       132、946人
   中華民国人        14、941人        12、569人
   本島人(台湾人)     15、906人         3、122人
8、在外台僑国籍処理弁法(行政院令)(1946年6月22日)   ★ 中華民国
 在外台湾人は1945年10月25日に遡って中国国籍を回復する。
9、外国人登録令(昭和22年勅令第207号)(1947年5月2日)
 台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす(第11条)。
 これにより、台湾人は日本国籍を持ちながら外国人とみなされることとなった。そして、外国人の登録に当たっては、国籍などの欄に「中華民国」という表記が採られた。現在は「中国」と表記される。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(19) 投稿者:解法者  投稿日:11月17日(水)22時17分40秒 ◆◆◆

>台 湾(3)<

10、日本国憲法施行(1947年5月3日)
11、戸籍法施行(1948年1月1日)
 外地に対する入籍通知を廃止する。
12、国籍法施行(1950年7月1日)
13、民事甲第452号民事局長通達(1952年4月19日)
C 朝鮮および台湾は、条約(平和条約)の発効の日から日本国の領土から分離すること
になるので、これに伴い朝鮮人および台湾人は、内地に在住している者も含めてすべて日本の国籍を喪失する。
D 元朝鮮人および台湾人の者でも、条約(平和条約)の発効前に内地人との婚姻、縁組
などの身分行為により内地の戸籍に入籍すべき事由の生じた者は、内地人であって、条約(平和条約)の発効後も何らかの手続を要することなく、引き続き日本の国籍を保有する。
E 元内地人であった者でも、条約(平和条約)の発効前に内地人との婚姻、縁組
などの身分行為により内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じた者は、朝鮮人または台湾人の者であっても、条約(平和条約)の発効とともに日本国籍を喪失する。
14、平和条約(1952年4月28日効力発生)
 日本国は台湾に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(第2条(b)
15、日華平和条約(1952年8月5日効力発生)
 日本国は1951年9月8日に署名された平和条約第2条に基づき、台湾に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される(第2条)
 中華民国の国民には、台湾のすべての住民であった者並びにそれらの子孫で、台湾において中華民国が現に施行し、又は今後施行する法令によって中国の国籍を有するものを含むとみなす(第10条)
15、民事甲第640号民事局長回答(1955年4月5日)
 平和条約(第2条(b)項は、台湾に対する主権の放棄を意味するものであって、・・・・
日本国籍を取得した台湾人及びその子孫は、内地に在住する者も含めてすべて平和条約の効力発生と同時に日本の国籍を喪失すると解される。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(20) 投稿者:解法者  投稿日:11月17日(水)22時15分54秒 ◆◆◆

>台 湾(4)<

 台湾人は、いつ、「日本国籍」を喪失したのであろうか。これについては、次の見解がある。
1、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)時点
2、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)時点
3、中華民国台湾省行政長官により台湾接収手続(台湾の中国領土への編入)(1945年
 10月25日)時点
4、民事甲第452号民事局長通達(1952年4月19日)時点
5、平和条約(1952年4月28日効力発生)時点
6、日華平和条約(1952年8月5日効力発生)時点
7、未だに「日本国籍」を喪失していない

 このうち、どの見解が正しいのであろうか。これについては「朝鮮」のところで述べたことも合わせて参照されたい。
1、の見解
 日本は、昭和20年8月14日にポツダム宣言を受諾して台湾に対する領土主権を放棄し、中華民国に服したことからすると、その日を以って、台湾在住の台湾人についても日本国の国籍を喪失し日本在住の台湾人についても日本国の国籍を喪失したとする(奥野健一、藤田八郎―最高裁判所の判決参照)。  ※ 朝鮮について。
 確かに、1945年8月15日をもって、実質上「台湾」に対する支配を失った。しかし、このことが、<法的>にも「朝鮮」に対する支配を失ったということにはならない。これを<明確>にする「法的文書」が取り交わされていないからである。
 したがって、先の1、の見解は採りえない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(21) 投稿者:解法者  投稿日:11月21日(日)00時37分46秒 ◆◆◆

>台 湾(5)<

2、の見解
 ポツダム宣言を受諾して台湾に対する領土主権を放棄したのであるが、これを具現したのが1945年9月2日の「降伏文書」であり、この日を以って日本在住の台湾人についても日本国の国籍を喪失したとする。
 これについては、判例がある。「従来の国際法の原則によると戦争に基づく領土の割譲、従って、これによって生ずべき国籍変動の範囲は講和条約(平和条約)によって確定されると解されてきた。しかし、今次戦争の場合にも右の原則が無条件に適用せらるべきであるかは非常に疑わしい。すなわち昭和20年9月2日に我が国が降伏文書を調印したことによって正式に受諾したポツダム宣言の第8項には、「カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」とあり、同宣言に引用するカイロ宣言第3項には、「前記の3大国(アメリカ、中華民国、イギリス)は、台湾及び澎湖島(以下 台湾という)を中華民国に返還する」と規定されている。このように「降伏文書」は単に軍事的停戦だけでなくて政治的にも日本の保有すべき領土を一部の小島を除いて決定しており、右文書は我が国を代表する代表者の調印がなされたのであり、その後の平和条約が締結されるまで我が国は連合国の管理下にあって、台湾に対する統治権はなく右連合国の管理政策においては台湾人はいわゆる解放国民として遇され、我が国民とは区別されていたのであり、そして、平和条約において、日本国は台湾に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(第2条(a)ことなっている。これらの事実から考えると我が国はポツダム宣言を受諾することによって、少なくとも台湾についてはその主権を既に放棄したのであって、平和条約において、その事実を確認したと解するのが相当であるから、台湾人が日本人たることを前提とする「共通法」は「降伏文書」の調印とともに台湾に対する関係においては失効したというべきである。台湾人は「降伏文書」の調印によって日本国籍を喪失したものといわなければならない」
(東京地方裁判所昭和33年9月11日判決―行政事件裁判例集9巻9号261頁)。大分地方裁判所の杵築支部の判例(昭和35年7月12日判決―下級裁判所裁判例集11巻7号1470頁)も同じ見解を採る。なお、中華民国政府も同じ見解である。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(22) 投稿者:解法者  投稿日:11月21日(日)00時36分36秒 ◆◆◆

>台 湾(6)<

 この見解には賛成できない。
 日本は、1945年8月14日に「ポツダム宣言」を受諾し、同年9月2日に「降伏文書」に署名した。ただ、この時点で「朝鮮」が「日本」から分離したわけではない。これは「ポツダム宣言」および「降伏文書」の「国際法的性格」に基づくもので、例え、そこに<領土条項>が含まれていても、効力が発生しない。「ポツダム宣言」において、我が国の本州以下の4つの島以外の諸小島の帰属を将来に留保していることからも、「ポツダム宣言」は国際的な約束であっても、直ちに実施が要求されているもではなく、日本の領土に関する最終的な決定は将来の平和条約ないし何らかの国際的な取り決めに委ねようとしたものであると解することができる。つまり、「ポツダム宣言」およびそれによって締結された「降伏文書」は<軍事文書>に過ぎないである。
 「国籍法の抵触に関連するある種の問題に関する条約(以下 国籍法の抵触条約という」(1937年7月1日効力発生―日本は未批准)は、「何人が自国民であるかを自国の法令によって決定することは各国の権限に属する。とあり、「在日朝鮮人」の国籍の帰趨は、日本の国内法に委ねられていたのである。
 したがって、先の2、の見解は採りえない。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(23) 投稿者:解法者  投稿日:11月21日(日)00時35分46秒 ◆◆◆

>台 湾(7)<

3、の見解
 中国は、日本の降伏後間もなく、9月20日に台湾省行政長官の手によって、台湾接収手続が行われ、それによって、台湾は正式に中国領土に編入され、その後も、いわゆる占領といったかたちでなく、自国領土として統治を行って来た。それに対しては連合国も日本も抗議して来なかったことは、カイロ宣言、ポツダム宣言、降伏文書によって日本がその履行を約束したと考えられる。そうとするならば、平和条約(1952年4月28日効力発生)以前に台湾の中国復帰は国際法的に決定されていたと解せられる。そして、その時期は、中華民国台湾省行政長官により台湾接収手続(台湾の中国領土への編入)(1945年10月25日)時点となる。
 しかし、カイロ宣言は台湾を中国に返還するという意図に関してイギリス、アメリカ、中国の間になされた法的な約束に過ぎず、日本はこれに参加しておらず、これに拘束されるものではない。また、「ポツダム宣言」およびそれによって締結された「降伏文書」は<軍事文書>に過ぎないであるから、例え、そこに<領土条項>が存在していたとしても、台湾の帰趨を決めたものではない(「田畑茂二郎 「二つの中国」論と台湾の国際法的地位」
法律時報28巻10号36頁)。
 したがって、先の3、の見解は採りえない。
4、の見解
 これについては、朝鮮のところで(日本統治下の外地の人の国籍問題(14)―朝鮮(6))
述べたとおり、採り得ない。
5、6、の見解
 これについては、朝鮮のところで(日本統治下の外地の人の国籍問題(15)〜(17)―朝鮮(7)〜(9))述べたとおり、採り得ない。
 なお、これについても先の朝鮮人に関する最高裁判所の判例(最高裁判所昭和36年4月5日判決―最高裁判所民事判例集15巻4号657頁、判例時報257号7頁)と対応する判例がある(最高裁判所昭和37年12月5日判決―最高裁判所刑事判例集16巻12号1661頁)。「台湾人としての法的地位をもった人は、台湾が日本国と中華民国との平和条約によって、日本国から中華民国に譲渡されたものであるから、昭和27年8月5日同条約の発効により日本の国籍を喪失したことになる。」
 この判例が採りえないことは先に説明したとおりである。
 結局、「在日台湾人」についても、国籍の喪失を定めた「国内法」が制定されておらず、未だに「日本国籍」を喪失していないということになる。これに賛同する判例がある(大阪高等裁判所昭和48年3月20日決定―判例時報708号45頁)。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(24) 投稿者:解法者  投稿日:11月23日(火)17時29分42秒 ◆◆◆

>樺 太(2)<

 日本が「南樺太」(以下「樺太」という)は「共通法」において「内地」と規定され、日本の「国籍法」と「戸籍法」が施行されたが(大正13年勅令第89号)、「原住民」には「戸籍法」が適用されず、「土人戸口届出規則」(大正10年樺太庁35号)によった。ただし、「原住民」のうち「アイヌ」に関しては、日本の「民事法」が適用され、従って「戸籍法」も適用され(昭和7年勅令第37号)、「定籍」が定められた(昭和7年司法省令第47号)。「原住民」のなかには「アイヌ」のほか「オロッコ」など様々な者たちがいたが(昭和5年の国勢調査 オロッコー332人、ニクブンー113人、キーリンー23人、サンダーー10人、ヤクートー2人 「民事月報 21巻33号」 中野孫一 法務省民事局 昭和41年3月発行)、「戸籍法」は適用されなかった。しかし、これらの者が「日本国籍」を有していたことは疑いの余地はない。
 1945年8月15日前後からの「樺太」に関する支配の経緯を検討する。
1、ヤルタ協定(1945年2月11日)
 3大国、すなわち、ソヴィエト連邦、アメリカ合衆国、イギリスの指導者は、ドイツが降伏し、かつ、ヨーロッパにおける戦争が終結した2ヵ月又は3ヵ月を経て、ソヴィエト連邦が、次の条件で連合国側において日本国に対する戦争に参加することを協定した。2(イ) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。
2、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)
 カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし(8項)。
3、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)
 ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること。
4、民事甲第452号民事局長回答(1945年10月15日)
 内地・外地の戸籍の交流を停止する。
5、連邦最高会議幹部命令(1946年2月2日)         ★ ソヴィエト
 樺太を領土に編入。
6、若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書(1946年1月
  29日)                          ★ GHQ
 日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限する。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(25) 投稿者:解法者  投稿日:11月23日(火)17時28分2秒 ◆◆◆

>樺 太(3)<

7、連邦最高会議幹部命令(1946年9月26日)        ★ ソヴィエト
 日本領域に居住する者で、1917年11月7日にロシア国臣民であった者、または、ソヴィエト国籍を有したがそれを喪失した者、および彼らの子供は、同年12月1日までに東京の対外理事会ソ連理事にソ連国籍の回復の申請をすることができる。この期限までにソ連国籍の回復の申請をなさなかった者は一般条件のもとにソ連国籍を取得できる。
8、日本国憲法施行(1947年5月3日)
9、戸籍法施行(1948年1月1日)
 外地に対する入籍通知を廃止する。
10、国籍法施行(1950年7月1日)
11、民事甲第438号民事局長通達(1952年4月29日)
 樺太及び千島も条約(平和条約)の発効とともに日本国の領土から分離されることになるが、これらの地域に本籍を有する者は、条約の発効によって日本の国籍を喪失しないこと勿論である。
12、平和条約(1952年4月28日効力発生)
 日本国は樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(第2条(C)
    ☆ ソヴィエト連邦は署名していない。
13、民事(ニ)発第71号民事局第課長回答(1956年2月28日)
 平和条約発効前に樺太に在住していたギリヤーク人の就籍届けは受理して差し支えない。
14、民事(ニ)発第116号民事局第課長回答(1956年3月13日)
 終戦後、日本人と同様引き揚げたギリヤーク人は就籍許可の審判を求めることができる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(26) 投稿者:解法者  投稿日:11月23日(火)17時27分24秒 ◆◆◆

>樺 太(4)<

 樺太(南樺太)に在住している原住民は、現在に至るまで「日本国籍」を失っていない。
ソヴィエト連邦も樺太に在住する外国人のすべてについて「無国籍者」であると取扱っている。
 これについては、異説はない。判例もこれを認めている。
1、札幌家庭裁判所室蘭支部昭和39年3月31日審判―判例時報386号60頁
 わが国籍法第8条によると、「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とされているが、申立人がソ連の国籍を取得するに至ったのは、ソ連当局の強制によるものではなく、自己の志望によってその国籍を取得したもののように見える。しかしながら、さらによく考えて見ると、異境にあって長年無国籍者としての差別待遇を余儀なくされ、幾多もの辛酸に耐えてきた申立人にとって、帰国こそが唯一の夢であり、かつ心の支えであったということができるところ、もはや帰国の見透しはまったくないと知らされてその望みが絶たれたときの申立人の心理状態は察して余りあるのであって、相談する人とて無い特殊な環境の下において、子供の教育のことその他の点を考慮してソ連への帰化を決意したとしても無理からぬことというべく、かかる場合に表面に現れた現象のみを捉え、第三者の強迫その他の事由がなかったからといって、直ちに申立人が自由な志望によって、ソ連の国籍を取得したものとみることは、申立人に対して余りにも酷であると言わなければならない。かようにみてくると、本件のような極めて特殊な条件下にあっては、申立人が帰化を決意したことはよくよくのことであり、真にやむを得ないものと言うべく、「自己の志望によって外国の国籍を取得する」というのは、本件のような場合を予想したものとは解せられないから、結局、申立人はソ連の国籍を取得したものとは言えない。未だ、それは同条にいわゆる自己の志望によるものとは認め難く、申立人は、日本の国籍を失っていない」


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(27) 投稿者:解法者  投稿日:11月25日(木)10時18分20秒 ◆◆◆

>樺 太(5)<

2、旭川家庭裁判所昭和41年3月30日審判―家庭裁判所月報18巻10号72頁
 オロッコ族(オロチョン人)を含む旧樺太土人は、今次世界大戦前においては、アイヌ人を除いては戸籍法の適用はなかったけれども、土人戸口届出規則(大正10年樺太庁令35号)が適用されて、すべて広義の日本人と取り扱われていたものである。今次世界大戦の結果、平和条約2条(c)項により、わが国は旧領土であった南樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したもので、その効果は条約当事国でないソ連邦に対する関係においても同様であると解されるから、オロッコ族を含む旧樺太土人は日本人たる地位を失ったのではないかという疑いを生ずるけれども、審問結果と裁判所の調査によれば、ソ連邦政府においては旧樺太土人を無国籍者の日本人として取り扱っていることがうかがわれるうえ、上記条約の結果、従来わが国の主権に属していた旧樺太土人に対する対人主権を放棄したものと積極的に解する根拠もない点から、旧樺太土人については、他に外国籍取得等の事情のない限り、広義の日本人としての地位を保有しているものであり、かつ現在においては日本民族たる日本人と等しく戸籍法の適用を受けるべきものと解するのが相当である。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(28) 投稿者:解法者  投稿日:11月25日(木)10時17分6秒 ◆◆◆

>南洋群島(3)<

 「南洋群島(赤道以北にあったドイツ領の諸島)」は、「国際連盟規約(ヴェルサイユ平和条約第1編)」(1919年6月28日署名、1920年1月10日効力発生)にある。それまで「ドイツ領」であったものを日本が占領していた既成事実を認めて、「日本」に<委任統治>を委ねる方針となり、「南太平洋諸島ノ如キハ、人口ノ希薄、面積ノ狭小、文明ノ中心ヨリ遠キコト又ハ受任国領土ト隣接セルコト其ノ他ノ事情ニ因リ受任国領土ノ構成部分トシテ其ノ国法ノ下ニ施政ヲ行フヲ以テ最善トス。」(第22条6号)とされた。そして、大正8年(1919年)5月7日、この三国の首脳会議で、日本の主張の「領土」は認められず、「委任統治」とされた。
 これを受けて、「南洋群島ニ対スル帝国ノ委任統治条項」(1920年12月17日作成)(第2条前段)で日本の「委任統治下」に入ったのである。
 しかし、ここに居住する原住民には、日本の「国籍法」が施行されることはなかった。
「戸籍」も編成されなかった。したがって、「南洋群島人」の定義は難しい。ここに居住していた「原住民」と定義するしかない。

 1945年8月15日前後からの「南洋群島」に関する支配の経緯を検討する。
1、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)
 カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし(8項)。
2、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)
 ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること。
3、国際連合安全保障理事会の決議(1947年4月2日)
 「南洋群島(赤道以北にあった旧ドイツ領の諸島)」は、アメリカ合衆国の信託統治地域とする」
4、日本国憲法施行(1947年5月3日)
5、平和条約(1952年4月28日効力発生)
 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、かつ、以前に日本の信託統治の下にあった太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす1947年4月2日の国際連合安全保障理事会の行動を受託する(第2条(d)

 こうしたことから、日本は、「南洋群島(赤道以北にあったドイツ領の諸島)」に対する委任統治を失い、ここに対する支配権を失った。
 日本政府の見解は、「南洋群島人」に対しては、日本の「国籍法」は適用されず、しかも、信託統治という制度から、「日本国籍」は与えられたことがないとしている。
 しかし、日本統治下の外地の人の国籍問題(6)の >南洋群島(2)< で述べたとおり、「南洋群島人」に対しても、日本の「国籍」が付与されたという考えを採り、しかも、「平和条約」は何ら彼らの「日本国籍」の喪失に影響を与えないという先の見解に立つならば、現在に至るまで彼らの「日本国籍」の喪失に関する「国内法」が制定されていないので、依然として、日本に居住する「南洋群島人」は日本の「国籍」を有していることになる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(29) 投稿者:解法者  投稿日:11月25日(木)10時12分31秒 ◆◆◆

>関東州(3)<

 「関東州」が日本の支配下に入ったのは、「日露講和条約」(略称 「ポーツマス条約」)による。ロシアの「租借地」だったものを引き継いだのである。そして、清国との間でこれに関して交渉が進められ、「満州に関する条約(満洲ニ関スル日清条約(明治39年勅令号外))」が締結され、「関東州」が日本に租借された。
 しかし、ここに居住する住民に、日本の「国籍法」が施行されることはなく、「日本国籍」が付与されたこともなかった。それは、「関東州」が日本の「租借地」だったというのが「日本政府」の見解だったからである。

 1945年8月15日前後からの「関東州」に関する支配の経緯を検討する。
1、カイロ宣言(1943年11月27日)
 前記の3大国(アメリカ、中華民国、イギリス)は、満州を中華民国に返還する。
2、ヤルタ協定(1945年2月11日)
 中華民国は、満州における完全な主権を保有するものとする。
3、ソヴィエット連邦、満州に侵攻(1945年8月9日)
 満州を占領。
4、ポツダム宣言(1945年8月14日 日本受諾)
 カイロ宣言の条項は、履行されるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし(8項)。
5、降伏文書署名(1945年9月2日 日本受諾)
 ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること。
6、若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書(1946年1月
  29日)                          ★ GHQ
 日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限する。
7、朝鮮人・中国人・琉球人及び台湾人の登録に関する覚書(1946年2月17日)
(GHQ)に基づく「朝鮮人・中国人・本島人(台湾人)及び本籍を北緯30度以南(口之島を含む)の鹿児島県又は沖縄県に有する者の登録令(昭和21厚生=内務=司法省令1)および同施行規則
 法令の目的は、帰還希望の有無に関するものに限定(第1条)
  調査の結果
  帰還希望者         登録人数         その内在留希望者
   朝鮮人         647,006人       132、946人
   中華民国人        14、941人        12、569人
   本島人(台湾人)     15、906人         3、122人
8、日本国憲法施行(1947年5月3日)


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(30) 投稿者:解法者  投稿日:11月25日(木)10時08分4秒 ◆◆◆

>関東州(4)<

 平和条約(1952年4月28日効力発生)および日華平和条約(1952年8月5日効力発生)においても、「関東州」および「満州」の帰属に関する規定は存在しなかった。
 これは、「関東州」は「租借地」であり、「満州」はそもそも「独立国」として認められないばかりが、日本の主権が及ばないものと考えられていたからである。
 しかし、日本統治下の外地の人の国籍問題(8)の >関東州(2)< で述べたように、「関東州」は「日本の領土」であるという考えを採るならば、「日本国籍者」ということになる。
 そして、現在に至るまで彼らの「日本国籍」の喪失に関する「国内法」が制定されていないので、依然として、「関東州」に在住した「在日関東州人」は日本の「国籍」を有していることになる。


◆◆◆ 日本統治下の外地の人の国籍問題(31) 投稿者:解法者  投稿日:11月25日(木)10時05分19秒 ◆◆◆

>満 州(2)<

 「満州」は「独立国」であったので、そこに在住する住民に「日本国籍」が付与されたことはなく、「日本国民」ではない。

>日本統治下の外地の人の国籍問題<  完


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