うたをつぐもの―うたわれるもの・After― (根無草野良)
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~第一幕・3~ 出会い3

 大樹の前で胡坐をかいた某(それがし)の前で、

少女は骸を漁っていた。

 首なし、血みどろ、臓物まみれの遺体に

さしたる嫌悪を示すこともなく、

ただ汚れることだけには気をつけて。

 懐や荷を探っては、「おー」だの「きゃっほう」だのと

妙な歓声を上げている。

 知らず、溜息をこぼしていた。

「山賊に襲われているのかと思ったら、

 まさか助けた方が追剥(おいはぎ)だとは……

 エヴェンクルガの名折れだ」

「むー、アルルゥ」

「……は?」

「追剥じゃない。アルルゥ。こっちはムックル」

 つぶやきが聞こえたらしい。

 少女は自分と白虎を指差しながら、

小さく頬を膨らませていた。

 言葉遣いや顔立ちこそ幼いが、

歳は某(それがし)とさほど変わらなさそうだ。

 なぜか油断できない気がするのは、

先の行動を目の当たりにしているせいだろう。

 どこか静けさを感じさせる円(つぶ)らな瞳は、

懐から飛びだしてきたリスのようなものを追っていた。

「この子はガチャタラ。アルルゥはふたりのおかーさん」

「おかーさん? いや、名を聞いたわけでは……」

 言いたいことを言い終えたのか、

アルルゥはそれ以上を語ろうとしない。

 代わりにまなざしが告げていた。

 自分は名乗ったのだからお前も名乗れ、と。

 確かに道理ではある。

 抵抗はあるが、名乗らぬ不名誉には変えられない。

「……某(それがし)はタイガ。エヴェンクルガの武士(もののふ)だ」

「たいがー?」

「タイガ、だっ」

「むー。ヘンな名前」

「余計なお世話だ。追剥にとやかく言われる筋合はないっ」

 荒くなる語気もそのまま、思わず本音で怒鳴っていた。

 冷静な態度と連携の巧みさを見ても、

行為の常連であることは確かだ。

 子供といえど見逃せるものではない。

 某(それがし)の的を射た言い分のなにが気に入らなかったのか、

アルルゥはただでさえ丸い頬をさらに膨らませていた。

「アルルゥ、悪いヒトにしかしない。

 それに、脅すだけだったのにジャマした」

「なに?」

「ヘタっぴのクセにジャマした」

 指さしているのは某(それがし)の腰。

 より正確には佩(は)いている刀だ。

 なにが下手かは質(ただ)すまでもない。

「な、なんだと、この――」

 思わず腰を上げかけるも、

アルルゥは白虎(ムックル)の後ろに隠れていた。

 唸りを上げるその様に、先の恐怖を思い出す。

 少女の頭上ではご丁寧にも小栗鼠(ガチャタラ)までが尾を逆立て、

威嚇の声で大気を揺らしていた。

 一つ、深く息をつく。

 落ち着け。このように些細なことで心を乱されるから

某(それがし)は未熟なままなのだ。

 一呼吸で感情を鎮めてから、努めてゆっくりと立ち上がった。

「……そうか、それは悪かったな。

 今度からは某(それがし)のようなお人好しの

 いないところでやってくれ」

 そして踵(きびす)を返す。

 捨てゼリフめいた皮肉に少しだけ自己嫌悪を覚えたが、

この場限りだと飲みこんだ。

「うー……」

 返事を待たず、来た道を戻る。

 苛立ちに自問自答をくり返した。

 某(それがし)は間違っていない。

 危機に襲われた弱者を助けるのは

武士(もののふ)として当然の行為だ。

 その末に騙されたのだとしても、

なんら後悔する必要などない。

 あのような輩(やから)がいるということが

知れただけでもよい経験だと思おう。

 世がいかに広かろうと、斯様(かよう)に非常識な存在と

そうそう出会うこともあるまい。

 ……と安心したいのに。

 なぜ背後からその気配が消えないのだろうか?

 振り返り確認するまでもなく、

ムックルが某(それがし)の後ろをついてきていた。

 恐らくは、背上のアルルゥに言われるがままに。

 いや、道が同じだけということもありうる、

と自分をごまかす。

 だが、気づかないふりをしたまま道を外れ、

元いた川原へ向かう間も、

威圧的な獣の気配は後ろに張りついたままだった。

 あえて気にせず、支度した昼餉の前へと戻る。

盆の上に整えた品々は熱さを失ってはいたが、

まだ十分によい匂いを漂わせていた。

「おー」

 感心する声は前から。

 アルルゥはムックルの頭上から、

盆の上に熱い視線を注いでいた。

「……なにか用か」

「べつに」

 不機嫌を隠さずに問いかけても、

そう言うばかりで目を合わせようとはしない。

 構うことなく、祈りを終えて箸をとった。

 ほぐした山モロロは柔らかく、

仄かな苦味と豊かな甘味が口の中に広がる。

 魚は絶妙の火加減と塩加減。

 ほどよく脂の落ちた身には、

いつまでも後を引く旨味があった。

 山菜の煮付けは清々しく、漬物は後味さっぱりと。

 あまり誇りたくはないが、我ながらなかなかの出来だ。

 出来、なのだが……。

 残念ながら、あまり堪能はできずにいる。

 当然だろう。

 巨大な虎に周囲を巡回されながら箸を進められるほど、

某(それがし)の胆は据わっていない。

 兄上ならば周囲の状況など何一つ気にはしないのだろうが……。

 心休まる昼餉のため、某(それがし)は心の膝を折った。

 荷から盆と食器をもう一組とりだし、同じ膳を改めて配した。

 揃えられていく食事を前に、ムックルはうろつくのをやめた。

 母と称する少女を前に置いて。

「手を洗ってこい」

「ん」

 食前の作法に関しては妙に素直で、

アルルゥは小走りに河へと向かうと、

そそくさと手を洗って急いで戻ってきた。

 そんな些細が妙にほほえましく、

心の澱が少しだけ晴れたような気がする。

 整えた膳を差し出してやると、

アルルゥは静かに目を閉じ祈りの言葉を口にした。

「森の神さま(ヤーナゥン・カミ)、いつも恵みをありがとうございます。

 大神(オンカミ)ウィツァルネミテアに感謝を」

 ……某(それがし)への感謝はなかったが。

 アルルゥはおもむろに、木匙ですくった山モロロを口へと運んだ。

「……おおー」

 発した言葉はそれ一つだけ。

 後は飢えた獣のように、ひたすらに食を進めていった。

 椀が空になればズイと差し出し、皿があけば催促して。

 もう文句を言う気力もない。

 某(それがし)は促されるままにモロロを盛り、

魚を供じてやるばかりで。

 多めに作ったつもりの食事は、

あっという間にきれいさっぱり消えていた。

「んふー。ごちそうさま」

「はいはい、おそまつさま」

 思わず憮然たる声を返していたが、

満足げなアルルゥの声は決して不快なものではなかった。

「ごはん、じょうず」

「そりゃどうも」

「剣よりじょうず」

「うるさいっ」

 無論、語る内容にもよるが。

 
 食後の腹ごなしに二人分の食器を洗う。

 剣の腕は一向に上がらないのに、

こんな手際だけはよくなった。

 小さな溜息がもれるが、

汚れが落ちてきれいになる様は見ていて心地よい。

 水気を落とし荷をまとめる最中。

 一人と二匹の視線に気づいた。

 目的は果たしただろうに、

アルルゥはまだその場でくつろいでいる。

 某(それがし)が気にかけることではないか。

「それじゃあな。あまり人に迷惑をかけるなよ」

 別れを告げ、川原から道へと戻る。

 思いがけず余計な時間を使ってしまった。

 少し急がなければならない。

 ――のだが。

「……まだなにか用か」

 後ろには、まだムックルがついてきていた。

 当然、頭にはアルルゥが貼りついている。

 あまり期待はしていなかったのだが、

問いかけにはちゃんと返事が返ってきた。

「アルルゥ、女の子の一人旅。きっと危ない」

「……どこが」

 どうしようもなく目が平む。

 視線の先ではムックルが「こっちを見るな」とでも

言いたげに唸っていた。

 しばしの睨みあいを不毛に思ったのか、

頭上からアルルゥが言葉を足してきた。

「街まで遠い。おいしいゴハン、たべたい」

 それが本音なのだろう。

 なおさら腹立たしい。

「某(それがし)はエヴェンクルガの武士(もののふ)だぞ。

 それを、給仕の代わりに使うつもりかっ」

「エヴェンクルガの人、優しい。弱い人の味方」

 思わず剥いた怒りに、しかしアルルゥは動じない。

「あ……?」

「武の才に恵まれ、孤高な精神をもち、

 例え自らの命を失おうとも決して義に反することはしない」

「そ、その通りだ。わかってるじゃないか」

「エヴェンクルガの武士(もののふ)だったら、

 女の子を一人で行かせたりしない」

「む、う……」

 アルルゥは立て続けに痛いところをついてきた。

 抑揚の少ない棒読みの口調ではあったが、

某(それがし)の心を揺さぶるには十分で――

 だから、だろう。

「……アルルゥといっしょ。や?」

 上目遣いのアルルゥを、

一瞬、かわいいなどと思ってしまい、

 頭の中は真っ白のまま、知らず言葉を返していた。

「つ、次の街までだぞ」

「きゃっほう」

 初めて見るアルルゥの笑顔は、名である花に似た愛らしいもので、

 弾んだ喜びの声も、耳を心地よくくすぐった。

 もっとも、そんな心地もごく束の間。

「それじゃ、いく」

 それまでのやり取りなどすべて忘れたような潔さで、

アルルゥはムックルに歩を進ませていた。

 こちらを顧みることもなく、己の道に迷いもない。

「お、おい?」

「たいがー、はやくくる」

「某(それがし)はタイガだっ」

 掛けてくる声はやたらとぞんざいに聞こえた。

 恐らく、気のせいではあるまい。

「言っとくが、食事番はやらないぞ」

「ん」

「追剥めいた悪事も認めないからな。

 某(それがし)まで加担しているなどと思われたら迷惑だ」

「わかった」

「ちゃんと聞け。

 いいか、エヴェンクルガと共に歩く者として、

 もっと名誉と品格というものを自覚してもらうぞ」

「むー、うるさい」

「う、うるさいとはなんだ。おい、こら。人の話を――」

「ムックル」

『ヴォ』

「ぐあ!? き、貴様っ、武士(もののふ)を足蹴にするとは――」

「ガチャタラ」

『キュ』

「し、しびびびびびび!?」
 
 かくして、某(それがし)はアルルゥと出会った。


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