うたをつぐもの―うたわれるもの・After― (根無草野良)
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~第一幕・1~ 出会い1
「ふぅ」
息をつき、額に浮いた汗を拭う。
ときおり吹き抜ける涼風も、心を涼める梢の音も、
初夏の日差しに対してはあまり効果がなかった。
山の中、木陰の続く道中でこの様だ。
街ではさらに暑くなるのだろう。
少しばかり気が滅入る。だが、某(それがし)も武士(もののふ)の端くれ。
暑いの寒いので文句は言えない。
心の中で小さく気合を入れ、起伏ゆるやかな道を踏みなおした。
ヒットコの村で請負った山賊退治をつつがなく終えて早五日。
今日もまた、ウペキエの国へと続く道をひたすらに歩いている。
溜まる疲れは体よりも心にこそ重い。
こんなことならば見栄など張らず、ありがたくウマ(ウォプタル)を
貰っておくのだった。
いや、それはできないか。あの程度の仕事でウマ(ウォプタル)一頭という
報酬を受け取ってはエヴェンクルガの名折れとなる。
ましてや、敵に残党を残していては。
結局、炎の中に消えた二人を見つけることはできなかった。
包囲していた村の民にしても、燃え落ちる砦から出てきた者は
某(それがし)たちの他にはいなかったと言うし、
痕跡を調べようにもすべては灰と帰した後。
村人たちは目前の脅威が去ったことにただ喜び、
瑣末な事と取り上げようともしなかった。
もっとも、その判断は正しいだろう。
あの二人が何者だとて、今もまだ村の近辺に潜んでいるということはあるまい。
ほとんど確信に近い想いが胸の内にわだかまっている。
もっと大きな、より壊滅的な謀(はかりごと)を企てているであろう確信が――
「……いかんいかん。なにを妄想しているんだ、某(それがし)は」
足を止め、首を振る。
今まで直感に頼ってどれほど悲惨な目にあってきたことか。
己に天運がないことは嫌というほど思い知っている。
日々の地道な鍛錬と精進だけが確実な結果に結びつくのだ。
今はただ、前に伸びる道を歩くだけ。
気がつけば随分進んでいたらしい。
聞こえてくる森の音には、いつの間にか冷たい水の響きが含まれていた。
誘われるがままその源へ。山道をわずかに逸れた行く手には、
清らかな水が流れ伸びていた。
ようやく気づいた喉の渇きに、迷うことなく手をひたした。
痺れるような冷たさを掬い上げ、口へと運んで胃に落とす。
鮮烈な刺激に驚いたのか、腹の虫が盛大に存在を主張してきた。
飛び跳ねた魚が川面から現れ、そしてまた消えるのを見たからかもしれない。
「……ちょうどいい。昼餉にするか」
空を見上げれば、日も中天にかかろうとしている。
空腹を満たすには頃合だ。
足元の石塊を脇によけ、背負っていた荷を静かに置く。
ひっかけていた鍋が石に触れ、軽いうつろな音を立てた。
荷の前で膝を折り、胸元で軽く両手を組む。
「大いなる山の神(ニノトゥ・カミ)よ、我にわずかばかりの糧を授けたもう」
短く祈りを捧げてから、再び元の道へと戻る。
武士(もののふ)たるもの日々の食事をおろそかにするわけにはいかない。
旅の途中だからといって保存食で済ませるような横着はもっての他だ。
規則正しく、二度の食事をきちんと摂ってこそ、
心身の健やかさは保たれるのだから。
……そのために日々の歩みが遅れても、だ。
涼しげになる梢の奥、並び立つ木々の中へと踏み入り、まずは薪を集める。
細く乾いたものを選びながら、木漏れ日に茂る葉の元へと足を向けた。
固く大きな葉に太く短い茎を確かめ、土をほぐして引っこ抜けば、
根と共に小さな芋が現れる。
固く形は歪だが、これも立派なモロロだ。
ただ、普通は煮ても焼いても固いままで食用には向かないが。
他にもいくつかの山菜を集めてから河原へ戻る。
さっそく調理にとりかかるとしよう。
取り出したザルにモロロを入れ、流れに浸して土を落とし、
それを一枚の葉でくるむ。
蔓で縛って土に埋め、拾い集めた小枝をその上で円形に組んだ。
慣れた火付けに時間はかからない。
乾燥した細い枝は、すぐに種火を炎に変えた。
中央に水を張った鍋を置き、これで準備は完了だ。
次は主菜を調達しよう。
一つ長い枝をとり、その先に取り出した糸を結ぶ。
先端には針と、餌は川辺の小石に張りついていた小さな虫。
魚籠(びく)をもち一つ大きな岩の上へ飛び乗る。
わずかな手首の動きだけで、針は狙いに違わず水面の中心へ飛んでいった。
兄上のように剣で獲れれば楽なのだろうが、戦い以外で技を振るうのも
武士(もののふ)としていかがなものかとも思う。
それに、たかが魚を釣り上げるのにそれほどの苦労はない。
火に掛けた鍋が煮立つまでの間で、魚籠(びく)には一〇に近い魚が収まっていた。
火の元へ戻り、串に刺した魚をその周囲へと並べる。
味付けは塩だけ。
脂が尾から落ちてくる頃に、砕いた香草を一振り火に投げ入れる。
鍋には洗った山菜を。
煮上がるまでのわずかな間に、取り出した盆に器を並べ、
コロホの漬物を三切れほど切り分ける。
焼き魚を主菜に、副菜は水で締めた山菜のお浸し。
汁物は今は諦めよう。出汁から取るには時間が掛かりすぎる。
配膳を整えてから、最後の品を取り出すために水を打った。
火は一瞬で掻き消え、薪から白い蒸気が上がる。
いつもならここで風向きが変わったりするところだが、
今日はすぐに持ち運べる盆で対策は完璧だ。
幸いというかやはりというか、風が気分を損ねることはなかったが。
幸運を山の神(ニノトゥ・カミ)に感謝しながら、燃え残った炭を薪でのける。
黒ずんだ土の下から掘り起こした葉の包みは、
ほんのりと甘い匂いを漂わせていた。
蔓をほどけばさらに強い香りが広がる。
木の根のような硬さだった山モロロは、小さく歪なままではあったが、
木匙で押すだけで崩れるほどに柔らかくなっていた。
調味料にもなるニモホの香草の優れた効果だ。
蒸し上がった山モロロを少しほぐして椀に盛る。
少々見栄えは寂しいが、急ぐ旅の最中では止むを得ないだろう。
最後に手前に箸を置き、再び胸元で両手を組む。
「大いなる山の神(ニノトゥ・カミ)よ、今日の糧に大いなる感謝を……?」
そして祈りを終えようとしたとき、ふと、異質な気配に耳が震えた。
人里離れた山中にあって、それは懐かしくすらある賑やかな気配。
いや、立てた羽耳が感じるのはそんな和やかなものではない。
今の世では珍しくもない、慣れ親しんだ戦いの気配だ。
横に置いていた剣をとり、重みを確かめた次の瞬間には駆けだしていた。