うたをつぐもの―うたわれるもの・After― (根無草野良)
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~第〇幕・2~ 仮面の女


 燃えさかる炎が柱を昇り、天井一面を舐めていく。

 灼熱の舌は容赦なく、世界を紅蓮に染めていった。

 勢いを増しゆく揺らめきを、もはや止める術はない。

 丸太造りの古き砦は、今まさに役目を終えようとしている。

 決着は早々に着けなければならない。

 タイガは炎熱に羽耳を焦がしながらも、追いつめた男へ切先を向けた。

 まだ少年の面影を残す顔立ちに、できるかぎりの威圧を浮かべて。

「ここまでだ。大人しく投降するなら罪を贖う機会を 与えられもしよう。

 剣を捨てろ」

「ックショウ! 来るな、来るんじゃねえ!」

 男は目を剥いた形相で、視線を斬るように剣を振りたくっていた。

 大気を斬るばかりの剣閃は間違っても届くようなものではない。

 タイガ思わず息を吐く。

「姑息な盗賊風情が自惚れるな。

 貴様ごときが頭領で、 よく村一つを脅すようなマネができたものだ」

 旅の間に寄った小さな村。そこで受けた盗賊の討伐依頼。

 聞いた話では地の利、天の理を駆使した兵(つわもの)どもである筈だったのだが。

 しょせんは田舎の狭い見識であったのか。

 路銀が尽きたからといって、あまりにつまらぬ相手に

当たってしまったものだといまさら思う。

 十数人からなる徒党の力量は、誉れ高きエヴェンクルガの武士(もののふ)が

斬り結ぶに相応しいモノではなく、村人有志の力を借りずとも、

苦もなく根城としていたこの砦を攻め落とすことができてしまった。

 タイガはより強い意をこめて、さらに深く切先を突きつけた。

「刀を穢したくはない。これが最後だ。剣を捨てろ」

「う、うるせえ! テメエが、テメエがいなけりゃ……

あいつらにそそのかれさえしなけりゃあなあ……!」

 その意図にすら気づけぬのか、あるいはすでに錯乱しているのか、

盗賊の首領は変わることなく刃を振り続ける。

「あいつら? 誰のことだ。お前たちを操っていた者がまだいるとでも――」

「死ねえ!」

 その内容を問う前に、男は地を蹴っていた。

 周囲の炎より熱く、手負いの獣より獰猛に。

 本能が放つ生への執着は、時として一流の剣士すら凌駕する。

 加減を考える余裕を、タイガはまだ持ちえていない。

 
 腰を沈め身を落とす。

 直前まで頭のあった宙を、横薙ぎの刃が通り過ぎた。

 わずかに遅れた尾髪の一筋が散らされるのを感じながら、

 タイガは男の左胴を断ち裂いていた。

 
 それが、鼓動一つの間に起きたすべて。

「ガフ! ゥ、ァ――」

 次の瞬間、男の発した断末魔は熱い血の飛沫となって、

炎以上の赤で世界を濡らしていた。

 致命に至る手応え。確かめるまでもなく、男はもう二度と

口を開けないだろう。

 タイガは返り血に濡れたまま、それより強い苦い味に顔をしかめた。

己の剣がより高みにあれば、殺さずに口を割らせることもできたろうに……。

 だが後悔している暇はない。

 燃えさかる炎は今や極限にまで達し、砦はいつ崩壊するかも

知れないのだから。

 早く逃れなければ。

 思い、踵を返そうとした瞬間、

 
 炎の先、そこに立つ人影に気がついた。

 
 火の赤がわずかに色を薄める。

 すべてを焼き尽くす業火の中にあって、直立する姿には微塵の揺るぎもない。

 白と藍の装束は男の纏うものであったが、長身の割りに華奢な身と、

流れるような黒髪が、その性を女と示していた。

 面立ちはわからない。

 その顔は、白い鬼の面に覆われているからだ。

 戦の枢要たるこの場において、その存在はあまりにも怪しい。

「な、ん……」

 にも関わらず、佇まいの不気味さや、まとう鬼気迫る雰囲気から、

タイガは誰何の声すら上げられずにいた。

 それは無条件に思い知らされる支配者の器であり、

本能が発する従属の念。かつて感じたことのない、

悦びにも似た感情が心の奥から湧き上がってくる。

 まったく別の、もっと単純な想いと共に。

 タイガの向ける沈黙のまなざしを正面から受けながら、

鬼面の女はものも言わず、ただその場に佇んでいた。


 左手に抱えた黒い石に、不規則な脈動を刻ませながら。


 揺らめく炎の中にあり、影に飲まれているにも関わらず、

その形だけはなぜかはっきりとわかる。

 それは、幼子の頭に違いなかった。

 浮かんでいるのは泣き叫ぶような表情。

 歯も生えていなさそうな小さな口は、周囲を取り巻く熱とともに、

なにか別のものをも喰らい、飲みこんでいる。

 目には見えぬ、耳には聞こえぬ、ヒトでは感じる事の出来ぬナニカだ。

 業火の中にたゆたう闇。禍々しい毒の華。

 地獄(ディネボクシリ)を思わせる光景の中にあり、

それでも、いや、だからこそ、

「……美しい」

 知らず、タイガはつぶやいていた。

 だが、今この場は戦の中であり、対じているのは明らかな敵。

 エヴェンクルガに連なる者が看過してよいわけがない。

 自らのつぶやきを払うように頭を振り、タイガは再び刃を上げた。

「う、動くな女! 貴様、何者だ。この砦に巣食っていた賊の一味かっ」

 震えそうになる声を無理やり張り上げた言葉にも、

仮面の女はさしたる反応を示さなかった。

 焼け落ちる木々の悲鳴が渦巻く火中にあり、

透き通るような声で淡々と言葉を返す。

「この規模ではもう限界ですか……これ以上の試行は無駄ですね」

「な、に……? 貴様、一体なにを言っている?」

 それは返事ではなく自答。

 紡いだ短い呪に従い、幼頭の黒石は蠢きを潜めていく。

 仮面の女はタイガの存在など気にもかけず、

ただ自らの行為にのみ関心を向けていた。

 続く言葉からも明らかだ。

「戦は終わりです。これ以上の干渉は意味をなしません。

 貴方がたの勝利です。早くお逃げなさい、若き侍。

 私たちは無駄な殺生を好みません」

 抑揚のない声が語る、どこか悲しげにすら聞こえる言葉。

 それが意味する内容は、弱者に向ける憐憫に他ならない。

「なん、だと……」
                                     
 よりにもよって、エヴェンクルガの武士(もののふ)を志す自分に向けて、だ。

 己の未熟を十二分に理解しているからこそ、

タイガは侮辱屈辱の言葉にことさら強く応じてしまう。

 浅薄とわかってはいても、この激情は抑えることができない。

「貴ッ様ぁ!」

 先に感じたすべてを忘却し、大きく踏み出していた。

 手にした刃を一度引き、返す動きで斬りつけていた。

 それは周囲の熱を裂き、発した声すら追い抜く速さ。

 わずかな弧を描き、白面へと向けられた必殺の剣閃は、

しかし、

 横から突き出された鉄棍に弾かれていた。

「な、ぁっ!?」

 続けて放たれた一撃に、体ごと撥ね飛ばされる。

「ガフ……!」

 床にしたたか叩きつけられながら、タイガはかろうじて姿勢を立て直した。

 逆流する胃液にむせつつも荒い息を整える。

 腹から伝わりくる衝撃の余韻に、その部位を殴られたのだとようやく知れた。

目で確認することはおろか、攻撃の兆しすら感じとれなかったのは、

彼我の実力にそれほどの隔たりがあるためか。

 辛うじて手から離れずにいた剣を、一撃の主へと向ける。
                                         いつの間に現れたのだろう。鉄棍を備えた巨漢の武士(もののふ)が、

仮面の女の前に立ち塞がっていた。

 鍛え上げられた巨躯はまさに巌を思わせる。

 潜り抜けてきた修羅場の激しさは、その顔を見るだけで明らかだ。

 彼の右の半面は瞳もろとも、大きな古傷に斬り潰されていた。

 威圧されるタイガの様を気にもとめず、男は背へと言葉を向ける。

「姫、お早く。この砦、もう長くは持ちますまい」

「そうですね。参りましょう」

 やりとりは簡潔で、足の運びには気負いもない。

 焼ける大気すら意にも介さず、仮面の女は燃えさかる砦の奥へと

進んでいった。

 後を顧みることもない。

「ま、待て! 逃す……!?」

 追おうとしたタイガより先に、巨漢が鉄の棍を振るった。

 円を描く、天地を分かつような一撃を。

 それは瞬間の風を生み、軌跡に触れることごとくを砕いた。

 つまり、燃える砦の床板と天井を。

「ぬ、ぐぁっ」

 タイガが気圧された一瞬後、砕かれた部位をきっかけに、

ついに砦はその全体を崩落させ始めた。

 いや増す炎は壁となり、もはや先へは進めない。

 揺れる紅蓮の連なりは、すでに他の色が存在することを許さず、

消えた二人の存在もまた、痕跡もろとも飲まれていた。

 まるで、初めからなにもなかったかのように。

 だが、そんな筈はない。いまだ残る腹の痛みと、

脳裏に刻まれた女の姿が、その考えを否定する。

 だからこそ、不可解さは増すばかりだ。

「……なん、だったんだ、一体……」

 だが、悠長に考えこんでいる暇はない。

「タ、タイガ殿! ご無事ですか!」

 飛びこんできた農兵の切羽詰った呼び声に、

タイガはいまさら状況を思い出した。

天井や柱はもはや燃え尽き、落ちる火の粉は光の塊と化している。

「あ、ああ。盗賊の首領は討ち果たした……」

「こちらも、残党の大半は討ち取りました! 我らの勝利です!

 さあ、早くここから出ましょう!」

「そう、だな……」

 いつの間にか、外からは勝鬨の声が聞こえている。
 
どこか遠くから響くその音を導きに、タイガもまた砦の外へと逃れた。

 燃え崩れ行くその場所に、わだかまる想いを残したまま。

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