24時間残念営業

家のなかに食うものがひきにくしかないおっさんのブログです。

だれのために書くか

 正直あんな遁走のしかたしたんで、ぶっ叩かれるかなあと思ってたんですけど、思ったよりみなさん読んでくださったようでほっとしました。とりあえず今日は休みなのでエントリ書いたり寝たり起きたりデリケートゾーン(鼻の粘膜♪)のお手入れしたりエロゲの体験版やったりして過ごして、いまはアイの庭聞きながら死にそうな顔をしてひだまり待ってます。ひだまり何時からだったっけ。なんちゃらくんのふたごの事情は買わない予定です。妹だけでミドルプライスだったら買ったと思いますけど。おもしろいんだけど俺はあの姉だめだ。なにが充電だ。充電していいのはロボット少女と妹だけだっつの。お兄ちゃんの自家発電で妹さんが充電すると永久機関の完成……って、これ前にどっかで書きました。

 初日からホッテントリなんてありがたいことになっておりまして、アクセスもなんかやたら来ました。どっかでてきとーに借りてきたアクセスカウンタをとりあえず設置してみたんですけど、これがどうもちゃんとカウントしてないようで、はてなブログに付属のカウンタだと、だいたい8万のアクセスがありましたっつーかこんなアクセス以前のブログやってたときでも一回しかなかったです。なんか震災のあとに書いた文章がヤフーのトップページに貼られたときで、あれやばいすね、1時間で10万単位のアクセス来て、びびってプライベートモードにしましたもん。

 

 あ、この文章はしょうもない雑文というかひだまり始まるまでのひまつぶしなんで、大したこと書かないです。

 そうそうこのあいだシロクマさんに言及されたんですけども、あれほんとそうでね、チラシの裏に余白があれば、うちのうさぎが青森までひとりで旅行に行って帰ってくるまでの顛末とかびっしり書き込んでて、それをうちの奥さまに得意気に見せて「字が読めない」っていわれたり、店でも伝言書くわけなんですけど、A4の紙の裏にびっしりと字を詰め込んで「字が読めない」っていわれたりするんで、つまりどこにいてもなにやってても文章書いてるんですな。書いてだれかに読ませたらそれで満足なんで、こりゃつまり子供の落書きの発展形でしかないと思ってます。

 ブログをいったんやめたあとも、せっかく万年筆買ったしノートにいろいろ書いたり、どこにも公表するあてのない文章書いたりしてたんですけど、ただ、思ったことがありまして。俺、読ませる相手いなくてもなにしても書いてんだろうなあと思って、実際書いてたんですけど、読ませる相手がいない、というのはダメですな。だれのためでもない文章には価値がないです。正確には詩歌のたぐいは唯一の例外かなって気はするんですが、いずれにせよ、言葉というのは、それが「書かれた」ものである以上、必然的にだれかの目に止まらなければならない。ほかの人は知らんけど、俺はそう思った、という話です。

 というのは、ブログをやってないあいだ、ごく狭い身内の範囲内の人だけに読んでもらうための文章はあいかわらず書いてたんですけど、より大きな範囲、不特定多数の人に読まれるための文章ってあんまり書いてなかった。「数人しか見ない」とあらかじめ思い込んでいると「数人用」の文章である、というふうに無意識に自己規定してしまう。やっぱり「特定の数人」と「不特定多数」っていうのは違うんで、こうやってブログを再開してみて気づいたわけです。あー俺は不特定多数の人に向けた文章「も」書きたかったんだな、と。

 たとえば、さっきまでひだまり見てたんですけど「乃莉におちんちんはえて、精通する瞬間とか見てみたいよね。それをなずなが固唾を飲んで見守ってるんだよね」みたいなことを書く意味ってあんまりないです。俺はそういう人だって知れてるし、俺が考えつく程度のことは周囲の人も考えついてるからです。だから反応があったとしても「うん、そうだね」とか「おちんちんはだめだと思うね、ペニバンだよね」とかになる。その「わかりあえている」感じは居心地のよさでもあるんですが、書く意味がないとなれば、人間いつかは書かなくなります。

 対象が不特定多数となれば、そうではないわけです。ひだまりのことを知ってる人なら、たいていは、なずなは乃莉のことが大好きでたまらなくて、男の子のことなんてまるっきり視野に入ってなくて「乃莉ちゃんが男の子だったらよかったのに」とか思ってることくらいは知ってると思うんですが、そこから一足飛びに、乃莉におちんちんはえるところまで辿り着く人はおそらく少数派だと思います。「だから」書く価値がある。覚醒してしまった人間としてそれを伝えたいと思う。思いついちゃったら書きたいんですよ。書いたからには読んでほしい。多くの人に伝えたい、と願ったときに、そこでは違う書きぶりが要求される。

 ただ、そのためには場所が必要になる。俺はブログを再開したことでそのことを思い出したんですな。そういう書きかたをしたい、という気分が無意識に蓄積していた、ということだと思うんです。かつてはその状況を重荷に感じたこともあったんですけど、それは自分のやってることに自覚的ではなかったから。自覚的であれば、あとは単純に使い分けの問題です。

 というわけで、今後は自覚的に不特定多数の人のための文章を書いていきたいんですけど、しょせんその場の勢いだけで書いてるので、どうなるかはわかりません。

 以上、9つの基本とやらがなにひとつ守れていない、わかりづらい文章でお届けしました。

 あと武装神姫ほんとつまんないんですけど、ひだまりのあとでやってるから惰性で見てます。迂闊にも神姫に継ぎ目があることに今日気づきまして、いつ関節から外れるのかな、外れたらちょっと好きになれちゃうなあと思ってる今日このごろです。