壱岐市芦辺町の海を見渡す高台に鯨供養塔がある。江戸時代、壱岐で捕鯨業を営んだ鯨組のあるじ5人が、鯨の慰霊のために共同で建立したものだ。島には鯨の過去帳も残る▲「壱岐島の鯨組主は、財を成させてくれた鯨の死を人間と同様に扱い、深く供養した」と「県文化百選 壱岐・対馬編」(長崎新聞社刊)にある。壱岐に限らず、捕鯨の根拠地だった対馬、平戸、五島、大村などでも、人々は鯨への感謝の気持ちを忘れず、捕鯨で得た富を公益事業に投じる者もいた▲人間が生きていくための、やむにやまれぬ殺生というものがある。それを悟った上で生き物を捕らえ、ありがたいと念じて食す行為は、自然の掟(おきて)に従った崇高な行為であり、野蛮のそしりを受けるいわれはない▲南極海での今季の調査捕鯨が、反捕鯨団体シー・シェパード(SS)の執拗(しつよう)な妨害行為で中止に追い込まれた。SSの行動は暴力的で危険極まりなく、テロ行為と呼ぶべきもので野蛮である。鯨の命は大切でも、日本人乗組員の命は眼中にないらしい▲それほどの資金力と行動力があるなら、戦地に飛び込んで、体を張って戦争から人間の命を守る活動でもしたらいいのにと思うが、そんな勇気はないらしい▲過激なパフォーマンスを重ねても、命を守ろうとする人間に備わるはずの崇高な雰囲気が、彼らに全く感じられないのはなぜだろう。その答えは、彼ら自身に考えてもらいたい。(信)