衆議院解散 安藤キャスターが議員たちの表情を取材しました。
16日、国会では、野田首相が午後3時45分から始まった衆議院の本会議場において、解散を断行しました。
国会は、いよいよ決戦の時が来たという緊張感に包まれています。
安藤優子キャスターが、野田首相をはじめとする解散に臨む議員たちの表情・反応を取材しました。
野田首相が「近いうちに解散」と発言して、ちょうど100日目。
衆議院の解散を受け、議員たちの立場は「前議員」となった。
田中 真紀子氏は「一番は、何といっても、被災者の方々に対して、一番手を差し伸べなきゃいけないところでございますよね。原発も止まってませんし。事故もですね。そういう中で、選挙なんてことは、政治そのものに対する国民の皆さんの不信感を惹起(じゃっき)する以外、何ものでもないと思うんですね」と述べた。
小泉 進次郎氏は「無我夢中で走り回った3年間でしたね。生まれ変わった自民党を少しでも見せることができるように、これから12月の16日まで、とにかく必死で頑張ります」と述べた。
解散の日の朝、国会のある永田町には、雲1つない青空が広がった。
野田首相は午前8時すぎ、「(解散の朝、心境はいかがですか?)国民の皆様の信をしっかり問います」と述べた。
政府は、16日朝の閣議で、衆議院の解散を決め、全閣僚が解散決定の閣議書に署名した。
14日、野田首相の解散宣言を「わけがわからない」と批判した国民新党の下地郵政担当相は、署名の拒否こそしなかったが、「この時期の解散は、本来ならばやるべきではない。きょうは怒ってるみたいな記者会見だね。なんか頭に来てるかも」と述べた。
一方、15日までに、6人が離党する考えを明らかにした民主党。
16日は、東京16区選出の初鹿明博氏が、離党届を持って幹事長室に現れた。
ところが、民主党の同僚議員が入り口の前に立ち考え直すよう説得した。
田中 美絵子氏は、「止めに来た。行かないで」、「民主党に残って、一緒に頑張ってください」と語ったが、初鹿氏は「気持ちはわかるけど、決めたんで。通してください」と答えた。
初鹿氏は、説得を振り切って幹事長室に入り、離党届を提出した。
さらに、比例東海ブロック選出の橋本 勉氏。
橋本氏は「(離党届を出して気持ちは?)肩の荷が下りたという感じ」と述べた。
また、長崎2区選出の福田 衣里子氏も離党届を提出した。
これで、野田首相の解散宣言後、離党を表明した人数は、9人になった。
枝野経産相は「到底、有権者から理解される行動ではないだろうなと。そうした有権者に理解されるとは思えないような行動をとる方は、前回の選挙で公認をされた民主党議員だったことについて、国民の皆さんに申し訳ないと思います」と述べた。
こうした中、民主党の鹿野道彦氏のグループの会合では、解散のネーミングをめぐって、会話があった。
小山氏は「内部的には『身内裏切り解散』...、身内を裏切る解散。一番マスコミに受けたのは、『自爆テロ解散』」と述べた。
そして、自民党の安倍総裁は、役員会で「歴史的な戦いを勝ち抜いていきたいと思います」と、げきを飛ばした。
16日午後、紫色のふくさに包まれた解散詔書が、衆議院の議長応接室に向けて運ばれていった。
今期限りの引退を表明している民主党の渡部恒三最高顧問は、「寂しいね。(民主党に言い残すことは?)政権を守ってほしい」と述べた。
本会議場では、野田首相が、今期限りで引退する自民党の森元首相と握手を交わす場面も見られた。
そして、午後3時50分、横路衆院議長が「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と解散詔書を読み上げた。
この議場からは、大きな万歳の声が聞こえてきた。
森元首相を安藤キャスターが直撃すると、「長い間お世話になったね」と語った。
その時、森元首相に、妻から電話があり、「今、何十人かの記者に囲まれてるんだよ。どうもありがとう」と話した。
森元首相は「(何とおっしゃっていた?)テレビに、さっきからよく出ていて見てると。ご苦労さまでしたと」と語った。
震災から1年8カ月。
16日、衆議院が解散されたことに、被災地の宮城・南三陸町では、「やっと解散したかという気持ち。バラ色のアレはいりません。現実的に政治が動いてほしい」、「国会では、政権とか政党ばかりで、震災を忘れているんじゃないかって感じがした」との声が聞かれた。
また福島県では、次の政権に期待することについて、「一番は復興ですね。福島の復興を一番に考えてほしい」、「いずれの党が(政権を)とっても、国民のためになる政治をやってほしい。第1原発の復旧復興をお願いしたい」との声が聞かれた。