発見!弥生時代のにいがた


 本格的な稲作の開始 【柏崎市 下谷地(しもやち)遺跡】
 東北と北陸の接点 【新潟市北区(旧豊栄市) 松影(まつかげ)A遺跡】


本格的な稲作の開始 【国指定史跡】−柏崎市 下谷地(しもやち)遺跡−                 

 下谷地遺跡は今から約2,000年前の弥生時代中期に営まれた集落跡です。発掘調査の結果、多数の炭化した米粒が見つかるとともに、農耕に使用したと考えられる木製の鍬が出土しました。
 狩猟・採集を生活の中心においていた縄文時代に対し、弥生時代は米作りを中心とした生活に劇的に変化した時代です。米をつくる水田を開発するため、ムラをあげて大規模な土木工事を行うようになるとともに、労働効率の良い鉄器の発達も促されました。
 しかし、稲作はこれまでにない環境や社会の変化をもたらします。水田開発のための山林伐採により豊かな環境が破壊されはじめました。人々の間には収穫物の差による貧富の差が生まれ、やがて大規模工事を統率する集団の長が生まれます。また、水の管理や耕作地を争う集落間の戦争も起こるようになりました。現代の縮図は弥生時代にあったのです。


 

下谷地遺跡出土の炭化米と弥生土器


 東北と北陸の接点 −新潟市北区(旧豊栄市) 松影(まつかげ)A遺跡−

 東日本の弥生土器
 歴史の教科書では、弥生土器を「文様が簡素で薄手である。」と説明しています。実際、西日本では文様が簡素な土器が使われていますが、東日本とりわけ東北地方では縄文土器の伝統を受け継ぐ複雑な文様をもつ土器が使われ続けました。
 東北と北陸の接点
 松影A遺跡からは、薄手で簡素な文様の北陸系の弥生土器のほかに、複雑な文様を持つ東北系の弥生土器が多数出土しました。さらに、北からの影響を示す「アメリカ式石鏃」(やじり。アメリカインディアンが使用していた石鏃に似ていることからこう呼ばれる。)も出土しています。松影A遺跡から出土した土器や石器は、当時の集落が東北地方の影響を強く受けながらも、西の文化が波及する地域にあったことを物語っています。

左:東北系の弥生土器  右:北陸系の弥生土器

東北系の弥生土器と石器
 
 東北地方との交流
 松影A遺跡から出土した東北系の弥生土器は、東北地方でも北部の土器につくり方や文様がよく似ていることから、日本海を船でわたり、直接松影A遺跡にもたらされと推測されています。このことは、日本海に面する海岸砂丘上の遺跡に各時代を通じて北海道・東北地方の影響を受けた遺物が出土することからも推測できます。
 松影A遺跡で暮らした弥生人たちは、わたしたちが想像する以上に遠方の地域と交流を深めていたのです。

upload:2003/02/04

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