発見!旧石器時代のにいがた


 旧石器時代の狩人 【東蒲原郡阿賀町(旧三川村) 上ノ平(うえのたいら)遺跡】


旧石器時代の狩人   −阿賀町(旧三川村) 上ノ平(うえのたいら)遺跡−

旧石器時代のムラの様子(イラスト 間 栄子)
獲物を追いかけながらの移動生活を送っていた。
 人類がアフリカで誕生してから200万年。その間、人類は常に生活をより良くしようと様々な道具を発明し、発展させてきましたが、人類の歴史の99%以上は「石器」が道具の主役を占める石器時代でした。日本列島では土器が出現する約1万2千年以前の時代を「旧石器時代」と呼んでいます。
 旧石器時代の日本列島は氷河期と言われるほど寒冷な気候であったため、現在より海水面が140mも低下しており、日本列島と大陸が陸地でつながっていました。旧石器時代の人々は、大陸からナウマン像やオオツノシカなどの獲物を追いかけて日本列島に渡ってきたと考えられており、新潟県内に残る旧石器時代人の足跡は今のところ約3万年前にさかのぼることができます。

 上ノ平遺跡は今から約1万5千年〜2万年前、移動生活を行なっていた旧石器人の生活跡が確認された遺跡です。遺跡からはヤリの先につけたとされるナイフ形石器や、木・骨の加工に使われたとされる彫刻刀形石器が多量に出土し、旧石器人の暮らしぶりをうかがうことができます。
 調査の結果、上ノ平遺跡に足跡を残した旧石器人は石器づくりに適した良質の珪質頁岩を現在の山形県方面から入手してたことが出土した石器からわかりました。しかし、遺跡からは鈍くなった刃を再生した石クズは見つかっても、石器をつくる時に出るクズがほとんど見つかりません。
 移動生活を続けていた彼らは、移動のしやすさや、原料の無い場所で石器製作に失敗することをさけるため、珪質頁岩の産地で製品または半製品に仕上げ、遺跡に持ち込んでいたと考えられます。


上ノ平遺跡出土の石器
上段:ナイフ形石器 下段:彫刻刀形石器
 
 ではなぜまだ使える石器がここに残されていたのでしょうか?この問題を考えるヒントが極北地方に暮らすイヌイットの「知恵」に隠されています。彼らは季節ごとの獲物を求めて移動生活を送っていますが、再びその地を訪れた時に困らぬよう、必要な道具をあえて置き去りにするといいます。まだ使える石器にはこのような回帰的な移動生活の一コマが描かれているのかもしれません。
 上ノ平遺跡から出土した石器は、獲物を追いかけながら生活する旧石器人の知恵を私達に教えてくれます。

 

upload:2003/02/04

縄文時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥・奈良・
平安時代
鎌倉・室町・
安土桃山時代
江戸時代


TOP
what is 埋文事業団 発掘調査ガイド 発掘調査現地説明会情報 まいぶんちゃんの歴史教室 発見!にいがたのむかし
埋文事業団の刊行物 広報紙『埋文にいがた』 おしらせ リンク集