2007年12月24日(月)福田の決断?

福田首相は「薬害肝炎被害者に対する補償」とは言わず、「薬害肝炎患者の救済」と言った。福田総理の決断が本物かどうか、出てくる法案によって真価が問われる。この問題は裁判では立件が困難かも知れないが、明らかに厚生労働省官僚と製薬会社による危険な医薬品を意図的に放置した犯罪行為だ。フィブリノゲンを承認した担当官僚がミドリ十字の副社長としてフィブリノゲンの販売責任者になっている。

自民党案がどこまで踏み込むか。自民党の厚生族との戦いが始まる。まだ何も解決されていない。これからだ。

大阪冬の陣が始まる

大阪市長選挙が「大阪秋の陣」なら、新春1月10日に始まる知事選挙は冬の陣。投票日は1月27日。熊谷貞俊(くまがいさだとし)大阪大学工学科大学院教授を民主党は推薦した。ロボット工学が専門で「大阪のガリレオ」と言われるその筋では超有名な科学者。ボクも元ノック応援団だから「タレントはアカン」とは言わないが、今の大阪府に必要なのは、宮崎県のようなセールスマン知事ではない。もちろん正直でクリーンであることは当然だが、物づくりの伝統を再構築するシステムをしっかりと準備することではないかと思っている。ボクは「関西のソーラーがアジアを救う」とリーフレットにも書いているが、大阪が持つ素材を発掘できる知事、誕生すればきっとパワフルになる。

2007年12月23日(日)山本兄の死

参議院議員の山本孝史さんが昨日亡くなった。今年の7月、病を押して「まだやり残したことがる」と比例区に立候補し当選した。58歳という若すぎる死。悔しい。

山本孝史さんは、1993年に旧大阪4区で日本新党から衆議院議員に立候補して、ボクが秘書を務めていた上田卓三を激戦の末破った男だった。91年に和泉市で府議会議員になっていたボクは、地元大阪5区で社会党の和田貞夫衆議院議員選対の事務局長を務めていたので、上田さんの選挙には関われなかった。悔やんだが仕方がない。その後何度か山本さんと会う機会があったが無視していた。

11年前の1997年春、たまたま山本さんが衆議院厚生労働委員会で行なったエイズに関する質問を聞いた。素晴らしい追及だった。菅直人大臣(当時)の「涙の謝罪」を実現する道すじを開いた。「これで良かったんだ」と踏ん切りが付いて、その年の暮れ、青政連のパーティで山本さんと会った時、ボクは「エイズの質問聞きました。山本さん握手をして下さい」と言った。その後ボクらは何度も「くいだおれ」で時間を忘れて話し合う機会を持った。

2001年4月29日に山本さんが泉北メーデーで行なった挨拶は今も覚えている。「私は25年も前から『ゴールデンウィークなんて大嫌いだ』という子ども達と関わってきた。大好きだった家族と楽しく過ごせないだけじゃなくて、ゴールデンウィークになるとパートのお母ちゃんの収入が大幅に減って楽しい事なんか何も無い、そんな日本の現状は25年間何も変わっていない」と語った。小泉純一郎が総理に就任して4日後、ボクは「小泉の改革は山本さんが言うような状況を何一つ変えない偽物の改革だ」と確信した。

衆議院時代の1年9ヶ月、民主党のホームレス問題プロジェクトチームで山本さんが代表、ボクが事務局長で、法の強化延長について議論をした。辻、稲見、山本、中川、松岡と1歳づつ離れた5人の大阪の50代オッサン議員で賑やかに議論し、行動した。

山本孝史さんはボクらに多くの宿題を残して逝った。「命をかけて命を守る」山本さんが残した言葉を忘れまい。黙祷。

2007年11月27日(火)自民党の人も怒っている

今日は岸和田市内を挨拶まわり。とくに前回の選挙で自民党支持だった方々を中心に訪問。「もうエエ加減にしてほしい。自民党はいっぺん民主党に政権を渡さないとアカが落ちない。今度は中川さんを応援する」と、ありがたい言葉だったが、その人の目は悲しげだった。

2007年11月25日(日)警戒!警戒!消費税増税が公然化してきたぞ!

最近、自民党の税制調査会を中心に「消費税大幅増税やむなし」の声が高くなってきた。民主党は、中央官僚の天下りをやめ、建設談合や特殊法人での随意契約をやめ、国の自治体向け補助金を一般交付税として配分するようにすれば、15兆円以上の税金を節約できると試算している。

自民党には、各省庁が行なっている税金のムダづかいも官僚の天下りも止めることができないから、財源不足は消費税に頼るしかない。

小沢代表は「少なくとも10年は上げなくても良い」と言っている。

第五回泉州パートウォーク

泉大津市役所から和泉市役所まで約1.5`を百数十人でデモ行進。代表者は泉大津市臨時職員労組の稼木政枝委員長。連合泉州の金子議長もパート問題は熱心で、マイクをもってスローガンを訴え、「明日があるさ」の替え歌も歌われていた。

参議院が逆転してから状況が大きく好転した。11月7日には、労働契約法の改正案や最低賃金法の改正案が与野党合意で修正され、衆議院を通過した。まだ、本格的に労働環境が変わるまではいかないが大きな一歩前進だと思う。

先進国で、年間2000時間も働いて年収200万円にもならない労働者は日本だけだ。

2007年11月24 日(土)温かい視線を感じる

今日も岸和田市で街宣活動をやった。ボクのひいき目なんだろうか、街宣活動で演説中に「温かい視線」を感じます。「頑張ってね」という感じの「目つき」がすごく増えてきたように思う。やっぱり、みんな本当に今の政治に怒っているんだ。

2007年11月23日(金)槇尾川ダムシンポジウム〜来年こそ決着の時

槇尾川ダム建設に反対するシンポジウム。予想をはるかに上回る100人以上の参加で会場はいっぱいに。京都大学の今本教授の講演の後、シンポジウムでボクもパネラーの1人。

今本教授と初めてお会いしたのは、公共事業チェックを求めるNGOで活躍されていた天野礼子さんの紹介で、4年前だっただろうか。

今本教授はボツボツとこう語られた。「淀川水系流域委員会の委員長を引き受けた時には、そんなに脱ダム派ではなかった。だから近畿地方建設局もボクを委員長に推したんだと思う。しかしその後、久しぶりに本気で関係資料を読み、自分でも資料を集め、勉強しました。そしてその結果、「今後、淀川水系にはダムは必要ない」との結論に達した。学者としての良心に基づいて今後は活動しようと思っている」。

ボクは本当に感激した。それから何度か先生とお会いし、ご指導をいただいてきた。

ボクはパネラーの一人として、こんな趣旨を語った。

「槇尾川ダムは、ボクが始めて府議会議員になった16年前には、まだ地元の人たちは賛成ではなかったが、その後急速に賛成になった。引退された上田育子市議会議員に尻を叩かれながら、ダムは不要と考えてきた。

2000年に脱ダムの大きなうねりがあり、01年に大阪府関連の安威川ダム、槇尾川ダム、紀伊丹生川ダムが大きな問題になった。ボクはその時、民主党府議団の副政調会長で、箕面の余野川ダムを含む水と緑の健康都市の反対を決めた。茨木市の安威川ダムは地元の民主党市議団が反対ではないとのことだったので、残念ながら反対できなかった。シンポジウムでは民主党府議員団は、安威川ダムは○、紀伊丹生川ダムは×、槇尾川ダムは△と話した。

紀伊丹生川ダム(2600億円)は大阪府の将来の水需要の必要量を削減すること最終的に建設中止に持ち込んだ。ダム計画を止めるには、行政の論理で誘導することも必要だ。

槇尾川ダムが△なのは、小泉政権が財政再建の中で『中止された公共事業が何らかの形で利用されていれば補助金の返還を求めない』と決めたから、地元が熱望している工事用道路が出来た段階で建設を中止する、つまり国をだまして道路を食い逃げする作戦だと説明した。槇尾川ダムは、来年度予算でその工事用道路ができる。来年が決着の時だと思っている。

また、民主党のマニフェストせは、民主党が政権を取れば『建設中のダムも含めていったん工事を止めて、関係住民との話し合いで方向性を決める』と明記されている。各自治体ではいろいろあるが、民主党の態度は決まっている。」

槇尾川ダムは、このまま行くと2010年度予算には、本体工事費が計上される可能性が強い。来年秋の市議会議員選挙を経て、和泉市議会で槇尾川ダムの見直し決議が上がるか、それとも民主党政権になってダム建設がいったん中断されるか、いよいよ微妙な段階になってきた。

2007年11月19日(月)大阪市長選で民主推薦・平松氏が当選

11/12のボクの政治資金パーティに平松さんがメッセージをくれました。

「中川さん久しぶりです。相変わらずお元気なようですね。中川さんも衆議院選挙で大変なようですが、私もえらいことになってます。ご存知のように大阪市長選挙に立候補しました。大阪市は44年間も助役が市長に、助役が市長になると、どうしても身内に甘く、市民の方に顔を向けることを忘れてしまいます。ちょうど、国の政治が政権交代がないから、官僚のミスや失敗や悪事までも絶対にバレないと思って、国民を忘れてゆくのと同じです。中川さん、めざすものは同じだと思います。私は一足先に今週投票日を迎えますが、中川さんも頑張ってください。」

平松邦夫新市長、これからがますます大変。頑張ってほしい。

2007年11月17日(土)防衛省の闇

守屋前事務次官の接待疑惑、今度は額賀総務大臣や久間元防衛大臣に波及している。年間1兆円を越える軍備の調達は「秘密事項」「軍事機密」などと競争入札のらち外で随意契約天国だった。現場の自衛官が真面目に任務に励んでいる時に、高級官僚たちは私利私欲まみれ。実に情けない。

民主党はこの問題を解明するまで、新テロ特措法も含めて審議はしないと決めている。当然だと思う。

2007年11月17日(土)来週から朝の駅立ちです。

毎月11日間で22駅やっています。11月は例の「大連立騒動」もあって19日から始めます。ボクが参加するのは11駅だけですが…。これからは寒くて朝が暗い時期ですが頑張ります。

「頑張ってるなあ」とか「お早うさん」とか何でも声をかけれれば、皆さんが思っていられる以上にボクらは元気をもらいますので…。
11/18日 街宣/和泉(11:00〜16:00)
11/19月 泉大津 高師浜
11/20火 和泉中央1 蛸地蔵
11/21水 春木 伽羅橋
11/22木 高石 信太山
11/24土 街宣/岸和田(11:00〜16:00)
11/25日 街宣/高石(13:00〜16:00)
11/26月 久米田 北信太
11/27火 羽衣 岸和田(浜側)
11/28水 大宮 富木
11/29木 忠岡 光明池
11/30金 松ノ浜 (予備)
12/3月 和泉府中 下松
12/4火 岸和田(山側) 北助松
12/5水 和泉中央2  
12/7金 東岸和田  

2007年11月16日(金)清水隆司岸和田市議の会

会費制で4月に初当選した清水隆司岸和田市議会議員の親睦会。行政改革が専門分野の彼には、しっかりと岸和田市の節約と夢の二兎を追いかけて提案する議員になってほしい。それと、選挙直前に第二子が誕生したんだから、子育てと教育の問題は当事者としてトコトンがんばってほしい。

2007年11月15日(木)有権者は神の如く

この一連の民主党の騒動。出鼻をくじかれた思いでショックも受けた。「政党支持率は少なくとも5%、最悪10台に逆戻りか?」などと覚悟を決めていたが、驚いたことにここ数日間に発表された支持率は数%程度しか落ちていない。逆に自民党の支持率の下落の方が多いし、福田内閣の支持率はさらに5%〜10%落ち込んでいる。

まるで「民主党、ここで落ち込むな!歯を食いしばって頑張れ!」と励まされているようだ。ありがたい。ほんとうにそう思う。

解散・総選挙はいつ?

解散・総選挙はどうも読めない。

@12月国会会期末解散説 (1月末総選挙)

A1月通常国会開会冒頭解散説 (2月末総選挙)

B3月来年度予算成立直後解散説 (4月末総選挙)

いずれにせよ、半年以内に選挙があると思って、一気に駆け抜けたい。後援会の皆さんもその気で準備をして下さっている。

@ポスターを年内に1192ヶ所貼り切る(「イイクニ」の語呂合わせです)。

A座談会を年内に50ヶ所でやる。

B中川第2期後援会の賛同名簿を目標5万世帯、10万人集める

実にありがたい。今度こそ、選挙区で勝利する。

2007年11月14日(水)民主党国会議員団、奮闘中

民主党が11年間提案してきた被災者生活再建法が与野党合意で成立した。11年間ずっと自民党が反対してきた法案が、今回可決されたのは、やはり参議院選挙で与野党逆転が実現したお陰だろう。

小規模な農家を切り捨てて、農業の法人化だとか言って一部の大規模経営だけを大事にし、肝心の国民の食糧は、米国などからの輸出に頼る国にしてしまった。参議院電巨でその罰が当たった。

食事やトイレなどの日常生活の介助にまで一割負担を取ると決めた天下の悪法「障害者自立支援法」も改正すると言いながら自民党案はまだ出てこない。民主案は提出ずみ。

郵政公社が四つの株式会社になったが、政府は10年以内に株を全部手放すという。かんぽ・ゆうちょ残高・合計400兆円を、外国資本のマネーゲームのオモチャにされてはたまらない。政府は株の売却で大もうけをするが、国民の財産はマネーゲームでとんでもない危機にさらされる。

一つ一つの法案が、あなたの生活に直接関係があります。参議院では法案はきっと可決されますが、問題は自民・公明が3分の2以上をしめる衆議院。どうか、民主党の仲間をご支援ください。きっとあなたの生活に安心を届けます。

民主党は参議院で、「年金保険料の流用禁止法案」や「独立行政法人・特殊法人廃止・民営化法案」などを提出し、また、最低賃金法改正、労働契約法制定、労働基準法改正により、生活できる賃金、均等待遇、長時間労働の削減などを実現するために、労働3法の改正案も提出しています。

2007年11月12 日(月)中川励ます民主18区パーティに700人

多くの方にご参加いただいた。井坂和泉市長、阪口高石市長、和田忠岡町長、泉大津小野副市長、岡田克也民主党副代表、就任間もない川口清一連合大阪会長、解放同盟大阪府連北口末広書記長はじめ、各界、各議員、各地域の支持者の皆さんのご支援をいただき、感無量。2万円のボッタくりパーティだが、「中川の政治活動の資金だ!選挙がんばれ!」とご理解をいただいて、目標を超えてご協力いただけた。感謝以外の言葉は無い。皆さん、ありがとうございました。

2007年11月11 日(日)小竹神社の秋の大護摩祭

毎年参加させてもらっている和泉市富秋町の小竹神社の秋の大護摩祭。最近とくに、10月27日の岸和田の民主党演説会(400名も集まったのに)のメインゲスト長妻昭衆議院議員が「羽田空港が台風のため全便欠航」で参加できなくなったり、11月に入ってからは、「大連立」や「代表辞任騒動」があったりで、「治ちゃん、しっかり御祓いしとかんとアカン」と皆さんに心配された。

2007年11月10日(土)浜田ちあき和泉市議会議員の日帰り旅行

バス2台で丹波篠山へ日帰り旅行。久しぶりにゆっくりした日々を送る。「有権者が2票投票できる選挙やったら、ちあきさんは絶対トップ当選なんやけど、1票やったら危ないなあ」とボクの率直な感想。

2007年10月22日(月)税金ムダづかい一掃

福田新首相の「話し合いましょう」「検討します」が、やけに新鮮に聞こえるほど、小泉・安倍政権は頭越し・力づくの激突型だった。しかし、問題はこれから。まだ何も解決していない。年金も官僚の天下りも税金のムダづかいも・・・。

いざ実施の時に、問題になるのは「財源」。官僚の天下りのためにつくられた国のぼう大な税金のムダづかいの仕組みをなくせば、毎年15兆円以上の財源になるはず。消費税は絶対上げさせない。

2007年10月15日(月)テロ等法

6年前の9.11テロ事件の後、ブッシュ米国大統領は「米国本土が攻撃された。米国の自衛のための戦争だ」と言ってアフガニスタンを爆撃した。それに応えて日本がこの爆撃を支持して、インド洋上でガソリンスタンドをやった。外国の自衛のための戦争に日本が後方支援をする。こんなことは憲法で認めていない。

こんなことでは日本がズルズルと戦争に巻き込まれることになる。小沢代表が「断固反対」というのはそのためだ。

しかも6年間、日本政府は自衛艦の活動をほとんど国会にも報告しない。「軍事機密だ」という訳だ。何をして何をしていないか、報告できないし、米国に確かめもしない。ますます危険きわまりない。

民主党は自衛隊が海外に出動する場合は、国連決議で正式に行われる活動に限る。国連決議だからと言って何でもやる訳ではない。「どのような行動に協力するか」、それはその都度、国会で判断すべきだ。

案の定、自衛艦が米国の補給艦に給油した燃料が、イラク戦争の主力航空母艦キティホークをはじめ多くの艦船に給油されていた。これではイラク戦争の後方支援と同じだ。

「後方支援は武力支援ではない」はウソだ。後方支援は立派な戦争行為だから、イラクの反政府側が報復として日本を攻撃する口実にすらなる。日本を危険に陥れてまで、まだ支持率最悪のブッシュに奉仕するのだろうか?

2007年10月10日(水)長妻あきら議員にエールを送る

安倍首相から福田首相へ、三週間の空白の後に始まった臨時国会。民主党のエース・長妻昭衆議院議員が、福田首相や舛添厚労相らを相手に「消えた年金」と「税金のムダ使い」を鋭く追求している。

長妻昭さんとは、国土交通委員会などで共に論戦を展開した仲。いつも真っ向から切り込む姿が印象的だった。長妻さんが06年に民主党の国土交通委員会の責任者になった時は、今まで独自に集めていた談合や官僚天下りの資料などを、すべて彼に提供し、後を託した。

「まだ毎年数千億円も流用されている年金保険料の流用禁止法案を今国会で何としても成立させたい」と語る長妻議員、今は外野からだが、エールを送りたい。

2007年9月18日(火)9/22再出発の集い

9月22日に和泉市立コミュニティセンター(市役所横)で「中川おさむ再出発の集い」を行います。ぜひご参加ください。

正直に言えば、今度のポスターのボクの写真はハナとデコを修正してあります。「顔面詐称ギリギリの線やなあ」とは口の悪い友人の弁。アトピー後の色素沈着はまだ癒えず。次の総選挙はボクにとっても背水の陣です。18歳から政治活動に関わって38年間、それなりに節を曲げず、良いも悪いも含めてボクらしく闘ってきました。

自民党へのペナルティの意味合いが強かった参議院選挙とは違って、今度はほんとうに政権選択を有権者の皆さんに迫る選挙になる。米国でも来秋には大統領選挙がある。米国民こそ8年におよぶブッシュの苛烈な競争と戦争政策を修正するだろう。この歴史の大きな変わり目に、衆議院候補として関われることを心から喜びたいし、計り知れない責任を感じる。「あいつは変わった」と思われるくらい「絶対に負けられない戦い」に挑む。
(夢工場68号一筆啓上)

民主党掲示板にご協力下さい

年内1000ヶ所をめざして頑張っています。自宅、会社、駐車場、工場、田畑など、どこでも結構です。よろしくお願いします。

正直に言えば、今度のポスターのボクの写真はハナとデコを修正してあります。「顔面詐称ギリギリの線やなあ」とは口の悪い友人の弁。アトピー後の色素沈着はまだ癒えず。

2007年9月16日(土)泉州の元気「関西三空港の経営一体化」(夢工場68号より)

関空の二本目の滑走路が8月2日から使用されている。完全な24時間稼動可能な空港になる条件は整ったが、依然として我が関空の行方は前途多難。関西圏にある関西、大阪、神戸の3つの空港が乗客を取り合い、これに航空会社の競争が重なって、ひと皮むけば血みどろだ

正直なところ、関西の経済や観光の振興、泉州の発展など大きな戦略を持てているとは言いがたい。

すべての根源は、3つの空港がバラバラであること。関空は株式会社、大阪空港は国直営、神戸空港は神戸市系会社と経営主体がまるで異なり、それぞれの利害のために無責任な競争を行なっていることだと、私は考えている。

そもそも世界の大都市はみんな複数空港を持っているけれど、パリは3空港をパリ空港公団が運営している。ロンドンは3空港、ニューヨークは4空港、ベルリンは民間会社で4空港を経営など、いずれも経営主体は一つだ。

日本だけがバラバラだ。経営主体は違っても、関空にも神戸にも巨額の税金がつぎ込まれている。作るだけ作って、世の中なんでも競争、「競い合って稼げ」という訳だ。関西経済の発展にとって、あるいは地元の利便性を考えて航空便の発着計画を組む。これが一体的にできていない。

「経営主体がバラバラな方が多勢の官僚が天下れていい」とでも思っているのか。話は別だが、関空会社に務める友人がこぼしていた。「国から出向している職員は、早く東京へ帰りたいと思っている奴が多い。なぜ羽田や成田じゃないのかとボヤいて、関空で2〜3年のらりくらりして国へ帰る」連中が多いらしい。こんな派遣社員も、天下り官僚も御免こうむりたいものだ。

「頼むから作らせてくれ」と国に頼みこまれて作ったら、今度は「釣った魚にエサはやらない」と中曽根元首相が「民間経営で」と言い出し、次には地元自治体負担までかぶせられた。成田も東京も地元負担はないはずなのに。泉州の気概をもって空港再編に取り組みたい。

2007年9月15日(土)突然の辞職と総裁選挙

安倍首相の辞任には驚いた。「いずれ近い」とは思っていたが最悪最低のタイミングで、あらゆるところに迷惑をかけての辞任。わがまま坊ちゃんの最期にしては出来すぎの演出か?少し同情論もあるがボクには同情のかけらもない。腸が弱っているらしいが、7月29日の参議院選での惨敗にも関わらず「私は辞めない」と決断してからの1ヶ月半、誰だって針のむしろで非難轟々、胃も腸も痛くなり、精神的にも憂鬱になるのも当然。それは身から出た錆び、自業自得というものだ。

福田新総理??

福田で総理はほぼ決まりの様相だ。安倍を75%の得票で選出した自民党が、今度はその対極ともいえる福田を80%以上の支持で選出するのか。この党には、国民のために何が必要かではなく、「どうすれば利権が復活するか?」「どうすれば選挙に勝てるか」だけが判断基準のようだ。

2007年8月15日(日)長崎原爆慰霊式典

8/1から8/3まで4駅で朝および夕方の駅立ちを行い、民主号外を配布。 10日まで事務所職員が他の駅でもビラ配布。

8/5〜9は浜田(和泉)、清水(岸和田)、野口(泉佐野)の各新人議員さんらとともに、 鹿児島県知覧の特攻平和会館の見学や9日の長崎原爆慰霊式典に参加した。 船中泊も含めて4泊4日の少しゆったりした旅行。長崎の慰霊式典は学生時代以来35年ぶり。 やっぱり、小学校か中学校のどちらかの修学旅行は広島か長崎にすべきだと、原爆資料館を見てしみじみ思った。

戦前戦後の政治的に議論になるところは高校や大学の入試にはでない。 だから受験一辺倒に流れると、日本の侵略の事実すらもまともに教育されない。 若い世代に「何で何回もいつまでも謝らんとアカンのか」と素朴な民族主義的気分が生まれる。 「やられたらたり返さんとアカン。日本も原爆を」こんな意見も出る。 「時の流れ」に任せずに、しっかりと教育する義務が日本にはあると思う。

それにしても…安倍首相

あい変わらず開き直って我が道を行く安倍首相。27日の内閣改造の評価が今後の政局を大きく左右する。 最近のマスコミの世論調査は次の通り。
マスコミ 調査日 内閣支持率 政党支持率 衆議院の早期解散
安倍支持 安倍不支持 民主支持 自民支持
読売新聞 8/4・5 27% 64% 27% 26% ―――
毎日新聞 8/4・5 22% 65% 33% 17% 58%
時事通信 8/3・6 22.6% 61.0% ――― ――― ―――
TBS 8/4・5 26.9% 72.0% 37.3% 23.5% 74%
テレ朝 8/4・5 24.3% 62.7% 40.2% 28.4% 60%
日テレ 8/3〜6 24.9% 64.5% 32.3% 27.6% 65.2%
産経・フジ 7/31・8/1 22.0% 64.8% 32.8% 23.0% 59.4%
朝日新聞 7/30・31 26% 60% 34% 21% 42%
参議院直後は早期解散論が国民の間では少なかったが、自ら無反省に「続投」を早々と宣言してから、 国民の不信はますます高まっている。選挙後、民主党の支持率が自民党を大きく上回ったのも始めてのこと。 今度は何か(国民の怒り度合い)が違う。戦後続いた自民党政治の終わりの始まり。 この歴史的な大転換の真っ只中で候補者として戦えることに誇りと責任を感じる。

2007年8月2日(木)解散・総選挙はあるか

「次はアンタの選挙やな。もう人の選挙とちがうで。自分のためにがんばりや」と言われる。 小沢代表じゃないがボクも背水の陣で臨みたい。

今回の参議院選挙での民主党の大勝利の意味するものは、「6年間、参議院は民主党が押さえた」ということだ。 3年後の参議院選挙で自民党が今回の逆で大勝利する可能性はない。

その場合、普通なら自民党と霞ヶ関の官僚たちは絶対に衆議院の解散はしない。 なぜなら、衆議院は自民・公明で337議席、3分の2以上の議席を占めているのだから、 もし野党が参議院で法案を否決しても、衆議院で再議にかけて3分の2以上で可決すれば法案は通せる。 次の衆議院選挙では与党が3分の2を確保することはないから、 内閣支持率が20%を切って10%そこそこになっても解散しない可能性もある。

何よりも大事なのは、参議院で「国民の生活が第一」という政策をしっかりと提案し、 民主党の政権担当能力を有権者が信頼できるように表現することだ。

菅代表代行は次のように言っている。ボクも同感だ。

民主党がこれからどういう道筋で政権交代を目指すのかをよく問われる。以下のように考えている。

マニフェストの盛り込んだ政策を
@野党でも実現可能なもの、
A来年度予算に絡めて提案するもの、
B政権交代後に実現するものに区分する。

そしてまず@に区分される年金流用禁止法や政治資金規正法の強化など与党も反対しにくい 法案をできるだけ早期に参院に提出し、与党の賛成も得て成立させたい。

次に年金通帳実現や農業の戸別的所得補償など来年度の予算で行う政策を法案として 秋の臨時国会で参院に出したい。

同時に野党が過半数を占める参院の国政調査権をフルに活用し、 税金や年金の無駄遣いを徹底的に調査したい。

無駄遣いの阻止と徹底した分権化によって生み出される財源を最低補償年金、年金一元化、 子供手当てなどマニフェストに盛り込まれたBに区分される政策の実現に振り向けたい。

このように民主党政権が誕生すれば実行する政策の全体像を国民に示しながら、 最終的には政権選択のための衆院の解散、総選挙に追い込んで行きたい。
菅直人HP 政策の全体像(2007/8/1)より抜粋

安倍内閣では何が起るか解らない

本来ないはずの解散・総選挙だが、安倍内閣のもとでは何が起るか解らない。
とにかく「風」を読めない天才のような男だし、お祖父さんの岸信介の復古政治に憧れる男だから、 予想外の波風を自民党内外で起こす可能性は極めて高い。そうなると、突発的に何がおこるか解らない。

もちろん、野党側も参議院を基盤にして、 大きな国民運動として政権交代へのうねりを作り出さねばならないのも事実だ。とにかくボクは選挙準備だ。

2007年8月1日(水)(「夢工場号外」より)ご支援に心から感謝します。与野党逆転!さあ、これから「国民の生活が第一」の参議院ができた


ご支援に感謝

大きな期待と支持に心から感謝します。国民の皆さんの大きな怒りが政治を変えた。 7月29日は歴史的な日となりました。一人ひとりの国民の思いが、 ひとつになれば、こんなに素晴らしい変化が実現する。 頭の中では解っていましたが、ほんとうに実現する感動を味わいました。

若い人たちにも、政治を変える力を一人ひとりがもっていること、ぜひ自信を持っていただきたい。

参議院では民主党・新緑風会という会派が110名を越えて第一党。

大阪では新人32歳の医師、梅村さとし君が128万票を得てトップ当選を果たしました。 大阪18区でも多くのご支援をいただきました。(下表)
  投票率% 梅村 (民主) 白浜 (公明) 谷川 (自民) 宮本 (共産) 白石 (国民) 服部 (社民)
岸和田市 52.28 22868 19842 18046 14387 2780 2294
和泉市 55.71 26438 17901 15978 8610 3266 2352
泉大津市 54.58 10479 6740 6672 5004 1502 864
高石市 59.31 9474 5350 6144 3785 1318 1085
忠岡町 57.50 2226 1687 1720 1641 242 147
18区計 55.50 71485 51520 48560 33427 9117 6742

国民生活まもる参議院に

参議院で野党が過半数を占めた意味は大きい。

小泉・安倍内閣の6年間でズタズタになった国民生活を再建するために、 例えば、参議院で政府提出の法案ではなく、民主党議員が提案する法案を審議し可決することもできる。

民主党は今まで100以上の議員提案ほ法案を提出しているが、自公両党は「つるし」と言われる慣行、 つまり「議員提案の法律を審議せずに議会運営委員会でつるしたまま放ったらかしにする」ばかりだった。 しかし、これからはそうはいかない。

国民生活のために働く参議院ができた。参議院が衆議院に先行して議員提案の審議ができる。 政府案に対する修正もできるし、民主の対案も審議に入れる。政府・自民・公明案と野党案の何が違うか? 国民にはもっと解りやすくなるし、国会がますます面白くなるはずだ。 民主党の110名の仲間たちの奮闘に注目してください。

選挙より政策審議に

安倍首相が「退陣しない」と早々と表明した。つくづく「風」を読めない男だと思う。
国民が「アンタは信用できないし、任せられない」と言っている声は彼には聞こえない。 こんなことをしていると、衆議院の解散・総選挙の動きもでる。 浪人中のボクにはありがたい話だが、それでいいんだろうか。

年金とともに医療、介護、教育、子育て、仕事…広がり始めた格差の課題はヤマ積みだ。
行革のほんとうの中身の議論も必要だ。もう一年に3回も4回も選挙をしている場合ではないと、ボクは思う。

衆参の違いを通じて、ほんとうの政権選択に向けてじっくり論戦し、政策転換をはかるべき時だ。

しかし、国民の思いに心を向けないで「私の内閣ごっこ」に興じる安倍が首相である限り、 日本の政界は安定しない。

参議院選挙〜悲喜交々

▼参議院選挙でたくさんの知人友人・元同僚が当選した。 ▼比例区当選者では、がん宣言をした前大阪選挙区議員の山本孝史さん。当選確定は午前5時。バンザイ。 「山本さん、神さんが『まだ仕事せえ』て言うてはんねんで」。 ▼国交委で奄美特措法の視察で一緒に奄美大島へ行った室井邦彦さん、 参院の国交部会のまとめ役で政策の守備範囲が広い池口修次さん、 大阪の議員のまとめ役・兄貴分の藤原正司さんも当選。良かった。 ▼臨時職員の星・相原くみ子さん。臨職の待遇改善に期待したい。東北弁の政治落語の今野東さん。 筋を曲げない堅物が永田町には必要だと思う。 ▼選挙区でも次々当選。日頃は温和だが信念は人一倍強い熊本選挙区の松野信夫さんは正義派の弁護士。 奈良選挙区の中村哲治さんは若いが政策研究熱心と言うよりかなりしつこい。これが大事。 石川選挙区の一川保夫先輩は衆院の時に勉強会で教わった。 ▼岡山選挙区の注目の姫井由美子さんと始めて会った時は36歳かと思ったが、 48歳で2人の子持ちと聞いて驚いた。県議2期、地方の意地に期待。 ▼残念な人もいた。合併浄化槽普及に一緒に取りくんだ若泉征三さんは福井選挙区で3千票差で惜敗。残念。 大石尚子さんは次点。衆院時代、穏かで案外年配なのに「乱闘」現場でも逃げない人柄が好きだった。 ▼尾辻かな子さん、高竹和明さん、山村明嗣さん。残念。三人ともまだ若い。初心を貫いてほしい。

一筆啓上

◆選挙が終わって会う人ごとに「次はおさむちゃんの番やな」と言われる。ありがたいが…。 ◆歴史的敗戦の責任をとって辞任すべきA級戦犯の安倍首相が、 他の全閣僚を解任して自分だけは辞めないとなれば、自民党内の8月はさらに暑い夏になる。 何が起こっても不思議ではない。 ◆取りあえず総選挙に向けて準備を始めねばと思う。次の選挙は絶対に負けられない。 ボクにとっても背水の陣で臨みたい。 ◆体重が71`で少しオーバー気味だから、65`のベストをめざして地元18区中を歩こうと思う。 現職の大先生様は83歳になられるから夏は動きがにぶい?今の内だ!少しセコイ?

2007年6月20日(水)まだまだ下がる下がる〜支持率

6月1〜2日に調査された共同通信の世論調査では、安倍内閣支持35.8%(前月比-11.8)、不支持48.7%(前月比+10.5)。
6月5〜7日が調査日の読売新聞では安倍内閣支持32.9%(-16.7)、不支持53.7%(+21)。
6月8〜11日に調査された時事通信の結果は安倍内閣支持28.8%(-10.6)、不支持48.4%(+14.8)。
そして6月16〜17日調査の朝日新聞では、安倍内閣支持32%(-2)、不支持51%(+2)となっている。
調査方法も違うから簡単には比較できないが、年金問題、政治と金、総理の手法…、国民の怒りが高まって、 こんなに解りやすく日に日に支持率が下がっていくのもめずらしいし、それでも懲りない総理大臣もめずらしい。

次は6月25日に明白になる住民税増税。定率減税廃止は、05年3月の国会で、05年度予算案と一緒くたに採決された。
国民に対して06年と07年で10%づつ減税を止めますとの説明もないままだった。
このやり方は実に卑劣だったが、今になってしっぺ返しがきた。「あれは小泉内閣がやったこと」ではすまない。
安倍は小泉内閣の官房長官だったんだから。まだ5ポイントは下がりそうだ。下旬の毎日新聞調査が楽しみだ。

2007年6月19日(火)戦う社労士・内山晃君

衆議院議員の内山晃君がむちゃくちゃな方法で懲罰にかけられようとしている。
テレビでもよく報道された「2度にわたって厚生労働委員会で委員長を羽交い絞めにした」のが理由らしいが、 1度目は、5000万件の年金記録問題そっちのけで年金機構法案を自民・公明が強行採決に及んだからであり、 2度目は、わずか4時間の審議で年金記録問題の時効法案を強行採決して、まともな議論をしなかったからだ。
いずれも非は自民・公明両党にある。内山議員はボクより3歳年下で2期目。
社会保険労務士としていつも真面目に働く者の立場で年金問題を取り組んできた。
「戦う社労士・内山です」が口グセ。テレビを見て、「内山さん、やってるねえ」と思った。
自民・公明は衆議院の懲罰委員会の委員長が民主党の横光議員だから、彼を勝手に委員会の多数決で解任し、理事で処分を決めた。
しかし、懲罰委員長人事はは本会議での議決事項だから、懲罰委員長解任は本会議を開かないとできない。

分別を失いかけている安倍内閣は、とにかく3分の2の多数があれば何でもできると勘違いしている。
それにしても、懲罰動議を可決された内山君、「自民党や公明党が私に懲罰を下しても、 きっと与党には参院選で国民が懲罰を下すだろう」とはカッコいいこと言いましたね。

2007年6月17日(日)国政激動

参議院選挙の日程が遅れそうだ。 安倍首相を中心に中川自民党幹事長や中川政調会長、塩崎官房長官など「安倍チーム」の暴走は止まらない。
年金記録問題が2月から明らかになっているのにノラリクラリの対応しかしなかった安倍が、 自分の支持率が急降下してやっと、バタバタとその場しのぎの手を打った。
「政争の具にするな」と安倍は言うが、支持率低下まで何も対策を講じなかった自分の不徳を恥じるべきだ。

「10年前に3億件以上あった年金番号を一本化するのを決めた菅直人が一番悪い」と安倍首相も公明の太田代表も恥知らずに叫ぶ。
年金番号一本化が問題ではなく、その後の作業工程のあり方が問題なのだ。国民を愚弄するすり替えには呆れる。

重要法案が目白押しだと言うが、そもそも衆議院与党3分の2の議席に思い上がり、重要法案を思いつきで、何本も出した安倍の責任だ。

民主党の「かべしんぶん」貼らせてください。

新しい掲示板用の集会告知ポスターが出来ました。 参議院選挙が終われば、民主党の「かべしんぶん」として年2回は貼ろうと思います。 今、大阪18区で約500ヶ所ありますが、ぜひ今年中に1000ヶ所に増やしたいと思います。 ご協力お願いします。










2007年5月10日(木)統一会派が次ぎ次ぎ

岸和田市議会では、民主党の西村議員、清水議員と無所属で私の選挙をいつも応援していただいている村野議員が、 統一会派を組むことになった。

高石市議会も、民主党の清水議員と綿野議員が民主市民連合という会派をたちあげた。
高石の再生にむけて、市民派会派のみなさんとも協力して、本格的な改革議論を展開するときだと思う。

今後、4名の市民派会派と協力しながら市政を支える方向だと聞いている。

7月の参議院選挙が終わると、来年9月の和泉市議会議員選挙まで、地元の選挙はない。
いよいよ、ボク自身の衆議院2期目に向けた、本格的な活動を始めたい。

2007年5月7日(月)フランスでのこと

フランス大統領選挙で右派のサルコジ氏が当選した。社会党のロワイヤル氏が始めての女性大統領になればと期待したが残念。

フランスの記事を見て、またノックさんのことを思い出した。
1993年頃だっただろうか。ノック知事や各会派代表の一員としてボクも参加した。
フランスは歓迎レセプションが4時間くらいつづく。とにかく長い宴会だった。
ヘビースモーカーのノックさんも途中でイライラし始めているのが解る。
フランスは禁煙の国だ。ボクはノックさんに「知事、トイレに行きましょうか」と誘って、二人で隠れてタバコをすった。
「トイレに隠れてすうのは30年ぶり」とボクが言うと、「大阪の高校生もこんなことしてるんやろね」とノックさん。 変な思い出だ。

パリのドゴール空港を視察した時、200人くらい乗れる超大型バスが着陸便に近づくと、 そのままリフト式に乗客が乗るボックスが上がるのを見た。初めてだった。
「知事、あれや。あれがあったら二期工事は発着ウィングなんかいらんがな。工事費がかなり安上がりになりまっせ。」
と言うと、「ホンマや、あれ買お」と言って担当者に「どこのメーカーか調べといて」と指示した。
あのころは「どないしたら関空工事費が安くなるか」ばかり考えていた。

フランスでの事ではないが、こんなこともあった。 教育委員会の幹部がボクに会いに来てこう言った。
「教員削減案に知事が首を横に振ってはるんです。学校が荒れてるのに減らしてええんかと」。
当時は子どもの減少期で財政面でも削減やむなしだった。
ボクはラジオ番組の収録後、弁天町の三井アーバンホテルのラウンジで、ジャーナリストの大谷昭宏さんらと話しながら、 知事にこう言った。知事、この前、中学一年の娘が技術の授業の後、家でこう言いました。
「父さん、技術の先生はクギ打つのが下手で3本打ったら1本曲がるんや。O君の方が上手い。 あれやったら大工さんに来てもろたらエエのに」。 知事、大工さんも学校の先生になって教えられるようにしましょう。清風高校の体操部のOBは池谷や西川だけと違う。
寿司屋の兄ちゃんが年に何回か学校の鉄棒で大車輪教える。体操教室のコーチが授業を教える。
500人先生減っても、何千人という街のプロが教壇に立った方が、きっと子ども等は生き生きしまっせ。
ノックさんの目がキラリと光った気がした。 「それエエな、エエわ、それやろ。ボク、どないしたらエエ」とノックさんが言い出し、 これが全国初の「学校支援人材バンク」につながった。

2007年5月5日(土)引き続きノックさん死去について

新聞もテレビも、ノックさんについて予想以上に好意的に取り扱っているので安心した。

1994年の暮れに府議会は中川知事(当時)の後援会の5億円問題が起こって紛糾した。 知事は給与を大幅に削減するからそれで終わらせるという趣旨の条例案が出て、ボクはこれに不承知で賛成しなかった。 その後、ノックさんが「中川知事が出馬するのなら立候補する」と宣言した。 ボクは何人かの人たちとノックさんに始めて合った。 翌年1月17日に阪神大震災が起こり、その中で中川知事の不適切な発言が問題になり、中川知事の不出馬が決まった。 自社公民が組んで環境庁次官の平野氏が統一候補に決まった時、一旦、立候補しないと言ったノックさんが 「役人あがりの知事ではアカン」と再び立候補の意向を表明した。

ボクはその時、一人でノックさんに会いに行った。 「ボクも立場があるけど選挙ポスターくらいは手伝わしてほしい」と言って、職員を一人派遣した。 結局、1万5千枚くらいをいろんな方々にお願いして貼ってもらった。 この年、ボクの選挙は無投票だった。実はこれが幸いした。誰よりも早く新会派づくりのために動けた。

同僚の山本万年議員がガンで病の床にあった。告示日の前日に成人病センターへ見舞いに行った。 帰り際に「選挙が終わったらまた相談に来るわ」と言うと、万年さんはこう言った。 「なんや、会派のことやろ。治ちゃん、ここまで社会党に迷惑かけといて戻れると思うな。 戻らんでもお前はやっていける。僕の分まで思う通りにやれ」と言われた。 「また、若いもんのケツかいたらあかんよ」と言いながら、ボクは意を決した。 「そうや、豊中市で北の坊という人が無所属で出てはるけどどんな人」と聞くと、 「さすがやな、治ちゃん、きっとアンタと気が合うで。当選するやろから必ず会え」と言われた。 それが万年さんとの最後の会話で、一週間ほど後に亡くなった。

その後、北の坊議員と会った。「なんで私ですか」と聞かれたので、「万年さんの遺言です」と言った。 本当に気の合う人だった。その時、ボクは「ノック応援団会派」の結成を確信した。

2007年5月4日(金)夢工場40号(2000年1月1日)の記事 (再掲)


お疲れさま…夢をありがとう四年間、闘い続けたノックさんボクはあなたを忘れない。

ボクは《無念》です。ノックさんの最後は確かに大きな禍根となった。 だからと言って四年間のノック府政の功績は消えない。実に大きい。 イジメと財政難の中でも、ひるまずに大阪の夢と元気を求め、改革を断行した横山ノック知事の勇姿を、ボクは忘れない。 去り行くノックさんに送る言葉は「お疲れ様でした。夢と勇気をありがとう」です。

◇リングにタオルを投げ入れる思いで

ノックさんが検察当局の家宅捜査を受けた12月20日、ボクたち「改革おおさか」は声明文を出した。
知事に辞職を勧め応援団会派も解散すると書いた。知事の息子さんと連絡を取り、 「リング上で闘う血まみれのボクサーに身内としてタオルを投げ入れる心境」と病室のノックさんに伝えてもらい、 深夜、知事は辞意を表明した。

ノック応援団「改革おおさか」は4年8ヶ月で幕を閉じたが、府政改革をリードする提案をつづけ、一つづつ形にしてきた。 ボクにとっては楽しい思い出ばかりで悔いはない。

◇過去の後始末とイジメの毎日が

最初の2年は、すさまじいイジメと過去の府政の後始末ばかりだった。 泉佐野コスモポリスや府庁内の裏金問題、外郭団体のムダ遣い、 コクサイホテル…、どれもこれもノックさんの責任じゃない。 むしろ責任は古参議員にあるのに、「コラッ、ノック、どないするんじゃ」と言った者勝ちだ。 それでもノックさんはグチもこぼさず頭を下げ続けた。

議員の側にも良識があった。徐々に、自民党や公明党、民主党の各党の中でも「ようやってるやないか」と評価が変わる

◇ノックさんの愛〜改革プログラム

ノックさんは「財政再建本部」を編成し、財政再建プログラムに着手した。 教育改革プログラムの作成も指示した。

「せちがらい節約だけではダメ」「改革には大きな夢や愛がいる」とボクらは話し合った。 ノックさんは「節約と夢の二匹のウサギを追いたい」と再建チームに檄を飛ばし続けた。

ノックさんが辞職願いを出した日、杉本光伸議長は「このような事態がなければ、 後世に名を残す知事になったかも知れない」とコメント。真剣に府政の再生を願う議員の共通の思いだった。

◇実績は大二郎や慎太郎も顔負け

ノック府政4年間の実績は全国でも突出している。関空二期工事などハード面だけではない。 内容において、今後、全国の知事が見習う道すじだと言ってもいい。

(1) 府の外郭団体の役員報酬を半額にした。
(2) 職員給与の定期昇給を2年間止めた。
(3) 大阪府の仕事の総点検(行政評価システム)を始めた。
(4) 府立高校20校削減を決め、魅力と特色ある高校づくりを始めた。
(5) 社会人のプロを学校の講師に迎える「学校支援人材バンク」の開始。
(6) 「行政の福祉化」で障害者や高齢者の働く場をつくり始めた。
(7) 地域の助け合いを応援して街かどデイハウスや給食サービスを積極 的に進めた。
(8) 府営住宅を福祉活用して、託児所や託労所をつくり始めた。
(9) 民間資金で府庁を建て替え、OA化を進め便利でスリムな府庁づくりを始めた。

◇残された宿題はボクたちの仕事

老人医療費の見直しや高校授業料の値上げ…つらい選択の中でも、「夢を捨てるな」と指揮した。
「責任はボクが取る」の言葉に勇気づけられ、優秀な職員が本気で改革の案を創り、いい案を採用した。

それを「役人の言いなり」「イエスマン」としか見えないのなら、新聞記者も勉強不足を恥た方がいい。

いずれにせよノックさんは、改革のレールを敷いて府庁を去った。 ボク達はたくさんの宿題を抱えたままで2000年を迎えた。

2007年5月3日(木)

横山ノック知事が亡くなった。 ボクの政治活動の中ではもっとも大きな転機になった1995年から1999年までの5年間。 ともに闘った同志のような思いがあっただけに残念だ。マスコミはどんな風にノック知事のことを回想するんだろうか。 結末は残念な結果で終わったが、ノックさんが大阪府政改革に残した功績は大変大きい。

2007年4月22日(日)後半戦は5勝1敗

統一地方選挙の後半戦が終わった。結果は民主党公認・推薦候補は6勝2敗。 友好議員の方でも石橋文一先輩の落選は実に残念。

岸和田市では、現職の西村議員が21位当選、さらに民主党政治スクール出身の清水候補が24位で当選。 正直なところ「予想外の勝利」だった。喜多君が府議選を戦ってくれたお陰という感じがする。 清水たかし議員はこれからが正念場だ。

全国最高得票率

高石市の阪口シンロク市長は、おそらく今回の選挙では全国最高得票率70.5%を獲得した。 もはや、議会は阪口市長支持を改めて表明した市民の意志を、これ以上無視すべきではない。 民主党籍のある清水・綿野両議員のポジションが大切になる。

2007年4月19日(木)森かずとみ君の勝利

和泉市の大阪府議会議員選挙は民主の森かずとみ候補が公明・池川氏とともに初当選を果たした。 自民党の6期の杉本さんがまさかの敗北。府議時代、ボクが一度も勝てなかった人だけに感慨深いものがある。

岸和田の喜多まこと君は2位にあと3千票と迫る大善戦。彼の頑張りとご支援をいただいた方々に感謝したい。 「大接戦までは必ず持ち込める。あとは国会からいい風が吹けば…」と喜多君には言っていたので、 まったくの無風状態の中では驚異的な得票だと思う。

西成区の荒木君、とくに残念。釜ヶ崎地区のホームレスの選挙人登録問題など、 大阪市の動向が人権無視の方向へ転回している時に、彼が府議会にいなくなるのは尚更悔しい。 平野区の山岸君、大阪狭山市の坂本さんも残念。豊中市で北の坊府議の後任として無所属で中岡君が当選した。 本当によかった。

府議会は自民47名、公明23名で112名中70名を自公の政府与党会派が占めた。 この先、大阪府はどうなってゆくのか。心配だ。

今回の前半戦。どんな風〜国民の政治への意識だったのか?もう少ししっかり分析してみたい。

とにかくまだ後半戦の最中。岸和田市、泉大津市、高石市、忠岡町では、民主党公認・推薦の6名初め、 私と共同歩調で頑張っていただけそうな無所属8名も含めて、なんと14名の当選を期して奮闘中。

2007年3月8日(木)和泉市で相次いで地域集会

明日から和泉市では民主党の森かずとみ府議会議員候補の地域集会が続く。 すでに2月22日伏屋町会館160名、24日観音寺町会館150名、26日室堂会館120名と開催したが、 3月8日鶴山台南老人集会所、10日緑ヶ丘自治会館、12日和田町会館、14日青葉台自治会館、15日小野田町会館、 16日コミセン(国府校区)、19日箕形町会館、22日春木川公民館、23日浦田町会館、24日福瀬町会館、 26日池田下町願城寺会館と続く。この他にも各地で座談会やミニ集会がある。

私が4年前まで大阪府議を務めていた時と比べても、はるかに大きなうねりを感じる。 世代交代や新しい風への期待の大きさに感動すら覚える。

副本部長に市議6名そろい踏み

森君を立場や党派を越えて支援し、選対副本部長に就任している応援団の市議会議員さんは、 須藤議員、大橋議員、浜田議員、小林議員、森君の叔父さんの森議員、それに新たに金児議員も加わることになった。

これで4名の女性議員になった。各議員さんが、宣伝車担当・電話担当・集会担当などを分担してくださっている。 本当に心強い限りだ。

岸和田では24日

岸和田市では喜多まこと決起集会を3月24日に岸和田競輪場多目的ホールで開催する。 これ以外にも各地で連日数ヶ所、ミニ集会や座談会を開催している。最終的には100ヶ所を越えるだろう。

最近、自民党や公明党の宣伝車の民主党批判が目立つようになってきた。 和泉市では民主新人の森、・自民現職・公明現職の3候補が、岸和田市では民主新人の喜多、 自民現職・公明新人・共産新人の4候補が、がっぷりの四つ相撲になった。これからが勝負だ。

ウグイス研修

3月4日は宣伝車担当の女性市議が地元の女性を対象に宣伝車のアナウンスを行うウグイス研修を実施。 20名近くが参加し、実際に宣伝車に乗って実習訓練を行った。皆さん実に上手い。 カラオケで?マイクに慣れているせいだろうか。どうやらプロのウグイス嬢の出番はなさそうだ。 プロのウグイスの費用はかなり高額なので、財政面でも大助かりだ。感謝に耐えない。

3月30日、出陣の日のウグイスは浜田・大橋両市議が務めるという。 こんな贅沢なウグイスさんは今までの選挙でも聞いたことがない。ありがたい。

2007年2月26日(月)訃報が続く

2月17日に高石市の清水健次さんの葬儀、2月23日は私の資金団体・中政会の最初の副会長を務めてくれた 奥村周教くんの葬儀、そして今日は、私の後援会の副会長で新舞踊・扇翔会の会主である金子扇翔さんの葬儀。

清水健次さんは高石市で真っ先に民主党の旗を掲げて市議会に挑戦された方。何かと相談にのってもらった。 大阪市の水道労組で地元ではソフトボール連盟の役員なども務められていた。

奥村くん(カネチャン)は現在の和泉の後援会青年部の基礎を作ってくれた立役者の一人だった。 事業に失敗して苦労をされたが、彼なくして現在の青年部はなかったかも知れない。 これで角城のケイスケと二人、ボクより若い仲間が逝った。 M坊にだけは「ずっと元気で、ボクより先に逝くなよ」と健康を願わずにはおれない。 あの男はちゃんと健康診断を受けているだろうか…。

扇翔さんの死はショックだ。昨年夏に癌の手術を受けられる前に、 「回復して中川さんの11月のパーティで踊るのを楽しみにしている」と言っていただいて、 本当に私のパーティで凛々しく舞ってくださった。 その後、12月の忘年会におじゃましたのが最後だった。 私自身は3年ほどの短いお付き合いだったが、ほんとうに親身にご協力いただき、 姉のような思いで接しさせていただいただけに実に辛い。

三人の御霊に、「安らかに…、そして、できればしばらくは見守ってください」と願わずにはおれない。

2007年2月16日(金)ハイ、○○事務所です!

民主党の大阪府議会議員候補で奮闘中の喜多君(岸和田市)と森君(和泉市)の事務所を相次いでオープンして、 私の事務所スタッフのふた手に分かれて常駐しています。 事務所の電話番号はそのままなんですが、元々「ハイ、中川おさむ事務所です」って出ていたのが、 府議会選挙がらみの電話が増えるに連れて、「ハイ、民主党和泉事務所です」「民主党岸和田事務所です」に変わり、 事務所開き後は、「民主党森事務所です」で「民主党喜多事務所です」に変わり、ボクの名前は無くなってしまいました。

「まあいいか」と思っているんですが、時折、腹の虫のおさまりが悪い時は何かしら少し寂しさを味わう時があります。 まあ、私も府議会議員の時は「国会議員なんてクソ食らえっ」て思ってましたから、 そのぐらいの決意で二人には頑張ってほしいと思っています。

大阪サミット???

最近、大阪市内で目立ち始めたのが「2008年大阪サミット」の垂れ幕。 毎年開かれる先進国首脳会議が来年は日本で開催される番で、京都と大阪、それに新潟が加わって招致合戦をくり広げている。 私の率直な思いでは、「来年は京都」だと思う。

国際社会にはいろんな課題があるが、来年日本で開催されるサミットでは、地球環境問題でもう一度各国首脳が、 1997年のかれた地球温暖化防止京都会議での議決した京都議定書(気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書) を思い起こす年にすべきだと思っている。

民主党政権時代にアメリカのゴア副大統領が中心になってまとめたのが京都議定書だが、 ブッシュ大統領になってからアメリカはこの議定書署名国(守りますという約束)から離脱したまま。 二酸化炭素の排出量を削減する目標を、ヨーロッパの国々は守って減らしているが、日本は逆に増えている。 もちろんアメリカも増え続けている。 昨年秋に選挙で負けてから最近ようやく地球温暖化問題をブッシュは取り上げたにすぎない。

安倍首相も「目標達成に向け努力する」と、できもしないことを繰り返すだけで、事の重大さにはまったく気付いていない。 安倍首相の成長戦略「経済成長なくして財政再建なし」は、実は企業の経済活動に対する野放しのゴーサインであり、 環境問題と言えどもできる限り経済規制はしないと言うのが本音だろう。

しかし、欧州では「儲かると解っていても環境に悪い事は実行させない」という厳然たる規範がある。 企業もそれを社会的責任・社会貢献として受け入れる常識がある。ここが日本の企業との大きな差。 時には、GDPが足踏みしても決断せねばならない時がある。最近の異常気象は日本だけではない。 地球という自然(神)が人間どもの横暴に対して怒りの鉄槌を振り下ろし始めたように思えてならない。

話を戻すが、だからこそ大阪府は何でも首を突っ込めばいい訳じゃない。 たまには近畿の長女格として、「京都さんどうぞ、あなたの方がふさわしいわ」なんて譲ってみたらどうだろうか。 ねえ太田房江姉御

2007年1月20日(土)

12年前の今日、午前0時に3万個のおにぎりを積んだ車が3台、和泉市から西宮市と神戸市に向かった。 ボクはその3台目に乗り込んで神戸市東灘区役所に向かった。 区役所に着いたのが午前3時半、和泉市に戻ったのは午前8時過ぎだった。

1月19日の午前11時30分から「1万個のおにぎり作戦」を思いついて行動を始めて各方面に協力を依頼し、 12時間後には予定の3倍、3万個のおにぎりがとパック詰めが完了した。 かなり強引に協力を依頼したが、その後、皆さんから「ええことさせてもらった」と感謝された。 あれはボクの政治活動にとって大きな転機だった。 「日本人はもう助け合いの精神なんて忘れてしまった」と思っていたボクは、 次々に広がる善意と助けあいの輪を目の当たりにして確信を持った。「福祉は地域の真ん中でできる」そう思った。

あれから12年。大きな助けあいのうねりとともに、他方では、 人を人として扱わない弱肉強食の論理が幅を利かすようになってしまった。 小泉・安倍政権の6年はまさにそうだった。この流れに終止符を打つ。 それがこの4月と7月の選挙だと、ボクは思って闘っている。 人間の尊厳や労働の価値や人間らしく生きる当たり前のルールを回復させる。 民主党への宿題はまさにそれだと思う。

2007年1月1日(月)2007元旦によせて

私たちは毎日あくせくと生きるために働いているのではない。

明日をも知れぬ過酷な争いのために生まれてきたのではない。

ただ…家族や愛する者たちや隣人や友人とともにゆったりと安らかにできれば…今日よりも明日が 少し豊かになればと願っているだけだ。

真面目で正直な働き者がいっこうに楽にならない社会マネーゲームの達人たちが富を蓄積しつづける社会、 高級官僚が相変わらず税金を浪費しつづける社会、 そして…弱き人々の生活が年ごとに困難になり 夢を持てなくなってしまう社会。

互いを認め合い補い合い、ともに生きることがこんなにむつかしい世の中になってしまった。 この国のあり方が間違っているからだと私は考えます。もう一つの日本。さあ、いっしょに創りましょう。