現在、ポケモンの関連市場は、累計で、全世界 3兆円規模。
国内 1兆円、海外 2兆円 といわれています。
この数字はですね、ディズニー 並みの 巨大マーケット となっております。
ほんとに、すごい 作品ですよね。
ここまで、どうやって 育て上げて来たのか。
この、石原恒和さん が、育てて来たということなので。
単なる 作品の枠を超えて、
巨大マーケット に、打ち出して来た 日本の作品、ということに なってますから。
もう、日本で 最も成功したキャラクター と言える “ポケモン”
なぜ、こんなに 大ヒットしたのかを、ポケモンの 育ての親の一人、
石原恒和さん に、お聞きしたいと思います。
“ポケモンって何ですか?”
J-WAVE 『Growing Reed』
新しい一週間、最初の60分。 ぜひ、一緒にお付き合いください。」
(曲)
JUSTIN BIEBER FEAT.LUDACRIS 『BABY』
岡田くん
「あの、石原さんは “ポケモン”
最初は、どういうふうに 関わって来られたんですか?」
石原さん
「えっと、最初は ですねえ。」
岡田くん
「はい。」
石原さん
「ゲームフリーク っていう会社のですね、田尻智さん。
彼が、まさしく、ポケモンの生みの親 なんですけれども、
彼が、こういうゲーム作りたい と言って、企画を持って来た。
それが、ポケモンの関わりの始まり なんですけども、
大体、1989年ですね。 の、暮れぐらい。」
岡田くん
「そんな、前なんですね。
発売したのは、でも、96年ですよね。」
石原さん
「そうですね。 その企画書が スタートしてから、やっぱり、完成するまで、
相当、こう、紆余曲折が あったものですから。」
岡田くん
「すごい時間、かかってるんですね。」
石原さん
「私と 田尻さん とは、それ以前からですね、結構 いろんな仕事を 一緒にしたり、
あるいは、私が 『電視遊戯大全』 という本を作ったことがあったんですけど、
その本に、たくさん 執筆していただいて、
彼の ゲームへの、すごい博識があるところと、そして こだわり と、そして、哲学を持っていて、
それが きっかけで、一緒に 仕事をさしていただいて、それが まあ、
ポケモン へと発展して行った というかんじですね。」
岡田くん
「どこに、引っ掛かったんですか?
“ポケモン” ていう、企画が上がって来た時に、
『行けるぞ』とか 『これ 育てられるな』 っていう。」
石原さん
「はいはい。」
岡田くん
「どこに、引っ掛かったんですか?」
石原さん
「一番最初の、企画書で、
まあ、紙の段階 っていうのは、なかなか その、判断が出来ない っていうんですか。
ゲーム って、触ってみないと、面白いかどうか わからない っていうものですので、
最初の段階では、わからないんですよ。」
岡田くん
「はぁ。」
石原さん
「ただ その、モンスターボール というものを使って、そこに入れて、
ポケモン という 架空の生き物を、持ち歩ける。
持ち歩いている モンスターボール は、ゲームの中でも、あるいは、現実世界で友達とでも、
ポケモン を交換する道具に使える っていう、
そのアイディアは、ほんとに 実現したら、
すごい 面白いことになるな っていうのは ありましたね。」
岡田くん
「でも、その頃って、赤外線 とかって、ありましたっけ?」
石原さん
「いや、当時は、ゲームボーイ っていうハードウエアでしたから、
ゲームボーイ同士を、対戦ケーブルで、
テトリス で、対戦したりとか やるじゃないですか、
あの ケーブルを使って、通信をして、それで ポケモンを交換する。
あるいは、バトル をする、っていう仕掛けだったんですね。」
岡田くん
「はー。 それは、現実的には 出来る、っていう技術が あったんでしたっけ。」
石原さん
「出来るんですけど、でも、難しくしようと思えば、非常に難しくなってしまうので、
どのぐらいのことなら出来るかを 試行錯誤するのに、実証実験 といいますかね、
いろいろな データを送り合ってみるとか、それに、ものすごく 時間がかかりましたね。」
岡田くん
「コンセプトは やっぱり、そっから 始まってるんですか?」
石原さん
「そうですね。」
岡田くん
「基本コンセプトは。」
石原さん
「はい。」
岡田くん
「 『これは いけるな』 って、思った瞬間 って、いつですか?」
石原さん
「やはり、ゲームが 形となって、仕上がって来て、
その時に、ゲームというのは、デバッグ をするんですね。」
岡田くん
「デバグ。」
石原さん
「デバグ。」
岡田くん
「デバグ って、なんですか?」
石原さん
「要するに、ゲームが、プログラムしたてなので、ちゃんと動くかどうか わからない と。」
岡田くん
「あぁ・・・チェックを するんですか。」
石原さん
「 バグ という、虫ですね。
ゲームの中に潜んでいる 不具合をチェックして、取り払うのが、
デバッグ って 言うんですけども、
これを やるんですけれども、ちょうど、ポケットモンスター の初代、
“赤” と “緑” ですね、ポケットモンスターの。
赤 と 緑 の時に、デバッグ をしまして、
デバッグ ってのは、本当に、その、辛い仕事なんです。
要するに、1個 1個 歩いている人、看板、道 をチェックしては、
通れるかとか、話して 正しく メッセージが表示されるか とか、
モンスター と出会ったときに、ちゃんと 捕獲できるかとか、もう 非常に・・・」
岡田くん
「ありとあらゆる、こう・・・」
石原さん
「ありとあらゆることをする。」
岡田くん
「チェック しなきゃいけないんですね。」
石原さん
「非常に 細かい、大変な仕事です。」
岡田くん
「それ、みんなで やるんですか。」
石原さん
「そうですね。
当時は、デバッグチームを編成する というには、人数も 少なかったですので、
社員全員で、もう みんな 総がかりで、何日間も というか、何ケ月間も やる。」
岡田くん
「はぁー。」
石原さん
「その時に 普通、辛くて、もう 勘弁してくれ ってことに なるじゃないですか。
でも、ポケットモンスター の 赤と緑 だけは、デバッグしていて、面白い と、みんなが。
早く 次のバージョンにならないのか、っていうことを思い ですね。
普通だと、この道が通れなくなってると、次の街に 行けないじゃないか って話になると、
バグ報告書に書いて、こういうことになってる ってことになるんですけど、
でも、ポケモン の場合は 『通れない!』 とか言って、怒ってるんですよね。」
岡田くん
「(笑)」
石原さん
「このポケモン、捕まえられないじゃないか! とか言って、みんなが 怒ってるんです。
相当、悔しがってるんですよね。
それって、普通じゃない っていいますか、そういう体験をしたのは、ほんとに、
ポケモン が、初めてだった といいますかね。」
岡田くん
「そうか。 そういうふうになるのは、あんまり無いですね。
普通に、ゲームをやってる体験をしてる感覚。
仕事じゃなくて、ゲーム やってる感じになる っていうことですよね。」
石原さん
「そうですね。 普通、出来上がり途中のゲーム って、ほんとに 面白くないんですよ。」
岡田くん
「うん(笑)」
石原さん
「もう、辛くなるぐらい。
これで、ほんとに 売れるのかな っていうようなことが 多いんですけども、
この ポケモンは、やりながら ほんとに、すぐに “フリーズ”
止まってしまって、動かなくなるとか、いろんなことが起きても、
まだ 『面白い』 って言ってですね、
意外と みんなが、長く こう、頑張ってくれた っていいますかね、
そこは やっぱり すごく、最初に感じた 手応え としては、一番 大きかったと思いますね。」
岡田くん
「ポケモンは、子供たちの、新しいコミュニケーションの形を生み出した、
って言われたりするんですけど、それについて、どう 思われますか?」
石原さん
「そうですね・・・おそらく、
最初に ターゲットマシンとして作った ゲームボーイ という、ハードウエアですね。
それと、ポケットモンスター の 赤と緑 っていうシリーズが、セットになって、
やっと 真価を発揮した というか、力が出る といいますか。
これまで やっぱり、テレビゲーム っていうと、
家の中で、テレビ画面とにらめっこしながら、延々 遊ぶ っていう感じだったと思うんですけど、
携帯型ゲーム機 とか、ハンドヘルド とかいう、そういうものが生まれて、
それが まあ、ゲームボーイが初代 だったと思いますけど、
それによって、すごく ゲームが変わった と、僕らは思ったんですね。
ちょうど その、例えば、ウォークマン の登場によって、
音楽は変わった っていう感じがするように、
ゲームボーイ によって、ゲームは変わった と。
だから、外に持ち歩いて、友達と話したり、
あるいは 好きな時にゲームをする っていうことによって、
ゲームの中身 って、すごく 変わったと思いますし、
それと、ポケットモンスター って遊びが マッチして、
はじめて、全く新しいスタイルの コミュニケーションになったと思うので、
例えば それを、スーパーファミコン で、当時 作っていたら、
そうは ならなかったと思うんですね。」
岡田くん
「あー。」
石原さん
「やっぱり、持ち歩いている機械と、持ち歩く 遊びと、
ポケットモンスター という、ポケッタブルな遊びが、ちゃんと 一体化したといいますかね。」
(曲)
GOLDFRAPP 『ALIVE(DAVE AUDE EDIT)』
石原さん
「最初の企画から、さっきの その、田尻さんの企画は、
通信ケーブルで、ポケモンを交換したいんだ っていうことが ありましたから。」
岡田くん
「じゃあ はじめっから、ゲームボーイ・・・当時、ゲームボーイ ですよね?」
石原さん
「そうですね。」
岡田くん
「ゲームボーイ で、発売する ってことを、狙って やってる ってことですよね。」
石原さん
「そうですね。 企画は、そっから スタートですね。」
岡田くん
「あー。 じゃあ もう、そこに、みんな 新たな可能性を感じて。」
石原さん
「そうですね。 これまで やったことのない、
体験したことのない遊びが、あったということだと思うんですね。」
岡田くん
「うーん。 それが やっぱり、子供たちの思いと、すごく 繋がった っていうことですかね。」
石原さん
「と、思いますね、はい。」
岡田くん
「うーん。 もう その、最初から、狙って やってる ってのが、こう、
すごいと思うんですけども。
どの段階で、メディアミックス的な展開をしようと 思われたんですか?」
石原さん
「派生展開 だと、僕は 思ってるんですけど。」
岡田くん
「派生・・・」
石原さん
「例えば、カードゲームにしよう とか、テレビアニメにしよう とか、映画にしよう・・・
そういう、派生的な展開は やはり、子供たちの すごく強い熱 によって、
あ、こんなに ポケモンが すごい、っていうことに対して、
いろいろなリクエストがあったりしてましたし、
僕自身、ゲームソフトの もう一歩先に、もうちょっと、
まあ、七面倒くさい というかもしれないけど、カードゲーム という、
非常にロジカルな遊びを 作りたい、っていう思いが すごく あったんですね。
そういう 展開をしてみたいとか、
あるいは、ぜひ、テレビアニメで シリーズを作りたい っていうことが あったりとか、
そういうのが、どんどん出て来て、
それで、派生的な いろんな展開があったかなと思いますけど。」
岡田くん
「何が きっかけでした?
やっぱ、キャラクター として、ピカチュウ が とか、そういう こう、なんだろう、
人気の出るキャラクターを、作り上げれたときなのか、
なんか、石原さん的に 『これは行けるぞ!』 っていう、広がりを感たとき というか。」
石原さん
「そうですね、やっぱり、ポケモンのゲーム そのものが、ゲームの中だけで 納まっていない。
さっきの、友達と 通信ケーブルで、ポケモンを交換し合える っていう仕組みがですね、
あったことによって、例えば、ゲームの中で、自分自身、主人公が、
ピカチュウとか いろんなポケモンを持ち歩いて、道を歩いている と。
そうすると、向こうに、ゲーム中のキャラクターが立っていて、そうして 話しかけていて、
『キミ、もし、ピカチュウ 持っていたら、僕の イワーク と交換してくれない?』
っていうふうな人物が、出て来るわけですね。
そうすると、じゃあ、ピカチュウ は 2匹いるから、交換しようかな と思って 交換してあげると、
自分が、イワーク を手に入れることが出来る と。
で、次に また、街へ行って、また別の人に出会うと、
ポケモン交換が出来たりする というような体験を、ゲームの中で するじゃないですか。
で、今度、普通に ゲームボーイを持って、お友達んちに 遊びに行ったり、
街へ行ったりしたときに、友達が 『お前、ピカチュウ 持ってない?』 って聞いて、
そして、ゲームの中で起きたことと同じように、
実際の、現実の人間と、ポケモン交換が出来るじゃないですか。
そうすると、ゲームで起きたことが、現実でも起きてるわけですよね。
その、なんていうんでしょう、これまで 体験したことのない、不思議な遊び っていうものが、
だんだん だんだん 伝染するように広がって行って、
それで ある日、小学館さんの 『コロコロ コミック』 っていう雑誌の中で。
一匹だけ、ゲームの中では 捕まえられないポケモンを、セットしてやったんですね。
これは まあ、いつか誰かが、見つけて 捕まえるときに、誰かに あげようとかですね、
要するに、ゲームの開発者たちが、ちょっと 遊び心で、
ゲーム中では 捕まえられないんだけれども、一個 データとして 入っているので、
それが いつか、生き物として、いろんな人の手に渡ると 面白いかも、って言って 作っていた、
ミュウ っていうポケモンがいて、
そのポケモンを、雑誌誌上で プレゼントします っていう キャンペーンをしたら、
7万通 とか 8万通 という応募が来てですね、
20人を対象にしていたので、すごく こう、
ミュウ を貰うには どうしたらいいか っていう、伝説が生まれてですね、
こうやったら 捕まえられる とかですね。
そういうのが展開したことによって、日本中の子供たちが、
『ミュウ は、どこだ!』 って言って・・・」
岡田くん
「探してる っていうね、すごい。 ニュースにも なりましたもんね。」
石原さん
「その、なんか、事件性を感じたときに、
ポケモンは すごいことになってる、っていうのは 感じましたね。」
岡田くん
「どのぐらいの規模での展開まで、考えて行ったんですか。」
石原さん
「最初は やはり、我々 怪獣世代の、ゲーム好きが作ったゲームを、
日本中の子供たちが、どんなふうに楽しんでくれるか、
っていうことのイメージは、あったんですけれども、
それが、海外に向かって 広がって行く っていうことに関しては、
最初は 考えてなかったんですね。」
岡田くん
「ぶっちゃけ、びっくりするぐらいの 展開だったんですか?」
石原さん
「そうですね。」
岡田くん
「想定内ではない、っていうことですか。」
石原さん
「いえ、海外については、ぜんぜん 想定していなかったので。」
岡田くん
「日本でも、こんなに売れる っていうのは、あったんですか。」
石原さん
「日本では、6年ぐらい かかったわけです。
だから こう、売れなきゃ終わりだ って言いますか・・・」
岡田くん
「(笑)」
石原さん
「売れないと困る、っていう状況も、ありましたけど。でも まあ、ミリオンセラー。
ダブルミリオン とかを超えて行くことに、一つの目標を置いていましたけど、
それを はるかに超えてしまいましたから、そういう意味では、
全く、そこまで行くとは思っていなかった って感じですね。」
岡田くん
「まあ、日本だけではなく、世界で受け入れられた っていうことですけど、
最初は、どこの国から 行きましたか?」
石原さん
「最初は、アメリカですね。」
岡田くん
「アメリカ。」
石原さん
「アメリカに、ローカライズ したといいますか、持って行った と。」
岡田くん
「それ、こっちから 持ってったんですか?」
石原さん
「ま、販売してるのは、任天堂ですので、
任天堂が、日本で これだけ 大きくヒットして広がったコンテンツを、
なんとか アメリカへ持って行くことによって 売れないか、っていう まあ、働きかけもありましたし、
タイミング的にも、そろそろ アメリカに、ローカライズ 出来るんじゃないか ということもあって、
その、両方ですね。 で、我々は、さっき言ったみたいに、
あんまり アメリカ っていうイメージが 無かったんですけれども、
というのは、アメリカの人から、意見を聞くと、
こんな 可愛らしい生き物が たくさん並んでいるゲームは、
あんまり 評価されない って言うんですよね。
むしろ、当時のアメリカは 『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』 とか 『X-メン』 とか、
非常に ハードな キャラクター達が、出て来るものじゃないですか。」
岡田くん
「そうですね。」
石原さん
「だから、ピカチュウ 見て、キュート だとか言われてもね、
そのゲームは ダメだよ、みたいなことがありまして、意外と 否定的だったんですね、アメリカは。
ただ、さっき言った、日本での展開が とても上手く行ったというか、
予想外に上手く行った っていうのが ありましたし、
ゲームソフトから、カードゲームを作ったり、テレビアニメが出来たり、映画になって、
そして いろんな、派生的な フィギュア とか、グッズ とかが出て行った。
その数が、ものすごく揃ったときに、アメリカ市場に出て やってみようか と。」
(曲)
BEN LEE 『AMERICAN TELEVISION』
石原さん
「96年に、日本は、ローンチ しましたけど。
98年頃ですね、アメリカに持って行こう ってことになって、
そのときには 武器が揃っていたといいますか、
日本で やったときには、ゲームソフトしか ないじゃないですか、
だけど、アメリカで展開するときには、アニメもあれば、カードゲームもあれば、
いろんなものが揃っていたので、作戦が立て易かったんですよ。
日本で、こんなふうに成功したから、じゃあ、アメリカでは、まず テレビアニメを先にやって。」
岡田くん
「それが 一番、強いな っていうことだったんですか。」
石原さん
「そうです。 わかりやすいだろう と。」
岡田くん
「うーん。」
石原さん
「どうしても その、ゲーム。 ドラクエ も そうですし、ポケモン も そうですけど、
テキストが たくさんあって、文字を いっぱい読まなくちゃいけなくて、
メッセージのウインドウが開いて “はい・いいえ” を押して、っていう手続き って、
非常に、日本人は喜ぶけど、アメリカ人は もっと、
アクション的なものじゃないと ダメなんじゃないか っていう言われ方を、当時 してたんですね。
なので、意外と、ポケモン は難しい っていう 評価があって、
そのときに、じゃあ、テレビアニメで、最初、ポケモン とは、こんな世界観の、
架空の生き物を扱う遊びなんだ っていうことを言って、そして、ゲームを発売して、
そして、カードゲームを出して、様々なグッズを展開をする っていう順番に持って行ったら、
日本よりも、はるかに アメリカの方が 成功したわけです。
なので 実際、日本の 2倍ぐらいですね、海外市場的には。
だから、日本でヒットしているより、ポケモンは 海外の方が、たくさん ヒットしてますから。」
岡田くん
「2兆円ぐらい、行ってるんですよね。」
石原さん
「海外はですね。 累計としては、そうですね。」
岡田くん
「海外は 2兆円で、日本は 1兆円ぐらいですよね。
すごいですよ。」
岡田くん
「こんなに売れてるコンテンツは、無いですよね。」
石原さん
「そうですね、たぶん・・・」
岡田くん
「他にありますか?」
石原さん
「日本より海外で いっぱい売れてるっていうのは、意外と少ないと思うんですね、
ソフトウエアとしては。」
岡田くん
「はい。」
石原さん
「まあ、任天堂のコンテンツは、比較的 そうなんです。 『マリオ』 や 『ゼルダ』 や。
任天堂 って、いまや、海外比率が 85パーセントぐらいなんですよね。
日本で 任天堂が、たくさん売れてる企業かと思ったら、
日本の比率 って、15パーセントぐらいしか ないんですよね。
だから、アメリカや ヨーロッパで、ものすごく たくさん、ソフトも ハードウエアも 売れてる と。」
岡田くん
「売れてる っていうことですね。」
石原さん
「で、ポケモンも、やはり 日本よりも、海外の方が たくさん売れてるということに なりましたね。」
岡田くん
「すごいですよね。 マリオ とかより、売れてるんですか。」
石原さん
「マリオ も、売れてます。 もちろん、海外の方が。
ただ、累計で、例えば、ロールプレイングゲームとして出て来ているソフトとしては、
一番 売れてると思います。」
岡田くん
「そうですよね。」
石原さん
「ギネス にも、載ってますから。」
岡田くん
「ピカチュウ は そうですよね。 だって、飛行機の・・・」
石原さん
「(笑)」
岡田くん
「飛行機にも描かれたり。
国際線にも、ピカチュウ 描かれてましたよね。」
石原さん
「描かれてました。」
岡田くん
「ていうことは “日本の顔” になってた っていうことじゃないですか。」
石原さん
「そうですね。」
岡田くん
「ピカチュウ が。」
石原さん
「はい。」
岡田くん
「そこまで育て上げる って、どういう感覚なんですか。
ものを、自分が携わって、プロデュースしていたものが、何兆円 なっちゃった、みたいなのって、
どういう戦略を立てれば、そうなって行くんだろう っていうか。
なんかこう、何一つ 間違わなかったんだろうな、って気がしてしまうんです。」
石原さん
「あー・・・」
岡田くん
「プロデューサー として。
そういう感じでも ないですか?」
石原さん
「そういう感じでも ないですね。
あの・・・まあ、半分は、ツイてたんでしょうね(笑)」
岡田くん
「何を 大事に、進めて行ってたんですか?」
石原さん
「うーん。 まあ、株式会社ポケモン ていうのを作ったのも、そうなんですけど、
98年ぐらいから、海外での展開が始まって、99年になると、もう、
日本では想像できないぐらい、アメリカや ヨーロッパで、ポケモンの ものすごいブーム。
“ポケフルー” とか 呼ばれてるぐらい キットがあったんですね。
そのときに、どんどん ライセンスして、いろんな 派生商品が、
ぬいぐるみから、コーヒーカップから 何から、あらゆるものが出来て、
もう、気が遠くなるほどの 数と種類が出まして、海賊版も、ものすごく出まして、
もう、コントロールできない といいますか、てのは、海賊版を取り締まろうにも、
どっちが海賊版で どっちが本物か、わかんない みたいなね。 ライセンスしておいて・・・」
岡田くん
「(笑)アジアの、ちょっと違うとこ行ったら、ものすごい ニセもんがあった(笑)
売られてたりとか。」
石原さん
「一目 見て、これは違う(笑)と思ってたら、意外と それ、
ちゃんと ライセンスしてるものだったりとか・・・」
岡田くん
「アハハハ! 手に負くなった ってこと・・・」
石原さん
「手に負えなくなって、それを 目の当たりにしたとき、あっ、これで たぶん、
こういうことやるから、ポケモン は もう、早晩 潰れてしまうだろう と思ったんですね。
やっぱり、ポケモンを しっかり、長く遊んでもらえる、いいコンテンツとして 保って行くためには、
やっぱり、ブランド マネージメントとか、あるいは もう、コントロール っていうものを、
かなり 強固にやらないと、ほんとに 早晩 潰れてしまう、って、
すごい 危機感が、そのとき ありまして、
それで その、株式会社ポケモン というものを設立した というのが、きっかけ なんですけどね。」
岡田くん
「じゃあ、なんか、ポケモンも、勝手に見て っていうか、イメージで見て思ったのが、
やっぱ、ディズニーランドが出来たときと、たぶんこう、
一緒のもの作れる って言ったら変ですけど。
“ポケモンランド” って あったら、なんか・・・作れちゃうじゃないですか。
世界の人達が、こういうキャラクター を愛して、
そういう 技術の進化があれば、そういうものも 作れてしまうし、
きっと なんか、そういうものが出来る っていう可能性のものを、
ご自身達が 作られて来たんだと思う・・・思ったんですよ。
ディズニー さんが、作った時みたいなので、やり方は ちょっと違うかもしれないけど、
同じような感じのものを作ってる こう、志が あるんだろうな って、勝手に思ってたんですけど、
そういう感じは、あるんですか。」
石原さん
「そうですねえ。 意外と、キャラクタービジネス をやってるつもりは無かったんですよ。
ゲームソフトを作り、ゲームの中で登場している 架空の生き物が、
一匹 一匹、すごく細かく設定されていて、
それの魅力を もっと伝えるために、映画があったり、
アニメの中で 、ピカチュウ が 『ピカ!』 っと鳴いたときに、
やっぱり、声優さん達の力も借りて、新しいクリエイティブが、そこに 足し算されたときに、
グッと こう、ポケモンの世界が 広がるなと思いまして、
そういうのが、1個 1個 広がって行った って言いますかね。
だから なにか、ものすごく綺麗な パースペクティブ というか、予定表があって、
そこに向かって、ステップを上がって行った っていうことではなくて、
意外と、その場 その場で(笑)次は これ、次は これ、みたいな(笑)」
岡田くん
「なんか、やっぱ こう、ピュア なんだな、っていう感じが・・・」
石原さん
「いやいや(笑)」
岡田くん
「いや、なんか、失礼なのかもしれないですけど、基本は 子供達のために、って、
ほんとに 心から思われてる感じがするんですよね。 そうでもないですか?」
石原さん
「うーん・・・といいますか、一応、ソフト開発とか、ポケモン ソフトは、常に こう、
子供達に 挑戦してる っていいますか・・・」
岡田くん
「はぁ・・・挑戦なんですね。」
石原さん
「なんていうんですかね、要するに、
自分達でも 同じソフトを、1年間やり続けたら 飽きますよね。
ポケモンを、面白いと言ってくれる子供もですね。
ポケモンは、おそらく 最大の見方は、子供達だと思うんですけど、
でも 一方で、子供達 って、すごく 移り気で、
ポケモンを やってたのに、次の日には もう、あれ 卒業した、とか言って、
V6 とか 嵐 に行っちゃうわけですよ。 アイドル達に、なんか、すごく憧れる時期もあるし。」
岡田くん
「まあ、コロコロ変わっちゃいますよね。」
石原さん
「変わって行きますよね。 その時に、ポケモンが やっぱり、
いや、こっちの方が面白い! とか、次 こういう世界で、こういう遊びの仕掛けを作ったので、
ぜひね、もう一回 ちょっと やってみてよ、っていうことを、いつも 思っていて、
そういう意味では、挑戦してる感じが 強いですね。
前より面白い何かを やらないと、見捨てられるかもしれないとかですね(笑)
そういう思いも、ありますし。」
(曲)
PET SHOP BOYS 『DID YOU SEE ME COMING?』
岡田くん
「日本の政府は、コンテンツ産業の輸出を 始めようとしていますけど、
いま、日本のゲーム、アニメとか、現在のことを、どう考えてらっしゃいますか。
ちょっと 広い面で。」
石原さん
「広い。」
岡田くん
「はい。」
石原さん
「そうですねえ。 日本の政府は、それほど その、アニメや ゲームについて、
たぶん、よくわかってないと思いますね。 だから まあ、コンテンツ産業 っていう言い方 って、
アニメやゲームは、経済産業省から見たら、コンテンツ産業ですけど、
文部科学省から見ると、メディア芸術 って 呼ばれますよね。
で、例えば、国土交通省というか、官公庁から見ると、たぶん その、人寄せパンダ的に 欲しいし、
まあ、外務省から見たら、国際交流の道具に なってほしい と。」
岡田くん
「いろんな視点が 出来ちゃうんですね。」
石原さん
「そういうのって やっぱり、バラバラで、たぶん 各省庁の都合で、
使いたいものを 自分の陣営に引き入れて、都合よく使う ってことは あるんですけど、
なにかこう、大きな 政策的なものって、無いような気がするんですよね。」
岡田くん
「うーん。 まだ 知らない、っていうことですか?」
石原さん
「知らない っていうか、うーん・・・そうかもしれないですね。」
岡田くん
「こうなったらいいのに、っていう 方向は あるんですか?」
石原さん
「だから いま、何にもしてると、僕は 思えないので、
もうちょっと 何かすればいいのに、っていう感じは ありますね。」
岡田くん
「言ってるだけで、してないですか。」
石原さん
「うーん。」
岡田くん
「あんまり そこら辺、よく わかんないですけど。
こう、でも、輸出産業として とかっていうのは、結構 言われるように なってるじゃないですか。」
石原さん
「そうですねえ。」
岡田くん
「アニメとか、ゲームとか っていうのは、やっぱこう、日本の こう、輸出のには、
大きくなって来てますから みたいなことは、国は 言うように なって来てるじゃないですか。」
石原さん
「だから、統計的な数字を見て、この分、伸びて来てるな っていうことを見ながら、
そこについて言及すると 評判が上がる っていうのは、あるような気がするんですけど。」
岡田くん
「(笑)なんも してくれてないですか、実際は。」
石原さん
「と 思いますよね。 我々の中では、感じることは もちろん無いですし、
なんていうんでしょう、でも、例えば、官公庁が その、なんでしたっけ、
日本観光大使 とかのグループとして、嵐 を起用して、戦略として動かしましたよね。
僕、あれは すごく 面白いな って言いますか、
ああいうことが出て来たのは、意外だった っていうか、あれ 聞いたときに、
日本のコンテンツ産業 って、ジャニーズ事務所か 吉本興業が、
ほぼ 全てなんじゃないか って思えるぐらい、動き方としてはね、と思ったんですよね。
だから、そのぐらい、まあ なんか、
次に向かってやろうとしてることは、ちょっと あるのかな と。
そういったことも、対アジア戦略的には、すごく 有効な気が するんですけど。」
岡田くん
「全世界となると、違うじゃないですか。」
石原さん
「観光立国ナビゲーター、嵐 のみなさんが、
対アジア戦略的には、すごく重要って、すごく正しいような気がして、
対 欧米的には、じゃあ、どういう戦略があるのか とか、もっと面白いことないの?
っていうことは、すごく ありますよね。
だから まあ、ポケモンは 比較的、海外に強いんで、むしろねえ、ポケモン プラス V6 とか。
まあ、そういうことは ちょっと、言い過ぎましたか?」
岡田くん
「(笑)」
石原さん
「まあ、そういうことじゃないんですけど(笑)
もうちょっと 別の足し算をしながら、盛り上げる施策とか、
考えてもいいんじゃなかな、っていう気はします。」
岡田くん
「いま、映画が 『幻影の覇者 ゾロアーク』 公開されていますけど、
これは、どういう思いで 作ったんですか。」
石原さん
「今度のですね、完全新作の ポケットモンスター の、ブラック アンド ホワイト シリーズ ですね。
そこに繋がる、非常に重要な、13作目の映画なんですけど。」
岡田くん
「そういう こう、展開を・・・」
石原さん
「(笑)」
岡田くん
「アハハハ! 上手い 展開を・・・」
石原さん
「あ、宣伝しちゃ・・・」
岡田くん
「(笑)いや、宣伝は いいです。
展開をね、また 次に繋がる。 これ見とかなきゃ ダメだよ、っていうことですよね。」
石原さん
「ポケモンて、基本的に、その “次に繋がる” を、すごく 大事にしていて、
昔 捕まえたポケモンを、次のゲームに連れて行ったり、
そういう 互換性が、すごく大事にしてますので、
先ほど、岡田さんが おっしゃった、メディアミックス の例で言っても、
僕の考える メディアミックス って、いろいろ メディアが掛け算されることだと思っているんで、
一番 典型的なのは、映画館で ポケモンをプレゼントする、っていうことを やってるんですけど。」
岡田くん
「それは、だって、他は やってなかったですよね、そういう・・・」
石原さん
「僕は、これが メディアミックス だと思っていて。」
岡田くん
「その付加価値 っていうのは、やっぱり、ポケモンが走りというか、すごかったですよね。」
石原さん
「そうですね、はい。」
岡田くん
「行ったら、貰えるぜ! みたいなのって、無かったじゃないですか。」
石原さん
「映画館に行って、そこで 活躍してる主人公ポケモンが、
自分のゲームの中に やって来て、自分のポケモン になる という体験て、
要するに、ゲーム っていうメディアと、映画 っていうメディア が、
掛け算されたとこで、爆発っていう。」
岡田くん
「上手い やり方・・・アハハハ!」
石原さん
「やっぱり、足し算じゃなくて・・・」
岡田くん
「掛け算ですね。」
石原さん
「そこは やっぱり、化学変化が起きて 爆発する っていうことが、
まあ、出来た っていうんですかね。 失敗したものは、たくさん あるんですけど、
出来たものは、相当 破壊力があった って思いますので、
今回の ゾロアーク でも、劇場に行くと、通常ゲームでは なかなか手に入らない、
セレビィ っていうポケモンが貰えたりとか、いたしますので(笑)」
岡田くん
「すごい 展開ですよね。 それを思いついたのは、すごいですよね。
劇場で貰える って、そういうシステムも、開発しなきゃいけないし。」
石原さん
「そうですね、はい。 やっぱり、映画館て、映画を観るところなので、
それの邪魔をしちゃ、絶対 ダメじゃないですか。」
岡田くん
「ダメだし、劇場にも 交渉しながら、やらなきゃいけない。」
石原さん
「だから、2年間ぐらい 実証実験をして、映画館を借り切って、そこで 配信の実験をして、
貰えない人ができたら、どういうクレームが出るか とか、
そういう お客さんに、どういう対応をしなくちゃいけないか とかいうのを、
全部 やらなくちゃいけないので、
3年目ですね、やっと ポケモンが配れることに なったのは。」
岡田くん
「それは、さすがですね。 ハハハ!
それは まあ・・・いま、ポケモン。 こんだけ 大きくなりましたけど、
ポケモンを通して、子供達に伝えたいこと って、ありますか。」
石原さん
「そうですね、やっぱり、僕らが挑戦しているので、ぜひ それをね、聞いてほしい。
新しい遊びを、常に 提案しているつもりなんですね。
なので、あんまり 伝えたいこと っていうよりは、自分達が こう、常に、
この遊び、これまで やったこと ないでしょう? っていうことを、
一個 一個 積み重ねて、提案しているつもりなので、それを こう、
ぜひ、提案を聞いてほしいとか、ちょっと 遊んでみてほしい とか いうところは すごくありますね。
だから、次のゲームを 次のゲームを、っていうことに なります。」
(曲)
SHERYL CROW 『SWEET CHILD O'MINE』
(対談が終わって、岡田くんの感想)
「さあ、ということで、石原恒和さんに、お話を お聞きしましたけども、
いやあ、ねえ、ピュア。 ピュア っつったら変ですけど、
ほんとに、子供達に挑戦してるんですよ、とかって言う 言葉 ってのは、
すごいなあ って思ったんですよねえ。
なんかこう、どっちかに行きそうじゃないですか。
ものを作ってるときって、やっぱり こう、自分の満足というか、
自分が ほんと面白いと思うものを作るんだ っていうタイプと、
ビジネスの側面で、ほんとに、コンテンツとして 売れるもの作るんだ っていうもんと、
そのバランスが、すごく いいんだろうなって、石原さんのことを見てて 思ったというか。
ほんとに、子供 好きだし、子供達をナメてない って言ったら、子供達は 怒るかもしんないですけど、
真っ直ぐ 向き合って こう、子供達にチャレンジしてて、
なんかこう、間違っちゃうと、こういうの作っときゃいいんでしょ? っていうのが、
こう、なんだろう、いま、もの作りで 多くなって行ってしまってるというか。
この世代を ターゲットだから、この世代が見るものは、こういうものでしょ? って こう、作って、
間違った作り方をしてしまうものが、いま、多くなって行ってしまってる気も するんですよね。
僕のいるところ っていうのは。
だけど、そうじゃなくて、ちゃんと チャレンジして、こう、やって行ってる っていうかね、
挑戦だよ! みたいな(笑)
子供達も、負けないぞ! っていうのに なってるんだろうし、
それは、すごく いいバランスで、
現場指揮とかね、プロデュースを されているんだろうな っていうのは、すごく 勉強にもなったし。
うーん、なんかこう、ポケモンでしょう? って言う人も、
ポケモン やって 学ばなきゃいけないとこが たくさんあるのかな、っていう気はしますね。
なんか、ポケモン やんなきゃ、って ちょっとね。
やってなかったから、ちょっと やろうかな、っていう気には。
やって、ちょっと 知りたいな、っていう気には なりましたね。」
(曲)
KIDDA 『SMILE』
(石原さんからの コメント)
「僕が 小さい頃 っていうと、40年、45年ぐらい前なわけですけれども(笑)
その頃、自分は やはり、自分の親とですね、
父親と一緒に、ゲームをする っていいますか、
親父ですので、将棋を教えてもらったりとか、囲碁を教えてもらったりとか、
そういう、二人で やりとりをする遊びが ものすごく好きで、
親父は もちろん、忙しかったんですけど、暇があったら、
将棋をしてくれ、碁をしてくれ って、せがんだんですね。
そういう、二人用ゲームの面白さ っていうのは、もちろん、コミュニケーション ですし、
勝った 負けたで、泣いたりもしますし、そういう遊び って、
いま 作っているゲームや、あるいは カードゲームや、そういったもんに、
すごく、影響を与えてると思います。
やはり、握手をし合う っていうか、自分が 一方的に伝えようとしても、
向こうが、伝えてもらおうと思ってないと、伝わらないわけですから、
相手のことと 自分のことが、同じように考えられて、
そして やっと、コミュニケーションが出来るんで、
やっぱり、仕組みだけ作っても、なかなか その辺が成立しない と。
だから やっぱり、ゲームとか エンターテイメントは、その両方を 同時に考える っていう、まあ、
アート なんじゃないかと思いますけどね、はい。」