2012年11月07日

総理の福島原発事故本ガイドブック@


菅直人著 「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」 (幻冬舎新書)を「日本のこれから」の指針となる教科書にすべきと考えます。唯一の被爆国である日本が、世界に衝撃と不安を与えてしまったことを省みて、二度と同じ惨事を引き起こさないようにするためと、東電福島原発事故から人類が得た貴重な教訓を世界各国に伝え、人類が正しく原子力と共存する平安な地球づくりに役立てるために、事故時の日本国のトップが記してくれた「歴史的証言本」を、教科書として位置付けなくてはならないと私は考えます。

しかしながら、この本を教科書として読んでも、十分に理解できない部分もあると考えます。事故時の総理大臣であり、現在も民主党の最高顧問として活躍している菅直人議員には、言えないこと、言ってはいけないことがあることは当たり前のことです。

今後、私はこの本の補完的な出版物を世に出せるよう出版社に働きかけていきたいと考えます。私の本名では出版はできなくされました。ペンネームか、「チーム・ハートウォーミング」というチーム名で出版できたらと考えています。

時期的には、311事故2周年以降の早い時期が適当と考えます。私はこれまでに2冊の本を出版し、あることに気付きました。大抵の本のあとがきには、「出版社の○○氏にお世話になった」という感謝の言葉が記されていますが、出版前は、本音ではなく、慣習なのだろうと決めつけていましたが、出版を経験し、本音で「お世話になった」と言えるほど、出版社の編集能力は高いのです。出版社の編集部の力を借りずに、知識という無形の知を、本という有形の知としてカタチにできる人もいるでしょうが、私にはとてもできるものではありません。例えれば、料理人のような人たちです。知財という素材を見極め、集め、加工し、見事な一品に仕上げるのですから。

さて、補完本的な出版物の位置付けは、私も含め多くの日本人がお世話になった「教科書ガイド」そのものです。私の主張を記すのではなく、教科書である菅直人議員の「東電 福島原発事故総理大臣として考えたこと」を噛み砕いて、理解を高めてもらうことだけが「狙い」です。ターゲットは「地球市民」です。機械に弱い方や、原子力と聞いただけで頭脳活動がオフしてしまう方にも理解できるよう、文字は少なく、日本だけで通用するような専門用語も使わず、誰もが大好きな「たまご焼き」のような、万人に受け入れられる一品に仕上げたいと考えます。

ウィキペディアより
教科書ガイド
<引用開始>
教科書ガイド(きょうかしょガイド)とは、学校の教科用図書(教科書)について詳細な説明が掲載されている補完本のことである。あんちょこ、虎の巻とも呼称される。
概要
学校の授業のみでは十分な理解を得られなかった児童や、部活で忙しい生徒にとって効率良く予習や試験対策をするのに便利な書籍として使用されている
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89

本題に入ります。

「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」
<引用開始>
内容(「BOOK」データベースより)
3月11日14時46分。地震発生後、著者は官邸地下の危機管理センターへ直行した。被災者救助に各方面が動き出す中、「福島第一原発、冷却機能停止」の報せが届く。その後、事故は拡大の一途をたどった。―このままでは国が崩壊する。いつしか著者は、原子炉すべてが制御不能に陥り、首都圏を含む東日本の数千万人が避難する最悪の事態をシミュレーションしていた…。原発の有事に対応できない法制度、日本の構造的な諸問題が表面化する中、首相として何をどう決断したか。最高責任者の苦悩と覚悟を綴った歴史的証言。
<引用終了>

http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E9%9B%BB%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85-%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%8F%85-%E7%9B%B4%E4%BA%BA/dp/4344982843/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1352269050&sr=1-1

◇歴史的証言とは何か
「原発の有事に対応できない法制度、日本の構造的な諸問題が表面化」、この一文を、歴史的原発災害を引き起こした「考え方の出発点」にしなくてはなりません。そうでないと、全体像が見えてこないからです。

日本国の最高責任者の総理大臣が、「有事に対応できない法制度、日本の構造的な諸問題」が存在することを認めたのです。菅直人議員は、「総理としての力不足、準備不足を痛感した」と発言しています。これはどういう意味でしょうか。

その意味は、総理大臣が誰であっても、「総理としての力不足、準備不足を痛感した」と発言しているのです。国家の非常事態時に、総理大臣をトップとする「理にかなった、実践的な組織活動」で、「取り返しのつかないこと」を喰いとめる力がこの国には足りなかった、非常事態への準備もできていなかった、と菅直人議員は認めているのです。

世界に向けて「日本の法制度、構造的問題」が、東電福島原発事故の「根っこ」であると、証言しているのです。

◇構造的な諸問題とは
「構造」とは、仕組みのことです。自動販売機に例えます。「お金を入れて、商品を選択すれば、商品を手にすることができる」仕組みになっていますが、機械の中身は外からでは見えません。それが「構造」というものです。

小泉政権時代に、「構造改革なくして、景気回復なし」、「聖域なき構造改革」というスローガンが掲げられましたが、国民生活に良い影響を与えたものはありません。「構造」はstructure ストラクチャーであり「構造改革」はリストラクチャリングですが、日本では「リストラ」という「首切り」に曲解されました。正社員を退職させ、安価な労働者に置き換える企業が続出しました。その結果が今日の日本の姿です。

日本特有の「構造的な諸問題」に関しては、この本の中身を分析し少しずつ書き足していきます。


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2012年11月06日

万里の長城遭難事故を報じるマスコミを一喝する


11月4日の産経新聞の記事から

「井戸掘った人を忘れぬ」ではない 中国は「2人で井戸をのぞけぬ」怖い国

<引用開始>
新渡戸の言葉は、斯くも歪んだ中国の国柄を語り切っている。曰く−
 《彼らの精神構造には、自分の責任を免れるために、他人や世間をなじるという習性があり、自分に関係のない原因や他者に責任をおしつけてしまう》
 実際、中国外務省は、官製暴動における日系企業の甚大な被害の「責任は日本が負うべき」、日本を畏怖させるべく行った東シナ海での中国海軍・国家海洋局による合同訓練には「中日対立エスカレートの責任は全て日本側にある」、日中国交40年記念式典中止にも「全ての責任は日本側にある」と述べた。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121104/chn12110411260001-n1.htm

今日の朝刊では、朝日、毎日、読売各紙がトップで万里の長城での遭難事故を報じているが、あまりの「無知害」報道に公憤の念を禁じ得ない。

論調は「旅行会社、下見せず(朝日新聞の見出し)」に集約されている。残念ながら「愚か」としか表現できない。

問題の核心に迫る前に、私の事故解析の正しさを認めていただきたく、旅行会社時代の経験を記すことにする。

1972年に日中国交正常化がなされ、1978年に福田赳夫内閣時に日中平和友好条約が調印された。私が旅行会社に入社した前年のことであったこと、旅行会社がヨーロッパツアー中心であったことから、私は、いつごろから中国の団体ツアーが解禁されたのかの知識はない。

さらに、私はエジプトツアーの添乗が「専門」であった関係から、在籍会社が中国ツアーを催行するようになってからも、添乗の声はかからなかった。それでも、添乗員が足りなかったのか、桂林の漓江下りツアーは二回添乗させてもらった。片道22時間を要するエジプトツアーと比べ、添乗員としては特にすることもなく、楽なツアーであったと記憶している。

1982年の6月のことだったと記憶しているが、そんな私に会社から指令が下った。「桂林・昆明の旅8日間」を添乗せよという指令だった。

このツアーには、致命的な瑕疵(問題)が隠されていた。桂林・昆明間のエアー(団体航空券)が取れていなかったのである。当時は旅行会社間でこの区間のエアーの取り合いが行われていた。私が、エジプトの航空会社などに高級ウイスキーを贈ったように、私の知りえぬところでライバル会社により何らかの工作が行われていた可能性もある。会社は努力したがこのツアーだけはどうにもならなかったようだ。

桂林・昆明間の国内線は1時間30分程度であるが、私が添乗を命じられたツアーは、移動に寝台列車で33時間かけなくてはいけない「想定外」のツアーであった。

なぜ、私だったのか。考えられることは、一つ間違えば大クレームツアーになり、「訴えられる」可能性もあり、先輩のベテラン添乗員は誰も引き受けなかったのかもしれない。その上で、若く、本社でなく支店に勤務するエジプトツアーで好成績をあげている私にお鉢が回って来たのかもしれない。(帰国便内では、ツアーに関するアンケートに記入してもらい、会社に報告することが義務付けられていた。私の添乗員としての評価は高かった)

私は意を決してツアーに臨んだ。成田空港でのあいさつとツアー説明の内容には「中国観光は発展途上であり、現地での突然の変更に関しては、日本の旅行会社は各社苦心している」という文言を盛り込んだ。

今から30年以上前の出来事である。私はツアー客をだましたという誹りを受けるかもしれないが、募集の段階からだます企画ではなかったことだけは理解していただきたい。

私は、ツアー最大の「顧客の満足感を満たす現地ツアー」である、桂林の漓江下りを終えた日の夕食後に、ホテルの客室を回り、33時間の列車移動になる旨を個別に説明した。ツアー客を一堂に集めての説明では、集団心理が働き、取り返しのつかない状況に発展することを考えてのことであった。

幸いなことに、このツアーのお客は穏健な方が多かった。一番手厳しいのは、今でいう「アラフォー(40歳あたり)」の未婚女性だが、このツアーには見受けられなかったように記憶している。

33時間の列車の旅は始まった。日本の寝台車を思い浮かべて欲しいが、食堂車両はレベルは低くなかった。温かい中華料理を食することができた。
さらに、である。昆明は標高1900メートルの高地にある。市役所のある日本の都市で一番標高が高いのは、長野県茅野市の801メートルである。平坦な地域の車窓もあったが、私の記憶にはまさに「高山列車の旅」として残っている。ツアー客の中には「こんなツアーはなかなか経験できない」という高齢の旅人もいらした。実際に、30年後の今日、桂林・昆明間を列車で移動する旅が人気のようである。それほど、風光明美の列車の旅であったと言える。

8日間のツアーは無事終了した。大きなクレームも発生しなかった。私は、そのことを成田空港から会社に電話で報告した。「本当に御苦労さま」という言葉を頂戴した。その後、横浜浅間下のアパートに帰宅した。

帰宅した途端に「倒れた」。失敗は許されないという極度の緊張感というストレスが、私の肉体と精神を一時的に蝕んだのだろう。私は、物心ついてから今日まで、39度超えの発熱の経験は一度しかない。この時だけである。

そして、私がツアー後に「倒れた」情報は、当時横浜支社の同僚であった現在の妻に伝わった。彼女は懸命に介抱してくれた。

私が声を大にして言いたいことは、エレベーター事故の問題然り、原発事故問題然り、津波逃げ遅れ問題然り、当事者、専門家でない、いわゆる「外野」の人間には、本質を理解することは不可能であるということである。つまり「餅は餅屋」に任せるべきであるということである。

前置きが長くなったが、前述した「旅行会社、下見せず(朝日新聞の見出し)」を一面報道する愚を簡単に解説したい。
当時、支店勤務であり、私の得た情報は濃いと自負している。退職前に「旅行業主任者」の試験も受けたが、国鉄の運賃計算以外はすべて合格点が与えられている。

こんな記事も見受けられる。

読売新聞、記事盗用で謝罪 スポーツコラム巡り中国新聞に
http://www.j-cast.com/2009/05/23041749.html

私は、複数の新聞社の記者がこのブログを読んでいると考えている。現在は私の知的財産を無料で公開しているが、私が精神障害から解放され、社会復帰する際には私が有する知的財産を有料化しなくては生活が成り立たない。社会復帰もできない。

そのことを踏まえて、以下記す確信ある主張を読んでいただきたい。

結論は、矢面に立たされた日本の旅行会社「アミューズトラベル」に非はないと私は断言したい。つまり、私も被った「冤罪報道」にさらされているのである。

理由は簡単、旅行業界の常識として「下見」などしないのである。もちろん「下見」と称した接待は横行しているだろうが、これは営業の範囲内であり不正ではない。

物事は単純化すると理解しやすい。その出発点は、世界有数の観光地を訪れる旅に「下見」が必要か否か、である。

例えば、真冬のナイアガラの滝を訪れるツアー、灼熱の古代エジプト文明の遺跡を巡るツアーなどである。

もう一つ、これが日本で起きたらという視点が必要である。南の国の人々が「雪と氷の祭典」を見学に来たとしよう。インバウンド(現地受け入れ旅行社)が、例えば、「はとバス」のような一流の会社であったら、下見を必要とさせるであろうか、訪問先の気象状況を把握せずに、ツアー客を凍死させることなど考えられるだろうか。

私は旅行業の実学を学んだ人間である。中国人添乗員(現地添乗員とは報道されていない、中国国籍で日本の就労ビザを取得している者かもしれない)と現地ガイドという二名の中国人がこの事故に関係していることは判っている。

しかし、である。日本にインバウンド会社が存在するように、中国にも存在するのは当たり前の事実である。今回の事故は北京に比較的近い地域で起きた。仮に、成田と北京を日本の航空会社で結んだとしても、北京からトレッキングのスタートまでのバス輸送やホテルの手配などを手掛けるのは、中国のインバウンド会社である。彼らは、それらをパッケージ化して販売することをビジネスとして生活しているのである。

日本を起点として考えた場合、日本の旅行会社と、現地のインバウンド会社の信頼関係でツアーは催行されているのである。

1997年11月7日に発生したイスラム過激派による観光客襲撃事件では、日本人10が死亡したが、その際のインバウンド会社は、バヒートラベルと言い、まさに私の友人とも呼べるエジプト人が独立して起こした会社であった。私は、社長のバヒー氏の誠実ぶりをよく知っている。この事件の際にも頻繁にバヒー氏が登場したが、社長が最前線で誠実な指揮をしたものと考える。

今、事故を起こした中国のインバウンド会社は、ひっそりと息をひそめているに違いない。私はそう確信する。

もう一度、新渡戸稲造の中国人観を示す。クリスチャンの氏が、これほど厳しい言葉を発していることを私は知らなかった。

《彼らの精神構造には、自分の責任を免れるために、他人や世間をなじるという習性があり、自分に関係のない原因や他者に責任をおしつけてしまう》

読売新聞の記者が自分たちを自らほめたたえる、つまり、自分たちに「酔っ払っている」ように、中国人も、成長した経済大国に暮らす自分たちに「酔っ払っている」のである。

表題の件、「万里の長城遭難事故を報じるマスコミを一喝する」の意味をご理解いただけたと思う。それでも、理解できないであろうマスコミ人に伝えたい言葉ある。聖書に何回も記されたイエス・キリスト言葉である。

「あなた方は、まだわからないのですか」
posted by S・C・ NAKAMURA at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

アメリカよ、自らの足元を見てみろ

個人の問題として、「自分のことができないのに・・・」という考え方を私は嫌います。「ぼろは着てても 心は錦 どんな花より きれいだぜ♪」という水前寺清子さんの歌がありました。キリスト教の精神である「Do for others」につながります。

個人は、個人の生き方で良いとは思いますが、国民の生命と財産を守る立場の政府は違います。「自国の国民も守れないのに・・・」と言わざるを得ません。

米、サンディで死者110人に 260万戸で停電続く
<引用開始>
 米国の死者の死因は、倒木によるものや溺死、低体温症など。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012110401001142.html

五十嵐文彦前財務副大臣のブログから

水害想定の大本営発表
2010.04.05 Monday

<引用開始>
4月2日付けで発表された中央防災会議大規模水害対策に関する専門調査会報告について、私から「堤防決壊や台風による高潮被害は、逃げる暇なく突発するわけではなく、避難の余裕がかなりあるはずで、被害想定(利根川決壊で死者6300人)は過大ではないか。八ッ場ダム建設の後押しをしているのではないか」と質しました。避難率ゼロ%というありえない想定の数字を発表し、センセーショナルに報道させることは不自然です。官僚からは「専門家のシミュレーションなので」という言い訳がありましたが、往々にして学者と言われる人たちは官庁に迎合した数字を出してくるので、よく精査してみたいと考えます。
<引用終了>
http://blog.garachan.com/?search=%BF%E5%B3%B2

基になる情報は、私が提供したものです。

福島の原発事故も、直接の事故原因は全電源喪失によるものです。中央防災会議では、以下のように警告しています。

中央防災会議:利根・荒川決壊想定、121万世帯で停電−−ライフライン被害
<引用開始>
中央防災会議の専門調査会は2日、利根川や荒川の決壊による大規模水害の対策に関する報告書をまとめた。
被害想定によると、荒川の決壊では最悪の場合、首都圏で約121万世帯が停電し、携帯電話約93万台が不通になるなどライフラインが甚大な被害を受け、復旧に数カ月以上かかる恐れがある。ライフライン事業者は大規模な河川の決壊を想定しておらず、報告書は設備の防水対策強化や供給ルートの多重化などを提言した。
<引用終了>
毎日新聞 2010年 4月2日

今回のアメリカの被害から類推し、日本の水害災害をいかに防止するかを考えていきたいと思います。

東京新聞の記事から、アメリカの大都市で起きた災害(風速38メートルクラスの熱帯低気圧の襲来による被害)の死者は、倒木、溺死、凍死ということが分かります。土砂災害による被災があったのかはまだ分かりません。

オハイオ州を大雪が襲ったという記事も見受けられますが、全貌はわかりません。ニューヨーク市の地下鉄は止まり、今も、260万戸で停電が続いています。エレベーターが動かない高層アパートに暮らす人の生活は保たれているのでしょうか。気になります。

停電は、あと1週間近く続くという報道もなされていますが、日本のライフインフラの復旧は数カ月かかるという、自民公明政権時代に提出された中央防災会議の報告をどのように考えるべきなのでしょうか。

表題の件、私はアメリカ国民がこれほどまでに災害に無関心であったことに驚いています。私は、冬のニューヨークや秋のオハイオを旅したことがありますが、日本で考える以上に寒いと言えます。(ちなみにニューヨーク市の緯度は、青森県あたりと同じです)

寒さの慣れているはずの地域でなぜ凍死者が出るのかが私には、とても理解できません。まさに、福島の原発事故のように災害に備えていなかったと断じざるをえません。つまり「平和ボケ」です。

翻って、冒頭の五十嵐文彦議員の指摘のように、今回の「サンディ」襲来の被害状況と復旧状況を受け、6,300が死亡すると報告した件をどうとらえるべきなのか、正直、頭が混乱してきます。

少なくとも、民主党政権には、津波災害を甘く見た原子力発電所事故と、アメリカを襲った「サンディ」の被害を、議員自らが検証し、「中央防災会議」の報告はデタラメであることを国民に示して欲しいと思います。

多くの尊い命が奪われた大川小学校の避難の問題も、「中央防災会議」のような機関では解明不可能です。

最後に、表題の件についてもう一言。

アメリカよ、自国の国民も守れないのに、「世界の警察官」を名乗るな。日本の官僚よ、日本の防災に無関心であるのに、世界に向かって「日本は援助国家」などと声高に叫ぶな。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エレベーター挟まれ死亡事故と原発事故の関連性C


読者の方にとっては、この話題は面白くないと思う。それでも書かなければならない。なぜなら、私以外にこのテーマでブログを書いている人を知らないからである。

何はともかく、問題解決へ向けての「出発点」が大切である。2006年のエレベーター死亡事故時のように、関係者が「出口」を設定し、「出発点」をフォーカスさせなかったことにより、私もたぶらかされた反省があるからである。

本日の朝日新聞の記事より

シンドラー本社を家宅捜索 金沢・エレベーター死亡事故
<引用開始>
 県警は近く、専門家に立ち会いを求め、マネキンを使って事故機を動かす再現実験や、機械の分解などの現場検証をする。また事故機を利用した業者やホテル従業員など数百人に、過去のトラブルの有無などを聴く方針。
<引用終了>
http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK201211050012.html

素人はだませても、もうプロはだませない。2006年の事故調査との比較ができるからである。

この記事から何が読み取れるか。簡単なことである。何が何でも、「メカ」ではなく信号、制御の問題を「出発点」、「出口」にしたいということである。

2006年の事故後には、事故機をつかった再現実験は行われなかった。シンドラーエレベーター社の静岡の工場で翌年の3月にブレーキに黒い粉が残った理由を追求する、形だけの実験は行われている。

今回は、現場の事故機でマネキンを使って再現実験をするという。関係者の「狙い」は、あくまでも「メカ」ではなく、事故機個体のソフトウエアの問題であると、強く印象づけることにある。そうすることにより、日本のエレベーター業界が管理する不具合エレベーター(70万台の90%と報道された)の改修問題が回避することができるからである。

パソコン使用者なら、誰でも一度はパソコンが「バグった」経験があるだろう。パソコンが「ロック状態」に陥るなどである。その解決法もご存知だろう。電源を切り、再立ち上げすることにより、問題は解決されることが多い。

エレベーターも同じであると考えられる。「メカ」や整備上の重大問題が無ければ、プログラムは再立ち上げによりリセットされてしまう。コンピュータに、事故時のデータが残っていなければ、この事故を「何らかの異常による誤作動」と結論付けることができ、事故を「迷宮化」することができてしまうのである。

何回も書くが、事故機には生き先階をインプットしていないのである。そして暴走したのである。言ってみれば、炊飯ジャーや洗濯機がスイッチを押していないのにもかかわらず、動き出したのと同じことである。

事故後、シンドラー社は「考えられない」とコメントした。私も現在では同感である。2006年の事故時にも、シンドラー社は事故機の中核をなす部分を押収されている。今回も同じである。メーカーが見れば事故原因は一目瞭然となるが、日本の警察はそれを許さない。極めて不自然である。

アメリカのディズニーランドのビックサンダー・マウンテンで死亡事故が起きたことがある。警察は、ビックサンダー・マウンテンの事故原因の中核をなす部分を押収したのであろうか。するはずがないのである。

私はこれまでに何回もエレベーター事故に関してブログに記している。

<転用開始>

報道より

清瀬エレベーター解体中『ドン』 作業員2人死亡 清瀬
2010年1月9日 朝刊
 八日午前十一時四十分ごろ、東京都清瀬市元町一の清瀬市民センターの改修工事現場でエレベーター解体中だった作業員二人が、全身を負傷した状態で倒れて死亡しているのを、通報で駆けつけた消防隊員が見つけた。
 警視庁東村山署によると、二人は作業を請け負っていた会社の社長の中河政信さん(45)=埼玉県戸田市上戸田四=と社員の佐藤一幸さん(29)=同市笹目七。
 同署の調べでは、近くにいた別の作業員が「ドン」という音を聞き、一一九番通報。二人はエレベーターの天井の上で倒れていたが上半身はエレベーターと壁の間に挟まれるような状態だった。
 二人は一階に停止させたエレベーター上でかごをつり下げるワイヤの切断作業に当たっていたという。近くに重さ約一・三トンの重りが落下していた。重りとかごは、上部に設置された滑車を通じて四本のワイヤで結ばれていた。
 同署は、二人が重りを固定しないでワイヤを切断したため、重りが落下して死亡した可能性があるとみて調べている。業務上過失致死の疑いで九日にも現場検証する。
 同センターは地上四階地下一階建て。老朽化のため総工費約十一億円で改修工事中だった。エレベーター解体の作業は八日に始まったばかりだった。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010010902000054.html

まるで、作業員がワイヤを切れば重りが落ちることを知らなかったような報道ぶりです。当然、エレベーターの構造を知っている者が作業していたのでしょうから、この報道内容に私は納得できません。

本日(9日)東村山警察署に出向き、事実関係を確認しようと試みましたが、「業務上過失致死」の疑いで裁判になる可能性があるとの理由で、何も教えてもらえませんでした。

これは、変です。過去の遊具や鉄道事故では、事実関係は明かされてきました。過去の事故で明かされてきた事実はこういうことです。

1、(エレベーターが動く)「仕組み」はこうなっている。
2、作業員が「仕組み」のこの部分をこうした。(ワイヤを切断した?)
3、その結果、「仕組み」が破壊されこういう現象が発生した。(かごが落下した?)

エレベーターは滑車と同じで、重りとかごの重量バランスをモーターで調整しています。この単純な3つの事実関係をも警察が明らかにしないのは異常です。ディズニーランドで事故が起きた場合、「裁判の関係で・・・」などという理由で事故の原因を明らかにされないということが許されるとは、マスコミを含め誰一人思わないでしょう。
<転用終了>
2012年09月12日
エレベーター事故追跡記録
http://dream333.seesaa.net/article/292165310.html

「エレベーター事故」の一報が流れた途端に、エレベーター業界御用達の秘密警察が動き出すような不気味さを感じるのは私だけでしょうか。

巨悪を追求していた民主党の石井鉱基議員は、誰かに依頼され刺殺されました。日本は怖い国になってしまいました。くわばら、くわばら

石井鉱基事件
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E7%9F%B3%E4%BA%95%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6&gbv=2&oq=%E7%9F%B3%E4%BA%95%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%8D&gs_l=heirloom-hp.1.5.0i10j0i4i37j0j0i4i37j0l2j0i4i37j0i5i4i37.1761.14123.0.21962.19.15.3.0.0.1.433.2805.1j10j2j1j1.15.0...0.0...1c.1j4.e59C9jjVC9E
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2012年11月04日

民主党に伝えなくてはならないこと@


読売新聞の記者を追いだした記者会見(もちろん、フリーランスの記者大歓迎)で、私はこのように問うてみたい。

「記者の皆さん、皆さんの中で、東京ディズニーランドでエレベーター死亡事故が起きた場合、事故後6年間も真相が解明されないことを許す人はいますか。いたら、手を挙げてください」と。

ずいぶん前に、ショーベース(2000)という野外舞台の客席天井の照明が破裂した事件(けが人も発生しないオカーランス)があったが、それだけのことで新聞は報道した。パナソニックの照明であり、設置も専門業者が行っており、オリエンタルランドやディズニー社の瑕疵は考えられないのにも、である。

何が言いたいか、日本のメディアシステムは、硬直化し、柔軟性に欠け、狡猾な官僚システムの「手のひらの上」にあるということを、言いたいのである。

ベストセラーになった藤原正彦著「国家の品格」にも、「マスコミが第一権力になっている」と書かれているが、そのマスコミに情報を提供しているのは官僚システムや警察である。

菅直人前首相は「官僚はバカである」と発言した。その通りであると私も考える。その官僚の手先になっているかのように新聞社を中心とした多くのマスコミは、官僚の思惑が巧みに組み入れられた情報を垂れ流す。情報を噛み砕くことなく、記事にする。

東京新聞の報道(共同)である。

エレベーターは一定の速度で上昇 事故目撃の同僚が説明
2012年11月3日 20時21分
<引用開始>
金沢市の「アパホテル金沢駅前」で清掃会社のパート従業員がシンドラーエレベータ製のエレベーターに挟まれ死亡した事故で、現場に居合わせた同僚が「エレベーターのかごは、扉が開いた状態で一定のゆっくりした速度で上昇していた」と状況を説明していることが3日、石川県警への取材で分かった。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012110301001749.html

素人はだませても、プロをだますことはできない。「一定」の速度とはどういう意味か。考えてみてほしい。

たとえば、ビックサンダー・マウンテンのブレーキには、ブレーキが「一定(規定値の範囲)」の時間で開かないと、コンピュータに情報が伝わるセンサーシステムが備わっている。A地点からB地点までの通過時間をゼロ、コンマのレベルで計測している。そして、それらすべての数値はコンピュータに保存され、必要があればプリントアウトされる。

安全管理において、規定値が明確ではない「一定」の速度など、まったく意味を持たない。被害者の同僚の方も、「普段のスピード」という感覚的な経験値に照らしあわせ、「すごい勢いで上昇したのか」という設問に対し「いつもと変わらなかった」と答えたのであろう。それを、警察は「一定」の速度という情報に加工してリークする。

表題の「民主党に伝えなくてはならないこと」との関連性に関し説明する。一言でいえば「この国の表舞台には、真の運営技術者、管理監督者(スーパーバイザー)がいないということである。運輸行政に必要不可欠な「実学」を現場で学んだ専門家がいないのである。(いても、組織の外にはじき出されたのであろう)

その結果、何が起きたか。「慣れ合い行政」である。政官業の癒着による「手ごころ行政」である。冒頭の私の質問を思い出してほしい。東京ディズニーランドには厳しく、「お仲間」のエレベーター業界には「手ごころ」を加える慣行を長期自民党政権は築き上げてきたのである。

肝心なことなので繰り返すが、この「慣れ合い行政」、「手ごころ行政」国家日本を築き上げたのは自民党長期政権であることは、疑う余地がないことである。その悪しき結果が死亡者を生み出したエレベーター事故なのである。

民主党の政策進捗報告会開催は、誰の提案か知らないがタイミングも良い。忌憚のない、自由闊達な討論を期待したい。

民主党政策進捗報告会
http://minshu2012.jp/

さて、私はこの報告会と合わせて、民主党が必ずやらなくてはいけないことがあると考える。次期衆院選までに、「できなかったこと」が、なぜできなかったのかを明確にすべきであるという、いわば「1丁目1番地」にあたる説明責任である。

その答えは判明している。前述したように「業界と癒着した官僚は国家運営の技術者ではなかった」、「メディアシステムの立て直しができず、相変わらずのレッテル貼り報道で、二内閣(鳩山、菅内閣)が退陣させられた」、「小沢一郎元代表を排除しようとする勢力が、党の政策調査会を復活させるなど見識が著しく低い議員が、組織を混乱させた」などであるが、これらの「本音」を、選挙をいつか迎える国会議員が発言できる訳がない。マスメディアは「他人のせいにするな」という、猛攻撃を仕掛けてくるに違いないからである。

ではどうするか。いくつかの手はある。上記報告会や、議員の地元での国政報告会などを通じ、賢明なファシリテーターを用い、「なぜできなかったのか」という問いへの公正な結論を導き出すのである。

もう一つの方法は、私は評価できない議員であるが「黄門様」と呼ばれた渡部恒三議員のように、今季限りで引退する議員に、その役目を託すのである。

他にも方法があるかもしれない。あらゆる手を使って「長期自民党時代に築き上げられた悪しきシステムの中で、議員は努力したが、とても、この3年間では十分な成果はあげられなかった。それでも、議員は与党議員として、政府の一員として、野党時代とは比べ物にならない程の知恵を体得した。この経験から二期目の4年間では、国民の目に見える成果をあげられることを宣言したい」という、「ビフォー(政権交代前)」「アフター(政権交代後)」そして「ネクスト(次の民主党政権)」を民主党議員や、地方組織が共有し、有権者に発信すべきある。

たとえ、次期衆院選で過半数を失っても、政権与党議員として活躍した議員が、選挙後の内閣を「正しい方向」に導いていくことは十分可能であると考える。民主党議員の良い面での「開き直り」に期待したい。

最後に、菅直人前首相の新書「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」は、倉庫にも在庫が無いようである。注文後10日から2週間ほどかかるようである。喜ばしいことである。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

エレベーター挟まれ死亡事故と原発事故の関連性B

私が予想した通りの展開になりそうである。

EV死亡事故 制御回路の不具合で誤作動か
日本テレビ系(NNN) 11月3日(土)13時8分配信
<引用開始>
 石川・金沢市の「アパホテル」金沢駅前で、上昇したエレベーターに女性が挟まれ死亡した事故で、「制御回路の不具合」で、巻き上げ機やブレーキが誤作動した可能性があることがわかった。
<引用終了>
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20121103-00000016-nnn-soci

一昨日の記事で、2006年の死亡事故被害者の遺族が記した貴重なPDF資料を紹介した。

http://www.caa.go.jp/safety/pdf/100820kentoukai_4.pdf

この中に注目すべきデータが示されている。
<引用開始>
2006 年4 月 八王子で戸開走行(シンドラー社)
2006 年6 月 浦安で戸開走行(シンドラー社)
2006 年6 月3 日 「港区シンドラー社製エレベーター戸開走行死亡事故」
2006 年6 月 浦安で戸開走行(シンドラー社)
2008 年12 月 京都府内 戸開走行骨盤骨折(東芝)
2009 年9 月28 日 日本 二重ブレーキ・設置義務法制化
<引用終了>

2006年のシンドラーエレベーター事故後に、東芝のエレベーターでも人身事故が発生しているという事実である。そして、翌年に二重ブレーキの設置義務が法制化されているのである。税金による補助金も支払われている。

私は、今回の事故発生報道を受け「真っ青」になったのは、日本のエレベーター業界や国土交通省の幹部であると直感した。今回の事故機は日本のメーカー製ではないが、日本のメーカー製でも、同様な事故が起きることが証明されてしまったからである。

それは、野放しにされている70万台の不安全エレベーターに対する利用者(もちろん日本人だけではない)の恐怖心増幅につながるとともに、膨大な改修費用拠出につながる恐れがあるからである。

今、「真っ青」になった関係者は、シンドラーエレベーター社をスケープゴートにして、なんとか逃げ切りを図りたいと考えているに違いない。

六本木ヒルズ回転扉死亡事故が発生した後に責任の所在に関して論争になり、私も参加したが、「火消し」のプロ集団が森ビルに雇われたようで、追及力及ばず故森稔社長は起訴もされなかった。

<引用開始>
>森ビルは事後に、森社長の肝いりで、失敗学で有名な畑中(村)洋太郎氏を中心に安全チームをつくり、安全のための会合に場所を提供するなどの活動を行っています。

>チームのメンバーの顔ぶれを見ると、過去に事故を起こした企業で 「 火消し役 」 で貢献した人物が多く含まれています。

巷のリスクアナリスト様のこの情報には驚嘆しました。 まさに点と点が線で結ばれたという思いです。 事故後のヤフーの掲示板では森ビル擁護派と呼ばれた人達が異常な理論を展開していました。 畑中(村)教授の持論も登場しています。
<引用終了>
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0801/080123-14.html

森ビル「六本木ヒルズ」上棟記念パーティーに出席した閣僚
<引用開始>
4月8日に都内で開かれた森ビルの六本木ヒルズ上棟記念パーティーには、正直、度肝を抜かされた。前日上棟式を行った54階建て事務所棟Aの40階で開かれたパーティーには、小泉純一郎首相を始め、平沼赳夫経済産業相、竹中平蔵経済財政担当相、石原伸晃行政改革担当相など大物閣僚がズラリと揃った。ほかにも森喜朗前首相、綿貫民輔衆院議長、野田毅保守党党首、藤井祐久自由党幹事長、中川秀直前IT担当相、佐藤静雄国土交通副大臣など大物政治家が顔を揃えた。
会場は整備されているとはいえ、工事中の現場にこれだけ国政を司る面々が出席し、改めて森稔社長の政界への影響力を見せつけた。
<引用終了>
http://www5e.biglobe.ne.jp/~conspire/asyura_roppongi_hills.html

森氏は、民主党政権になり廃止された「総合規制改革会議」の委員として直接自公政権に物申してきた人間であり、「一人の人間の命」より森氏を守ることを、周囲の人々は重要視したに違いない。組織とは、実に怖い側面を持っているものである。

このように、長期に渡った自民党政権が築き上げてきた「政官業」の癒着は、見事に日本国民に「目隠し」をさせることに成功してきた。今や、マスメディアが「こうだ」と報道すれば、疑うことなく「パクッと」呑みこんでしまう、疑わない(考えない)国民が大多数になってしまったのである。

エレベーター事故の件に話を戻す。2006年の事故被害者遺族の資料から

<引用開始>
4.“トラブル、不具合など事故情報を引き継いでいなかった”
シンドラー社、日本電力サービス社、SEC社、港区、港区住宅公社が、1つ1つの不具合、トラブル、事故等に危機意識をもって対応し、情報を共有、引き継ぎ、事故原因究明と再発防止策をとってさえいたなら、未然に事故を防ぐことができたはずです。
シンドラー社のケン・スミス社長は、平成18 年6 月12 日の会見で、系列外の管理会社2 社(日本電力サービス社、SEC社)への情報提供がなかったことについて「業界ではそれが通常のやり方だが、そういう要求があるまでなにもしなかったのは落ち度だった」と非を認めました。(読売新聞2006 年6 月14 日朝刊)
<引用終了>

シンドラー社から言質(言葉による証拠)を取ったと読売新聞は報道しているが、疑ってかからなくてはならない。「非を認めた」のは、情報提供に関することであり、エレベーター事故の本質に関わるものではない。それでも、この記事を読むと、「読売ホイホイ人間」は、「悪者はシンドラー社」と決めつける。

しかしながら、事故原因は、この記事の内容(メンテナンスの問題)とはまったく異なる「メカ(機械)」の問題であることが判明している。(なぜ、電磁コイルがショートしたのかは、解明されていない)

冒頭で紹介した「メカではなく信号」という報道は、読売グループである日本テレビによるものである。日本テレビにより「盗作者」と冤罪報道された私は激しくこのメディアを疑いたい。

その前に、指摘しておきたいことがある。2006年の事故被害者遺族のこの「見方」である。

2006 年6 月3 日 「港区シンドラー社製エレベーター戸開走行死亡事故」

「戸開走行」というカテゴリー(分類)は、誰が決めたのかは判らないが、2006年の死亡事故は、2008年に東芝社のエレベーターで発生した「戸開走行」とは、まったく異なる事故である。

その理由は、2006年の事故は、「メカ」が原因でエレベーターが暴走したものである。「動け」というコマンド(指令)を受けずに、動き出し、制御不能に陥ったことが事故原因である。

他の「戸開走行」は、暴走ではない。扉は閉まらなかったが、エレベーター利用者が生き先階のボタンを押し、「動け」というコマンドを発している。制御不能で暴走したのであれば、かご内の利用者は、最上階にたたきつけられていなくては理屈が合わないのである。

「戸開走行」というカテゴリーに2006年に発生した高校生死亡事故を分類してしまうことにより、日本の「政官業」の癒着関係者は、責任から逃れられる。

ピーター・ドラッカー「明日を支配する者」より

<引用開始>
「官僚という指導層は、一般に考えられているよりもはるかにしぶとい。不祥事や無能が暴露された後も、長く力を持ち続ける。」

日本はこれまで問題の先延ばし戦略で成功してきた。この40年間に解決不能とされていた社会的問題を、問題の解決ではなく、問題の解消によって解決した。
<引用終了>

今日の新聞各紙には、民主党の「政策進捗報告会」に関する全面広告が掲載されている。
このことに関しては、明日記すが、原発事故もエレベーター事故も根っこは同じである。ピーター・ドラッカーが指摘しているように、自民党が築き上げた政治主導ではない官僚主導社会の「付け」が回って来たのである。
posted by S・C・ NAKAMURA at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月02日

「日本人賛歌」 この記事は保存しよう


外国人旅行者も驚く、日本が世界に誇れる美点5つ

<引用開始>
日本の人々はどこでも、困っている外国人旅行者を見つけると喜んで助けくれるし、先入観を打ち破るような驚きを与えてくれる。そんな美的原則を重視する日本という国に対し、われわれ旅行者もありがとうという言葉とおじぎを忘れてはならない。
<引用終了>
http://www.cnn.co.jp/travel/35023868.html

極めて上から目線の表面的な見方ではあるが、このアメリカCNNの記事は素直に評価したい。

「美的原則を重視する日本という国に対し、われわれ旅行者もありがとうという言葉とおじぎを忘れてはならない。」と結んでいるが、裏返せばアメリカ社会は「美的原則を重視しない」と白状しているようなものである。

アメリカ社会は確かに「ビューティフル」ではある。アメリカ生活のルールに「芝生を刈る」ことと、「洗濯物は外に干さない」がある。美しく広がる街並みは「人工的」で「ビューティフル」ではある。

しかしながら、そこには「虫の音」はない。ハエなど見ることはない。完璧に消毒されているからである。

アメリカ社会は、ロジック(理論)で成り立っている。一方、日本社会は、ロジックとパトス(感情)の円が重なる部分が大きい。それが、日本人独自の「以心伝心」という言葉に象徴される高コンテキスト(文脈や「空気」を読める)社会を維持し続けている。

日本人誰もが、大みそかの除夜の鐘の「ゴーン」という響きに身をさらし、自ら心を清めることができる。
そんな繊細な日本人の心を、アメリカ人が理解する日は100%来ないと私は断言する。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エレベーター挟まれ死亡事故と原発事故の関連性A


報道内容より

毎日新聞
エレベーター事故:ブレーキ装置など06年事故と同型
<引用開始>
国土交通省の事故調査報告書によると、06年の事故は今回の事故同様、扉が開いたままかごが上昇して起きた。ブレーキのコイルがショートし、ブレーキが半分かかった状態で運転が続き、パッドが摩耗。ブレーキの利きが不十分だったことが原因とされる。
<引用終了>
http://mainichi.jp/select/news/20121102k0000e040206000c.html

朝日新聞朝刊
<引用開始>
国交省によると、金沢市の事故を起こしたシンドラーエレベーター製のエレベーターには、出入り口の扉が開いていることを検知して、かごが上下に動かないようにする安全装置がついていた。
だが、実際は扉が開いたままかごが動いて女性を挟んでいることから、国交省は安全装置に不具合があったと見て調査を進めている。ただ、安全装置は扉開閉の検知機や滑車のブレーキなどが連動して初めて機能するため、原因の特定は難しそうだ。扉が開いているのに検知されていなかったり、ブレーキそのものに問題があったりするケースも考えられるという。
<引用終了>

東京新聞社説
エレベーター禍 消費者事故調の出番だ
<引用開始>
委員は、政府の東京電力福島第一原発事故調査・検証委員会の委員長を務めた、畑村洋太郎東大名誉教授ら七人。事故ごとに構成する専門部会が調査を担い、対象は航空や船舶、鉄道の事故以外ならすべて、生命や身体にかかわる事故を扱う。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012110202000132.html

毎日新聞の報道は、2006年のエレベーター死亡事故の原因を判りやすく示している。私の印象では、当該事故に関しては、常に毎日新聞の報道が的確であったと思える。当然私の事故原因分析も、毎日新聞の報道が基になっている。

朝日新聞の報道内容は、「良い所まで行っている」という印象であるが、今後の記者の見識が試されると考える。

扉の開閉を検知するセンサーシステムをインターロックという。インターロックとは、メインシステムが作動する前に、確実に安全を保障する仕組みである。電子レンジを見てほしい。扉に突起物が設置されているはずである。この突起物が電子レンジの扉を閉めると扉内に納まる。納まることにより、電子レンジ本体は扉が閉まったと判断するのである。この仕組みにより、電子レンジの扉が開いたまま「マイクロ波」を発っする(スイッチオンする)ことを防止しているのである。

エレベーターの安全装置と呼ばれるインターロックも同じである。扉が閉まったことを検知しないとスイッチがオンしない、つまりメインシステムの動力に対し「動け」というコマンド(指令)が伝わらないようにできているのである。

しかるに、朝日新聞の記事のように「ただ、安全装置は扉開閉の検知機や滑車のブレーキなどが連動して初めて機能するため、原因の特定は難しそうだ。」と書かざるを得ないのである。

その前の行の「国交省は安全装置に不具合があったと見て調査を進めている。」が曲者(くせもの)である。私の造語「誘導レトリック」にしか思えない。

私は、東京ディズニーランドの運営責任者として、さまざまなトラブルと向き合ってきた。最も注意を払ったのはジェットコースタータイプのアトラクションのブレークダウン(運航休止)である。

例えば、基地局から「ビックサンダー・マウンテンが運行休止」という情報が伝えられる。一報を聞き、即座にアトラクションに連絡し次のように尋ねる。

「コンピュータのメッセージは?メカか?ロジックか?」と。

メカとは「メカニズム(機械)」のことであり、ロジックとは簡単に言えば「信号(制御)」のことである。

話をエレベーター事故に戻すが、国土交通省は、安全装置といういわば「信号」系統に不具合があったと見て調査するとしているが、2006年の事故の原因は、上記毎日新聞が伝えているように「メカ」が原因であることは歴然とした真実である。

それをまた、2006年の事故発生時と同じように、「メカ」には目を向けさせないようにしている。これには訳がある。

前述した安全管理のサブシステムとしてのインターロック制御導入には、ほとんど金がかからないと考えられる。反対に、メインシステムの「メカ」であるブレーキシステムの改良には膨大な金がかかる。エレベーター業界は嫌がり、国土交通省も指導できない。なぜならば、自民党政権下での「政官業」の癒着の産物である不安全エレベーターが70万台あるとされ、「メカ」に目を向けられると、この国の運輸行政が決定的に間違っていたことを露呈させてしまうからである。

東京新聞の社説には驚かざるを得ない。昨日記した「失敗学」の畑村洋太郎氏が消費者庁の事故調査委員であるとは知らなかった。正直「また、御用学者が出てくるのか」と思う。(そうは思わない方は、畑村洋太郎 御用学者でネット検索して欲しい)

私は、このブログに「失敗学」は世界的に通用しないと記してきた。

2012年07月14日
違う!政府の事故調が信用できないのだ
http://dream333.seesaa.net/article/280936450.html

「実学者」をインターネット検索すると、日本の「実学者」の姿が見えてこない。実学の反語を「虚学」と呼ぶらしいが、体系化すると以下のように分けられると考えられる。

実学 実業 実務 実益

虚学 虚業 虚務 虚益

私は、東京ディズニーランドという実業の世界で、実務を行い、実益を生み出す一部として働いてきた。肉体労働ではないとは言い切れないが、ピーター・ドラッカーが言う知識労働に従事してきたと考えている。

私が得た知識は、現場から生み出された理論であり、知恵である。つまり、実学そのものである。現場を持たない研究室の中で培われた理論とは180度異なる実益を生む知識である。

私は、日本にたくさんいる有能な「実学者」と国家としての実益を追及する会話をしてみたい。知的好奇心あふれる「知恵比べ」をしてみたい。

新聞社も今後は、御用学者に代わる「実学者」を探し出し、実益に必ずつながる実学を学び、真のジャーナリズムの姿を国民に見せていくべきであろう。

今般のエレベーター事故はその試金石になるのではないだろうか。そして、それが、原発事故の真相解明にもつながっていくと私は確信するのである。
posted by S・C・ NAKAMURA at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

シンドラーエレベーター挟まれ死亡事故の原因と原発事故の関連性@


私の事故検証は正しかった。しかしながらシンドラーエレベーター死亡事故がまた発生してしまった。悲しく、そして悔しい。

それでも、一つだけ光明を見いだすことができた。それは、東京電力原子力発電所の事故(福島第二原子力発電所も含まれる)の調査報告書を提出した「失敗学」が、何の役にも立たないことが決定的になったことである。

2006年の6月3日に起きたシンドラーエレベーター、高校生死亡事故後の「失敗学」のレポート記事を紹介する。

失敗年鑑2006
シンドラー、エレベータ事故
東京大学農学部 
中村拓也
<引用開始>
本記事は、2006年12月11日、畑村洋太郎失敗学会会長の第5回失敗学会年次大会講演 『エレベータ事故に学ぶ』を元に構成しました。
<中略>
【原因】
 様々な原因が重なり合って今回のエレベータ事故が引き起こされたが、大きく「直接原因」、「社会について」、「設計について」の3つに分けて述べる。

直接原因
 「ブレーキパッドがすり減るとブレーキがかからなくなる」と報道されたが、仮に全てが摩耗し無くなってもブレーキ腕部分が動きさえすれば摩擦でブレーキドラムは止まる。 よってパッドがすり減ったので止まらなかったという説明は間違いではないか。パッドがすり減るとブレーキのかかりが悪くなることはあるが、 何もしないのにエレベータが動き出す、というブレーキが完全に力を与えなくなる状況は考えられない。
 実際の原因はブレーキを開く信号の異常、つまり制御部分の不良と思われる。そうすると考えられるのは以下3つである。
• 組み込みソフトのバグ
• 半導体のコンタミネーションによる誤配線
• 実装基板の劣化
 現在ではどのような機械でもマイコンが導入されている。より便利に活用するために機能を付け足していくとマイコンの中で相互干渉が起こり必ずミスが発生してしまうが、 そのミスを事前に発見するのは非常に困難であり、実際にはトラブルが起こる毎に潰していくしかない。 このような現状から考えて、組み込みソフトのバグによるミスの可能性が非常に大きい。 少なくとも、昔から時々不具合があったのはほとんどがこれに因るものと言えるだろう。トラブルの再現も不可能で原因箇所も分からないので、 修理といっても総取り替え以外に方法がない。
 また、半導体を作る工程で光やX線を当てるが、その元になる基盤にゴミが付着していると誤った配線が出来る。 これが半導体のコンタミネーションによる誤配線であり、しばしば不良動作を起こす。
 一番可能性が大きいのは実装基盤の経年劣化である。近年はポリイミド樹脂などを用いているが、多層で作ったプリント基板は経年劣化をしてしまう。 これが10年から15年も経過すると断線、他の所と繋がる、割れる、といった様々な不具合が発生する。
 今回の事件の直接的な推定原因としては、これらが複合的に発生したのが考えられる。
<引用終了>
http://www.shippai.org/shippai/html/index.php?name=nenkan2006_04_Schindler

私も、事故発生時以降、ソフトウエアの不具合を疑った。しかし、数年後に判明した直接の原因は、ブレーキを開閉させる電磁コイル(電磁石の力でブレーキを解放させる機器)のショートにより、ブレーキが「半開き(ブレーキパッド、自転車前輪ブレーキの摩擦ゴムのようなものが軽くドラムと接触している状態)」になり、異常にブレーパッドが摩耗したことによるものと報道された。つまり、上記の「失敗学」は、事故原因究明は、完璧に間違ったのである。

今朝の朝日新聞の記事に極めて重要な点が記されている。
<引用開始>
県警によると06年にあった東京都港区での高校生(当時16歳)の死亡事故を受け、今回の事故機にブレーキの摩耗を感知する「摩耗センサー」が取り付けられていたという。
<引用終了>

ブレーキ摩耗センサー(自動車用)
S&Eブレーキ株式会社ホームページ参照
http://www.advicsaftermarket.co.jp/support/maintenance/detail/4/index.html

東京ディズニーランドのジェットコースタータイプのアトラクションには、相当数のセンサーが設置され、安全運行を監視しているが、ブレーキパッドの摩耗センサーは取り付けられていない。運行前と運行終了後に行われる目視点検という「人間の目」で直接確認している。(補助的なセンサーは備えている)

2006年の事故後に、シンドラー社がこのブレーキ摩耗センサーを全機に取り付けたのであろう。自動車用の摩耗センサーから類推すると、厚みがあるプレーキパッドが摩耗すると、センサーの「感知部」が回転するドラムと接触し、警報を発するというシンプルの仕組みであろう。

2006年に起きた事故後、再発防止のために設置されたセンサーシステムは機能しなかったのである。

ここで、二度の死亡事故に共通する事実を記す。

◇被害者は、エレベーターに対して、「動け」というコマンド(行き先のボタンを押す)を発していない。
◇かごの上昇によって挟まれ死亡している。

ロープ式のエレベーターの構造はシンプルである。昔の井戸水汲みのように、滑車(ドラム)にロープをかけ、片方に人が乗るかごを、他方に重力でかごを上昇補助させる重しをつけ、ドラムを巻き上げ機でコントロールして上下させるという仕組みである。

今回の事故も、かごの上昇によって起きている。アパホテル金沢は地上14階、地下2階建である。被害者は4階から地下一階へ向かうことになっていた。
このことから、重しが重力により落下し、かごが上昇したことは間違いないと考える。つまり、2006年に高校生が死亡した事故と同様に、単にブレーキが利かなくなったという事故原因であるのは、ほぼ間違いないと思われるのである。

話をブレーキ摩耗センサーに戻す。誰もが考えるのが「なぜ、センサーが機能しなかったのか」という疑問点である。

今の段階で、その原因は判らないが、「そもそも論」で考えてみたい。
「そもそも、ブレーキ摩耗センサーは誰に警告を発する仕組みだったのか」という疑問である。IT時代に生きる私たちは、センサーが異常を感知したら、保守点検会社の中央コンピュータに情報が瞬時に送られ、保守点検要員が飛んでくる、そう考えないだろうか。

それとも、エレベーター制御盤を通じて、使用者(所有者のアパホテル)に警告を発する仕組みなのか。もしそうだとしたら、使用者はその警告を見逃していた可能性はないのか。

耐震偽装事件で問題になったアパホテルである。安倍晋三自民党総裁との特別な関係も取りざたされた。現時点では「勘ぐり」でしかないが、シンドラー社と保守点検会社を家宅捜索する、その「素早さ」を鑑みると、2006年の事故後のように、真の犯人隠しが公然と行われることを心配する。

このシリーズは、書けるだけ書いていくが、最後に表題の「原発事故との関連性」について簡単に記す。

◇新しい技術(二重ブレーキなど)が生み出されたが、古い機種にはバックフィット(高性能ソフトウエアにコンピュータをバージョンアップするようなもの)されることはなかった。
◇日本には、古く危険な発電所や昇降機械が数多く存在する。
◇「原子力村」があるように「エレベーター村」が存在する。
◇ヨーロッパ車の故障が町中の自動車修理店で修理できず、メーカー(ディーラー)で修理されるように、外国規格の設備の保守点検は、日本の会社では完全にカバーできない。

繰り返すが、この事故に関しては何回も書いていきたい。なぜならば、東京ディズニーランドで同様な事故があれば、30分後には事故の全容が解明されることを私は知っているからである。

参考資料

資料4 エレベーター事故問題[PDF:448KB] - 消費者庁

エレベーター事故問題
「独立した中立な第三者の事故調査機関」設置を訴えて

エレベーター事故被害者遺族
市川 正子
http://www.caa.go.jp/safety/pdf/100820kentoukai_4.pdf






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2012年10月31日

ディズニー・テーマパークの本質について語る

国内テーマパークが好調 オリエンタルランドの中間決算は過去最高益

<引用開始>
東京ディズニーシー(TDS)の『トイ・ストーリー・マニア!』など「新しいアトラクションが集客につながった」(高橋渉執行役員)うえ、震災後の「絆」意識の高まりで家族ぐるみの顧客も増加。上半期の入場者数は前年同期比23.4%増の1325万人と、震災前の水準を上回り、客単価も同5.1%増の1万410円といずれも過去最高となった。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121030/biz12103019380031-n1.htm

高橋渉氏には色々なことを教えていただきました。元々は経理のプロの方ですが、運営事務課勤務時代の氏は「渉さん」と呼ばれ、多くの現場社員に親しみを持たれていました。それには訳があります。

「渉さん」は、パーク開園後からいわば現場運営の中心である運営部の「事務方」でしたが、予算編成の際にも「そんなに切りつめては、サービスの品質が落ちる」と警鐘を鳴らしつづけてきた方であるからです。スーパーバイザーが実際の予算編成をするのですが、「渉さんの方針に沿えば間違いない」と、常に自信と安心感を与えてくれた方だからです。

「渉さん」は地元浦安の出身と聞いています。若き日を「荒っぽい漁師の御子息」たちと過ごし、ある意味壮絶な体験をされた話を聞いたことは、私の(株)オリエンタルランドへの理解を深めたと思います。一言でいえば、「発言の内容が極めて濃い方」と言えるでしょう。

「渉さん」が、ディズニー・テーマパークの成功の理由を述べたのだと思います。見つからないのですが、「子供の頃、親に連れられて訪れたディズニー・テーマパークに、今は親になり、子供を連れて訪れている」というようなニュース記事を目にしました。

それが、上記報道の「家族の絆」につながっているのであれば、「夢と魔法の王国」の建国に参加してきた私にとって望外の喜びです。

現在の社長の上西京一郎君とは、能力面で雲泥の差があり、「渉さん」が社長になる日が来ることを私は望みます。

さて、表題の「ディズニー・テーマパークの本質」について語ります。

拙書『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』より

<転用開始>
東京ディズニーランドのワールドバザールを出た場所に石碑があるのはご存じでしょうか。

私たちは絶えることのない
人間賛歌の聞こえる広場をめざして
東京ディズニーランドをつくりました。
夢と勇気と希望にかがやく
世界中の人びとの顔が
この広場に
いつも満ちあふれていることを
心から願って。

昭和58年4月15日 
株式会社オリエンタルランド 代表取締役社長 高橋政知

この言葉には、ディズニーランドにいるキャストたちすべての想いがこめられています

「まえがき」より
東京ディズニーランドのキャストだけが知っている秘密のストーリーがあります。
それはパークの中で実際に起こった心温まる出来事です。社長を含むすべてのキャストたちがそのストーリーを共有し、そこから人を思いやることの本当の意味を学びます。そして自分たちがディズニー≠ニいう偉大な存在の一部であることを再確認するのです。
パソコンの中にはハードディスクという記憶装置がありますが、人の中には「はーとディスク」という記憶装置があると考えています。そこに幸せの記憶を丁寧にインプットしていくのがキャストたちの役目です。明るくて元気のいい挨拶、夢と希望にあふれる会話、キャラクターたちとの楽しいかけ合い……そんな一つひとつの場面から、できるだけたくさんの幸せを書き込んで、家族や恋人、友人たちといつまでも語り合えるような、素敵な思い出を作ってほしいと願っています。
そんな想いを大切にしているキャストと、ディズニーを心から愛するゲストとの間に生まれた感動的な出来事の数々。それをできるだけ多くの人に知ってほしいと思い、当時の私の気持ちを添えて一冊の本にまとめました。この本を、明日からの人生をさらに輝かせるきっかけにしていただけたら幸いです。

ディズニーランドは遊園地ではない。
青空を背景にした、とても大きな舞台だ。
ミッキーマウスの産みの親、
ウォルト・ディズニーがディズニーランドに求めたものは、
お客様たち全員が映画の世界に入りこみ、
その中で一緒に感動を作り上げていくことだった。
だからここではお客様をゲスト(招待者)と呼び、
従業員をキャスト(出演者)と呼ぶ。

ディズニーランドは永遠に完成しない。
そこは新しい感動を創り続ける空間であり、
キャストたちはその機会を探し求め、
つねに心を配り続けている。
地図を見ている人がいれば「どこかお探しですか?」と声をかけ、
カメラをかまえれば「撮りましょうか?」と手をさしのべ、
ひとりぼっちの子どもを見つければ、
「お母さんどこかな?」と地面にひざまずき目線を合わせる。
ただ彼らは善意を売り歩いているのではない。
ディズニーランドの一部と化し、
出会うすべての人々に喜んでもらうことで、
自分たちが「生きている実感」を受け取っているのである。
そんな姿勢の延長上に、
マニュアルを超えたありえないほど優しい<Tービスがあり、
そこからディズニーランドに足を踏み入れた人たちとの
心温まるストーリーがはじまる。
<転用終了>

最後のパレード出版後には、「ディズニーランドに行きたくなった」「もう一度キャストとして働きたくなった」という読者の賛辞の声がたくさん寄せられました。

株式会社オリエンタルランドの元副社長、上澤昇氏からは次のような書評をいただいております。

一読して「これは生きたマニュアルだ!!」と感じました。
ホスピタリティ(サービスに人間の心が加わったもの)の大切さを 教えてくれる本であり、かつ今のTDRのマニュアルのレベルを遥かに超えたものだと思います。
キャストの人たちの教材に使って欲しい本だと思いました。

この一文は、実際に新聞広告にも使われていました。

最後のパレードの冒頭には次のように記しました。

すべてのディズニーを愛する人たちへ。
そして一緒に井戸を掘ってきた仲間たちに捧げる。

私は、前著と異なりこの本には著者として一度もサインをしていません。すべてお断りしました。サンクチュアリ出版も同意してくれました。なぜならば、本当のこの本の「作者」は、私ではなく、感動を生み出してくれたキャストであることを私たちは深く認識していたからです。

ディズニー・テーマパークの本質とは、故高橋政知社長の言葉にある「人間賛歌の聞こえるパーク」であり、「生きている実感」をゲストとキャストが分かち合うパークであるということです。

拙書「最後のパレード」は、読売新聞社の知識暴力行為により抹殺されましたが、ディズニー・テーマパークの中核をなすコンセプトは、今も正しく国民に理解されていることを再度実感しました。嬉しい限りです。

ウォルト・ディズニーはかつて、生前中に「ディズニー亡き後も」という警句を残しています。
「我々は正しかった」「パークを親しみやすい場所にしなさい」そして、「高い品質を保ちなさい」という内容だったと記憶しています。

そのディズニー・テーマパークの品質が落ちていると私は実感しています。かつては、二桁違った他のアミューズメントパークとの品質の違いが今は一桁違いになっていることを危惧しています。

入場者数も大切ですが、私たちが繰り返し指導されたのは「ゲスト満足度の向上」です。

ディズニー・テーマパークの本質、それを一言で表せば、ウォルト・ディズニーの夢「ワンマンズ・ドリーム」の追求に他ならないと私は確信します。
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2012年10月30日

当事者として冤罪問題を語る@


東京新聞社説より
東電女性再審 “暗黒司法”そのものだ
<引用開始>
当初からネパール人男性を犯人だと決めつけた捜査に問題があるのは間違いない。重要物証をDNA型鑑定しなかったのも致命的だ。被告人に有利な証拠も得られるよう、全面証拠開示の必要性も、この事件は訴えている。
 司法が「暗黒」と呼ばれないためには、他にも冤罪が潜んでいないか、早急にチェックすることだ。もはや正義に奉仕すべき司法の倫理さえ問われている。
<引用終了>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012103002000115.html

社説表題の「暗黒司法」という言葉は強烈だ。我が国の司法に対する挑戦を意味するかのようである。

朝日新聞では「繰り返す冤罪」シリーズが始まった。

冒頭の言葉は、被告男性の「やってなーい。神さま、助けてください」である。

<引用開始>
捜査段階から弁護を務めた神山啓史弁護士は会見で力を込めた。「捜査機関には犯人との思い込みがあった。まだ意識は変わっておらず、今後も冤罪が起きる危険性はある」
<中略>
「なぜうその自白をしたんだ。やっていないなら、やっていない言えばいい」68年に始まった水戸地裁土浦支部の(布川事件の)公判で、裁判官に言われた一言が桜井さんには忘れられない。警察でも検察でも「やっていない」と訴えたが、延々と続く取り調べに屈し、「自白」した。裁判所できちんと説明すれば、正しく判断してくれると思っていたが裏切られた。
「警察が一度犯人だと決めつけると、検察も裁判所も加担して有罪に仕立てあげてしまう。(東電OL殺害事件の)マイナリさんの構図と同じだった。
<引用終了>

2012年10月21日
警察の供述誘導の恐ろしさ
http://dream333.seesaa.net/article/298422121.html

冤罪当事者の知人の証言をこのブログに記した。

「桜の咲く(数ヶ月後まで)出られないから、バッテリーを外しておいたからな」という警察の落とし文句に屈し、知人はうその自供をした。

まず考えなくてはならないことは、なぜ警察は冤罪を生み出すのか、という疑問であるが、答えは簡単なことである。

手柄が欲しいのである。

昨日の記事で東京都職員の人件費に関して記した。

東京都の人件費
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2010/10/60kaq100.htm

平均給与月額(諸手当含む、ボーナス含まない支給額)
一般職 469,903円 42.8歳
警察職 546,021円 40.3歳

時々、交通誘導をする警備員が必要のない「動作」を行っているのを見かけるが、何か日本人の「さが(持ってうまれた性質)」を感じてしまう。勤勉だからこそ「何かをしなくてはいけない」と勘違いしてしまうのである。

私は、東京ディズニーランドのゲストパーキングのスーパーバイザーも経験したが、まさに「余計な動作」は引き算されている、リーズナブルな交通誘導は見事であった。

この、日本人特有の「さが」が、ひょっとしたら警察官の「手柄が欲しい」意識を助長させているのではないだろうか。高額が支給される給与明細を見るたびに「自分はそれだけの働きをしているのか」という懐疑感と焦燥感に悩まされているのではないのだろうか。

公務員には個性はいらない。テレビドラマの世界とは全く違う「上意下達」の硬直した世界である。出る杭は打たれる。自分が属する組織から、すべての事を発想せざるを得ないのである、

度重なる警察の不祥事、警察官の犯罪行為、抑圧された警察官の「心」から生み出されるものは、「褒めて欲しい」という「お手柄意識」であることは容易に推察できることである。反対に言えば「お手柄欠乏症」が、警察組織と言う機能を不全にしていると言っても良い。

読売新聞の門間順平記者等による知識暴力報道事件も、世紀の大誤報となったips森口報道も、突き詰めれば「手柄が欲しい」の一心から生じた出来事であった。

寅さんシリーズの監督、山田洋次氏が文化勲章を受章した。心から祝福したい。

山田洋次氏の名言である。

「たとえばイラク戦争の空爆で死んでいく子どもや女性たちがどんなにつらい思いをしているのか。想像することは、つまり思いやること。」山田洋次

冤罪事件の撲滅、それは右脳の働きである「倫理観」「創造力」「美意識」などの精神文化の延長線上にあると私は、冤罪事件の当事者として断言する。

毎日新聞より
東日本大震災:福島第1原発事故 被災者の心のケア、3割手つかず 福島県立医大調査、「要支援」連絡取れず
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20121030ddm041040076000c.html

私たち家族は、読売新聞の知識暴力行為により被災し、心のケアを必要としている人間であるが、読売新聞は、ビジネスのためなら、容赦なく民間人を谷底に突き落とす。山田洋次氏が語る「思いやり」も「想像力(一方的に悪者と決めつける報道をしたら中村は病気にならないか)」などお構いなしである。すべては「カネ」である。卑劣極まりない。

捜査当局も同じである。もし冤罪なら、どうなる、と想像力を働かせなくてはならないが、それができない。正しい教育を受けていないからである。

この問題を語る時「一発逆転」などない。おそらく、20年、30年の歳月をかけないと解決しないと私は考える。そう、私たちの世代が死に絶えるころまでの命題なのである。
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2012年10月29日

公務員の人件費と生活保護費


400万人を超える公務員、200万人超えの生活保護受給者数、これをどのように考えるか。

公務員の総人件費は27兆円余りである。その半分の200万人生活保護受給者の受給総額は1.7兆円(総額3兆3000億円から、医療費現物支給1兆6000億円を差し引いた数字)である。

公務員の平均給与は、27兆円を400万人で割った数字675万円(手計算)である。ちなみに東京都の公務員の給与平均は776万円(21年度)と報告されている。

生活保護受給者への憲法が保障した「最低限の文化的生活費」は、平均一人約7万円程であるという。
年間受給額は、84万円である。

竹中平蔵元総務大臣は「頑張った人と頑張らなかった人」に人間を区別することを好んだ。同じ日本人なのに、アメリカ的理論で究極の格差社会を生み出した。安倍晋三自民党総裁は、再チャレンジ可能な社会を構築すると約束したが果たせずにいる。再び総理になっても、同じことを言うのであろうか。民主党が下野しても、突っ込みどころいっぱいである。

私は、30年後の日本を思い描いたとき、限りなく公務員ゼロ社会が望ましいと考える。もちろん、自衛官含めプロの公務員がゼロになることはないだろう。しかしながら、勤勉な日本人に若き日より「公務員教育」を施し、誰もが一般的な公務員や地方議会の議員のような特別職の公務員を「兼務」できたら、この国は、世界有数の「幸福実感国家」になると信じる。

もう一度言う。公務を無くせと言っているのではない。30年後をめどに、職業公務員を無くすべきであると言っているのである。

アメリカのディズニーランドでは、平日は公立学校の先生が休日にキャストを務めていると聞く。60歳定年とした場合、それ以後の人生を公務に就く人たちが数100万人いれば、その分、年収600万円を超える職業公務員は減らせると言っているのである。

現在の公務員を減らす方法は「スマート」ではない。彼らに30年後の公務のあり方を考えてもらう方が
よほど生産的であると私は考える。

私たち日本人は、約17世帯で一人の公務員を雇っている。その総額が、27兆円という数字である。韓国の国家予算をはるかに上回る費用を公務員に支払っているのである。

この問題に関しては、何回もこのブログに記していきたいと考えている。

東京都の人件費
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2010/10/60kaq100.htm

生活保護費3.7兆円の半分は医療費
医療制度の歪みが生む長期入院の見直しこそ急務
http://diamond.jp/articles/-/21425


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またデタラメな防災訓練が行われたようだ

3000人避難や放射能検査 玄海原発3県訓練…佐賀
<引用開始>
 福島第一原発と同様の事故に備え、玄海原発では移動式の発電機で非常用ポンプを動かし、原子炉を冷やす訓練が行われた。
 訓練は、原子炉を冷却するために必要な全ての電源が喪失した――という設定であった。このうち3号機の訓練では作業員13人が、大型トレーラーに搭載したディーゼル発電機から原子炉建屋に送電するためのケーブルをはじめ、発電機に燃料の重油を送るホースなどを設置。約30分で全ての準備が整い、黒煙と轟音(ごうおん)を上げて発電機が動き出した。
 九電によると、玄海原発には大容量の移動式発電機4台があり、1台で原子炉1基分の電力を供給できるという。発電機を動かすために必要な重油は施設内に備蓄しており、発電機4台のフル稼働で10日間、送電ができるという。
<引用終了>
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=67182

三井アウトレットパーク入間で行われた殺人訓練を評した私は「地下鉄サリン事件の教訓が全く生かされていない」とこのブログに記した。

福島第一原子力発電所から遠く離れた九州電力の玄海原発で行われたこの訓練も「福島の教訓が全く生かされていない」と断言したい。

私は、今回の訓練が行われたことは評価する。問題は、訓練の内容である。入間市の国民防護訓練同様に「最後は正義の味方の公務員が住民を救う」的な発想に対して落胆の念を禁じ得ないのである。

そして「この国の公務員には学習能力が欠落している」と嘆くのである。

これ以上詳しい「こうあるべき論」は書けない。企業秘密であるからである。

それでも、これだけは言っておきたい。私ならこうするということを。

私なら。

福島第一原子力発電所で起きた水素爆発の原因は、全電源喪失(ステーション・ブラックアウト)という、テロ対策によりアメリカが想定した非常事態を回避できなかったことに集約される。反対に言えば、全電源喪失に陥らないことが保障され、原子炉を100%冷却できれば、メルトダウンや水素爆発は起こらなかったのである。

私なら、「九州電力はどんな自然災害やテロに襲われても、原子炉を100%冷却できることを宣言します」という住民が理性的に安心感を得るメッセージを示す、九州電力の九州電力による非常事態訓練を何回も繰り返した後に、仮定の状況としての避難訓練を行う。

その理由は、住民の迅速な避難とは「今後も冷却に失敗する」事を前提にしているからにほかならないからである。
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2012年10月28日

「ゴジラ」と「GODZILLA」


ゴジラの話の前に、こちらの記事をぜひ読んでいただきたい。

元駐レバノン特命大使の天木直人氏の2010年4月2日ブログ記事に、国家の危機管理を試される「恐ろしいこと」が書かれている

<引用開始>
 トム・ハンクスが最近「ザ・パシフィック(太平洋)」という映画を製作したという。あの著名なスティーブン・スピルバーグ監督も共同制作者となっているという。
 数冊の米軍将兵の回顧録をもとに、3人の海兵隊が主人公の映画であるらしい。
<中略>
問題はハリウッドを代表する民主党リベラル派二人がなぜそのような映画をつくったか、その意図である。
 その一端を示すトム・ハンクスの言葉を古森氏が紹介していた。
 3月中旬にホワイトハウスで試写会を催した時、それを掲載するタイム誌のインタビューに答えた際の発言だったという。

 「・・・彼らはわれわれを生活方式が異なるという理由で殺そうとした。我々もまた彼らが自分たちと異なるという理由で殲滅しようとした。こんな実態は現在、進行中の(戦争の)状況にもあてはまるのではないか・・・」

 この言葉を古森氏は次のように解説している。

 「米国と日本が戦争をした原因は両国民の人種偏見だったというのだ。そして米側の人種偏見はいまのアフガニスタンでの対テロ戦争でも、イラクの民主化の戦いでも、同じ要因になっていると主張するのである。もちろんハンクス氏自身はそんな偏見を非難する立場をとる」

 つまり戦争批判の映画であり、とくに米国の「テロとの戦い」を批判する意図であるという。おそらくそうなのだろう。
 当然のことながら米国内での保守派や中道派側からの反発は迅速で激しいものがあった、と古森氏は書いている。

 その反発は映画の放映が進むにつれてさらに高まっていくに違いない。なにしろ米国人の多くは、米国の戦うあらゆる戦争は敵から米国を守る正しいものだと信じているからである。

 そのうえ米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。
 その一方でこの映画では、米兵の日本人に対する差別振りを強調するために、ジャップという蔑称が頻発されているという。

 ハンクス自身もインタビューの中で「われわれは日本人を異端の神を信じる黄色の、目のつりあがったイヌたちだとみなした」と言ったらしい。
<引用終了>。
http://www.amakiblog.com/archives/2010/04/02/#001604

トム・ハンクスのファンであった私は、この日以来彼を軽蔑している。

私が、これまで「変節した」と言われながらも、アメリカ批判を繰り返してきた一端を理解していただけるだろう。簡単に言えば、この手の映画は、アメリカという国家が最も期待する「教育映画」なのである。

戦争を知らない若者たちに対し「アメリカは正しかった」と一方的に洗脳するステレオタイプ(判で押したような同じ思想)の「教育映画」なのである。

さて、「ゴジラ」の話に移る。

ウィキペディアより「GODZILLA」
<引用開始>
ストーリー
南太平洋で、日本の漁船が謎の生物に襲われ沈没する事件が起きる。チェルノブイリにて、放射能が生物に与える影響を調査していた生物学者のニック・タトプロスは、米国務省の要請でタヒチ諸島に向かい、そこで巨大な生物の足跡を目の当たりにする。続いて、ジャマイカや大西洋でも貨物船や漁船が襲われた。
調査チームに編入されたタトプロスは畑違いといぶかるが、巨大な足型や、座礁したタンカーに開けられていた横穴と残された肉片などから、“フランスがポリネシア近海で長年行なっていた核実験の結果として、新種の生物が誕生した”という仮説を立てる。
<中略>
南太平洋で操業しているにもかかわらずテレビで相撲中継を観戦する日本漁船の乗組員、日本漁船のものであるにもかかわらずハングル文字表記になっている缶詰、金髪のいかにも頭の悪そうなヒロイン、甘党で無能のニューヨーク市長、ヘマばかりする軍曹など、登場人物の多くはステレオタイプな描かれ方がなされている。主人公のニック以外にヒロイックな活躍をするアメリカ人は殆ど出て来ず、ゴジラの駆除に大活躍するのは自国の恥辱を消す為に奮闘するフィリップ率いるフランスの特殊部隊である(クロワッサン代わりのドーナツやアメリカンコーヒーに不満を漏らすフィリップの描写など、彼等もステレオタイプの例外ではない)。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/GODZILLA

如何だろうか。我々日本人は、当時フランスが「ゴジラ」を生み出したと考えていた日本人は「ゼロ」だと私は思っている。アメリカ映画は、「ゴジラ」を生み出した罪をフランスに押し付けているのである。

ウィキペディア「ゴジラ」
<引用開始>
第1期・昭和ゴジラシリーズ
シリーズの特徴・経緯
1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。身長50メートルの怪獣ゴジラは人間にとっての恐怖の対象であると同時に、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれた。また核兵器という人間が生み出したものによって現れた怪獣が、人間の手で葬られるという人間の身勝手さを表現した作品となった。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9

ウィキペディア「第五福竜丸事件」
<引用開始>
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、1954年3月1日に、アメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8

私は、ビデオで「GODZILLA」を観たが正直、別物と思った。我々日本人の「ゴジラ」に対して思う恐怖心は「ドシン ドシン」と近づいてくる「ゴジラ」の足音から連想する、放射能が生んだ怪物という「見たこともないないものへの恐怖」でもあった。

アメリカ製の「GODJILLA」は違う。映画ジュラシックパークで暴れまわる「巨大爬虫類」でしかなく、人間の文明力(戦闘能力)の前に絶命する。そこには、人間によって生み出されてしまった「ゴジラ」が、遠く「すみか」に帰るなどのやさしさは微塵も感じられない。

アメリカという国は、国益に反することは徹底的に「ひねりつぶす」。事実を湾曲し捏造教育を国民に施す。

つい最近まで、アメリカ国債の売却を訴える経済学者などは、CIAに抹殺されるとの「噂」も流れていたことは事実である。

そのアメリカの国債所有を日本と中国が一位二位を争っている。日本がアメリカ国債を売却することは、日本の国益にかなわないと私は考えるが、中国が、アメリカ政府を威嚇するために売却をほのめかしたとすれば、アメリカは果たして国家として正常な思考を保てるのだろうか。国益のために、「尖閣に紛争が起きても介入しない」などと、日米安保条約の主旨に反する国策に転じる可能性はないのか。

天木元大使は「米国人は人種差別主義者であると批判される事をもっとも嫌い、怒る。」と記している。人は誰も、自らの欠点をズバリと指摘されると正気ではいられなくなる傾向がある。

アメリカとケンカする必要はないが、アンリカ人を正しく評価して「スマート」な対応をしていく必要がある。

繰り返すが、アメリカが「ゴジラ」を「GODZLLA」にリメイクしなくてはならない理由、「ゴジラ」誕生をフランスの核実験と国内教育しなくてはならない理由を、我々日本人は「深く深呼吸」しながら熟考すべきである。

映画「許されざる者」のリメイクも同じである。「鉄腕アトム」が映画「ATOM」につくり変えらられたのも同じである。歴史と真実の改ざんでしかないと私は思う。

私はクリスチャンであるからある意味理解できたが、「ATOM」が「ハレルヤ※」と叫んだことには手塚治虫ファンとしてかなり戸惑った記憶がある。

※ハレルヤ hallelujah 「主イエス・キリストをほめたたえよ」の意味


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2012年10月27日

ドリーム党 都知事選の争点@


菅直人今日の一言には、「東京都の電力を何で賄い、熱エネルギーの効率化をどう勧めるかは都知事選の争点だ。」と記されている。
http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11389727438.html

昨年の都知事選では、311東日本大震災前に候補者は、私に言わせれば「机上の空論」や築地移転の是非というシングルマターを選挙公約にしていた。311後は、口をそろえて東北復興を訴えたと記憶している。

それから一年半、東京都知事や東京都は怠慢であったなどとはもちろん言えない。できることは行ったと思う。しかしながら、できることは限られていた。なぜならば、この間はいわば「非常時」であり、「緊急的」な対策が優先されることは当然であり、国家主導でさまざまな対策が練られたからである。

そして、石原知事は「尖閣問題」に火を付け、忽然として去っていく。次の都知事の肩にはずしりと重いものが圧し掛かることになる。誰もが311でパラダイム(物の見方考え方)が変わったという。以前のように「都民にやさしい政治」などという抽象的な公約は許される訳がない。

何が言いたいか、それは少なくともこれから30年先を見越した都市づくりと、都市運営の青写真を示さなくては、都民や日本国民は納得しないであろうということが言いたいのである。

具体的にその命題を示す。

◇脱原発は国民の多数が支持している。東京電力や電力業界などが望む「311前と同じ」に戻すのか、戻さないのか。

◇脱原発を支持する場合、それを保障する、裏付け理論とは。そのロードマップは。

◇災害に強い都市づくりの具体策は。そのための大胆で新しい発想を有しているのか。

◇大阪から維新の会により「公務員改革」と「教育改革」が提唱された。この問題に対し具体的にどう反応するのか

◇関連して、「いじめ対策」は待ったなしであり、具体的にどのようないじめ防止対策を構築して行く用意があるのか。

最低でも、この、「エネルギー問題」「防災対策」「公務員改革」「教育改革」の四本柱に対して「大胆で新しい発想」という知見を有していなくてはならないと私は考える。

以前に東京都知事選にも出馬したことがある大前研一氏は、口をすっぱくして「地球市民として」の知見を為政者に求めている。なぜか、そうでないと、諸外国の要人との話についていけないからである。

東京都の予算は、12.4兆円(2010年)である。ギリシャの国家予算11.9兆円(2008年)を上回り、韓国の国家予算17.9兆円(2008年)と比較しても、その規模の大きさを実感せざるを得ない。
出展 後藤輝樹オフィシャルサイト
http://gototeruki.web.fc2.com/etc/zatugaku/tokyonoyosan.html

さらに、である。東京都の経済規模(GDP)は92兆円にもなる。オーストラリア、スウェーデン、オランダの経済規模を上回っている。
出展 イイケン先生かく語りき
http://ameblo.jp/3600824/entry-10796973455.html

さらに、さらに、である。
大企業の内部留保は461兆円という情報もある。
日刊ゲンダイ
http://gendai.net/articles/view/syakai/135861

もちろん、このマネーは企業のものである。それでも、私はこのビッグマネーを眠らしておく手はないと考える。
新銀行東京は、中小零細企業への融資を目的として設立された銀行で、石原銀行とも呼ばれることは知っている。

しかし、である。石原知事が辞任した今後は、ある意味「第二ステージ」に入って行っても良いのではないかと思う。もう少し、具体的に言うと「CSR(企業の社会的責任)資金の受け皿銀行」として、活路を見いだすのである。

私は、コンビニチェーンなどにおいて、講演をする前の打ち合わせで、何回も「当社のCSR」という内容の立派なパンフレットを頂いた。311前であるから、ほとんどの企業が「地球温暖化防止への取り組み」という内容であったと記憶している。実際に、311前には、新聞の全面広告で「どこどこで植林しています」という企業活動報告が度々掲載されていた。

この、CSR資金をいわば「一本化」するのである。企業が個別に「好きなこと」に資金を拠出するのではなく、本当に効果がある施策(例えば森林からバイオエタノールなどの将来エネルギーを取り出す事業に集中投資するなど)、大企業にも大きなメリットがある事業に投資するのである。

日本製紙などの製紙業界は、木クズなどのバイオマスをエネルギーとして活用し、オイル代を相当節約して業績を伸ばしている。このような事業を、経済界全体がバックアップするのである。

もし、私が都知事なら、企業をめぐり頭を下げ、企業の内部留保マネーの一部を社会貢献活動のために活用させて貰うようお願いするだろう。

大企業の内部留保は461兆円である。東京都の予算の37年分に当たる。私の持論は、カンパニーの語源は、フランス語の「共にパンを食べる」であり、企業は株主のものではない、というものである。

戦後の日本の経済発展も、勤勉で真面目な労働者の仕事の成果よるものであり、日本社会はアメリカのようにほんの一部の金持ちがほとんどの富を得ているという「富の偏在社会」とは異なる、いや、異ならせなくてはならないのである。

日本には、1,100兆円の個人の金融資産もある。上流のダムにはビッグマネーが溜まっているのである。

都民や国民が「この金を社会貢献に使ってください」と喜んで言ってくれる社会をデザインし、運営する、その責任が、石原後の東京都知事には求められると私は考える、
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2012年10月26日

維新 2045年までに在日米軍「全廃」に物申す


<引用開始>
 新党「日本維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)の次期衆院選に向けた選挙公約案が26日、わかった。終戦から100年にあたる2045(平成57)年を目標に「外国軍の国内駐留を全廃し、国土と国民を自力で守る」と記し、沖縄県をはじめとする在日米軍の全廃を盛り込んだ。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/plc12102612100009-n1.htm

と、思えばこんな記事も・・・

橋下氏「全然違う、つたない!」 国会議員団まとめの維新公約原案に反論

<引用開始>
特に外国軍の駐留全廃については「全然違う。表現の出し方も拙く、慎重に考えないといけない」として、国会議員団との間で大きな隔たりがあるとの認識を示した。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121026/lcl12102614490000-n1.htm

何が何だかよく分かりません。それでも、橋下市長やお仲間の国会議員に欠けているのは「マクロの視点」であることはよく分かります。

2045年までに米軍駐留を全廃する、一見正しそうですが、実は大きな間違いが隠されています。

私も、この問題には意見してきました。私の見据える先は「2041年」までに米軍駐留を全廃するというものです。誰もが簡単にその違いを理解することができるでしょう。戦争の結果(終わり)から100年後なのか、開戦(始まり)から100年後なのかの違いです。

言い換えると「なぜ負けたのか」ではなく、「なぜ開戦したのか」の違いです。

結論を述べます。終戦から100年をゴールに掲げると、アメリカは凄まじい勢いで「開戦から終戦」に関する、「アメリカは正義キャンペーン」を企てるに違いありません。それは決して「スマート」ではありません。

日本人が過去の過ちを贖罪するのは「開戦」です。なぜ、真珠湾を奇襲せざるをえなかったのか、「悔い改める」ことも含めて、現代史を丁寧に検証することなしに、米軍駐留全廃などありません。

これから、約30年、私たち戦争加害者の子どもたちは、次の100年をマクロの視点で考えなくてはいけません。今の若者たちや子供たちを「戦争加害者の子孫」と決して呼ばせないために・・・



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そばと軽井沢と結婚式


29年前の今日、私たちは軽井沢の聖パウロカトリック教会で結婚式を挙げました。1956年、私が1歳の時から半世紀以上神父を務められているカルロス・マルテイネス司祭から式前に説教を授かり、おごそかな雰囲気の中で式を終えることができました。

純白のウエディングドレス姿(妻が添乗した顧客の社長がしつらえてくれた特別なウエディングドレスでした)でヴァージンロードを歩く、若き日の妻の姿と、カルロス・マルテイネス司祭の祝福の笑顔が忘れられません。

結婚証明書も頂きました。現在は15,000組を超えているのでしょうが、私たちは、確か5,000番代の終わり当たりだったように記憶しています。

関連ブログ
軽井沢フォレスト
http://www.karuizawa-forest.com/spot/stpaulchurch.html

以後、軽井沢には何回も家族で訪れました。そして、かならず向かったのが中軽井沢駅前のそば店「かぎもとや」です。「かぎもとや」のそばを食べに軽井沢に通ったと言っても過言ではないかもしれません。

「かぎもとや」ホームページ
http://www.kagimotoya.co.jp/history.html

オリエンタルランド時代に、私が幹事になり、軽井沢のゴルフ場でコンペをした後に、「かぎもとや」本店の二階を貸し切り、表彰を兼ねたパーティーを開催したこともあります。ご主人から挨拶も頂戴しました。もちろん、「しめ」は天ざるそばです。

オリエンタルランドのゴルフコンペは、房総ばかりでしたので、この「非日常的体験」ゴルフコンペは、好評を得ました。

そばの話ではありますが、話はがらりと変わります。それは、母が打ってくれた手打ちそばについての記憶です。母は、例えば盆や彼岸など家に来客が訪れる時には、決まって手打ちそばをつくっていました。
まず、お酒が出ます。義姉の手料理を満喫した後の「しめ」は、そばです。母は、夕方にはそばを打ち終えていたと記憶しています。そして、食べるのはその数時間後です。

打ち立てではありません。表現すれば「乾いたそば」とでもいうのでしょうか。「ツルツル」と食すのではなく、「ゴワゴワ」と噛み入れるのです。そばつゆ(おしたじ)は、鰹だしのあっさりとした温かい「スープ」であり、わんこそばではありませんが、「スープ」とともに食したその味は忘れられません。

このそば打ち手法は、私が育った地域では共有されていたようであり、親戚の家でも「人寄せ」時には、よくこのそばが出されたと思います。

最後に、私のそば打ちについて簡単に記します。
よくチャレンジしました。つながらないこともあり、成功率は5割を切っていたでしょう。それでも、手打ちのそばを食べてくれる家族のために何回もそばを打ちました。オリエンタルランド勤務時代は、大みそかは、たいていの場合仕事であったために、年越しそばを打ったのは、退職後のことだったかもしれません。

いまでも、そばを打ちたい気持ちに駆り立てられることが時々あります。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月25日

日本は中国の真似をすべきである


中国がディズニーランド酷似のテーマパーク輸出 シンデレラ城も?
2012.5.22 07:43 [アジア・オセアニア]
<引用開始>
中国・湖南省で華強文化科技集団が運営するテーマパーク=2011年9月(共同)
 【上海=河崎真澄】広東省深センに本社を置く中国企業、華強文化科技集団が、「中国版ディズニーランド」とも呼ばれるテーマパークをイランや南アフリカに輸出する契約を結んだことが22日、分かった。
 中国紙、深セン特区報(電子版)などが伝えた。安徽省蕪湖や山東省青島など中国国内6カ所でテーマパークを運営する同社は、「知的財産権を完全所有している」と主張するが、ディズニーランドのシンデレラ城に似た建築物などがあることなどから、地元では「中国のディズニーランド」と呼ばれているという。
 イランでは中部イスファハンで年内の完成をめざしている。南アのほかウクライナ、カタールにも進出する方針だ。
<引用終了>
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120522/chn12052207440005-n1.htm

このままでは10年後くらいには、世界の都市のテーマパークは中国製に圧倒される可能性がある。私は、そのことに警鐘を鳴らしたい。

上記記事は、半年前の記事である。最近知った。運営会社は「知的財産権を完全所有している」としているが、その通りと言わざるを得ない。元々ディズニーランドのキャッスル(城)は、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城をモデルにしている。中国の運営会社が「我々もそうした」と言えば、ディズニーはなんとも言えない。

東京ディズニーランドを運営する潟Iリエンタルランドは、ディズニー社と長期契約を結んでいる。私が知っている範囲で言えば、オリエンタルランドは日本国内外でテーマパークを展開することが許されていない。ディズニーのノウハウが応用されることが容易に推察されるからである。

中国のテーマパーク運営会社は、ディズニー社とは関係ない。ディズニーを研究し、テーマパークを建設し、運営し、輸出することは、ビジネス上何ら問題がない。(もちろん、ディズニーの版権を違法に使っていなければの話である)

途上国にとって、中央にキャッスルがそびえ、その前庭(フォアコート)を写真のような乗り物が走る、東京ディズニーランド同様に、キャッスルの回りには、おとぎ話や「ご当地もの(中国なら反日映画館かもしれない)」のアトラクションが並ぶ。それだけで、観客は大満足なのである。その理由は、東京ディズニーランドの成功の最大理由「非日常性の提供」が達成されているからである。

表題の件、日本はオリエンタルランドにはできない「良質なテーマパークの提供」を展開することを世界に向けて発信すべきである。難なく中国には勝てる。特に、スリルライド系のアトラクションの運営ノウハウは中国にはなく、日本の独断場になる可能性を秘めている。

中国は「ここまでやるか」と思わせる。その点だけ見れば見事ではある。日本もビクビクしないで、組織をつくり中国テーマパークとの真っ向勝負に出るべきである。



posted by S・C・ NAKAMURA at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石原都知事辞任に関する報道を受けて


私は、昨年の2月25日に、都庁のプレスルームで立候補表明記者会見を行った。

今回はどうするか、前回のように天命が下っておらず、立候補表明することはないと考えている。

昨年の記者会見では、ニュージーランド地震後でもあり、震災対策をメインテーマに掲げた。八ッ場ダムに水を蓄えるのではなく、東京都備蓄材を蓄えよと主張した。

会見から2週間後に東日本大震災が発生した。

スクリーニングという言葉がある。ディズニーランドでは、スリルライド系のアトラクションなどへ「乗せていいゲスト」、安全上の見地から「乗せてはいけないゲスト」を選別することを意味する。安全バーがらみでの身長制限などがその例である。

昨年の都知事選でもこのスクリーニングが行われた。行ったのはマスコミである。知名度のある候補者を選定し、紙上で政策論争させた。勝算はないが読者の関心を呼ぶ「ドクター中松氏」は、大きく報じられた。震災対策を訴えた私は、知名度のなさから、相手にされなかった。マスコミのスクリーニングをパス出来なかったのである。

「たられば」ではあるが、私の提唱した「国家備蓄材」「東京都備蓄材」などの震災対策が、マスコミに取り上げられていたらどうだったであろうか。世の人々は私の発想力と先見性を認めざるを得なかったものと考える。

今から思うと、大震災に対して警鐘を鳴らしなさいというのが、「天の声」であったと考える。クリスチャンは、人としてできる人事を尽くすことだけを考える。結果は気にしない。それは神が決めることであると教えられているからある。

繰り返すが、神は今、私が前面に出ることを望んでいない。よって、「寝ること」にする。

石原知事は、今年の年頭の挨拶でも「新しい発想力」が大事と語った。私は、石原知事を支持してきた。発想力が魅力的であったからである。

石原知事は、猪瀬副知事を後継にしたいようであるが、私は、彼が関わった道路公団民営化の頃からいわば「アンチ猪瀬」である。

昨年、石原知事に敗れた候補者が再チャレンジするのか。前神奈川県知事の松沢氏が満を持して立候補するのか分からないが、いずれの候補者も石原知事の発想力から比べると小さすぎる。

日本維新の会の橋下市長が「キャンキャン」なく小型犬なら、石原知事はさながら秋田犬のような大型犬であろう。次の4年間は、誰が都知事になっても「中型犬」まで届かないと考える。失礼な表現だが「つまらない都政」が展開されることだろう。

ドリーム党は、聡明で知的好奇心の高い牧羊犬のボーダーコリーのような「中型犬」の集団を目指したいと思う。

50日以内に都知事選があるようである。民主党の動向を見極めながら、民主党のためにできることをして行きたいと考える。
posted by S・C・ NAKAMURA at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

文化財に親しむ秋・・・入間市博物館 @


秋晴れのさわやかな陽の光に誘われ、実に久しぶりに自転車で「外出」しました。秋の彼岸から一ヶ月遅れで父の墓前にも立つことができました。

まず向かった先は、入間市根岸の武蔵野うどんの名店「さわだ」です。かれこれ50回くらいは訪れているでしょうか。私はこの店のファンです。

東村山市では、子供たちが小さかった頃、久米川辻近くの「ますや」に家族で出かけました。家族四人でカウンターに座り、揚げたての天ぷらを子供たちはおいしそうに食べていました。はっきり言って天ぷらは「ますや」の方が数段おいしいと思います。しかしながら、武蔵野うどんの総合評価となると、「肉汁」「手ごろな値段」で「さわだ」を私は評価します。

とにかく、ボリュームがあり安い。盛りうどん(400円)に天ぷら(春菊、ニンジン、玉ねぎ、かぼちゃ、各50円)、肉汁(50)円、計500円で満腹になります。それでも食べきれないお客が多いため、せいろには大きめのラップが敷かれ、持ち帰ることが可能になっています。

うどんやそばをこよなく愛する私は、東村山市内の手打ちうどん店やそば店は、かなり食べ歩きました。東村山駅西口から西に数百メートル行ったところにある「小島屋」もおいしいのですが、たまたまか、店内にタバコの煙が充満し、以後敬遠するようになりました。

そば屋もめぐりましたが、今一というところが多く、東村山市から数十分かかりますが、青梅の「ことぶき」に通いました。妻と二人で「大ざる三人前」に大満足、「繊細にて大胆な主張」を実感するそばの名店です。そばに関しては、26日にもう少し書きたいと思います。

食の話が長くなりましたが、表題の件について記します。

今日は、金子十郎家忠の墓を訪れてみましたが、何も得るものはありませんでした。

ウィキペディアより
金子氏
<引用開始>
金子氏
金子氏(かねこ-し)は桓武平氏の流れをくむ武蔵七党の村山党から派生した支族であり、武蔵国入間郡金子(現在の埼玉県入間市金子)を領した。
武蔵国多摩郡村山を領した平頼任が村山党の祖となり、その孫の家範が入間郡金子に住み金子を名乗ったのが始まりである。現在でも埼玉県入間市から東京都清瀬市周辺にかけて多く見られる。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E6%B0%8F

誰が記したのか分かりませんが、何か「我田引水」的要素を感じてしまいます。

「金子氏」「砂金」で検索すると何となく、「かねこ」が「きんす」とリンクすることを実感できるでしょう。中世の日本は「砂金」を産出する「黄金の国ジバング」だったのです。

当たり前ですが、朝廷や仏教界は砂金を個人の物にさせなかったでしょう。管理した集団がいたはずです。私はその集団こそが「金子氏」であり、「中村氏」同様に、技術者であり影武者的な公務員であったと思います。

小田原の中村原の北側には今でも「相模金子」という駅名と「金子」という地名が残っています。

金子の十郎家忠については、またいつか記しますが、ある公共施設で見つけた入間市博物館の情報誌について、苦言を呈します。

ご存知のように、入間市博物館は、「お茶の博物館」と称しています。すごい自信と感心します。(皮肉ではありません。学芸員の方は少ない情報の中で頑張っていらっしゃいます。)

私は、このブログを書き始めた6月の中旬から、今日まで、何回かこの方たちと接触しています。私のブログ記事を紹介したこともあります。

10月1日発行の情報誌には、「文化財に親しむ秋・・・見学ツアー・特別公開の参加者募集!」と書かれています。

その中から。

「市内文化財めぐり・・・宿継場・二本木の歴史を探そう」
11月2日(金)10:00 〜12:30
「主な見学地」入間市(二本木地区・寿昌寺・長福寺、宮寺教会ほか)

私は参加しませんが、内容は気になります。瑞穂町史を見ると、二本木宿の「形態」が手に取るように分かります。例えば下宿には「長谷川家」が軒を連ねています。おそらく「早馬」「飛脚」などの玄関、東京ディズニーランドで言えばメインゲート付近の機能を有していたと考えられます。

中心は、屋号「ハケ(がけ)下」の中村家です。中村家の北側の「坂上」にも中村家がありますが、水が出るのは「ハケ下」であり、井戸が掘れる場所が総本家と考えることは当たり前のことです。

寿昌禅寺は、その「中村家」の墓と住職の墓を守るかのように、あるいは、二本木宿を凝縮するかのように、古くからの墓石が並んでいます。

何回も繰り返して恐縮ですが、ほんの数百メートルの小さな、小さな「宿」に建立された寿昌寺と長福寺は共に、臨済宗建長寺派の寺院です。公家や武士の上層部が帰依した臨済宗です。

「神は細部に宿る」と言われますが、このような細部から、歴史の真実という「森」を見ることにより、私たち日本人は、日本人が築いてきた「美しく、しなやかな歴史」を知ることができるのではないでしょうか。

入間市長選挙も終わりました。私にとっては「一番なって欲しくない人が当選した」というのが実感です。
私は、民間人ですから、私の知的所有物はすべて商品化する以外ありません。狭山茶や牟佐志の歴史が正しく子供たちに認識される日は訪れるのでしょうか。
posted by S・C・ NAKAMURA at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする