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【芸能・社会】

森光子さん逝く 日本のおかみさん、さようなら

2012年11月15日 紙面から

2009年7月1日、国民栄誉賞受賞の会見の席で花束を手に笑顔を見せる森光子さん=東京都千代田区の帝国ホテルで(石井裕之撮影)

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 さよなら、“日本のおかあさん”−。主演舞台「放浪記」や「時間ですよ」などテレビドラマや映画のほか、司会や歌手としても幅広く活躍した女優の森光子(もり・みつこ、本名村上美津=むらかみ・みつ)さんが10日午後6時37分、肺炎による心不全のため、都内の病院で死去した。92歳だった。東宝が14日、発表した。家族による密葬が同日、営まれた。後日、本葬を行う。喪主はおい柳田敏朗(やなぎだ・としろう)氏。森さんは京都市出身。前人未到の2017回上演を果たした「放浪記」で国民栄誉賞、文化勲章に輝くなど国民的女優として愛された。

 森さんは14日に荼毘(だび)に付されたという。

 数年前から栄養管理のために短期間入院することがあった森さん。今年9月に肺炎の兆候が出るなど体調を崩したため、大事を取って入院していたが、高齢もあり体力の衰えを取り戻すことはできなかった。

 9月に森さんの入院先の病院を見舞った関係者は、「元気な様子だったが、以前より言葉数が少なくなっていた」と話した。

 また、森さんと長い親交があり、プライベートで「姉上」と呼ぶテレビプロデューサーで演出家の石井ふく子さん(86)が9月1日に、まだ入院していなかった森さんの自宅を訪ねると、この日が誕生日の石井さんのために花を用意していて、事務所関係者らと一緒にハッピーバースデーを歌ったという。

 石井さんは死去が発表された14日夜、「先日、病院で会ったばかり。耳元で会話もできたので、そんなに悪いとは思っていなかった。信じられない思いです。何と言っていいか分かりません」と話した。

 森さんは、2010年2月に、東京・日比谷のシアタークリエで5、6月に上演を予定していたライフワークの「放浪記」を、主治医の「お体に差し障りがあるおそれがある」との判断を受け上演しないことを決断した。関係者によると、同作が初めて上演中止となったことをとても残念がっていたという。

 だが休養中も、ストレッチ体操やスクワットを続けるなど、“舞台復帰”へ向けた体力作りを続けていた。友人の女優黒柳徹子(79)には今後やってみたい仕事をファクスで伝えてもいたという。

 10年7月27日には、NHKのドキュメンタリー「“わらわし隊”の戦争」の収録に参加。第二次大戦中に中国大陸に派遣されたお笑い芸人について、証言した。

 同年10月24日には、女優の木村佳乃(36)と結婚した、少年隊の東山紀之(46)にお祝いのコメントを発表。「東山さん、佳乃さん、幸せのおくりものをありがとう」などと祝福。「元祖 友達以上、恋人未満の森光子より」とユーモアも忘れなかった。

 その一方で、最近は身近な人の死が相次いだ。10年5月には、森さんを長年支えた元マネジャーの関冨士夫さんが直腸がんで62歳で死去、同年10月にはプライベートでも親しかった女優の池内淳子さんが肺腺がんで76歳で死去。「残念で仕方ありません」と、落ち込んだ様子だったという。

 親しみやすい笑顔で庶民的な森さんは、下町の風呂屋のおかみさん役で出演した「時間ですよ」シリーズもあって、“おかみさん”、“お母さん”のイメージが強いが、実際の人生ではテレビ演出家の岡本愛彦さんとの結婚は4年で破局。子どもには恵まれなかった。

 森さんは、1920年5月9日、京都市のかっぽう旅館、國の家に生まれた。母は芸妓(げいぎ)で未婚の母だった。

 35年にいとこの映画スター嵐寛寿郎のつてで映画女優としてデビュー。「なりひら小僧 春霞八百八町」(監督・マキノ正博、山本松男)で、茶屋の娘の役だった。芸名は伯母が付けた。当時の人気女優の森静子と伯母の旧姓の森端から森を、本名の美津(みつ)から森光子とした。日中戦争などを背景に映画の製作が減ったこともあり歌手を志望し41年には上京。東海林太郎さん、藤山一郎さん、田端義夫さん、淡谷のり子さんらと同じステージに立ち、満州や南方の戦地慰問もした。

 戦後は関西に戻って歌手や喜劇女優として舞台に立つなどしたが、結核で2年あまり療養生活も送る不遇もあった。

 復帰後、58年7月に梅田コマ劇場の喜劇「あまから問答」の出演場面が東宝の演劇担当重役の菊田一夫の目にとまり、東京再進出と41歳と遅咲きながら「放浪記」で初主演を果たす。以後、商業演劇の看板女優として花開き、さらには「時間ですよ」シリーズなどドラマや、司会などテレビにも活動の場を広げ国民的女優の道を歩む。

◆「静かに息を引き取った」 おい・柳田さんがコメント

 森さんのおい・柳田敏朗さんは、ファクスを通じて「生前からの本人の希望でしたので、家族だけで本日(14日)密葬を相済ませました」と報告。「これまでは仕事柄ゆっくりと時間が作れなかったので、家族とともに、この最期の時を一緒に過ごすことができましたこと、ありがたく存じております」と心境を吐露した。

 その上で「静かに眠るように息を引き取りました。おかげさまをもちまして、テレビ、映画、演劇と多くの作品に出演させていただき、『放浪記』というライフワークとも出会って、本人にとっては大変に幸せな人生であったと存じます」とつづった。

◆“名物でんぐり返し”は中日劇場が最後

 舞台の代表作「放浪記」で話題になった森さんのでんぐり返しは、2008年11〜12月の中日劇場公演が最後だった。森さん演じる林芙美子の作品が初めて雑誌に掲載された喜びを表す場面。当時すでに88歳。成功率40〜50%と低く、関係者が「万一のことがあっては…。もう中止しよう」と公演の中日(なかび)ごろに打ち切りを申し入れた。その後の公演でも、森さんはでんぐり返しを披露していない。

 

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