目 次
(P.1)
◆警視庁に逮捕された容疑者の名前に覚えが
(P.2)
◆世論に訴え、学会で発表、民事訴訟も起こす
◆世論に訴え、学会で発表、民事訴訟も起こす
土地の登記を調べたところ、「朝治博」という名前や「関西実業」などという名前はどこにもありません。これまでどおりの地主の名前が載っているのです。ただ、全体の6分の1が新しい所有者の名義に変わっていました。
私たちは、その6分の1所有者を追い出しの首謀者と考えて、「立ち退き強要の禁止及び損害賠償請求」の訴訟を起こしました。何十年間も平穏に家賃を払ってきた家主に対しても訴訟を起こしました。このような事態を引き起こした責任を問うたのです。俗に言う大阪人の「えげつなさ」、よく言えば浪速の「ド根性」というところでしょうか。
さらに、世論に訴える方法も試みました。脅迫や嫌がらせの追い出しは人権無視の社会問題だと、住宅専門の学者たちの学会に私が出て訴えました。こうして徐々に「底地買い」「地上げ」がマスコミにも登場し、社会問題になっていったのです。その後の地価狂乱のマネーゲームが、バブルの崩壊まで続いたことは、まだ記憶に新しいと思います。
朝治博がこの長屋の所有者だと主張できるものは、要するに何一つなかったのです。それなのに、事実関係を調べもせず「民事不介入の原則です」とズル逃げを決め込む警察。「民対民の問題」として関与しまいとする行政機関。信じられないかもしれませんが、地上げ屋の脅しや嫌がらせを止める方法や機関は当時、どこにもありませんでした。多くの住人が恐怖に勝てず長年住みなれた家、土地から去って行きました。
◆裁判でやっと勝つ。朝治に300万円の支払い命令
私たちと彼らとの闘いは法廷に持ち込まれ、84年6月に請求額300万円満額の支払い命令の判決が出て勝ちました。私たちは現在も全員が同じ場所に住み続けています。つまり、朝治たちは私たちの追い出しに失敗したのです。恐らく、彼らが失敗した数少ない事例の1つではなかったでしょうか。
朝治は手を引きました。その後、土地の所有権者は転々とし、最後は住宅金融債権管理機構(現整理回収機構)の物件になったのです。私たちが朝治らを逮捕にまでには追い込めなかったのですが、その後、警察も少しずつ動くようになりました。大阪府には「地上げ対策室」なるものが出来ました(余り役には立ちませんでしたが) 。僭越ですが、警察や行政が動くことになったのは、私たちのこのような働きかけがあったからこそだと思っています。
もちろん、弁護士やマスコミの応援、あるいは学者や識者の世論形成という後押しもあってのことです。でも、あの朝治が今になって、弁護士法違反で逮捕されるとは思いもしませんでした。所有者として私たちに立ち退きを迫ってくる朝治に対しては弁護士法違反は当てはまらなかったかもしれません。しかし私が思うには、仮に当てはまったとしても、当時の警察がはたして法律を使って彼らを立件したでしょうか。警察や行政機関は、住み続けたいと願う人々の当然の権利を軽んじ、阻止しようと取り組む気がまったく見えなかったのですから。
◆今から思っても「よくたたかった」私たち
それだけに、今回の「光誉実業社長朝治博を弁護士法違反容疑で逮捕」という報道を見た時、当時チンピラとは言え威圧的に迫る朝治博に対して「本当に私たちはよく頑張った」と心底思いました。「自分で自分たちを褒めてやりたい」気持ちです。同時に、あれから20数年が経っても同じような悪事を働き、70数億円の利益を上げるという会社社長の得意然とした顔が浮かびます。「雀百まで踊り忘れず」の言葉どおりではないでしょうか。
これが、私と今回逮捕された朝治博とのかかわりなのです。
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