支援対象 :ひきこもり、不登校
支援方法 :訪問相談
スタッフ数 :1名
代表者 :五十嵐 慎二郎
全国20団体の活動事例 |
一般社団法人 北海道若者育成機構 みらい (北海道) |
徹底した現場主義でひきこもり・不登校の原因を根絶 |
支援対象 :ひきこもり、不登校
支援方法 :訪問相談
スタッフ数 :1名
代表者 :五十嵐 慎二郎
住所 :〒069-0832
北海道江別市西野幌284番地4
TEL :011-381-4355 FAX :同
E-mail :igarashi@mirai-hokkaido.org
URL :http://mirai-hokkaido.org
平成22年 3月 「北海道若者育成機構 みらい」設立
平成22年10月 NPO法人へ団体名変更の届出を行う
江別市内…3,500円(1回)
札幌市、北広島市、岩見沢市…5,000円(1回)
※相談時間は1回2時間程度。
道内のその他の地域は、別途交通費 が必要。
入会金、年会費、管理費、解約金な どは発生しない。
メール相談 | 電話相談 | 訪問支援 | |
---|---|---|---|
平成22年3月 | 97件 | 82件 | 32件 |
平成22年4月 | 121件 | 134件 | 49件 |
平成22年5月 | 142件 | 121件 | 31件 |
平成22年6月 | 118件 | 101件 | 28件 |
平成22年7月 | 92件 | 98件 | 39件 |
平成22年8月 | 139件 | 153件 | 48件 |
平成22年9月 | 89件 | 72件 | 41件 |
平成22年10月 | 101件 | 86件 | 51件 |
平成22年11月 | 82件 | 101件 | 48件 |
広大な原生林が今も残る道立の自然公園があり、北海道でも有数な小麦の産地の江別市は、人口約12万人を擁する札幌のベッドタウン。そうした自然あふれる側面をもつ一方で、4つの大学と、2つの短期大学、北海道消防学校や北海道立教育研究所などの研究施設を有する、道内でも随一の学園都市でもある。この江別市に平成22年3月に産声をあげたのが、「北海道若者育成機構 みらい」だ。
この団体を切り盛りする理事長の五十嵐慎二郎さんは、現在33歳。平成21年4月にできたばかりの民間資格「ひきこもり支援相談士」を持ち、実際に現場でもカウンセラーとして活躍している。
五十嵐さんは、最初から若者支援に関する仕事をしていたわけではなかった。それまではホテルマンとして働いており、札幌のとあるホテルに勤めていたときは支配人として、約2年間勤務していた経験をもつ。
「サービス業に就いていたこともあり、もっと、人のためになることをやってみたいと考えていたんです。」(五十嵐さん)
そのときに目に飛び込んできたのは、ホームヘルパーやケアマネージャーなどを募集する求人情報の多さだった。
「『介護』と言えば、そのほとんどは高齢者が対象のものばかり。しかし、このご時世には悩める若者がたくさんいる。これからは、若者を介抱し支援する『若者専門のヘルパー』も必要となるのではないかと思いました。」(五十嵐さん)
また、「お祭りや、みんなで騒ぐイベントごとが大好き」と語る五十嵐さんは、サラブレットで有名な日高地方にほど近い、むかわ町の出身。北海道で夏の到来を告げるお祭り「YOSAKOIソーラン」のむかわ町チームの代表を務めたことや、むかわ町内の若者たちが企画した町おこしのイベントでも、自らリーダーシップを発揮。大成功に導いたこともあるという。若者同士で自由な発想を出し合いながら、若さあふれる行動力でイベントを盛り上げた経験が、若者支援という道を志すきっかけとなった。
「若者が抱える悩みは、若者が解決するのが一番」と考えた五十嵐さんは、「一般社団法人ひきこもり支援相談士認定協議会」のメンバーとなり、ひきこもり支援相談士の資格を取得。協議会のある千歳市のほか、その周辺の恵庭市や苫小牧市などで、相談活動を行っていた。
「活動を続けていくうちに、ふと、『自分が住む江別市は、どういう状況なのだろう』と思い、調べてみることにしたんです。」(五十嵐さん)
江別市では、既に3年ほど前から、不登校やひきこもりに関する問題に取り組んでいる市議がいて、彼の協力のもと調査を進めた結果、江別市内の不登校やひきこもりの実態が明らかとなった。
「不登校の小・中学生は、ここ数年80人台で推移していましたが、とうとう90人を突破しました。また、学園都市である江別市は、それより上の層の若者が非常に多い。20〜30代の800人以上が、ひきこもりで苦しんでいます。」(五十嵐さん)
状況はかなり深刻だと踏んだ五十嵐さん。これまでの若者支援の経験を、今こそ自分の住む江別市で生かしたいと考え、平成22年2月に「一般社団法人北海道若者育成機構 みらい」を設立した。
「子どもや若者の、未来のためになる支援がしたい。それが、『みらい』と名付けた理由です。」(五十嵐さん)
団体の発足当初、「みらい」を紹介する記事が地元の新聞に掲載された。そのときのことを、五十嵐さんは次のように振り返る。
「一面に大きく…、というわけではありませんでしたが、この記事だけで問い合わせが殺到しました。問い合わせは、ひきこもりに悩む保護者からだけではなく、地元の商店街や病院などからも『ぜひ協力したい』という連絡があり、若者支援に対するニーズの高さを実感しました。」(五十嵐さん)
ひきこもり支援相談士の認定書(左)と、「みらい」のポスター(右)。ポスターは、江別市内の数か所にも貼られている。
「みらい」の活動は、訪問相談(アウトリーチ)が中心。電話やメールで依頼を受け、事前に依頼者に相談の進め方などの説明をした上で、自宅に出向きカウンセリングを行う。相談は、1回につき2時間程度。相談料は、江別市内は1回3,500円、隣接する札幌市、北広島市、岩見沢市は1回につき5,000円としているが、五十嵐さんは苦しい胸の内を明かした。
「移動手段は車ですが、相談者の自宅に行くまでのガソリン代だけで、半分近く持っていかれてしまう。また、相談は必ずしも2時間で終わるとは限らず、場合によっては夜中に相談を行うこともある。そのため、利益にほとんどつながりません。」(五十嵐さん)
また、依頼の電話相談を受けた際に有料だと聞いて諦めてしまう人や、実際に相談を受けてみたものの、生活保護を受けている家庭では相談料の支払いが滞ってしまうケースもあるという。
「本来ならば、こうしたサービスは無償で提供したいところ。しかし、今は補助金などももらっておらず、これが精一杯です。」(五十嵐さん)
こうした苦しい状況にもかかわらず、問い合わせは途絶えず、最近では道外からの問い合わせもあるという。不登校の場合を例に挙げると、江別市でも臨床心理士による相談窓口を毎月数回開いているにもかかわらず、「みらい」への問い合わせの方が数倍多いそうだ。
「行政に頼りたいけど、問い合わせ先がよくわからず、こちらに問い合わせたというケースもある。そのためにも、いち早く江別市に若者を支援する協議会を設置し、行政との連携を密にしていきたい。また、協議会の関係機関としてもリーダーシップを発揮できる存在でありたい。」(五十嵐さん)
そのために「みらい」は、NPO法人への移行を申請。「学校や行政では解決しにくいような複雑なケースに対処するために、我々のような団体がいるのです。」と語る五十嵐さんは、行政とのタッグがいつでも組めるよう、着々と準備を進めている。
「みらい」のカウンセラーは、現在、五十嵐さん一人のみ。先に述べたような運営面の厳しい事情から、新たに人を雇うことができない面もあるが、ボランティアによって人員を確保することについて、五十嵐さんは難色を示す。
「訪問相談は、かなり危険な面もある。特に20〜30代の若者は力も強く、私も、相談中に刃物を持ち出され、刺されそうになったことが何度もある。カウンセリングを行うときは常に命がけなので、そうした現場でボランティアの方に働いてもらうのは難しい。だからこそ、労災保険をかけることができる環境を整えた上で、正規スタッフとして働いてもらいたいのです。」(五十嵐さん)
特に平成22年は、大学生の就職内定率が過去最低を記録したが、北海道の雇用情勢は全国的に見てもかなり厳しい。大学の多い江別市でも今後、悩める若者はますます増えていくことが予想されるため、一刻も早くスタッフを増やし、一人でも多くの若者を救いたいという五十嵐さんの思いは強い。
そうした解決すべき問題も山積みだが、「みらい」の次なるステップを、五十嵐さんはこう語ってくれた。
「現在は、自宅を事務所として活動しているが、江別市中心部に移転し、若者をサポートするような施設を開設したい。ここに来れば、不登校・ひきこもりに関する相談から、就業支援まで、若者支援に関することが全て網羅できる、というような場所をつくりたい。」(五十嵐さん)
江別市でしっかりと基盤を固めた後は、「みらい」の支部を道内各所に置き、北海道全体を網羅したいと考えている五十嵐さん。団体の名前通り、「北海道」の若者全てを支援したいという夢に向かい、五十嵐さんの東奔西走する日々はしばらく続きそうだ。
「みらい」の事務所の最寄り駅は、JR野幌駅。事務所までは、ここから車で15分程度だ。
「ひきこもりや不登校の当事者に、実際に会って話を聞くまで、何度も訪問し続ける。これが『みらい』の、訪問相談の特徴です。」(五十嵐さん)
部屋にひきこもっている以上、当事者と会うことはかなり難しい。実際、最初の訪問で本人と会える確率は、2割程度だという。しかし、会えないからといって、すぐに諦めないのが五十嵐さんのやり方。当事者の自宅に足繁く通い、5〜6回目の訪問になって、ようやく本人と会えるのだそうだ。ここまで徹底して「直接会う」という方針にこだわるのには理由がある。
「ひきこもり歴が長いほど会うまでに時間もかかる。しかし、何度も通うことで、会えるチャンスが必ず来ます。もし、何度通っても反応がない場合は、うつ病などの心の病が深刻なこともある。その場合は、相談云々よりも病院に連れて行くのが最優先になるので、対応が全く変わります。」(五十嵐さん)
こうした見極めは、電話やメールの相談など、本人不在の状況では難しい。100人のひきこもりがいても、同じ原因でひきこもっている人は1人としていない。本人と会うことなしには、問題は解決しないと強調する。
「ひきこもりや不登校の原因がどこにあるのかというのは、本人に直接尋ねないとわからない。実際にあったケースですが、ご両親から『いじめられて、不登校になってしまった』という依頼があり行ってみたところ、本人と会って話を聞くと、いじめの当事者だったということもありました。原因を正しくつかんで、問題を根こそぎ取り除いてあげないと、いつまでも社会復帰することができません。」(五十嵐さん)
しかし、本人に会えたからといって、ひきこもりや不登校の原因を本人からすぐに聞き出せるとは限らない。自分にとって触れたくないような嫌な話を、見ず知らずの人に積極的に話せる人など、健常な人でもほとんどいないだろう。そうした話を聞き出すためには、当事者と信頼関係を築く必要があり、そのためにも「直接会う」ことが重要になってくるという。
「『みらい』の訪問相談は、当事者の部屋で行います。自分の部屋は、その人の個性が表れる。どんな趣味や嗜好をもっているかは、部屋に行って初めて分かるのです。」(五十嵐さん)
まずは「友人関係」を築くことが、初めの一歩だと話す五十嵐さん。当事者の好きなものについて他愛のない話を繰り返しながら、「この人なら、自分のことを理解してくれる」という気持ちを抱いてもらえるような関係を築いてこそ、不登校やひきこもりの原因の核心へと迫ることができるのだそうだ。
3児のパパでもある、理事長の五十嵐慎二郎さん。学生時代は野球や柔道などをこなす、体育会系だった。
「ひきこもりや不登校の当事者に直接会うことが、問題解決への近道」というのが、「みらい」の方針だが、直接自宅に出向くのには、もう一つ理由がある。それは、本人のカウンセリングとあわせて、家族のカウンセリングも行うということだ。
「ひきこもりや不登校に関してはいまだに偏見があり、家族はそれを隠そうとします。また『育て方が悪かったのではないか』と自暴自棄になってしまう親御さんも少なくありません。こうした家庭環境では、せっかく本人が回復しても、再び元の状態に戻ってしまいます。」(五十嵐さん)
今は、ひきこもりを隠す時代ではない。ひきこもりや不登校の当事者が家族の一員にいるということを受け入れ、理解してもらうこと。その上で、1日でも早く社会復帰をするために、家族としてどう接すればいいのかを考え、一致団結して取り組むこと。これこそが、ひきこもりや不登校を根治させる唯一の方法だと五十嵐さんは説く。
「自宅に伺い、当事者の様子をよく観察するのはもちろんですが、家族全員にも気を配ります。当事者や家族の意向を第三者の私が取りまとめ、どの方向へ進むべきか目標を持ってもらい、家族全員が一丸となってその目標に向かって突き進めるように支援するのが私の役目です。」(五十嵐さん)
このように、自宅に直接赴き、きめ細かくカウンセリングを行うことで、一定の成果を上げる五十嵐さんだが、かなり骨の折れる作業で苦労が絶えないのも事実だ。
「親御さんや当事者から話を聞くのは非常に気を遣いますし、話の内容も深刻なものがほとんどなので、重く心にのしかかります。また、危険にさらされているという緊張感を常に持ちながらカウンセリングを行うので、終った後は疲労困憊します。」(五十嵐さん)
実際、五十嵐さんもこの仕事を始めてから、うつ状態を何度か経験したという。朝起きたら身体がまったく動かず、電話にも出たくないほどだったそうだ。そのため、現在では1日3件以上は回らないというルールを設け、自分が倒れてしまわぬよう気を付けているというが、辛いことに変わりはない。そこまでしてこの活動を続けるのはなぜなのか、五十嵐さんにモチベーションを保つ秘訣を聞いてみた。
「やはり、一人でも多くの若者を助けたいということに尽きます。ひきこもりや不登校の状態から脱出し社会復帰を果たした若者と、冗談を言い合えるようになったときは心の底から嬉しくなりますし、また頑張ろうというやる気も出ます。いまだに一人も社会復帰をさせることができていなかったら、おそらくもうこの仕事を辞めていたでしょうね。」(五十嵐さん)
若者の未来の姿を思い描きながら、五十嵐さんは今日も現場で、悩める若者や家族と向き合う。
「みらい」の事務所の周辺の様子。駅から車で15分走るだけで、畑や牧場、サイロなどが点在する景色が広がる。
[ひきこもりだったAさん・男性・当時20代後半の例]
「彼のケースは、本当に苦戦しました。思えば彼が社会復帰するまでの3か月間、ほとんど毎日、Aさんの自宅に通っていた気がします。」と五十嵐さんに言わしめた、Aさんの事例を紹介したい。
Aさんのいる家庭は転勤族で、転勤を重ねた末にやってきたのが江別市。単身赴任で自宅を不在にしがちな父親と、母親、またAさんの下に妹が2人いる。Aさんは道内の大学を卒業し、すぐに大手のIT系企業に就職したが、半年ほど経ったある日、突然会社を辞めてしまう。そして、自室にこもりきりとなり、五十嵐さんが依頼を受けた時点で6年が経過しようとしていた。
「まず感じたのは、Aさんに対する母親の態度が甘いということでした。」(五十嵐さん)
高校時代には、母親がAさんの部屋を掃除するために無断で入ったことから、トラブルとなったことがあった。誰しもが経験するような話ではあるが、Aさんの場合「今後、私はAの部屋に入るときは、了解を得て入ります」という旨の誓約書を、母親と交わさせたという。さらに、ひきこもりになってからも毎日、母親がAさんの部屋まで食事を運んだ。6年間全く部屋から出ず、お風呂も1年に2回しか入らない。妹が、「お兄ちゃんが臭いから、お風呂に入るよう言って。」と母親に頼んでも、強く言えずにいた。扉越しに話しかけてもAさんは「うるさい!」「出て行け!」の一点張り。
「誓約書を交わす時点で、これは異常事態だと思いました。また、依頼を受けたとき、母親もだいぶ憔悴していたので、当事者以上に母親のケアの必要性も感じました。」(五十嵐さん)
Aさんの社会復帰へ向けた、長い道のりがスタートした。
「Aさんは、昼夜逆転の生活を送っている、いわば典型的なひきこもりのパターンでした。昼間はずっと寝ていて、夜中の1時ごろに目を覚まし、朝方になって眠りに就く。寝ている時間に訪問しても効果がないと考え、最初の訪問は、夜中の3時に行くことにしました。」(五十嵐さん)
母親に頼んで、事前に「専門のカウンセラーの方が来てくれるから」とAさんに伝えてもらっていたものの、五十嵐さんの問いかけには全く応じず、無反応。これが最初の訪問相談だった。その後、2回目、3回目と訪問を続けるものの、五十嵐さんの問いかけに反応を示さないAさん。
「3回目になって気付いたのは、『ひきこもりやすい環境』になってしまっているということ。トイレは、Aさんの部屋がある2階にもあり、母親が食事を部屋まで運んでくるため、ひきこもりにとってはよい環境となっていたのです。」(五十嵐さん)
このままでは状況が良くならないと思った五十嵐さんは、母親に2つのお願いをすることに。1つ目は、2階のトイレの水道を止めてしまい、使えなくすること。2つ目は、食事を部屋まで運ぶのをやめ、お腹が空いたら1階まで下りてきてもらうようにすることだ。
「このお願いをしたとき、母親は『できるかな…。』とかなり不安な様子でした。たしかに、勇気のいることだと思います。しかし、『子どものためを思うなら、ここでお母さんが変わらないと、何も変わりませんよ。』と諭し、2つのお願いを実行してもらうことにしました。」(五十嵐さん)
そして迎えた6回目の訪問相談。1階で母親と話をしていた五十嵐さんの目の前に、食事のために降りてきたAさんがとうとう姿を現した。
「『やっと会えたね。俺のこと嫌いでしょ?』と聞くと、Aさんは『嫌いだ』と答えました。話の内容はともあれ、大きな一歩でした。」(五十嵐さん)
次のステップは、Aさんの部屋に入ること。しかし、入りたいという旨を五十嵐さんが伝えると、「不法侵入だ、警察呼ぶぞ!」「カウンセリングなんて頼んでいません、帰ってください!」と語気を強め、拒み続ける。Aさんは頭の回転も速く、何かに理由をつけ、五十嵐さんに対抗した。
「ある日の訪問相談のときは、Aさんが部屋の前にイスを並べ、バリケードを作っていたことも。でも諦めずに撤去していき、ひたすら説得を続けました。」(五十嵐さん)
日に日に通う頻度が多くなり、短い時間でも家を訪れるようにした。玄関先で、「こんにちは! 来たよ!」と大きな声で叫び、アピールも積極的に行った。
「ここで諦めたら、もう二度と部屋に入れてくれないかもしれないと思い、訪問する頻度も増やし、一気に猛スパートをかけました。」(五十嵐さん)
両者一歩も譲らず、押し問答が続く日々。しかし、ついに均衡は破られた。ある日、とうとうAさんは観念し、自分の部屋の扉を開けた。部屋はカーテンでしっかりと閉められ、真っ暗。とてつもない異臭が、部屋に充満していた。
「まずは、このひどい状態の部屋をなんとかすることが先決。話はそれからでした。」(五十嵐さん)
五十嵐さんは、母親とともに、Aさんの部屋の掃除にとりかかることに。部屋を暗くしていたカーテンはすべて取り払い、汚れた布団を取り除き、ごちゃごちゃと散らかった部屋を整理整頓。窓を全開にして、新鮮な空気を部屋に送り込んだ。するとAさんから、「分かった。何の話を聞けばいいんだ。」という言葉が。ようやく、本格的なカウンセリングができる状態にまでたどり着いた。
話を聞くと、入社した会社でも、半年間は順調に仕事を進められていた。しかしその後、仕事や人間関係がうまくいかず、家にひきこもるようになったという。
「本人は『会社や同僚に裏切られた』と話していましたが、今までに挫折をあまり経験してこなかったようなので、さぞかし大きなショックだったのでしょう。」(五十嵐さん)
Aさんの話に真摯に耳を傾けた五十嵐さん。さらに話を進めるうちに、この人なら話ができるという人を突き止めた。
「唯一、心を開いて話せるという人が大学の恩師だということを教えてもらったので、『一緒について行ってあげるから、その先生に会いに行かないか』と提案しました。」(五十嵐さん)
五十嵐さんがその先生の居場所を調べたところ、すでにAさんが卒業した大学にはおらず、現在は神奈川県にいるという。そこで、Aさんと2人で先生に会う旅に出ることに。
「旅の目的は、先生に会いに行くことはもちろんですが、2人でいつもより長く同じ時間を過ごすことにもありました。他愛のない話などをするうちに、Aさんのキャラクターを理解できて、信頼関係を築くのに非常に有効でした。」(五十嵐さん)
恩師に会い、自分が大学卒業後から今までに経験したことや、思いの丈をすべて打ち明けたAさん。先生もじっくり話を聞いてくれ、理解を示してくれた。そのことでAさんも、今まで背負い続けてきた辛い記憶から解き放たれたのだろう。「もう一度、頑張ってみる。」と、前向きな言葉がこぼれた。
社会復帰の第一歩として、まずは2週間、アルバイトに挑戦することになった。五十嵐さんの知り合いにコンビニの店長がおり、そこで働かせてもらえることに。Aさんが昼夜逆転の生活に慣れてしまっていたため、夜のシフトを組んでもらった。
「初日は1時間おきに、泣きつくように電話がかかってきましたよ。しかし、6年間ひきこもっていたわけですから、人前に出ることも久しぶりですし、辛いのは当たり前。電話がかかってくるたびに、励ましました。」(五十嵐さん)
なんとか2週間のアルバイトをやり遂げたAさん。給料をもらい、店長からねぎらいの言葉をかけられたAさんの顔は、達成感と自信に満ちあふれていた。
その後、Aさんは自動車会社に契約社員として就職。働きぶりが買われ、現在では正社員に昇格。もともと車に興味があったこともあり、熱心に仕事に取り組んでいるそうだ。
「今後の夢を尋ねたら、『IT関係の会社を立ち上げ、経営者になりたい。』と言っていました。やはり、いつかはIT系の仕事に戻りたいようです。でも今は、資金作りと、今働いている会社の良いところをどんどん吸収して、今後につなげたいと話していました。」(五十嵐さん)
今では、ひきこもりだったころの五十嵐さんとのやりとりについて話すと、「そんなこともあったね。」と笑い飛ばせるようになったAさん。新しい目標に向かっての挑戦は、まだまだ始まったばかりだ。