なんだか騒いでいる人がいたのだけれどちょっとした勘違いがあって世間より数日遅れて New York Times の記事「
Straight, Gay or Lying? Bisexuality Revisited」(July 5, 2005) を読む。勘違いというのは、日本語に訳すと「異性愛、同性愛、それとも嘘つき? 『両性愛』再考」という挑発的なタイトルだけ読んでまさか文字通りそのままの内容だとは気づかず、「嘘つきなんかじゃなくてバイセクシュアルの人たちがいますよ」といったフツーの記事だと思って読み飛ばしていたのだけれど、きちんと読んでみるとマジで「新しい研究によると(少なくとも男性の)バイセクシュアルなんて存在しない、必ず異性愛か同性愛かのどちらかであり、両性愛を自称する人は間違っている」という内容だった。驚愕。
その新しい研究をしたグループというのがまた怪しくて、一番偉い人はノースウエスタン大学のJ・マイケル・ベイリーという心理学者。ベイリー氏は数年前、トランスセクシュアルの心理学について書いた本で「MTFTSの人たちは口先で何と自称していようと全て、性的に男性に惹かれるホモセクシュアル・タイプと、自分自身の体を女性化することにフェティッシュ的な興奮を覚えるオートガイネフィリア・タイプの2つに分類できる(すなわち、レズビアンやバイセクシュアルを自称するMTFTSは嘘つきである)、それ以外のタイプの存在は科学的に証明されていない」という、トランス業界で無茶苦茶評判の悪い理論を主張したことで知られている。その科学的証拠というのも異論が多いのだけれど、それと同時に自分がカウンセラーとして診たクライアントの例を当人に無断で本に書いたりするなどの倫理的問題によって学部長の地位を追われたりもしている。
今回の研究についての論文は次号の
Psychological Science
誌に掲載されるということでいまのところ詳細は分からないのだけれど、NYT の記事によると興奮度を測る装置を性器に取り付けたうえで男性もしくは女性の性的な映像を見せて反応を計測したところ、バイセクシュアルを自称する男性の「ほぼ全員」が実際には一方の性の映像においてしか性的に反応しなかったという。すなわち、バイセクシュアルを自称していたはずの男性のうち約75%はゲイの男性とほぼ同じ反応を示し、残りは異性愛の男性とほぼ同じ反応。もちろん、現実にバイセクシュアル的な行動を示す人がいることまで否定するわけではないけれど、今回の研究は男性におけるバイセクシュアルという性的指向の存在を疑うに十分な理由であるというのがベイリー氏らの考えだ。
これに対して考えられる最も単純な反論は、ポルノ映像に対するペニスの反応だけで個人の性的指向を決めつけられてはたまらないというものだろう。現にこの研究では全体の3分の1の被験者が男性・女性どちらの映像にも何の反応も示さなかったとされている。研究者たちは「無反応」が自称する性的指向の区別なく同じくらいの割合で起きていることを理由に、「無反応」を示す人が3割以上出たことは今回の研究の結論を覆すものではないとしているけれど、まさか全男性のうち3割もが無性愛者(アセクシュアル)であるわけがないから、今回の実験装置で個人の性的指向を完全に捉えきることができないのは明らかだ。
使われた映像にも問題がありそうだ。この研究に使われた「男性のみが登場する性的な映像」「女性のみが登場する性的な映像」というのは、普通に解釈するなら「同性愛男性向けに作られたポルノ作品」「異性愛男性向けに作られたポルノ作品」だと思われるけれど、バイセクシュアルの男性を対象として作られたポルノなんて存在しないし、そもそもバイセクシュアルの男性がどういうポルノに興奮するかなんて誰も知らない。バイセクシュアルの男性もゲイの男性も「男性に性的に魅力を感じる」という点では同じかもしれないけれど、登場人物が男性でさえあれば全く同種の性的描写に同等だけ魅力を感じるわけではないのではないか。また、バイセクシュアルを自称する人のある部分が単に「男性にも女性にも惹かれる」というのではなく、「性別より他にもっと重要なこだわりのポイントがある」人たちであったならば、画一化されたメインストリームのポルノ描写に期待されていた通りに興奮しなくてもおかしくはない。
それより前に話を戻すと、そもそも性的指向というのは性的興奮だけなのか、その辺りからして怪しい。ベイリー氏は「男性にとっては性的指向とはすなわち性的興奮」と言い切るのだけれど、他人に性的な魅力を感じるということ、性的な関係を結びたいと思う気持ちを性器の充血と膨張だけに還元してしまうのはやっぱりおかしいように思う。だいたい、バイセクシュアリティという性的指向が存在するかどうかなんて、科学的に実証するようなモノじゃない。性的反応についての研究は勝手に続ければいいけど、現に男性にも女性にも性的な魅力を感じ(得)る人がいるんだから、それをバイセクシュアルと呼べばいーじゃん。
今度の記事の一番の問題は、バイセクシュアルに対する一般社会やゲイ・コミュニティにおける偏見を不用心に肯定するような形で研究を発表したことだ。例えばタイトルの「異性愛、同性愛、それとも嘘つき?」というのは、男性同性愛者のコミュニティでよく言われている偏見をそのまま使用しているのだけれど、普通の新聞ならば(一流紙ならなおさら)、偏見やステレオタイプをタイトルに掲げた記事の中でそれを肯定する内容を書いたりしない。例えば、一流紙の紙面に「イスラム教徒はテロリスト?」とか「エイズは同性愛者への神の罰?」というタイトルの文章があったとしたら、それはおそらく「イスラム教徒や同性愛者に対する偏見は良くない」という内容の記事であるはず。わたしがタイトルから内容を間違って解釈したのも、そういった予断のせいだけれど。(おかげで取り上げるのを
spongey さんに先を越されちゃった… ちなみに、わたしもベイリー氏らへの反論として「バイセクシュアル」を確固たるカテゴリにするのではなく、セクシュアリティのさまざまなカテゴリを全部揺るがす方に賛成ですが、取りあえず今回に限って「バイセクシュアルを自称する人がいる」ということを尊重するのを優先したいです。)
もちろん、これだけであれば「問題のある報道のされ方をされたのは全て NYT の責任であり、ベイリー氏ら研究者には何の落ち度もない」という可能性もあるのだけれど、そのベイリー氏自身が過去に「レズビアンを自称するMTFTSは嘘つき」というのに等しい文章を発表してきただけにそうはいかない。だいたい、わたしの経験からいって、セクシュアリティ関連でおかしな報道がされる場合、その大半の原因は記事の元となった大学や学術誌出版社のプレスリリースが問題であることが多い。(ただし、今回に限っては何故か記者用サイトを使ってもプレスリリースが見つからなかった。ベイリー氏らから直接記者に送られたのかも知れない。)
ベイリー氏は一般的には「同性愛者に理解のある心理学者」とみなされているのだけれど、彼の理論ではバイセクシュアルの男性がみんな同性愛者か異性愛者かのどちらかであるだけでなく、MTFの人たちだって実は同性愛者(男性)か女性の身体にフェティッシュ的興味を持つ異性愛男性(オートガイネフィリアを自認するほとんど唯一のTS当事者であるアン・ローレンス氏の言うところの「男性の身体に閉じ込められた男性」)かのどちらかだと決めつけている。そんなにがんばって「異性愛/同性愛」という分類にガチガチにはめ込まなくても、同性愛者の権利獲得や地位向上には何の問題もないはずだと思うのだけれど。
Filed under
psychology,
queer
Posted on 2005/07/07 木曜日 - 23:24:03 by macska
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