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衆院の年内解散が取りざたされるなか、各党がマニフェスト(政権公約)づくりを加速させている。民主党は次の公約素案をまとめ、各地で政策進捗(しんちょく)報告会をスタートさせ[記事全文]
橋下徹大阪市長をめぐる週刊朝日の記事について、外部識者でつくる朝日新聞社の「報道と人権委員会」が見解を出した。記事は、出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調と[記事全文]
衆院の年内解散が取りざたされるなか、各党がマニフェスト(政権公約)づくりを加速させている。
民主党は次の公約素案をまとめ、各地で政策進捗(しんちょく)報告会をスタートさせた。各党とも、現実的で説得力のある政策を競いあってほしい。
もっとも、昨今、マニフェストの評判は芳しくない。その責任の多くは民主党にある。
09年総選挙で、民主党は予算の見直しなどで16.8兆円の財源を確保するバラ色の公約を掲げ、破綻(はたん)した。
消費増税法を成立させたことは野田政権の功績だが、公約にはなく、結果的に有権者を裏切ることになったことも事実だ。
守れない約束をし、痛みを分かち合う必要性には目をつぶる。そのことが、深刻な政治不信を招いた。首相が「過ちは心から率直におわびする」と国会で陳謝したのは当然である。
それでも、マニフェストの意義は損なわれていない。
政策を裏づける財源や達成時期をマニフェストに明記し、実行し、検証して改善する。それを有権者が政治を評価する際のモノサシとして使う。
もちろん、限界はある。
国の財政に限りがあり、経済のグローバル化が進むなか、政治のとりうる選択肢は、じつは多くない。政党がマニフェストで国民受けを狙ったり、無理に対立軸をつくったりすると、逆に政治に混乱をもたらす。
民主党の「甘い公約」に懲りた有権者は、その点にも厳しい目を向けている。各党ともそのことを忘れてはなるまい。
首相は、民主党のマニフェストに環太平洋経済連携協定(TPP)推進の方針を盛り込むという。自民党との違いを際立たせるねらいだが、民主党内にも異論は多い。議論を尽くし、まずは党内をまとめてほしい。
「脱原発」を掲げるにしても、スローガンだけでは説得力に欠ける。工程表をつくり、本気度を示してはどうか。
一方、自民党の安倍総裁は領土外交に強い姿勢で臨むとしつつも「中国、韓国との関係改善をはかる」という。では、具体的にどんな戦略を描くのか。政権復帰をめざすというなら、責任ある構想を示してほしい。
「第三極」を名乗る各党にも求めたい。原発や消費増税、TPPなど基本政策で主張に違いがある。連携する場合は、それぞれがマニフェストを作成したうえで、整合性ある統一マニフェストを掲げるべきだ。
こんどこそ、実りある政策論議を聞きたい。
橋下徹大阪市長をめぐる週刊朝日の記事について、外部識者でつくる朝日新聞社の「報道と人権委員会」が見解を出した。
記事は、出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調としており、人間の主体的尊厳性を見うしなっている――ときびしい批判が並んだ。
小紙社説の執筆を担当する論説委員室も、指摘はもっともだと考える。すぐちかくで働く仲間がおこした過ちであり、痛恨の極みというほかない。
橋下氏は国民が関心をよせる公人のひとりだ。生い立ちや親族を取材・報道すること自体は否定されるものではない。
だが、委員会の見解を引くまでもなく、生まれで人格が決まるような考えは明らかな間違いだ。また、一般にふれてほしくない事実を取りあげる場合は、必要性が伝わり、そこに踏み込むだけの説得力が求められる。ところが、記事からそれを読み取ることはできない。
具体的な地名をあげ、被差別部落があると書いたのも配慮を欠く。差別事件が題材のときなど、必然性があって明示する場合もある。しかし今回、言及した理由はどこにあったのか。
タブーを恐れず本音で切り込むことこそ、メディアの使命であり、雑誌の役割も大きい。だからといって記事の精度が低かったり、人権をないがしろにしたりする行いが許されるわけではない。当然の理だ。
私たちはこれまで社説で、表現・言論の自由の大切さを繰りかえし唱えてきた。
知識や意見、それに対する反論を伝えあい、共有することによって、ものごとを考え、議論を深める土台が形づくられる。民主主義を、強く、たしかなものにするために最も大切なものが、表現の自由である。
マスメディアだけの権利でないのはもちろんで、社会全体で守り、育てていくものだ。
一方で表現の自由は、名誉やプライバシーなど他の重要な価値としばしば衝突する。
その調和をどこに求めるか。表現にたずさわる者が悩んできたテーマであり、これからも悩み続ける課題だ。そこにしっかりと向きあわず、今回のようなひとりよがりの表現行為に走れば、人びとの批判を呼び、やがては公権力による介入など、深刻な事態を招く。
読者から「新聞と週刊誌で会社が別だといって他人事の顔をするな」との声も数多く届く。
この過ちをわが問題と受けとめ、社会の期待に応える報道とは何か、足元をかためて、その実現に取り組んでゆきたい。