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2012/11/04

 河野洋平は絶対に反省しない。   二回目

 今日で朝日新聞試の読期間は終わりました。テレビでもコマーシャルで盛んに朝日新聞のコマーシャルを流すようになりました。新聞なら朝日という神話を復活させたいつもりでしょう。今日の朝日新聞は、日曜日なのかいま日本を取り巻く政治的状況が、紙面からまるで感じられません。すべて順調に世の中が流れている如くの紙面づくりです。
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 新聞の使命として、最低限ニュースを公正に伝える義務があります。しかし報道の自由を声高に唱える、朝日新聞には報道すべきニュースを伝えない、無視する自由のほうが目立ちます。世論を操作しているとしか思えません。しかし世論は少しの間は騙せても、すぐに見破られ、あらゆる方面から指摘され、報道を隠していることが、反って朝日新聞の致命的な弱点として、あるいは偏向報道として、世に知らしめさられています。
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 それでも、今までの姿勢を、取り続けなければならない事情があるのでしょう。コアな読者も存在するのです。姿勢を変えればそれらの読者も失ってしまうでしょう。昨日の新聞で、野田佳彦首相の大きな写真つき民主党の広告が全面一ページを使って、25面に出ていました。いま一番の金持ちは民主党ですが、全面広告するほどの無駄使いが許される立場ではないはずです。
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 マニフェストすべてが実行出来ずにまるで詐欺としかいい用のない状況で、野田首相の顔のように開き直った無神経さ丸出しで、ずうずうしく紙面に、『皆さんと話したい。できたこと、できなかったこと、そして、どうすればできるのか。」こんな広告を朝日新聞は応援するが如く提供しているのです。これではまるで、民主党の機関紙並です。
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 この朝日新聞が、本との本家本元の発信源ですが愚かな反日的捏造記事を作り上げ、チャイナや朝鮮半島にコビを売るような記事が、河野洋平といういい加減なリベラリスト政治家によって、取り返しのつかない、『河野談話』へと続くのですが、昨日の続き、雑誌『正論』12月号より、その文を書き残しておきます。
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 《 雑誌『正論』 12月号より 》
 [ 歴史捏造国家に一撃を ]
  【 河野洋平に反省の色なし 】    二回目
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 ●厚顔無恥とはこのこと。読売新聞、「時代の証言者」で
 またも慰安婦をめぐって数々の売国的発言が飛び出した
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     産経新聞政治部編集委員   阿比留瑠比
 ・・・・・・・・慰安婦が確かに存在していたことは疑いようがない。近代史家の秦邦彦氏によると、その総数は二万から二万数千人で、うち四割は日本人女性だが朝鮮人女性も二割程度いたという。そしてその朝鮮人女性の中には、親に売られたり女衒にだまされたりして慰安婦となり、不幸な日々を送った人がいたのも間違いないが、誰もそんなことは否定していない。
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 河野氏は、「強制連行の証拠はないとするごく当たり前の人たち」を、「慰安婦の苦しみを認めない非人道的な人たち」に勝手に置き換え、非難して見せることで、自分の道徳優位を確保しようとしているのだ。これはかって、社民党の土井たか子元党首が、「従軍慰安婦という言葉は戦後の造語だ」という史実の基づいた主張に対し、「慰安婦はいなかったという人たち」と事実関係をねじ曲げた中傷気所を浴びせたのと同じ構図だ。
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 さらに河野氏は、談話を否定すると、「国家の信用を失いかねない」と脅しをかけているが、そもそも、「性奴隷の国、日本」というとてつもないマイナスイメージを世界に広めたのは河野談話そのものだ。欧米諸国も、官房長官談話である河野談話が、強制性を認定したことをもって、「日本政府が公式に強制連行を認めた」と解釈し、それが今日の惨状を招いているのではないか。
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 最近、米国で韓国系住民らの主導の元、史実ではない慰安婦の強制連行が自明のことのように示された慰安婦記念碑が建立されているのも、河野談話の存在が根っこにある。河野氏はそれらに反省は一切せず、自己正当化に明け暮れている。おそらく、河野氏の主観の中ではあくまで自分は正しく、河野談話に疑義を示す人は人間性の劣った、好戦的で野蛮な人間だと思っているのだろう。
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 《 幼稚で自国民に冷酷な人間性 》
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 河野氏は前述の、「世界」で、次のようにも語っており、まさしく河野氏の政治観、なかんずくその情緒性と独善性がうかがえる。「政治家は、どの政党に属しているか、あるいは、どのような政治的手法を使うかが重要なのではありません。政治はすぐれた人間が行なう営みです。政治に携わる人間の信念や人間性が政治そのものです」まるで自分の信念や人間性は立派であるといわんばかりだが、果たしてどうか。
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 河野氏は、近隣諸国へは過剰な贖罪意識にかられて、へいこらするが、肝心の自国民に対してはいたって冷たい。安倍政権下の衆院議長時代だった平成十九年八月十五日、武道館で開かれた全国戦没者追悼会であいさつした際には、会場を埋める戦没者遺族の前でこう言い放った。
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 「私は、(アジア近隣諸国や連合国軍の)日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたい」、「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前に誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、(中略)『日本国憲法』に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」
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 わざわざ旧軍関係者も少なくない戦没者遺族の会合で日本の加害責任を言い募り、かつ、好的なあいさつの場で安倍氏が掲げていた、「戦後レジームからの脱却』への皮肉を取り混ぜている。このような時と場所をわきまえず、同胞たる日本国民への思いやりも示さないまま、政治的に異なる立場の相手を攻撃するやり方が、河野氏の自賛する、「信念や人間性」なのだろうか。河野氏自身がどう思っているかに関わらず、こんなものは普通、『幼稚』の一言で切り捨てられる態度に過ぎない。
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 参考までに記すと、河野氏は自民党の加藤紘一元幹事長と並んで親中派政治家の筆頭格として知られ、二人で中国に対する忠誠を競ってきたが、外務省のチャイナ・スクール官僚はこう語っている。「二人はかって、どちらかが訪中すると負けじとばかりに訪中し、互いに中国要人と会っては日本のタカ派政治家や政府の悪口を言いふらしていた。中国は、こういう相手を表向きは丁重に扱うが、本心は、『自国にプライドを持たない奴』と軽蔑している」。
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 ドイツの社会学者で自身も政治家だったマックス・ヴェーバーは、政治家必読とされる著書、『職業としての政治』の中でこう強調している。≪戦争の終結によって少なくとも戦争の道義的な埋葬は済んだはずなのに、数十年後、新しい文書が公開されるたびに、品位のない悲鳴や憎悪や憤怒が再燃してくる。(中略) 政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である。ところが、「倫理」はこれについて苦慮する代わりに、解決不可能だから政治的にも不毛な過去の責任問題の追及に明け暮れる。政治的な罪とは・・・・もしそんなものがあるとすれば・・・・こういう態度である。
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 河野氏のような政治化が、「倫理」と、「善意」を振りかざし、政治的に不毛な歴史認識問題に手を突っ込んで、問題を反ってこじらせることの愚が明瞭に指摘されている。もっとも、これを読んでもきっと、チンプンカンプンで何を言われているか分からないことだろう。もはや、見たいことと聞きたいことしか知覚できない心理状態にあるように見える。
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 河野洋平氏にとって、祖国は、心の祖国は、日本ではないかもしれません。戦後教育は日本に対する日本解体作業をアメリカを中心に行なわれたようなものです。このアメリカを動かしているのが、大東亜戦争の前からチャイナでした。アメリカと日本を戦わせようとあらゆる画策をし、それに成功しました。しかし日本は見事に復興しました。
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 日本の変わりにその役目を負わなくなってしまったアメリカは、やっとチャイナの口車に乗ってしまったと気がついたことでしょう。チャイナという国は昔から非常に狡猾な国です。それを見抜けない、河野洋平・太郎親子。加藤紘一は、見た目は押し出しが利き、風貌も申し分ないが、政治センスは限りなくゼロに近いでしょう。

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