仕事がつまらない、学校がつまらない、テレビがつまらない、芸人がつまらない、ゲームがつまらない、新聞がつまらない、漫画がつまらない、ブログがつまらない、映画がつまらない、毎日がつまらない……って、いい加減気付けよ。面白い事に気付けない自分の感性がつまらない事に。
— 阿曽山大噴火さん (@asozan_daifunka) 11月 9, 2012
「裁判ウォッチャー」の阿曽山大噴火さんのツイートが話題になっています。
どうやっても「つまらない」ものもある
阿曽山さんのツイートには基本的に同意するのですが、僕は「どう頑張っても、つまらないものはある」というのも、また一つの真実だと思います。
これは僕はナーバスになりすぎているのですが、阿曽山さんの言葉からは、「新人はつまらない雑用でも楽しんでこなさなくてはだめだ!」式の無駄なマッチョイズムを感じてしまうんですよね。書類整理とか社内便送ったりとか、どう頑張っても「つまらない」でしょう。
映画にしろ、テレビにしろ、ゲームにしろ、森羅万象すべてを楽しめる感性の持ち主は、僕は存在しないと思います。もちろん捉え方次第では、それらは十分に楽しいことになることも知っています。
「つまらない」ものからさっさと逃げる
僕の価値観と経験では、つまらないと感じたものを無理に楽しむよりは、さっさと見切りを付けて次の選択肢を探す方が有益です。
ゲームひとつとっても、つまらないゲームを無理して突き詰めるよりは、「これは自分に合わなかった」と諦めてもっと楽しめるものを探した方が、人生は豊かになるでしょう。これはゲームに限らず、仕事、映画、音楽、なんでも言えると思います。
経験を積めば、面白い事は増えていく
「面白い事に気付けない」という言葉がありますが、つまらないと感じてしまうのは、得てして自分の経験が浅いからです。言い換えれば、経験を積めばつまらないものも面白くなっていくものです。
世の中には「クソゲーマニア」という人種がいますが、彼らは「面白い」ゲームにある意味で飽きを感じて、「クソゲー」というつまらないものに、面白さを見いだそうとしているのでしょう。
僕は映画をかなり鑑賞する方ですが、例えばハリウッド映画のような「面白い」ものを一通り見ると、最初はつまらなかった、芸術性の強いマイナー映画なんかが面白く感じるようになるんですよね。
クラシック音楽も同じで、最初はチャイコフスキーや「展覧会の絵」のような分かりやすい作品にハマるんですが、そのうち室内楽とかオペラとかを聴くようになるものです。
というわけで、僕は「つまらない」ものに出会った時は、明らかに「どう頑張ってもこれはつまらない」と感じるものを除き、基本的に自分の未熟さを嘆くことにしています。
その上で、「まだこいつとは出会うのが早かったかな」と諦め、別の選択肢を模索しはじめます。さっさと見切りを付けていくわけです。楽な方を取っている感じがしますが、結局この方が効率的だと思います。
みなさんは「つまらない」仕事、音楽、ゲーム、テレビ……などなどに対してどのように接していますか?ぜひ皆さんのスタンスを教えてください。
関連本。8月に出た小山薫堂さんの著書。「つまらない」「面白い」を考えるヒントがありそう。