<冷凍食品会社シーホース>東京都港区赤坂三丁目二番七号パゴダビル六階所在。資本金二千万円。
丸尾進社長。今春、総額四十億円の負債をかかえたまま倒産したこの会社を、創価学会側は「山崎弁護士が実質的なオーナー(所有者)の企業」といい、山崎弁護士は「創価学会系企業の一つとして監督を委任されていたもの」と主張している。調べてみると、この会社にからむ妙な事実がわかってきた。「シーホース」が設立されたのは一九七六年二月であるが、当初は音楽関係の書籍出版、レコード、音楽テープの製作販売を社業として発足した。早くいえばレコード会社である。それが、いつごろから現在にみる″冷凍食品会社″に変身したのか。法人登記をみると、「シーホース」は、その最終所在地の東京・港区赤坂に移転する以前、 一九七七年六月までは東京都渋谷区千駄ケ谷●丁目●番十号にあった。さらにみていくと同社所在地は、会社創設直後の一九七六年十月時点には東京都目黒区五本木●丁目●十九番七号にあった。目黒区五本木●丁目●十九番七号。―― これは宮本宅電話盗聴事件で盗聴器を設計・製作した広野輝夫の実家、その住所ズバリではないか。そういえば、広野は大変な音楽好きで、音響録音を趣味としていた。すると「シーホース」は?……。
社長は盗聴犯
「いま創価学会の内紛で問題になっているシーホースという会社をつくったのが、元創価学会学生部幹部の広野輝夫だというのは事実ですよ。これはごくわずかの関係者しか知っていないことですがねェ‥‥‥」
創価学会が元顧間弁護士山崎正友を告訴した″三億円恐喝事件〃。その舞台となった「シーホース」周辺を調べていくうちに、意外な証言がとびだしてきた。証言者の一人、あるレコード会社のミキサー(録音技術)関係者はいう。「創価学会本部の元青年幹部が、レコード会社をつくる、という話が聞こえてきたのは、たしか昭和五十一年の年明けだったと思います。その初代経営者が広野君でしたよ。女性的な感じの青年でね」
黒い鶴の犯罪 第一部 「赤旗」特捜班