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2012年11月11日 (日)

『ワンクリック―ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』-誤訳の指摘

恒例という感じになってきましたが、アマゾンのカスタマーレビューで、『ワンクリック―ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』に誤訳の指摘がありました。先日の「『リーダーを目指す人の心得』-誤訳の指摘」に引きつづき、丸出だめ夫という方からです。

指摘の順番とは異なりますが、わかりやすいものからコメントを書いてみます。

■1点目

p173
「しかしバーティカルネットはアマゾンと違う。2000年問題に伴うごたごたから回復できず、2007年、イタリアのセメント会社に買収されてしまった。」
the Y2K fiascoを「2000年問題」と訳しているが、Y2K bugでなく、直前にある「recession deepened in 2000」のことを指しているのが自然。そもそもY2K bugで潰れた会社があったか?と考えれば自明だと思うが。

英語としては、"the Y2K fiasco"も基本的に「2000年問題」を指します。「"the Y2K fiasco"」をグーグルで検索してみればすぐわかります

今回のほかのコメントを見る限り、丸出だめ夫さんは文脈よりも原文の言葉との対応を重視されているようですが、その立場からすると、"the Y2K fiasco"は「2000年問題」と訳すべきだとなるはずの単語です。

ただ、ここの"the Y2K fiasco"は、文脈上、いわゆる2000年問題そのものを指しているわけではありません。実態としては、丸出だめ夫さんが指摘されているように、その直前にある"the recession deepened in 2000"を指しています(そう考えないと文脈上おかしい)。で、その"the recession deepened in 2000"の原因として169ページあたりに出ているのが2000年問題("the Y2K scare")です。また、英語表現としても、"the recession deepened in 2000"のように"2000"とせず"the Y2K~"という形になっているのは、著者が2000年問題を意識に入れて書いていることを示しています。そのあたりを総合し、「2000年問題に伴うごたごた」と訳してあるわけです。

結論として、私は、丸出だめ夫さんと同じ解釈をしているからこそ、"the Y2K fiasco"を「2000年問題」と訳さず、「2000年問題に伴うごたごた」と訳しているわけです。

■2点目

p174
「しゃっくりのような不具合なしに零細企業が大企業になれるはずがありません」
「without any hiccups」を直訳しており、意味不明の日本語になっている。

こちらを読まれる方にはもう少し原文を出した方がわかりやすいでしょう。

(原文)nothing goes from a small business to an extremely large business without any hiccups

(訳文)しゃっくりのような不具合なしに零細企業が大企業になれるはずがありません

英語の表現にごく近いと言われればそのとおりです。また、"hiccup"をちょっと大きな辞書で引けば、「ちょっとした不都合」のような意味が出てきます。ですから、

ちょっとした不具合なしに零細企業が大企業になれるはずがありません

とでもしておけば、今回のように突っこまれる心配もないわけです。でも、

しゃっくりのような不具合なしに零細企業が大企業になれるはずがありません

で日本語として十分にわかるだろうと思ったわけです(意味不明だと思われた人が少なくともひとりはいたわけですがm(._.)m)。

しかも、ここは、その直後に、

当時のアマゾンはしゃっくりというよりてんかんの発作に近い大変な状態だった。引きつっている売上もベゾスならなんとかしてくれるのではないかと……

と、ちょっとした不具合なんて状態ではなく、大変な状態だった、と続きます。指摘された部分を「ちょっとした不具合」のようにするなら、こちらの比喩(下線部)もすべて殺さなければならなくなります。

結局、ここの比喩は日本語として理解してもらえる範囲であり、残したほうがおもしろくなると思ったから残したわけです。

こういうパターンは翻訳関連ではよくやられる方法です。有名なところでは、村上春樹さんが"as cool as a cucumber"の字面訳である「キュウリのようにクール」という表現を使っておられる話などがあります。

この「キュウリのようにクール」について、前に翻訳関係者のディスカッションでどう思うかと聞かれたことがあるのですが、そのとき私は、村上春樹さんがやられれば「おもしろい翻訳」あるいは「翻訳調を活用した新しい日本語の創造」だけれども、私がやったら「英語の常套句も知らないバカ翻訳者の直訳」でしょうね、と即答しました。そう思うので私はあまりやらないのですが、でも、ときどき、英語表現を引き写したほうがおもしろいなと思って字面で訳すことがあります。ここもそれです。それが成功したのか失敗したのかは、読まれた方々の判断がどちらに偏るか次第となります。

ちなみに、今回の例で原文と訳文を見比べればわかるはずだと思いますが、「without any hiccups」、直訳(字面訳)はしていません。字面で訳せば

しゃっくりなしに零細企業が大企業になれるはずがありません

で、これだと意味不明な日本語と言われても仕方ないかもしれません。これでもまだ、「キュウリのようにクール」と同じレベルかもしれませんが(^^;)

しゃっくりとかてんかんの発作とか、比喩を生かしつつ、日本語として成立するように調整してあるわけです。翻訳とはそういうものですから。

■3点目

p167
“For all its all-nighters and tattooed punks humping books in the distribution center and golden retrievers wandering the halls in the corporate office,”
De Jonge wrote, “Amazon.com is a $20 billion, 2,100-employee company built on the thin membrane of a bubble, and this brings a manic precariousness to the place that no amount of profitless growth can diminish.”
「物流センター内では入れ墨があるような連中が夜を徹して本の出荷作業をおこない、本社内はゴールデンレトリバーが散歩している。アマゾン・ドット・コムは社員2100人、200億ドルの企業だが、その土台はバブルの薄い膜であり、そのため、利益のない成長を減じてはならないという躁的な不安感が蔓延している」
先頭の「for all~」(~なのに)が訳もれのため、論旨が意味不明になっている。
「halls」(廊下)の意味が分からなかったのか、訳モレ。
「利益のない成長を減じてはならない」は完全な誤訳。
X that no amount of Y can diminish は、
「いくらYが有っても減らないX」、「いくら Yが有っても消し去る事が出来ないX」という意味。

ここ、英語と大きく構造を変えて訳文を作ったところなので、英語と見比べたら「なんか違う」と思う人がいてもおかしくない場所ではあると思います。

まず、"for all"が抜けているとのことですが、抜けていません。

ここ、英語の構文としては、"its all-nighters and tattooed punks humping books in the distribution center and golden retrievers wandering the halls in the corporate office"が、"for all"を媒介として、"Amazon.com is a $20 billion, 2,100-employee company built on the thin membrane of a bubble"とつながっているわけです。ここの意味をごく乱暴にまとめると、「活気があるのだけれど、実は、土台がバブルの薄い膜にすぎない」という感じでしょうか。

で、「社員2100人、200億ドルの企業」という話をどこに持っていくべきかを考えると、英語は後半のバブルの薄い膜に乗っけて表現するのが素直ですが、日本語は、前半の活気があっていい感じの会社というほうにくっつけるほうが素直でしょう。

ただ、全体を一文にすると長くなりすぎてたくさんの情報を頭に一時保管しないと理解できない文になりそうなので、すっきりさせるため、2文に分割しました。夜っぴての出荷作業や犬などと「アマゾン・ドット・コムは社員2100人、200億ドルの企業だ」が同じものを異なる方向から描写している(つまり前の文と並列)という形にして、"for all"は「200億ドルの企業だが」の「が」にもっていったものです。

「halls」は、英語ではあったほうがいい単語ですが、日本語では不要というか、余分な単語だと思います。「翻訳時に消える言葉・出てくる言葉」でも書いていますが、翻訳すると、いろいろな言葉がどこへともなく消えたりどこからともなく登場したりします。原文や訳文の対応をとっていくと、単語がひとつくらい行方不明になっていると感じるようなところは、それこそ、本書でも数え切れないほどあるはずです。翻訳とはそういうものですから。

「利益のない成長を減じてはならない」の部分は……英語の構文を残していないという意味では、原文とまったく違う訳文にしているので、原文と見比べると誤訳であると感じる人がいるのはわかります。でも、著者がここで言いたかったことは出ている訳文になっていると思います。

丸出だめ夫さんが書かれている、「いくら Yが有っても消し去る事が出来ないX」という表現を、私の訳文の当該部分に当てはめると、

いくら利益のない成長が有っても消し去る事が出来ない躁的な不安感が蔓延している

となります。これがさらっとわかるいい日本語であるのなら、それでいいのですが、私には、わかったようなわからないような日本語にしか思えません。

この訳文を普通にわかる日本語にするためには、ここで取りあげられている不安感について考えてみる必要があるのだと思います。この不安感って、どういうものなのでしょう。どうなれば消えるのでしょう。逆に、どうなるとその不安は強くなるのでしょう。

そういうことを考えた結果、私はいまの訳文にしています。このあたり、解釈が異なる人もいるかもしれませんが、少なくともいまのところ、上記の考え方を変えなければならないと思う理由はみあたりません。

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