空の軌跡エヴァハルヒ短編集
第四十五話 2011年 8月10日記念LAS小説短編 麦わら帽子と向日葵の種(後編)


シンジがその麦わら帽子の少女と出会ったのは、日本各地にあるネルフの所有するヒマワリ畑の1つだった。
ゲンドウが仕事で訪れたついでに、シンジも連れて来ていたのだ。
シンジはゲンドウの言い付けを守って展望台から眼下に広がるヒマワリ畑を眺めていたが、強い風がシンジのかぶっていた麦わら帽子を吹き飛ばしてしまった。
ゲンドウは首にかける紐を結んでいなかったシンジを注意し、飛んで行ってしまった麦わら帽子は諦めろとシンジに言ったが、シンジは首を横に振って嫌がる。
その麦わら帽子は母親のユイから貰ったものだからだ。
ヒマワリ畑に降りて麦わら帽子を探すと意地を張るシンジに対して、ゲンドウは怒って「勝手にしろ」と言い放った。
シンジは目に涙を浮かべながらヒマワリ畑へ駆け下りる。
しかしシンジの目の前には自分の背より高いヒマワリが壁のように立ちはだかっていた。
シンジはヒマワリの隙間を縫って麦わら帽子を探したが、なかなか見つからない。

「こんなにたくさんヒマワリがあるから探しにくいんだ、このっ!」

痺れを切らしたシンジは、辺りのヒマワリを荒らし始めた。
乱暴に茎を折られたヒマワリの花が空に舞い散る。
その時、後ろから自分の手を誰かにつかまれたシンジは驚いて振り返った。

「こらっ、ヒマワリを折っちゃダメじゃない!」

怒った顔でシンジをにらみつけているのは麦わら帽子をかぶった少女だった。
年は自分と同じか、1〜2歳ぐらい上かもしれないとシンジは思った。

「ごめん、でも僕は探さなくちゃいけないものがあるから」

少女に謝ったシンジは、少女につかまれた手を振り切ってその場を立ち去ろうとした。
しかしシンジは少女に呼び止められた。

「待って、アタシも一緒に探してあげる」
「でも……」

シンジは遠慮したが、少女は引き下がらない。

「だって、そんなにあわてて探しているなんて、とっても大切な物なんでしょう?」
「うん、お母さんから麦わら帽子なんだ」

その後シンジとその少女は手分けしてヒマワリ畑の中を探した。
そして運が良い事に、少女が飛ばされた麦わら帽子を見つけたのだ。

「ありがとう」
「見つかって良かったわね」

シンジと少女は顔を見合わせて微笑んだ。

「ねえ、アンタはどこから来たの?」
「第三新東京市って所から、お父さんと一緒に来たんだ」

少女の質問にシンジが答えた時、シンジ達の耳にゲンドウがシンジを探して呼びかける声が届いた。

「あっ、お父さんが呼んでる」

シンジはそう言って声のする方角を向いたが、足を動かそうとしなかった。
そんなシンジの様子を不思議に思ったアスカが声を掛ける。

「どうしたの?」
「僕、さっきお父さんを怒らせちゃったんだ」

少女に向かってシンジは、ゲンドウの前で泣いてしまった事を話した。
シンジは父のゲンドウに「男なんだから泣くんじゃない」としょっちゅう言われているとぼやいた。

「そうだ、これをあげる!」

少女はそう言って、ポケットからヒマワリの種を取り出した。
突然差し出されたシンジはポカンとした顔になる。

「アタシ、辛い事があってもヒマワリを見てるとすぐに泣きやんじゃうんだ。だって、ヒマワリって綺麗でしょう?」
「そうかもしれないけど……もしかして、ヒマワリが好きなの?」

少女に押し切られる形で同意しながら、シンジはそう尋ねた。

「うん、アタシの家のお庭にもたくさんヒマワリがあるのよ」

そう言って少女はシンジの手にヒマワリの種を押し付けた。
どうやらシンジもヒマワリを育てろと言っているようだ。
少女から笑顔で渡されたヒマワリの種を突き返す事も出来ず、シンジはヒマワリの種を握りしめた。

「泣きたくなったら、ヒマワリを見て元気出してね。そして、もう二度とヒマワリは折っちゃだめよ、約束してね」
「分かったよ、じゃあバイバイ」

少女に向かってシンジは力強くうなずき、手を振ってゲンドウの所へと帰って行った。
そしてシンジはその後何回も麦わら帽子の少女に会うためにヒマワリ畑へ向かったが、少女と会う事は出来なかった。
シンジは少女の名前を聞いていなかった事を後悔したが後の祭り。
ヒマワリ畑で少女と再会する事は諦めたシンジだったが、少女から貰ったヒマワリの種を植えて育てる事は止めなかった。
それは自分と少女を結んでいる小さな約束であり、シンジはヒマワリを見る事で少女の事を思い返していたのだ。



「……夏休みにアスカに会った時、その子に似ているって思ってビックリしたんだ。アスカがその子だったらよかったのに、なんてね」

シンジは冗談めかした口調で言って笑ったが、話を聞いていたアスカが涙を流し始めたのを見て、顔色を変える。

「ごめん、僕の勝手な想像を押し付けちゃって。アスカにとっては迷惑な話だよね」
「嬉しいわ、そんな昔の約束を覚えていてくれたなんて!」
「えっ!?」

感激したアスカに抱き付かれたシンジは、驚いてアスカを見つめていた。
アスカはシンジから体を離すと、シンジの手を握って話す。

「シンジの話を聞くまで、アタシも約束の事をすっかり忘れていたわ、ごめんね」
「じゃあ、アスカがあの時僕が会った麦わら帽子の女の子なの?」
「ええ、アタシとヒマワリ畑で会って、第三新東京市に住んでいて、女の子との約束を守ってヒマワリを育ててくれているシンジって男の子が二人以上存在していない限りね」

そんなたくさんの偶然の一致があり得るわけがない。
シンジは目の前に居るアスカがあの時のヒマワリ畑の少女だと確信すると、激しい感動が起こるのを感じた。
長い間会いたかった、そして恋焦がれていた相手に、会う事が出来たからだ。

「アスカっ!」

今度はシンジがアスカを抱き締めようとすると、アスカはしっかりとシンジの抱擁を受け入れた。
しばらくしてお互いの気持ちが落ち着いたシンジとアスカは体を離して、ゆっくりと話を再開する。

「ねえシンジ、麦わら帽子の子とアタシが別人だったら、シンジはどっちを選んでた?」
「アスカ、そんな意地悪な質問をしないでよ」

シンジが困り果てた顔で懇願すると、アスカは楽しそうに笑う。

「ふふっ、そんな優しいシンジが好きよ」

アスカはそう言うと、シンジのほおに軽くキスをした。
シンジは顔を赤くしてほおに手を当てる。

「じゃあアタシ、そろそろ帰るわね」
「で、でも、宿題がまだ終わってないよ」
「大丈夫、もう一人で出来るから!」

アスカの方も相当照れくさかったのだろう、ゲンドウとユイにぎこちない挨拶をして慌てて帰って行った。
ゲンドウとユイはアスカの態度を不思議に思ってシンジに尋ねたが、シンジは何でもないとごまかした。



そして次の日の朝、家にアスカが迎えに来た事にシンジは驚いた。

「シンジ、一緒に学校に行きましょう」
「えっと……」

恥ずかしがるシンジを見て、ユイが笑って声を掛ける。

「あら、レイちゃんとはいつも一緒に学校に行っているじゃない」
「もしかして、綾波さんと待ち合わせしてるの?」
「ううん、通学路の途中でよく一緒になるだけだよ」
「多分綾波さんが待っているのよ」

鈍感なシンジに少しあきれたアスカはそう言ってため息を吐き出した。
アスカと話しながら朝の準備を終えたシンジは、アスカと連れ立ってコンフォート17を出て登校したが、レイと会う事は無かった。
シンジは少し不思議に思いながら通学路を歩いて行くと、校門の所でトウジとケンスケ、ヒカリの3人に会った。

「おいおい、2人とも急に仲が良うなって何があったんか?」
「実はアスカが、僕がずっと会いたかった麦わら帽子の女の子だったんだ」
「ホンマか!?」
「マジかよ!?」
「本当!?」

トウジに尋ねられたシンジがそう答えると、トウジ達は驚きの声を上げた。
そしてシンジはどうしてアスカが麦わら帽子の女の子だと分かったのかトウジ達に説明した。
話を聞いたトウジ達は感心して大きく息を吐き出す。

「何や、惣流は碇の名前を知っていたんか」
「親父さんに聞けば、名前と連絡先とか分かったかもしれないぜ」
「アタシ達、小さかったからそこまで考え付かなかったのよ」
「それだけ碇君が惣流さんを思う気持ちが強かったのよ」

シンジとアスカの恋物語に、ヒカリは強く感動を覚えた様子だった。

「ヒマワリ畑の女の子は、本当に居たのね……」

いつの間にか教室に来ていたレイがそうつぶやくと、話に夢中になっていたシンジ達は驚いて顔を上げた。

「綾波、僕達の話を聞いていたの?」
「ええ、碇君達が教室に入った後ぐらいから」

レイは少し悲しげな表情で、シンジに答えた。
幼馴染で何度も麦わら帽子の少女の話をシンジから聞かされていたレイは心の底で、2人は再会して欲しくないと願っていた。
せめてシンジが諦めて、自分の気持ちに気が付いて、好きになってくれるまではと。

「ごめんね、綾波さん」
「いいえ、私と碇君はただの幼馴染だから」

アスカが謝ると、レイは悲しみをこらえて微笑んだ。
予鈴のチャイムが鳴ると、弾かれたようにレイはトイレに行くと言って教室を出て行った。
慌ててヒカリがレイを追いかけて声を掛ける。

「綾波さん、碇君に告白しないで、諦めちゃうの?」
「碇君の心の中には惣流さんが、私と会う前からずっと居たんだもの、私に勝ち目はないわ」
「そう……」

敗北宣言をしたレイに、ヒカリはそれ以上励ましの言葉を掛ける事は出来なかった。
そして休み時間、アスカは昨日学校でヒカリとレイに対して少し距離を置いた態度を取ってしまった事を謝った。

「別に気にしてないわ、私も惣流さん……いえ、アスカの立場だったら同じだったかもしれないし」
「ありがとう、ヒカリ!」

ヒカリに名前で呼ばれたアスカはパッと明るい笑顔になり、ヒカリの手を握った。

「綾波さん……はいきなりアタシと親しくなるって言うのは、まだ無理よね……?」
「ええ、そうね」

アスカとレイは少し困った顔で顔を見合わせた。
レイが心の整理を終えるのにはしばらくの時間が必要だ。
でもいつか友達になれるとアスカは信じて待とうと決意したのだった。



それからしばらくして、シンジとアスカは自分達が運命の出会いをしたヒマワリ畑へと出掛けた。

「あの時は僕の背よりとても高かったヒマワリが、今は少し小さく見えるね」
「うん、アタシ達も大きくなったって事よね」

自分達の視点が高くなり、思い出の景色とは違うものになってしまった事を、シンジ達は少し寂しく思った。
さらにこのヒマワリ畑は周囲の宅地開発が進み、規模が年々縮小されているらしいのだ。

「このヒマワリ畑も、いつか無くなっちゃうのかな」
「これからは新しいヒマワリ畑を作りましょうよ、アタシとシンジだけのヒマワリ畑を」

シンジのつぶやきを聞いたアスカはそう提案した。

「でも、僕達の家はマンションだよ」
「とりあえず、植木鉢から始めるわ」

不思議そうな顔で尋ねたシンジにアスカはしっかりとした口調で答えた。

「じゃあ今度は僕がアスカにヒマワリの種をあげる番だね」
「そうね、楽しみにしているわ」

シンジとアスカは顔を見合わせて微笑んだ。
思い出の場所が消えてしまっても、これからは新しい場所を創って行ける。
決意を固めたシンジとアスカは手を取り合ってヒマワリ畑に背を向けて歩き出したのだった。
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