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ファイナルファンタジー25周年に寄せて

1988年12月のあの夜を、いまでもはっきりおぼえています。

父が友人を招いて飲み会を催した夜、おっさんが集う居間の隅に、中学3年生の僕がいました。酔っぱらいに囲まれるのは嫌だったのですが、その日は待ちわびたソフトの発売日で、ファミコンはその部屋にしかなかったからです。
すぐにでも遊びたい気持ちを抑えて取扱説明書を熟読し、正座して電源を入れたところで、父が話しかけてきました。

父「それ、なんてゲームだ?」
僕「『ファイナルファンタジーII』だよ」
父「......なんでファイナルのくせにIIに続くんだ?」

たしかに「ファイナル」を「最終」と訳すなら、もっともなツッコミではあります。僕も内心「酔ってるのに鋭いぜオヤジ......」と感心しましたが、父との会話はそれで終わりでした。オープニングでいきなり帝国軍に襲われて全滅、気がつくと反乱軍に拾われて合言葉は「のばら」――急展開に夢中になって、それどころではなかったのです。

結局「ファイナル」について深く考えもしないまま、僕はシリーズにのめりこんでいきました。そのうち「FFとは『究極の幻想』だ」という解釈を聞かされて、なるほどと納得したものです。

しかし10年あまりのち、僕はふたたび「ファイナル」に直面することになりました。
『ファイナルファンタジーX』のシナリオ補佐係として、初めてFFシリーズの開発に参加することが決まった時のこと。「やったぜFFの仕事ができるぜ!」という喜びは大きかったものの、それ以上に「果たして自分にできるのか?」という不安は深刻でした。
もともと後ろ向きな性格なので「やばいよ自信ないよ僕の腕なんて通用しないよオシマイだよ」と頭をかかえたあげく、自分がFFに参加できるのはこれが最初で最後、文字通りファイナルに違いないよと思いつめる始末。ああ鬱陶しい。

ところが、おっかなびっくり開発チームに加わってみると――「最後」を意識していたのは、僕ひとりではなかったのです。
理由は人それぞれでしたが、少なからぬスタッフが「これが最後になるかもしれない」と考えており、だからこそ「ここで終わりにしないように」「もし最後になっても悔いが残らないように」と、誰もが全力で仕事に取り組む、そんな開発チームでした。
ザナルカンドにてティーダがつぶやいた「最後かもしれないだろ?」というセリフは、実は多くのスタッフの想いでもあったのです。

そうして完成したFFXは、ありがたいことにとても多くの支持をいただくことができました。そのおかげで1988年のあの夜から抱えていた疑問に、自分なりの答えを出せたような気がしています。

FFの「ファイナル」が意味するもの。
それは「究極」であり「最後」です。
最初から約束された「究極」ではありません。
「最後」を覚悟して挑戦することで、かろうじて掴める「究極」です。

たくさんのお客様の応援のおかげで、FFシリーズは25周年を迎えることができました。
ですが、この先のことは誰にもわかりません。どんなものにも終わりがあるといいます。とはいえ終わりがあるから始まりがあるともいえます。何かが最期を迎えるならば、それに代わる新しいものが姿を現すことでしょう。

ファイナルファンタジーは究極の幻想です。幻想ですから軽やかに、古い殻にはとらわれず、常に新しく生まれ変わり、待ち望んでくださるお客様の、予想は超えつつ期待に応える――いつまでもそういう姿勢でありつづけることができたなら、作る僕らも遊ぶお客様も、みんなで愉快に歳月を重ねて、50周年から100周年まで、意外と新鮮な気持ちで迎えられるのではないか。
僕はけっこう大真面目に、そんな幻想を抱いています。


渡辺大祐

FF10 シナリオプランナー
FF10-2 シナリオ
FF12 シナリオ
FF13 リードシナリオライター
FF13-2 リードシナリオライター
ディシディアFF シナリオ




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