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【芸能・社会】

桜井センリさん「ポックリ」逝く 一人暮らしの自宅で発見、86歳

2012年11月13日 紙面から

「谷啓さんとお別れする会」に参列した桜井センリさん(左)と犬塚弘=2010年11月

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 コミックバンド「クレージーキャッツ」のメンバーでジャズピアニスト、俳優としても活躍した桜井センリ(さくらい・せんり、本名千里=せんり)さんが東京都新宿区の自宅で亡くなっていたことが12日、分かった。86歳だった。警視庁牛込署によると11日夜、近所の住民が新聞が取り込まれていないことを不審に思い110番通報。駆けつけた署員が倒れている桜井さんを発見した。桜井さんには妹が一人いるが、ずっと一人暮らしだった。一世を風靡(ふうび)したクレージーは、犬塚弘(83)だけとなった。葬儀は遺族の希望により密葬で行われる。

 1960年代にお茶の間に笑いを届けたコミックバンドのメンバーが、また一人天国に旅立った。桜井さんは、外交官だった父の赴任地ロンドンで「桜井ヘンリー」として誕生。3歳まで過ごした後「千里」に改名し、東京へ。早稲田大学第一政治経済学部に在学中からジャズピアニストとして活動。ジャズバンド「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」などを経て、60年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」の一員となった。

 俳優としても「ニッポン無責任時代」など植木等さん主演の「東宝クレージー映画」に出演。山田洋次監督に見いだされ、76年からは「男はつらいよ」シリーズの準レギュラーに。「十五才・学校IV」「たそがれ清兵衛」などの山田監督作品をはじめ、多数の映画やテレビドラマ「前略おふくろ様」などの名脇役として活躍した。バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」にも出演。殺虫剤「キンチョール」のCMでは「センリばあさん」のキャラクターで人気を博し、桜井さんの「ルーチョンキ」という言葉は当時の流行語となった。

 2000年以降もテレビ朝日系ドラマ「南くんの恋人」などに出演したが、心臓や股関節などを悪くし、耳も聞こえにくくなったため、06年公開の映画「待合室−Notebook of Life−」への出演を最後に俳優としての活動を自粛した。

 関係者によると、06年以降はテレビを見たり、音楽を聴きながら自宅で気ままに余生を過ごしていたという。最後に公の場に姿を見せたのは10年11月11日の谷啓さんのお別れ会。車いす生活で立つのも困難な状態だったが、犬塚弘に支えられながら肩を組み、天国でのクレージーキャッツ再活動を誓っていた。

◆10年前に心臓病患いのんびりと余生

 桜井さんをよく知る関係者Aさんがこの日、本紙の取材に応じ、その人となりや思い出について語った。

 「一見、偏屈で意固地なジジイ。他人に干渉されたくないから、人付き合いも悪いけど、本当は面倒見が良くて優しいおじいちゃんです」

 Aさんが語る桜井さんの人柄を象徴するのが、最後の出演作となった映画「待合室−Notebook of Life−」のロケで岩手に行ったとき。周囲に飲食店があまりなく、「仕方ないから」と言って入ったイタリアンレストランでワインを注文し「やっぱりまずい」と文句を付けたという。「外交官の息子だからか気品があるんです。別のレストランでも、ボーイさんにワインのつぎ方とか口うるさく言ってましたね」

 桜井さんは若いころに一度結婚しているが、すぐに離婚。離婚後は生涯独身を貫いた。自分で料理を作ったり、突然1人でウィーンにオペラ鑑賞に出掛けたりしていた。人付き合いは苦手だが、親しい人には高価なお中元を贈るなど、礼儀正しく世話好きな一面もあったという。

 10年ほど前に心臓病を患い、股関節痛や腰痛も悪化したため、06年以降はのんびりと過ごしていた。しばらくは近所に車で買い物に出掛けていたが、ここ数年は電動車いすの生活が続き、お手伝いさんが2、3日に一度身の回りの世話をするために来ていた。

 Aさんがたまに電話をし「元気ですか?」と尋ねると「無駄に生きてるよ」などと冗談で返していたそうだが、数年前、横浜で暮らす妹にはこう言っていたという。「俺はポックリ逝きたい。誰にも迷惑かけたくないから。葬式も香典もお花もいらない」

 思うがままに生き、天寿を全うした桜井さん。この日、ニュースで報じられた「孤独死」という言葉に違和感を感じたAさんは強調した。「他人に干渉されたくない。そういう生き方を選んだ桜井さんらしい死に方。孤独なんかじゃないはずです」 (江川悠)

◆たった一人残された… 犬塚「ご冥福祈るばかり」

 桜井さんが亡くなったため、クレージーキャッツのメンバーは犬塚弘一人となってしまった。犬塚も現在体調不良が続いており、この日は「直接取材が受けられない」としていたが夕方になって所属事務所を通じて以下のコメントを発表した。

 「突然の訃報に驚いております。しばらく会っていませんでしたので… 植木さんや谷さんとのような親しいお付き合いはなかったのでエピソードはあまりありませんが、音楽仲間として寂しく思っております。ご冥福を祈るばかりです」

 ◇大好きだった方

 映画監督の山田洋次さん(81)の話 ほんの数カット映るだけで映画全体に和やかな雰囲気が漂う。そんなセンリさんは、ある時期、僕の映画にいなくてはならない俳優でした。謙虚でつつましくて遠慮のかたまりのような上品なセンリさん。僕の大好きなセンリさんの死を心から悲しんでいます。

 ◇言葉にならない

 植木等さんの付き人を務めたことのあるコメディアンの小松政夫(70)の話 驚いて、言葉になりません。桜井さんはクレージーキャッツでは「先生」と呼ばれ、ピアニストとして尊敬されていました。最後にお会いしたのは谷啓さんのお別れの会で、そのころは顔色も良くて元気そうだったのに。クレージーは犬塚弘さんだけになってしまった。

 ◇もう一度会いたい

 タレント松本明子(46)の話 一昨年、谷啓さんのお別れの会でお会いしたのが最後でした。お帰りになるときに「あっこちゃん、僕は耳が遠いけど、体はまだまだ元気だから大丈夫だよ」といつもと変わらない大きなお声とニコニコの笑顔でした。あの笑顔にもう一度お会いしたいです。本当に残念です。

◆中日劇場でも熱演 とぼけた味が観客に大ウケ

 映画やテレビのバラエティー番組が多かった桜井さんだが、名古屋の舞台にも出演している。

 観客を沸かせたのは人気絶頂だったクレージーキャッツが出演した1970(昭和45)年10月の中日劇場公演「クレージーの日本刀綺談 ぎんぎんぎらぎら物語」。名古屋の一流ホテルの特別室を稽古場にして泊まり込んでいる小さな劇団が、ある日本刀のいきさつを劇中で追い求めていくドタバタ喜劇。「村の鍛冶屋」「五条大橋」などの場面で、桜井さんは弁慶や町人の役を愉快に演じた。

 当時の桜井さんを知る演劇プロデューサーによると、桜井さんはクレージー切ってのまじめ人間と言われていた。それが舞台となると、ハナさんや植木さんらのにぎやか組とは対照的に、面白いのか面白くないのか分からないようなとぼけた味が観客に大ウケで、共演者まで笑いの渦に巻き込んだという。

 そんな桜井さんの演技が後のCMや映画「男はつらいよ」シリーズの出演につながったのでは、と振り返っている。

 73年2月、名鉄ホールの「平手造酒」「たいこもち」にも出演した。

 

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