Ааааа!!! Простыла!!!
いやー、急に冷え込んできたせいで、珍しく風邪を引いてしまいましてね。ここ数日死んでましたわorz
そうこうしてるうちにもう週末じゃん!やることいっぱい溜まってる( ;∀;)
そんな中、私に癒しを与えてくれるのがフィギュアスケート・ロシア大会。
ロシア女子はレオノワたんとソトニコワたんとコロベイニコワたんが出るんだ・・・日本からは村上佳菜子ちゃんだね。
SP終了時点で、
1位 グレイシー・ゴールド
2位 キーラ・コルピ
3位 アグネス・ザワツキー
4位 アリョーナ・レオノワ
5位 アデリーナ・ソトニコワ
6位 村上佳菜子 (以下略)
あまり差が開いていないので逆転あるでコレ!
そんなアデリーナの長文インタビュー記事が「スポーツ・エクスプレス」紙に出ていました。読んでみるととても興味深かったので、訳してみることにします。長いのでとりあえず前半のみ。残りは今日仕事終わったらうpします。
グランプリジュニアチャンピオン、アデリーナ・ソトニコワの経歴はかなり変わった始まり方をしている。ジュニアの年齢を正式に脱するまで、彼女は大人の選手をさしおいて3度のロシア・チャンピオンに輝いた。「グランプリシリーズ」モスクワ大会は、彼女にとっては特に意味を持つものだ。まさにこれらの大会こそが、人生初のチャンピオンシリーズ・ファイナルへの出場の可能性をもたらすかもしれないからだ。
アデリーナは「グランプリシリーズ」にデビューしたのは1年前のことだ。そのとき彼女は念願の6名の中に入れず、第一補欠にとどまった。このインタビューは、彼女が3位をとった10月半ばのグランプリシリーズアメリカ大会の直後に行われたものである。
-先シーズン、あなたはあまりにも成長しすぎて、自分の身体をコントロールすることが一部できなくなった、とたびたび言われてきましたが・・・
-実際、私はどのくらい成長したのかさえわかりません。身長を測っていないんです。もちろん、伸びたとは思いますが、トレーニングでは何も不便を感じていません。
-でも何か少しでも不快な点はありましたか?
-それは感じませんでした。私が2キロ増えて、それが見た目に現れたとしても、ジャンプで私が感じることはやはり以前と同じままでしょう。なぜかはわかりません。
-あなたがトレーニングですごく満足して滑っているのを私は何度も見てきました。大会であなたの顔から読み取れるのは、まず凄まじい責任感と集中力です。満足感は二の次です。そのときあなたの頭の中では何が起きているのですか。
-自分のできることを全てやらなければ、と自分に言い聞かせています。ジャッジに私が上手く滑れることを見せなければ、って。
-何か失敗したら、酷く調子が狂ったりしますか。
-ええ…そうですね。SPの後には、まだFSもあるのでそういったことは考えないように努めています。もしそこでも何か失敗してしまったら悔しくなるので。自分のジャンプやコンビネーションジャンプはどれも目をつぶっていてもできることはわかっています。
-難しいジャンプは好きですか?
-はい。私たちはかなり早い段階でそれらを覚えはじめました。最初のコンビネーションジャンプは「フリップ-ループ」で、私は12歳の時にトライしました。そしてロシア杯でそれを跳びました。
-つまり、あなたの最初の3+3コンビネーションジャンプは、「トゥーループ-トゥーループ」ではなく、いきなり「フリップ-ループ」だったのですね?
-正直に言えば覚えていません。「トゥーループ-トゥーループ」もトライしたと思います。11歳ぐらいのとき、CISの大会で。私とリーザ・トゥクタミシェワはそのときそれを跳びました。でも難しいジャンプについて質問ですよね?
-あなたとトゥクタミシェワとのライバル関係には、最初から特別な意味が与えられていました。プルシェンコとヤグディンの伝説の関係に似ている、とさえ言われました。あなたにとってリーザは特別なライバルですか?
-ロシアでは今どの女子もとても強いです。ジュニアの選手たちもそうです。皆なんでも跳べるし、皆素晴らしく滑ります。だから、頭の中に描くライバルが1人だけではいけないし、他の選手たちを無視してはいけない、と私は思います。私は一度も誰もリストアップしたことはありません。
-ですが、まさにあなたとリーザとはすぐに「オリンピックの一番の希望」と呼ばれるようになりましたね。気になりませんでしたか?
-もちろん、気になりました。私はそもそもそういったPRは好きじゃないんです。時にはインターネットを見ないほうがいい。スターだとか、希望だとか・・・もっと静かな方がいいです。
-ツェスカ(スポーツクラブ)に来た時のことを覚えていますか?
-初めてエレーナ・ゲルマノヴナ(ブヤノワ)コーチのところに見学に行ったことを覚えています。ツェスカで私はインナ・ゲルマノヴナ・ゴンチャレンココーチのもとで滑り始めました。小学校に入る前、もう私は彼女の息子と一緒にビリュリョヴォのとある幼稚園に通っていました。インナ・ゲルマノヴナコーチは私がフィギュアスケートをやっているのを知っていて、私の両親に言ったのです。「この子はツェスカに連れて行って、もっと力のあるコーチに見せなければ」って。はじめはすごく混乱しました・・・
-何故ですか?
―そんなに真面目なスポーツだってさっぱり理解していなかったからです。ビリュリョヴォではフィギュアスケートは延々と続くお遊戯でした。私たちは集団演技のステージを企画し、グループでのスケーティングで大会を行なっていました。沢山の友達がいてとても楽しかった。自分自身、それ以上何もないという考えでしたから、すごく混乱しました。
-その後、事態はどう展開していきましたか。
-エレーナ・ゲルマノヴナコーチが私を見ることに応じたとき、彼女は私が「オオシギ」(ダブルアクセル)を飛べるかどうか尋ねました。ビリュリョヴォでは私は一度もそのジャンプを跳んだことがなかったのですが、そこでいきなり跳んでみました。すると上手くいったのです。回転が足りず、両足で着地したけれど転びませんでした。皆びっくりしていましたが、一番驚いたのは私自身です。その後、私はさらに1年間ほどゴンチャレンココーチのもとで滑りました。エレーナ・ゲルマノヴナコーチは私を「引き入れたい」と思っていました。それから私を自分の指導する女子のグループに入れました。実際その後、女子たちは皆、他のグループへ移動させられ、私は男子たちと残ることになりました。
-違いを感じましたか?
-もちろんです。そのグループでは男子は全員私よりはるかに年上でした。それにずっと力強く滑っていました。彼らと同じリンクにいるのはただ恐ろしかった。誰かが最高速度でそばを駆け抜けると、今すぐ殺されてしまうように感じました。あるときアンドレイ・グリャゼフが私を転倒させました。それで私はその後しばらくリンクの端から離れないようにしていました。怖かったんです。その後慣れましたけど。
-私が覚えている限りでは、ツェスカに初めて浅田真央選手がトレーニングに来たのは大体そのときでしたね。
-その時のことを私はとてもよく覚えています。モスクワではそのとき世界選手権が行われていました。そこにはまだイリーナ・スルツカヤ選手が参加していて(2005年)、真央選手は何らかの理由でそれに向けてツェスカで準備をしていました。彼女は私たちの更衣室で着替えていて、私は女子たちと彼女に近寄ってサインを貰おうと、長いこと勇気を出そうとしていました。全員一緒に集まって、ドアを開けると、真央選手が私たちを驚いた丸い目で見ているのです。私たちがこんなに大勢で、何かして欲しそうにしているのをね。彼女がトレーニングしていたとき、私たちはバルコニーから身を乗り出していました。真央選手がどんなふうに滑り、どんな風に跳ぶのか、タチアナ・アナトリエヴナ・タラソワコーチが彼女とどんな風に練習するのか。すごく嬉しかったです・・・
(つづく)
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アデリーナってすごく正直な娘で私すごく好きなんだけど、かなりストレートな言い方するよね。
彼女も、リーザも、リプニツカヤも、ロシア国内でもめちゃめちゃ期待されてる気がする。でもそれが重荷になるのは辛いなあ。本人も言っているけど、自分の評判をネットで見るのは精神衛生上良くないよなあ。まだ中学生なんだし。
あと、真央さんにサインもらおうとがんばるアデリーナたちカワユス(*´∀`*)
2005年ってちょうど私がモスクワに滞在していた頃なんだけど、そういやルジニキ・スタジアムにフィギュア見に行ったっけ・・・スルツカヤと荒川さんが出てたやつ。あの中にもしかしたらアデリーナいたのかなあ・・・
インタビューの後半は後ほど~ノシ