東北のニュース

3.11大滑り域、03年に地震多発 プレート間固着弱める

 東日本大震災の本震でプレート(岩板)境界が特に大きく滑った領域は、長期間にわたる周囲の地震活動によりプレート間の固着が弱くなっていたとする研究結果を、弘前大理工学部の佐藤魂夫教授(地震学)らがまとめた。本震2日前の最大前震とその余震がさらに固着を弱め、本震の破壊につながったとみている。
 衛星利用測位システム(GPS)の観測データから、宮城県沖約150〜200キロの場所に、本震で60メートル以上滑った領域が南北に2カ所あったと推定。南側は本震震源の南東に位置し、北側は日本海溝に接していた。
 佐藤教授らが注目したのは、南側の大滑り域だ。周辺で起きた1923年以降の地震は、北の場所で39、58、81年にマグニチュード(M)6以上が多発。西や南でも76〜83年を除き、時折M6以上があった。
 ひときわ目を引かれたのが、2003年の地震活動だった。大滑り域の南のへりに沿うような至近距離で、M6以上の地震が初めて起きた。M4〜5級の地震もへりに沿って多発した。
 大滑り域の北では本震2日前にM7.3の最大前震が起きた。しかし、その近くで81年にM6.6の地震が発生した際は大きく滑らなかった。
 これらの状況から、今回、巨大地震が発生したのは、南側の大滑り域を取り囲むような一連の地震活動により03年以降、固着の強度が大きく低下したためと考えられるという。
 本震では宮城県沖のプレート境界の深い部分が最初に壊れ、南側の大滑り域を含む浅い部分に連鎖。北側の大滑り域の破壊を誘発し、最終的にM9.0に巨大化した。
 佐藤教授は「最大前震とその後のM6級の余震により、南側の大滑り域の固着は徐々にはがれていたのではないか。もし03年の地震活動が無ければ、本震時の破壊は想定宮城県沖地震の規模で止まっていた可能性もある」と話している。


2012年11月11日日曜日


Ads by Google

△先頭に戻る

新着情報
»一覧
特集
»一覧
  • 47NEWS