あさがおさん観察日記 '12

2012年11月13日(火) 00:00

個人が出している意見や提案に対して出された否定的な反応を、批判を受けた側が完全無視して構わない権利や雰囲気を認めると、案外世の中ってスムーズに回るんじゃないかな、というお話

 今日はこんなテーマで書くんですけど、既に結論はタイトルにデカデカと表示されてしまっています(笑)。

 今更こんな事は言うまでもないんですけど、ネットの世界では今日もどこかで誰かが延々と、議論や意見交換など様々な口実の下に喧嘩をしています。 (^^; 私自身はおかげさまで日常生活の中で誰かと喧嘩をすることはほとんど無いし、誰かが喧嘩をしている場面に遭遇するケースも極めて少ないです。しかし一方でネットの世界ではちょっとどこかをアクセスすると結構な頻度で喧嘩の場面に出くわす。それどころか匿名の掲示板なんか見渡すと、一度も喧嘩をしていないスレッドを探す方が大変なんじゃないかとすら思われる状況にある。 (^^; 下手すると人間が実生活の中でリアルにやった喧嘩の数を、ネットの世界で起こった喧嘩の数が既に追い抜いてしまっているんじゃないかという印象すらあります。

 なぜこれだけネットの世界では日々喧嘩が絶えないのか。何よりも自分の正体が知られていないので派手な喧嘩をしてもその後に影響や後遺症がないのが一番大きいでしょうか。あとは著名人に絡んで自分も目立ちたいとか、自分の主観とは相反する意見が注目を浴びて気にくわないとか。中には明らかに組織立って相手を陥れようとする喧嘩もあるみたいです。そして喧嘩を売られた相手が食い付いてくれば思う壺だし、無視されたら「俺様の意見が絶対だったのでぐうの音も出なかったらしい」とか勝手に勝利宣言する。言われた側は当初は相手の意見が下らなかったので無視したんだけど、なんか変なところで勝利宣言されたのでそっちが気にくわなくて反応しちゃった。そんな状況もあるようです。

 ただ同時に我々は実生活において「相手から出てきた意見や批判のレベルがあまりにも低く、相手をする時間が無駄だと判断されたので聞いた振りだけして無視を決め込む」とか「取り合う労力が無駄そうなのでその意見そのものが無かったことにする」という事を普通にやっているはずです。そうでないと自分の仕事などに対する批評に全部きっちり反応していたら、それだけで就業時間が終わってしまいますから。それがなぜかネットの世界では出来ない、あるいは無視すると議論に負けて逃げ出した的な反応を勝手にされてしまう。これはやはり変だと思うのです。更に言うと我々が生きて生活して仕事をしている中では、相手と直接対面して時間をかけてゆっくり話しても、なおかつそれで“話が噛み合わない”“論点がずれてる”状況があちこちで生まれているわけです。そしてそういう状況に関して我々は、ある意味妥協したり諦めたりしながら暮らしているじゃないですか。それは時として相手の話を聞き流したり、聞いた振りをして無視したりしてやりくりしている話です。じゃあなんでそれをネットの世界でやってはいけないんだ。そう思うわけです。

 ネットの世界で喧嘩を売る方々というのは、基本的には愉快犯的な方が少なくないように見受けられます。しかし中には本気で「俺の言うことを聞け!」的な人がいるみたいです。でもそんなのリアルの世界で考えれば無理ですよね。これは随分前から言い続けている持論なんですけど、あなたが誰かから「お前のその考え方はおかしい!」「俺の意見の方が正しいから謝罪しろ!」とか罵倒されても、それであなた自身が「分かりました、ごめんなさい!」と言って言動を改めないのと同じで、あなたが誰かを「お前のその考え方はおかしい!」「俺の意見の方が正しいから謝罪しろ!」とか罵倒したところで、その相手の考え方や言動が変わったりはしないのです。そんなにあなた自身の考え方に自信がおありならば、まずはあなた自身がその考え方や発想で成功してみせることでしょう。そうすればそれを見た相手が「ああ、あんな考え方や方法もあるのか」とか思って考えを変えるかもしれません。

# 人が誰かに何かを言われて「はいそうですか」と素直に言うことを聞く生き物であるならば、言った相手から「うるさいから黙れ」と言い換えされたら黙るはずなんですが、実際のところそれで黙った人というのを私は見たことがありません(笑)。

 誰かが他人に対して意見を出したり批評をしたところで、それで相手が変わるわけではないし、ましてやそれで世の中が良くなるなんて保証はありません。例えば格ゲーマニアの言うことだけを聞いて販促をやった格ゲー業界は今やあのザマです。(ただし日本以外では多くのファンの支持によってしぶとく生き残っていて、おかげで日本も続編の供給を受けられるようです。)でも人間ってとにかく何か言いたい生き物なので、そういう批評や中傷が無くなることはないでしょう。ましてやネットの世界で自制なんて事ができないのは歴史が証明しています。そうであればせめてもの話として「個人がやったことに対して誰かが意見や批評を述べたとして、それを完全無視して構わない権利をきちんと認めてはどうか」と私は思うわけです。もちろんその意見や批評が法律や法令、公序良俗などに反する場合は放ってもおけないでしょうけど、それは警察など然るべき機関が取り締まればいいので、それこそ個人は「通報しますた」をやるだけで終わる話です。

# 私個人が Twitter という仕組みを画期的だと思う最大の理由はここです。ボタン1つで特定の個人を完全無視できたりスパム通報できたりするあの仕組みはポイントが高いです。

 で、この話には実を言うと続きがあります。ある公人を含む個人が自分なりの考えや発想で仕事をしたり何かを生み出そうとする。でもそんなの100%全部が全部うまく行くわけがない。時にはスランプ状態に陥って「どうしたらいいんだろう・・・」と思い悩む。実はそういう時にその相手を批評したい側の人間からすると付け入る隙が生まれるわけです。もしあなたがそれを機に相手の考え方を少しでも変えたいとか、あるいは相手に自分が思うような仕事をして欲しいと思ったら、とにかく相手が見やすいよう読みやすいように自分の意見を並べて陳列しておくのです。それも何年もかけてじっくり作り込んだレベルの物を。それは数日後かもしれませんし数年後かもしれませんが、ある日その相手が何かに行き詰まり、その打開策を求めてきた時に「・・・ここにあった!」とあなたが書いた意見を発見してくれるかもしれません。

 ネットで他人にとやかく言う人の何が悪いって、自分が半ば脊髄反射で出した書き殴りレベルの意見を絶対的な物だと思い込み、なおかつ相手にそれを読むことを強制しようとし、おまけに「どうだ俺様の意見は凄いだろう!お前もこれを読んで改心して明日から生まれ変わるんだな!HAHAHA!」とかやってしまうことなんです。 (^^; はっきり言いますけど、個人が数時間ほど考えただけで書いた意見なんて概ね大したことはありません(笑)。そしてその批判の相手は間違いなくあなたより忙しいので、見ず知らずの他人が書いたコンテンツなんか読んでる時間はありません。そして人間なんて数日とか数週間で変われるほど柔軟性のある生ものではないのです。世の中に宗教を生み出した偉人の方々が、そういう状況を生み出すのに何百年かかっているかということです。逆に言うとあなたのその意見が本当に正しくて存在意義のある物であれば、それは5年とか10年経った後にきちんと評価されるのではないでしょうか。だったら5年とか10年経った後からでも他人様に読んでもらえるような形で世に出して残しておくべきなんじゃないですかね。

 批評される側がその批評を完全無視できる状況というのは、逆に言うと皆がそういう批評的な意見を出しやすくなる環境を生み出します。下手な鉄砲も数打ちゃ当たると言いますけど、私個人は以前から「下手な鉄砲を数打って当てる」という持論を言い続けています。これはゲームの作り方や販促にしても全く同じ事が言えます。だから個人が自分の意見を出しやすくなる環境を整えることが大事だと思うわけです。そういう意味で某TCGの旧代理店時代に実際あった「某雑誌出版社のライター陣があちこちの掲示板に現れて自分達への批判を書いた人間を上から目線で説教して回る」なんてやり方は最悪の対応の1つでしょう。 (^^; なんか未だにその頃の印象操作とか世論誘導の影響から抜け出せていない方々もいらっしゃるみたいですし。当時あちこちに出没してドヤ顔で言論統制(笑)をされていたライター諸氏は、あの時のご自分を今どう振り返っていらっしゃるのでしょうか。是非ともその辺の振り返りを記事にして公開して頂きたいです。

# そういう意味で私個人はネットで良く出てくる「嫌なら見るな」というフレーズが好きですし、自分自身もう何年も実践しております。自分が気に入らないコンテンツなんて数週間も見に行かなければ、それが習慣化して自分にとっては無い物と同様の扱いが出来るようになるのですけどね。

※ 追記(1)

 実は今回書いた以上の内容って、この Echizen Gather-ru を開設して何年か経った辺りで、自分なりにまとめたここのポリシー的な物だったりします。もちろんこの意見にしても絶対だなんて思っちゃいません。ただ例えば WotC というメーカーが最近になって始めた販促企画の流れなんかと比較すると、自分が考えて公表してきた意見はさほど間違っていなかったんじゃないかと思うに至っています。もちろんそのことを自分の手柄として誇示する気はないですけど。

※ 追記(2)

 私個人はディベートという行為が嫌いでして、そもそも存在意義すら感じておりません。個人がディベート力を磨いて何が出来るかって、せいぜい相手を言い負かして商品を買わせる位でしょう。 (^^; でも世の中で本当に物事を動かしている人達って、一般大衆と意見をぶつけ合って物事を決めている人ではなく、その個人の私見から生まれた判断や発言がいかにも一般大衆のためになる正しいことのように見せかけることが出来る人間だと思います。

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