メインカラムの始まり
[塾員山脈] 小笠原 和美君(福島県警察本部 警務部長 警視正)
2012/03/28 (「塾」2012年WINTER(No.273)掲載)
※職名等は掲載当時のものです。
震災後の福島の治安維持に努めながら義塾で学んだ「問題発見力」で犯罪被害者救済に取り組む
震災後の福島の治安維持に努めながら義塾で学んだ「問題発見力」で犯罪被害者救済に取り組む
【おがさわら かずみ】1971年岩手県盛岡市生まれ。総合政策学部に第1期生として入学し、1994年に卒業。国家公務員採用I種試験に合格して同年に警察庁入庁。交番勤務を皮切りに刑事や警察大学校教授、ニューヨークへの派遣留学、内閣府と原子力安全・保安院への出向などを経て、2011年4月に福島県警警務部長に。
震災後の厳しい環境下で治安維持の使命を果たす
——2011年4月に福島県警察本部の警務部長に就任した小笠原和美さん。階級は警視正で、警務部長は県警では本部長に次ぐポストです。
(小笠原)
東日本大震災で、福島県で亡くなられた方は1604名、行方不明の方が231名います(11年11月3日現在、福島県警調べ)。警察官も4名が亡くなり、1名が行方不明のまま見つかっていません。
福島県警は、行方不明となっている方を一人でも多くご家族のもとへ帰したいと懸命に努力を続けています。そして、警戒区域に指定された地域から遠方への避難を余儀なくされている方々が、無事に自宅に帰れる日まで、皆さんの財産と地域の治安を守り続けています。
警務部には警務課、総務課、会計課、厚生課、さらには被害者支援などを担当する県民サービス課など、多彩な部署があります。警務部長である私の仕事は、警察官と職員合わせて3700名全員が、県民のために十分に働ける環境を整えることです。とくに震災後の厳しい環境下、被災地での捜索やパトロール、捜査や取り締まりに従事している警察官の健康管理には気を配っています。
——小笠原さんは、国家公務員採用I種試験に合格して警察庁に入庁した、いわゆるキャリア組です。警察庁ではI種試験に合格した女性の採用は少ないと聞いています。
(小笠原)
女性の採用開始に慎重だった警察庁が、初めてI種合格の女性を採ったのは1989年です。94年採用の私は6人目でした。ただ、現在までに43名が採用されていて、2011年度の採用者は男性12名、女性5名と、徐々に女性の比率が上がっています。女性採用の拡大傾向は続くと思います。
(小笠原)
東日本大震災で、福島県で亡くなられた方は1604名、行方不明の方が231名います(11年11月3日現在、福島県警調べ)。警察官も4名が亡くなり、1名が行方不明のまま見つかっていません。
福島県警は、行方不明となっている方を一人でも多くご家族のもとへ帰したいと懸命に努力を続けています。そして、警戒区域に指定された地域から遠方への避難を余儀なくされている方々が、無事に自宅に帰れる日まで、皆さんの財産と地域の治安を守り続けています。
警務部には警務課、総務課、会計課、厚生課、さらには被害者支援などを担当する県民サービス課など、多彩な部署があります。警務部長である私の仕事は、警察官と職員合わせて3700名全員が、県民のために十分に働ける環境を整えることです。とくに震災後の厳しい環境下、被災地での捜索やパトロール、捜査や取り締まりに従事している警察官の健康管理には気を配っています。
——小笠原さんは、国家公務員採用I種試験に合格して警察庁に入庁した、いわゆるキャリア組です。警察庁ではI種試験に合格した女性の採用は少ないと聞いています。
(小笠原)
女性の採用開始に慎重だった警察庁が、初めてI種合格の女性を採ったのは1989年です。94年採用の私は6人目でした。ただ、現在までに43名が採用されていて、2011年度の採用者は男性12名、女性5名と、徐々に女性の比率が上がっています。女性採用の拡大傾向は続くと思います。
入庁後は警察大学校で勉強と訓練 神戸では阪神・淡路大震災を経験
——女性が増えたといっても、“警察は男社会”のイメージが強いですから、入庁後のことが気になります。
(小笠原)
ところが、驚くほどに男女差はありません。採用直後は警部補、その後さまざまな経験を積みながら警部、警視と階級が上がり、現在の私は警視正で、同期の男性と同様の昇進ペースです。
また、女性は体力的に厳しいのではないかと不安を感じるかもしれませんが、経験的に体力差は男女差ではなく、個人差だと私は思っています。入庁後すぐに警察大学校で3カ月の初任幹部研修があり、刑事訴訟法や捜査書類作成の方法、警察の礼式を学ぶとともに、柔道か剣道、逮捕術、射撃の訓練をします。機動隊のフル装備で、盾を持って運動場を何周も走る、などという過酷な訓練もあって、小柄な私は、盾の後ろにヘルメットの上部だけが見えるという状態だったのですが(笑)、へばってしまう男性もいるなかで最後まで走り切りました。
——持久力が大切なのですね。ところで入庁後は霞が関ではなく、警察大学校での研修というのが意外でした。
(小笠原)
3カ月間、勉強と訓練に明け暮れました。その後、事件発生の多い都道府県警の警察署に異動して現場を経験します。私が配属されたのは兵庫県警生田警察署です。交番勤務から、刑事一課、二課、暴力団対策課を経験し、県警本部の暴力団対策二課に移る直前に、阪神・淡路大震災に遭遇しました。
住んでいた寮はなんとか無事だったものの、同じ敷地に建っている兵庫署は1階が押し潰されてしまいました。でも、新米とはいえ私は警察官、すぐに出動服に着替えて地域の被害状況を確認し、救助活動に当たりました。住民の協力を得ながらタンスの下敷きになっている人を助け出したり、あちこちの家から炎が上がっているなかで目の不自由な人を誘導したり、無我夢中で動き回りました。
辛かったのは、安置所になった長田区内の高校の体育館でご遺体の身元を確認する検視の仕事でした。子どもを亡くされた親御さんが泣き崩れる場面では、私だけでなく、屈強な猛者の刑事たちの目にも涙が浮かんでいたのを思い出します。
——阪神・淡路大震災の発生は1995年1月17日。警察官1年生には、厳しい経験だったと思います。でも、現場の経験は警察官として重要なことなのですね。
(小笠原)
はい、現場あっての警察ですから。その後も栃木県警で暴力団対策や汚職・知能犯取り締まりを、大阪府警ではスパイや密入国に目を光らせる外事を経験しました。試験合格後官庁回りをした時に、「警察庁は現場をきちんと経験させるので、階級が上がって方針や計画を立てるようになったとき、現場のことを知っているから机上のプランではなく実効力の高い立案ができる」と言われたのですが、たしかにその通りだと思います。県警や街の警察署での現場経験が、これからの仕事に役立つことは間違いありません。
(小笠原)
ところが、驚くほどに男女差はありません。採用直後は警部補、その後さまざまな経験を積みながら警部、警視と階級が上がり、現在の私は警視正で、同期の男性と同様の昇進ペースです。
また、女性は体力的に厳しいのではないかと不安を感じるかもしれませんが、経験的に体力差は男女差ではなく、個人差だと私は思っています。入庁後すぐに警察大学校で3カ月の初任幹部研修があり、刑事訴訟法や捜査書類作成の方法、警察の礼式を学ぶとともに、柔道か剣道、逮捕術、射撃の訓練をします。機動隊のフル装備で、盾を持って運動場を何周も走る、などという過酷な訓練もあって、小柄な私は、盾の後ろにヘルメットの上部だけが見えるという状態だったのですが(笑)、へばってしまう男性もいるなかで最後まで走り切りました。
——持久力が大切なのですね。ところで入庁後は霞が関ではなく、警察大学校での研修というのが意外でした。
(小笠原)
3カ月間、勉強と訓練に明け暮れました。その後、事件発生の多い都道府県警の警察署に異動して現場を経験します。私が配属されたのは兵庫県警生田警察署です。交番勤務から、刑事一課、二課、暴力団対策課を経験し、県警本部の暴力団対策二課に移る直前に、阪神・淡路大震災に遭遇しました。
住んでいた寮はなんとか無事だったものの、同じ敷地に建っている兵庫署は1階が押し潰されてしまいました。でも、新米とはいえ私は警察官、すぐに出動服に着替えて地域の被害状況を確認し、救助活動に当たりました。住民の協力を得ながらタンスの下敷きになっている人を助け出したり、あちこちの家から炎が上がっているなかで目の不自由な人を誘導したり、無我夢中で動き回りました。
辛かったのは、安置所になった長田区内の高校の体育館でご遺体の身元を確認する検視の仕事でした。子どもを亡くされた親御さんが泣き崩れる場面では、私だけでなく、屈強な猛者の刑事たちの目にも涙が浮かんでいたのを思い出します。
——阪神・淡路大震災の発生は1995年1月17日。警察官1年生には、厳しい経験だったと思います。でも、現場の経験は警察官として重要なことなのですね。
(小笠原)
はい、現場あっての警察ですから。その後も栃木県警で暴力団対策や汚職・知能犯取り締まりを、大阪府警ではスパイや密入国に目を光らせる外事を経験しました。試験合格後官庁回りをした時に、「警察庁は現場をきちんと経験させるので、階級が上がって方針や計画を立てるようになったとき、現場のことを知っているから机上のプランではなく実効力の高い立案ができる」と言われたのですが、たしかにその通りだと思います。県警や街の警察署での現場経験が、これからの仕事に役立つことは間違いありません。
内閣府、原子力安全・保安院に出向 ニューヨークに派遣留学も
——それにしても、本当に異動が多いですね。
(小笠原)
警察庁内の異動も含めると10回以上動いています。警察庁の暴力団対策課にも2年いました。女性でいわゆるマル暴に配属されたのは初めてでした。とくに希望したわけではなかったのですが(笑)。薬物対策課では外務省のODA事業でタイを中心に、カンボジア、ミャンマー、ラオス、ベトナム、中国への薬物取り締まりに関する技術移転を担当し、年間6回も海外出張をしました。
また犯罪学の勉強でアメリカに1年間派遣されて、コロンビア大学でマスター(修士)を取得しました。ドメスティックバイオレンス対策や被害者支援を研究したり、FBIの要職者にインタビューしたり、留学では多くのことを学びました。印象的だったのは警察が大学教授などのアカデミック分野の人や、NGOと協力して、犯罪防止や被害者支援に取り組んでいることでした。忙しい日々でしたが、被害者支援のボランティアをしたり、時間をつくって『レ・ミゼラブル』などのブロードウェイミュージカルも楽しみました。
その他にも、警察大学校の教授や、内閣府に出向して男女共同参画に関わる省庁間の調整や国会対応をしたり、原子力安全・保安院に出向し原子力発電所へのテロ対策強化の法律をつくるために、全国の原発を見て回ったりしました。
——その原子力安全・保安院への出向経験が、福島県警の警務部長に任命された理由のひとつかもしれませんね。
(小笠原)
そうかもしれません。警察官は治安を守るために、警戒区域への検問だけでなく、警戒区域内に入ってのパトロールや不審者への職務質問も行っています。その仕事をするには、正しい放射能の知識と防御の対策が必要なので、原発での爆発事故後すぐに、親交がある原子力防災の権威の大学名誉教授に福島県警でのレクチャーをお願いしました。
——性犯罪被害者の救済にも力を注いでいると聞きました。
(小笠原)
“性暴力の実態と被害者支援”をテーマに、義塾をはじめ大学やいろいろな場で講演をしています。性犯罪で警察に相談する人は、ごくわずか。多くの被害者が誰にも打ち明けられずに自らを責めて傷ついています。しかし、相手の意思に反して性的行為を強要することは暴力です。講演では性暴力に関する誤解や偏見を説明し、被害者には、被害によって発生する医療費を警察が負担する制度など、さまざまな支援があることを伝えています。施策を立案できる立場になってきましたし、性犯罪対策への取り組みは、私のライフワークになりそうです。
——忙しく、緊張の続く毎日だと思いますが、リフレッシュ方法は?
(小笠原)
福島は美しい自然に囲まれています。仕事のない休日はなるべく出かけて、時には学生時代の友人と県内の温泉を訪れるなどしてリフレッシュしています。塾員、塾生の皆さんにもぜひ福島へ観光に来ていただきたいですね。
(小笠原)
警察庁内の異動も含めると10回以上動いています。警察庁の暴力団対策課にも2年いました。女性でいわゆるマル暴に配属されたのは初めてでした。とくに希望したわけではなかったのですが(笑)。薬物対策課では外務省のODA事業でタイを中心に、カンボジア、ミャンマー、ラオス、ベトナム、中国への薬物取り締まりに関する技術移転を担当し、年間6回も海外出張をしました。
また犯罪学の勉強でアメリカに1年間派遣されて、コロンビア大学でマスター(修士)を取得しました。ドメスティックバイオレンス対策や被害者支援を研究したり、FBIの要職者にインタビューしたり、留学では多くのことを学びました。印象的だったのは警察が大学教授などのアカデミック分野の人や、NGOと協力して、犯罪防止や被害者支援に取り組んでいることでした。忙しい日々でしたが、被害者支援のボランティアをしたり、時間をつくって『レ・ミゼラブル』などのブロードウェイミュージカルも楽しみました。
その他にも、警察大学校の教授や、内閣府に出向して男女共同参画に関わる省庁間の調整や国会対応をしたり、原子力安全・保安院に出向し原子力発電所へのテロ対策強化の法律をつくるために、全国の原発を見て回ったりしました。
——その原子力安全・保安院への出向経験が、福島県警の警務部長に任命された理由のひとつかもしれませんね。
(小笠原)
そうかもしれません。警察官は治安を守るために、警戒区域への検問だけでなく、警戒区域内に入ってのパトロールや不審者への職務質問も行っています。その仕事をするには、正しい放射能の知識と防御の対策が必要なので、原発での爆発事故後すぐに、親交がある原子力防災の権威の大学名誉教授に福島県警でのレクチャーをお願いしました。
——性犯罪被害者の救済にも力を注いでいると聞きました。
(小笠原)
“性暴力の実態と被害者支援”をテーマに、義塾をはじめ大学やいろいろな場で講演をしています。性犯罪で警察に相談する人は、ごくわずか。多くの被害者が誰にも打ち明けられずに自らを責めて傷ついています。しかし、相手の意思に反して性的行為を強要することは暴力です。講演では性暴力に関する誤解や偏見を説明し、被害者には、被害によって発生する医療費を警察が負担する制度など、さまざまな支援があることを伝えています。施策を立案できる立場になってきましたし、性犯罪対策への取り組みは、私のライフワークになりそうです。
——忙しく、緊張の続く毎日だと思いますが、リフレッシュ方法は?
(小笠原)
福島は美しい自然に囲まれています。仕事のない休日はなるべく出かけて、時には学生時代の友人と県内の温泉を訪れるなどしてリフレッシュしています。塾員、塾生の皆さんにもぜひ福島へ観光に来ていただきたいですね。
江藤淳教授の「漱石の朗読」と加藤寛教授の「未来からの留学生」
——次は塾生時代の話を聞かせてください。総合政策学部の1期生ですよね。
(小笠原)
そう、校舎はピカピカだけど、まばらに建っている(笑)。入学時はメディアセンターも体育館もなく、学年が進むたびに校舎が増えていきました。
経済分野の人材を育てるのに貢献度が高い慶應義塾が、非営利分野や行政で活躍する人材をつくろうと開いたのがSFCだと、私は理解していました。つまり企業のために働くより人の役に立つ仕事をしたいと望む私には最適の学びの場であり、充実した4年間を過ごしました。
ただ、入学して先輩がいないのがなんとも寂しい。塾員の父が、年齢問わず塾員のつながりを大切にし、楽しんでいたのを見ていたので、先輩を求めて日吉のテニスサークルS.L.C.に入りました。
“慶應のテニスサークル”という甘いイメージに誘われたのですが、練習はとっても厳しかったですね。とくに役員を務める3年生が一切笑顔を見せず、怖い顔で1年生を指導します。それもコートの中だけでなく、常に鉄仮面状態です(笑)。その代わりに2年生と4年生はやさしい。しばらくして、3年が心を鬼にして1年を鍛える、というのがサークルの伝統になっていることがわかりましたが、最初は本当に怖かったですよ(笑)。
チームは強かったけれど、私自身の成績は語るべきものなし。それでもサークルでの思い出と友達は一生モノです。
——印象に残っている授業は何ですか。
(小笠原)
忘れられないのは、江藤淳教授(故人)の夏目漱石の授業です。『夢十夜』など漱石作品の朗読は、声が素晴らしいうえに心に染みる深みがあって感動しました。とくに文学好きというわけではありませんでしたが、この授業で日本語の美しさを初めて知りました。また漱石の小説が掲載されている明治時代の朝日新聞のコピーから、気になる記事や広告を選んで分析しなさい、という課題が出されたのも印象的でした。
学部長だった加藤寛教授(現 名誉教授)の「君たち学生は未来からの留学生。未来を切り開くために学びなさい」、そして「問題を解決することよりも、問題を発見することの方が重要である」という言葉も記憶に残っています。SFCで問題発見力を鍛えられたことが、肩書ではなく「何を為すか」ということにこだわって生きている、今の自分の土台であると確信しています。警察庁の内定が出てからのことですが、ゼミで「多国籍企業のリスク管理」のレポートを書くのに、邦人誘拐事件について調べたことがありました。その時、「経済的には豊かでも犯罪の多い国は決して幸福ではない」と感じ、国にとって「治安は究極の福祉である」と考えるようになり、警察官の仕事にさらに意欲が湧きました。
——最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(小笠原)
私はテニスサークルを楽しみながら、ダブルスクールで司法試験の勉強もしました。テニスでは平部員止まり、司法試験も途中で方針転換しましたが、塾生時代にやりたいことを思う存分やったという充実感はあります。そしてその経験すべてが、その後の人生に役立っています。塾生の皆さんにも、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいですね。
——本日はありがとうございました。
(小笠原)
そう、校舎はピカピカだけど、まばらに建っている(笑)。入学時はメディアセンターも体育館もなく、学年が進むたびに校舎が増えていきました。
経済分野の人材を育てるのに貢献度が高い慶應義塾が、非営利分野や行政で活躍する人材をつくろうと開いたのがSFCだと、私は理解していました。つまり企業のために働くより人の役に立つ仕事をしたいと望む私には最適の学びの場であり、充実した4年間を過ごしました。
ただ、入学して先輩がいないのがなんとも寂しい。塾員の父が、年齢問わず塾員のつながりを大切にし、楽しんでいたのを見ていたので、先輩を求めて日吉のテニスサークルS.L.C.に入りました。
“慶應のテニスサークル”という甘いイメージに誘われたのですが、練習はとっても厳しかったですね。とくに役員を務める3年生が一切笑顔を見せず、怖い顔で1年生を指導します。それもコートの中だけでなく、常に鉄仮面状態です(笑)。その代わりに2年生と4年生はやさしい。しばらくして、3年が心を鬼にして1年を鍛える、というのがサークルの伝統になっていることがわかりましたが、最初は本当に怖かったですよ(笑)。
チームは強かったけれど、私自身の成績は語るべきものなし。それでもサークルでの思い出と友達は一生モノです。
——印象に残っている授業は何ですか。
(小笠原)
忘れられないのは、江藤淳教授(故人)の夏目漱石の授業です。『夢十夜』など漱石作品の朗読は、声が素晴らしいうえに心に染みる深みがあって感動しました。とくに文学好きというわけではありませんでしたが、この授業で日本語の美しさを初めて知りました。また漱石の小説が掲載されている明治時代の朝日新聞のコピーから、気になる記事や広告を選んで分析しなさい、という課題が出されたのも印象的でした。
学部長だった加藤寛教授(現 名誉教授)の「君たち学生は未来からの留学生。未来を切り開くために学びなさい」、そして「問題を解決することよりも、問題を発見することの方が重要である」という言葉も記憶に残っています。SFCで問題発見力を鍛えられたことが、肩書ではなく「何を為すか」ということにこだわって生きている、今の自分の土台であると確信しています。警察庁の内定が出てからのことですが、ゼミで「多国籍企業のリスク管理」のレポートを書くのに、邦人誘拐事件について調べたことがありました。その時、「経済的には豊かでも犯罪の多い国は決して幸福ではない」と感じ、国にとって「治安は究極の福祉である」と考えるようになり、警察官の仕事にさらに意欲が湧きました。
——最後に塾生へのメッセージをお願いします。
(小笠原)
私はテニスサークルを楽しみながら、ダブルスクールで司法試験の勉強もしました。テニスでは平部員止まり、司法試験も途中で方針転換しましたが、塾生時代にやりたいことを思う存分やったという充実感はあります。そしてその経験すべてが、その後の人生に役立っています。塾生の皆さんにも、いろいろなことにチャレンジしてもらいたいですね。
——本日はありがとうございました。