■橋下氏巡る記事「差別を助長」
■朝日新聞出版社長が辞任
橋下徹・大阪市長を取り上げた「週刊朝日」10月26日号の連載記事をめぐり、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」(PRC)は、「見出しを含め、記事は橋下氏の出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調とし、人間の主体的尊厳性を見失っている」などとする見解をまとめた。これを受け、同誌を発行する朝日新聞出版は12日、神徳英雄社長が辞任し、篠崎充取締役を社長代行とする人事を決めた。
同出版はこの日、見解と、見解を受けた再発防止策などを橋下氏に報告し、改めて謝罪した。橋下氏は「納得できた」などと述べた。同出版は、週刊朝日の河畠大四・前編集長と担当デスクである副編集長を停職3カ月・降格、雑誌統括兼コンプライアンス担当を停職20日とする懲戒処分も公表した。
見解では、記事中に橋下氏を直接侮辱する表現や、被差別部落の地名を特定するなど、差別を助長する表現が複数書かれていたほか、主要部分が信頼性の疑わしい話で構成されているとして「差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命とし、正確な報道に努めるべき報道機関として、あってはならない過ち」と指摘。「差別の認識と人権への配慮を欠き、編集部のチェック体制が機能していない」と総括した。
具体的には、企画段階でコンテがなく、連載の展開を編集部で検討していない▽社内のチェックで発行停止が検討された形跡もない▽掲載後のおわびも、タイトルや不適切な記述に対するものにとどまり、問題の本質に気づいていなかった――などと問題点を指摘。連載は2回目以降も橋下氏の親族を取り上げる予定で、これらの問題が検証されないままでは過ちを繰り返すことになるとして「連載中止はやむを得なかった」とした。
また、記事は編集部が主体となり、意向を受けた佐野眞一氏が取材・執筆活動をしていたことから「問題の責任は全面的に編集部側にある」とする一方、佐野氏についても「人権や差別に対する配慮が足りない点があった」と述べた。
一方、同出版は見解を受け、(1)記者の人権研修の徹底(2)記者規範研修の徹底(3)発行人と編集人の分離――などを柱とする再発防止策を発表した。
記事は、橋下氏の人物評伝を意図した連載の1回目。掲載号発売後の10月19日に連載中止を決定。橋下氏は、記事掲載に至った経緯の検証と説明を求めていた。
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〈朝日新聞出版・井手隆司管理統括兼管理部長の話〉 「報道と人権委員会」から、今回の記事について「出自を根拠に人格を否定するという誤った考えを基調にしている」との根幹に関わる指摘を受けました。差別や偏見と闘うことを使命とする報道機関として、深く反省しております。神徳英雄社長は事態を重大に受け止め、すべての経営責任を負って本日、辞任しました。今後は社員の人権教育を徹底し、読者の信頼回復に努めます。
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〈朝日新聞社広報部の話〉 「報道と人権委員会」が「あってはならない過ち」との見解を示し、これを受けて朝日新聞出版の社長が引責辞任しました。親会社の当社もこのことを前例のない深刻な事態として、非常に重く受け止めています。差別を許さず、人権を守ることは朝日新聞社の基本姿勢であり、当社グループ全体が共有すべきものです。これを機に、当社はこの基本姿勢を当社内にも改めて徹底するとともに、見解を受けて朝日新聞出版が打ち出した再発防止策が確実に実行されるよう、同社に厳しく求めていきます。
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〈佐野眞一氏のコメント(要旨)〉 人権や差別に対する配慮が足りなかったという「報道と人権委員会」のご指摘は、真摯(しんし)に受け止めます。出自にふれることが差別意識と直結することは絶対あってはならないことです。私の至らなかった最大の点は、現実に差別に苦しんでおられる方々に寄り添う深い思いと配慮を欠いたことです。その結果、それらの方々をさらなる苦しみに巻き込んでしまったことは否めません。関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫(わ)びいたします。
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■「報道と人権委員会」(PRC)とは
「報道と人権委員会」は、朝日新聞社と朝日新聞出版の取材・報道で名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害などの人権侵害があったかどうかを審理する第三者機関。社外の委員で構成され、2001年1月に発足した。当事者からの申し立てだけでなく、委員による問題提起や両社から要請があった事案も取り上げることができる。審理の結果は「見解」としてまとめ、朝日新聞紙上などで公表している。
現在の委員は、東京大法学部教授(憲法)の長谷部恭男氏、元共同通信論説副委員長の藤田博司氏、元最高裁判事で弁護士の宮川光治氏の3氏。
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■橋下市長は「理解し納得」
「週刊朝日」の記事をめぐり、朝日新聞出版の篠崎充社長代行ら3人は12日夕、大阪市役所で橋下徹市長に面会し、改めて謝罪した。市長応接室での面会は、報道陣に公開された。
篠崎社長代行は「今回の記事で橋下市長とご家族、多くの関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを心から反省している」と謝罪。朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」の見解や、朝日新聞出版がまとめた記事掲載の経緯などについて説明した。
これに対し、橋下市長は「今回の見解を拝読して全て理解し、納得した」と表明。そのうえで「先祖の生き様が僕の人格の決定的な要因になっているという考え方はとるべきではない」などと指摘した。
橋下市長はまた、「民主国家においては報道の自由こそすべて。権力が報道の現場に乗り出さないように、報道機関が自主的にきちんと一線を越えないようにしていただくことが、報道の自由をしっかり守ることにつながる。そういうことも踏まえ、今後もよろしくお願いしたい」と述べた。
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■橋下氏巡る週刊朝日連載へのPRC見解(要旨)
橋下徹・大阪市長をめぐる「週刊朝日」の連載についての、朝日新聞社「報道と人権委員会」の見解の要旨は以下の通り。
1 当委員会の調査の経緯と見解の要旨
朝日新聞出版から、企画段階から取材・報道、連載中止に至るまでの経緯について報告書の提出を受け、次に、週刊朝日の河畠大四編集長(当時)、デスク、雑誌部門の責任者である雑誌統括、筆者の佐野眞一氏らから聞き取りを行い、委員会を開催し、朝日新聞出版から詳細な説明を受け、見解をまとめた。
(当委員会の見解の要旨)
本件記事は、見出しを含め、記事及び記事作成過程を通して橋下徹・大阪市長の出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている。人間の主体的尊厳性を見失っているというべきである。また、各所に橋下氏を直接侮辱する表現も見られる。さらに記事の主要部分が信憑(しんぴょう)性の疑わしい噂(うわさ)話で構成されており、事実の正確性に関しても問題がある。
報道を通じて差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし、正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として、あってはならない過ちである。本件記事の作成及び掲載に携わった者たちは差別に対する認識及び人権への配慮を欠いていたというべきで、編集部におけるチェック体制が的確に機能していないという問題も存在している。
また、企画段階からタイトルの決定、表紙の作成、情報収集、原稿チェック、おわびの掲載まで編集部が主体になり、佐野氏は編集部の意向を受けて取材・執筆活動をしており、問題の責任は全面的に編集部側にある。ただし、佐野氏も人権や差別に対する配慮の足りない点があったと思われる。
2 企画段階での問題
この連載企画は、本年春頃、編集部において、編集長の提案により橋下氏の人物評伝として検討され、編集部の「目玉企画」として部数増対策の一環にも位置づけられた。編集長は外部の作家に執筆を依頼した方がよりインパクトの強い記事ができると考え、ノンフィクション作家として多くの実績があり孫正義ソフトバンク社長の評伝『あんぽん』を上梓(じょうし)した佐野氏が適任であると判断し、同氏と親交があるデスクに本企画を担当させた。
デスクは佐野氏と話し合い、企画の狙いとして概(おおむ)ね次の3点を説明し、佐野氏の同意を得た。(1)橋下氏を知る多くの人たちの証言を得て橋下氏の人物像に迫り、それが彼の政治姿勢や政治思想とどう関わるのかを探る(2)橋下氏の巧みなマスコミ操作を検証し、他方、メディアに今何が起きているのかを考える(3)ツイッターを多用する橋下氏の手法を通じて、政治とネット社会を探る。
担当デスクは、(1)との関連で、橋下氏の政治信条や人格に出自が投影しているであろうとの見方に立ち、出自について書くべきだと考えていた。それが差別を助長することにならないかという点に関しては、橋下氏は公人であり、知る権利、表現の自由からもその名誉及びプライバシーは制限されること、その人物の全体像を描くこととの関連で取材の対象に家系を構成する人々を入れることは必然であることから、表現することは可能であると考えた。
6月末頃から、記者2人が取材活動を開始した。9月半ばまでに、橋下氏の親戚、各地の知人、維新の会議員、関西政界関係者、部落解放同盟関係者、郷土史家ら、60人近い人々に取材した。9月中旬には数日、佐野氏も取材に出向いた。9月20日頃、デスクは佐野氏から構想について書かれたペーパーを受領し、説明を受けた。10月初め、10月16日発売の10月26日号から連載を開始することが決定した。
本企画は、多様な視点を含みつつも、差別や偏見を助長する危険の伴う極めてセンシティブな内容であったことが認められる。したがって、本企画については、その狙いの当否、各視点の相互関係、手法、表現のあり方等について、社内において慎重に議論すべきであった。しかし、これらを検討する資料となる企画書はなく、レジュメもコンテもない。佐野氏が示した連載展開の概要像も編集部で検討した事実はない。本件は、企画の段階において、慎重な検討作業を欠いていたというべきである。
3 タイトルの決定及び本件記事の問題
9月23日頃、担当デスクと佐野氏が打ち合わせる中で、デスクは孫正義氏に関する評伝が、孫氏の通名であった「安本」からとった「あんぽん」というタイトルであることにも影響され、また、すでに週刊朝日(8月17日、24日合併号)で、橋下氏の父が「ハシシタ」姓を「ハシモト」に変えたと報じていたこともあり、連載のタイトルを思いつき、佐野氏に提案した。佐野氏はこれを了承した。
氏名はその人の人格を表象するものであり、氏名権は人格権の一つとされている。一般に、氏名と異なる呼称をことさらに用いることは、人格権を侵害することにもなりかねない。本件では、読者は橋下氏に対する侮蔑感情を読み取ると思われる。また、サブタイトルの「奴」「本性」という言葉にも橋下氏への敵対意識、侮蔑意識を窺(うかが)うことができる。それらが大きなタイトル文字として表紙を飾っていることが、一層、敵対・侮蔑の度合いを強めている。
表紙の「DNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」といった表現を含め、本件記事全体の論調から、いわゆる出自が橋下氏の人柄、思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している。出自と人格を強く関連づける考えは、人間の主体的な尊厳性を見失っており、人間理解として誤っているばかりか、危険な考えでもある。なお、家系図を掲載しているが、こうした流れに照らすと橋下氏が家系(血筋)に規定されているという前提での参考図と位置づけられているとも理解でき、極めて問題である。
記事の主要部分は、「大阪維新の会」の旗揚げパーティーに出席していた正体不明の出席者と、縁戚にあたるという人物へのインタビューで構成されている。彼らの発言内容は、噂話の域を出ていない。
本件記事には被差別部落の地区を特定する表現がある。朝日新聞出版記者行動基準、報道の取り決めに明白に違反している。
4 記事チェック段階での問題
10月9日夕刻、本件記事の原稿が佐野氏から担当デスクの手元に届いた。デスクと2人の担当記者は読んだが、編集長の手元に原稿が届いたのは12日昼頃であった。
原稿を読んだ編集長は、部落差別に関連する文章上の問題点をデスクにいくつか指摘し、同時に、雑誌統括に当該原稿をメールで転送した。折り返し雑誌統括は「こんなことを書いていいと思っているのか。掲載できると思っているのか」と編集長と電話で激しくやり合った。雑誌統括からの依頼で原稿を読んだ他部門の社員からも、原稿には多数の問題があるという指摘があった。編集長は、デスクに佐野氏と交渉して直しを検討するよう求めた。佐野氏は当日、テレビのゲストコメンテーターとしての仕事があり、検討が遅れたが、締め切り日である13日夕刻、数点の修正を行った。雑誌統括は、さらに被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった。最後は、編集長が「これは佐野さんの原稿です。これで行かせてください」と押し切った。表紙が12日に校了しており、この段階では掲載中止は困難であった。掲載するか雑誌自体の発行を停止するかという選択であったが、発行停止が検討された形跡は見られない。
最後は「時間切れ」の状況で、掲載に至っている。出自が人格を規定しているという誤った考え方を基調とし、主要部分を信憑性が乏しいインタビューで構成していることが問題なのであって、表現の手直しでは解消できる問題ではなかった。編集部としては、その点にいち早く気づき、本件記事の掲載を止めるべきであった。佐野氏から本件記事の原稿が編集部に届いたのは9日夕刻であり、デスクが原稿を直ちに編集長に示していれば、編集長は社内の意見を聞くとともに、顧問弁護士に助言を求めるリーガルチェックを受けることが可能であった。
社内では差別的表現や侮蔑的表現に関し多くの点が指摘されている。編集部はデスクを通じて佐野氏にすべて伝えたとしているが、佐野氏は「指摘があったところで飲めないところはなかった」といい、言い分が食い違っている。社内の指摘が担当デスクを通じて佐野氏に的確に伝えられていたかどうか疑問である。また、編集部は筆者のオリジナリティーを大切にしたいという思いがあったとしているが、事柄の重大性に対する認識が欠けていたといわなければならない。
本件記事と同内容に近い記事が既に他の月刊誌・週刊誌等に複数掲載されている。編集部や記事をチェックした者たちは、それらについては橋下氏からの特段の抗議はなく、社会問題ともなっていないと即断し、こうしたことから本件記事も許されるものと考えたとしている。しかしながら、仮にそうだとしても、人権侵害を拡散し、再生産した責任を免れることはできない。
5 掲載後の対応の問題
橋下氏が記者会見をした10月18日前日の17日夜に朝日新聞出版が発表した「今回の記事は、公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です。」などとするコメントは、発行から2日経っていながら、本件記事の正当化とも受け取れるものである。また、18日夜に発表したおわびコメントや、週刊朝日11月2日号に掲載した編集長名での「おわびします」でも、タイトルや複数の不適切な記述に関するおわびにとどまっていた。この段階においても、問題の本質に気づいていなかった。
連載中止については、佐野氏は「1回目だけを読んで判断すべきではない。中止は言論機関の自殺行為だ」としている。また、この問題に関する新聞等の報道では、中止は読者の期待を裏切り、知る権利を損なうことを意味すると指摘する識者もいた。しかし、連載を続けるためには、この問題についての検証、編集態勢の見直し、企画の狙いや記事執筆の基本的な考え方などの再検討、タイトルの変更などが必要だった。さらに、2回目以降も橋下氏の親族を取り上げることが予定されており、過ちを繰り返さないためには一層の慎重さが求められた。継続は困難であり、連載中止はやむを得なかった。