戦後65年だが、在日朝鮮人問題は一向に解決の見通しが立たず、それどころか高校無償化や朝鮮総連施設の減免課税など新しい問題が次から次へと出てくる始末である。既に在日一世の多くは死去し、四世五世も珍しくない世の中になったにも拘らず、問題は山積みなのだ。一方で在日朝鮮人の出自にして、その抜群の才覚で日本経済の重鎮となった人もいる。在日朝鮮人自身の感情的葛藤もあり、なかなか問題は一筋縄ではいかない。

　そういった状況である以上、在日朝鮮人に関して何がしかの知識を多く知っておくことは決して悪いことではない。ここでは、日本が誇る文化であるマンガにおいて、在日朝鮮人がどのように描かれてきたかを検証したい。というのも、マンガ研究においてこの方面の研究はまったく疎かにされているためで（大学でマンガ学が講義される時代になんという怠慢！）、本記事が叩き台になってくれればと切に願う次第である。

　今回は5作品を紹介する。いざ書いてみると長くなったので上下に分割した。なお記者は左翼なので、当然そういった立場から記事を書いている。「左翼の記事なんか読めるか！　ボケ！」という人はそっとブラウザを閉じるように。いや勿論、私見への批判反論は大歓迎ですが。

【9月22日追記：親切な方のご教示により、伊藤公雄編『マンガのなかの〈他者〉』（臨川書店、2008）に大阪市立大学の梁仁實特別研究員（当時。現在は岩手大学准教授）が「日本のマンガにおける他者との遭遇」という、マンガ表現の中の在日朝鮮人についての論考を書いていると知り、早速一読した。戦後マンガにおいては梶原一騎/矢口高雄「おとこ道」、中沢啓治「はだしのゲン」、松田妙子「日本的一少女」を取り上げている優れた論文であり、この手の問題に関心がある方には一読を薦めたい。やはり、私なんぞがこの記事を書く前に、研究する人は研究しているのである。また同論文により近藤腥「やさしく殺して！」村上もとか「龍」福井美穂子「上を向いて歩こう」江戸川啓視/クォン・カヤ「プルンギル」に在日朝鮮人が描かれていること、梁石日の小説「血と骨」を古沢優が翻案していることも知った。先学に感謝と敬意を記しておく。幸い、私のこの記事とネタ被りはなかった。また別の方から弘兼憲史「常務島耕作」に出てくる島耕作のライヴァルの韓国人社長が幼少時に在日朝鮮人だったということも教えていただいた。情報提供者各位に深く感謝したい。
　なお、改行を増やして読みやすくしてほしいと意見があったので若干増やした。また画像も大きくしてということだが、水木とつげの作品は現在新刊書店で容易に入手可能なので現物に当たるのも簡単だと思いしなかった。石坂、近藤、釋については古書の入手は容易とはいえ現在紙媒体では絶版のようなので、若干画像を拡大した。その分、右部にはみ出してしまったようだが、やむを得ない事態として諒とせられたい】


水木しげる「さびしい人」（『奇人怪人大図鑑』ちくま文庫に収録。1969年発表）

　水木が大阪で貸アパートを経営していた時代の事実を元にしている。アパートに入居しているのはいつもビフテキを食べてやたらと大きな音を出してセックスする謎の夫妻と、水木マンガでおなじみのメガネ出っ歯顔の男。メガネはやけにさびしい人物で、経歴も身元もよくわからなかった。ある日、水木やメガネの部屋のものが洗いざらい盗まれてしまう。水木は警察に届け出る。犯人はビフテキ夫婦だったが、警察はメガネの身元まで調べてしまう。メガネは実は朝鮮人だった。

「警察に連絡されたのですね……ボク、戦争中志願して予科練に行っていたのです……いよいよ体当たりという日に終戦になりました　父母は祖国にいますが祖国に帰ることもできないのです　他国の戦争の特攻に志願した人間を祖国が喜んで迎えるはずがありませんからね……じゃあ日本にいる同国人にこころよく迎えられるかというとあまり喜ばれないのです　だからといって日本人でもないのです　戦争協力というわけでもなくただなんとなく志願したんですけどねえそれがいけなかったんですねえ」
　そう力なくメガネは笑い、引っ越すことになる。「ぼくは日本の人にぼくが朝鮮人だとわかるとぼくはもうそこに住みにくいのです」

　しばしば、硬直化した思考のバカ左翼が「朝鮮人は全員日本人に虐げられた可哀想な被害者」という意見を言うが、実際にはこの作品に出てくるメガネのように「ただなんとなく」特攻に志願してしまった人もそれなりにいたのだろう。別に「陛下の赤子として祖国のために死ぬ」つもりでも「強制的に従軍させられた」わけでもなく、「ただなんとなく」。そういった、主体性のない盆暗な人間が、日本人にしろ朝鮮出身者にしろ多く戦争に赴いたのだ。

　日本人はそれでも、生き残れば家族や親族や友人が迎えてくれた。しかし朝鮮人志願兵は、生き残ってもこのメガネのように日本人からも同胞からも疎まれ、さびしく笑って生きるほかなかっただろう。戦争をリアルに経験した水木だからこそ描き得た、こういった在日朝鮮人もいたという貴重な記録マンガである。



つげ義春「近所の景色」（『赤い花』小学館文庫に収録。1981年発表）

　つげの作品で在日朝鮮人を主題にしたものではなんといっても「李さん一家」が有名だろう。数多くのマンガでパロディネタにされた同作がつげの作品中でも屈指の傑作なのは言うまでもないが、ここでは敢えて知名度では一歩劣る「近所の景色」を紹介する。

　つげ得意の私小説的作品で、彼の子供が生まれた時期なので、1975年頃の話だろうか。調布市の川沿いを不法占拠した朝鮮人たちが、市から立ち退きを迫られている。つげは彼らに同情を感じている。というのもその朝鮮人部落の人々や情景に、梶井基次郎の「檸檬」の雰囲気を感じるからだ。だが、洪水が起きてしまい……

　朝鮮人部落の一帯は道路の舗装も川の護岸工事もされていなく、あからさまに差別されている。つげの妻（藤原マキ）は市のやり方を「みんなで差別しているのよ。早く追い出したいためなのよ」という。つげは「市長は革新系なのに」とボヤくが、妻は「こういうことは、革新も保守も関係ないでしょ」と冷静である。そう、不法占拠なんか、明々白々に市の財産を侵害し、市民に不利益をもたらすのだから、革新だろうが保守だろうがさっさと片をつけるべきなのである。妻の言い分は100%正しい。しかしそれでもつげは朝鮮人に同情し、時には「立ち退きはんたーい」とシュプレヒコールも挙げる。

　ここで注目すべきなのは、つげが、政治的主張もへったくれもなく、単に詩情（私情）での同情をしていることである。我々は、被差別者に味方する際、なんやかんやと政治的な理屈を並べ立てたがるものだし、また被差別者も自分達のしている活動の正当性が欲しいのでそういった理論を歓迎する。それはそれで宜しい。だが、こういった、ただただ詩情（私情）による同情というのも、充分あっていい態度であることも押さえたい。それは逆に「詩情（私情）による差別」を容認してしまうという危うさも秘めているのだが、それでも弱者への憐憫は、ごく素直な人間的感情だと私は考える。






石坂啓「八月の友人」（『正しい戦争』ヤングジャンプコミックスに収録。1985年前後の作）

　石坂啓を単なるバカ左翼マンガ家と見誤ってはならない。政治的主張の是非はさておき、マンガ家としては「安穏族」「ハルコロ」「キスより簡単」「夢見るトマト」「アイ’ム　ホーム」などの良作を多数世に出した秀才である。さすがは手塚治虫の弟子。しかも美人だし。余談だが『正しい戦争』には6・4天安門事件の中国共産党による虐殺を非難する作品も収録されているし、女の戦争責任を問う作品もある。思考停止したバカ左翼とは全然違うのだ。

　さて、「八月の友人」は「安穏族」シリーズの1作で、山中恒の『ボクラ少国民』を参考にしている。第二次世界大戦の戦火が激しくなってきた頃の話だ。両親を失い田舎のおばの家に疎開してきたコーゾー少年は、悪ガキのいじめやおばの苛烈な仕打ちに傷つきながら、朝鮮人の少年きん太と仲良くなる。コーゾーは田舎社会のはみ出し者であり、きん太は日本社会のはみ出し者なのだ。仲良くなるのは当然だった。「おんなじ部隊になったら助けあっていこうな」と約束を交わす2人。

　だが、おばはコーゾーをビンタし厳しく叱る。「おまえ朝鮮人のコと仲良くしてるんだって!!　ふざけるんじゃないよ貧乏してたってうちはあいつらとは違うんだ！　あんなやつらと仲良くするとうちがつまはじきにされちまう　わかってるのかい」

　朝鮮人と仲良くしてはいけない。そう叱られたコーゾーは、きん太の家に遊びに行っても心が落ち着かない。その帰りにきん太の母からキムチを渡されるが、それも捨ててしまう。だが、捨ててしまった瞬間を、きん太は見ていた。そして悲しそうに笑顔を見せた……

　朝鮮人のすべてが善良であるというのが迷妄なのと同様、日本人全員が悪逆非道だというのもまた迷妄である。しかしこのコーゾーのおばのような唾棄すべき日本人がいたのは事実だろう。平時である21世紀の現代日本においてですら、「朝鮮人だから」というだけの理由で聞くに耐えない罵詈雑言を飛ばし差別する愚劣な人間がいくらかいるのだから、大半の人が精神的に参っていた戦中ではなおさらいたに違いない。そういった汚い大人の存在が、子供の心をどれほど傷つけるか。石坂は極めて冷たい視線で告発するのだ。

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