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古代ローマの「呪い」の作法について

かっちりまとめた記事ではなく最近読みかけの本、リチャード・キャヴェンディッシュ著「魔術の歴史」からのメモ的なエントリ。

有史来、現代に到るまで人々の心から決して切り離せない宿業のような心性に「呪い」がある。古代ローマの人々も、他の様々な社会集団がそうであるように、言葉にすれば現実のものとなる、という魔術的原理を強く信じており、その原理を踏まえて、多くの場合には生け贄を捧げつつ神への祈りの言葉を口にした。その裏返しとして「呪い」もまた、その魔術的原理に則った手法としてポピュラーなものであった。

呪いの言葉は例えば『語ること動くことあたわざるよう、彼が舌と魂の鉛とならんことを』(P43)などというような言葉で、陶片や金属片、鉛などに書かれ、縛りを与えるために針金が巻かれ、あるいは相手の名に釘が打たれた。私的な「呪い」は禁じられ、犯罪者や公共の敵に対して司祭や裁判官による公的な「呪い」が発せられたという。

古代ローマに限らず各地で「呪い」の言葉を集めた文書の存在が伝えられている。旧約聖書の申命記二八章にも「神の祝福」と対で「神の呪い」という項目がたてられ、神の言葉に従わなければ神が呪いの言葉を発するとして、様々な神の呪いの言葉が記される。罰と呪いとはかなり近しい存在であったのかもしれないが、聖性が保たれるはずの神から不浄なはずの呪いが語られるのはとても興味深い。旧約なので未だ聖と穢とが未分化であったのだろうか、それとも神こそが言葉(ロゴス)であるがゆえ、神が自ら呪うのであろうか。

効果的と信じられていたのは、のろいの言葉によって相手に向けられた、魔術師自身の徐々に高まる怒りと敵意』(P44)であったと考えられている。「呪い」を言葉にすることで自身の憎悪を増幅させ、その強い気持ちが呪う相手に影響を及ぼす、という魔術的な心性、憎悪をこそ力として相手に痛みを与えたいという昏い願望は古代から現代まで変わることのない人間の業のなのかもしれない。

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魔術の歴史
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