法務省の政務三役が新たな人権救済機関として「人権委員会」を設置するとの中間報告をまとめた。自公連立政権当時に廃案となった人権擁護法案では法務省の外局とする構想だったが、より独立性を高め、内閣府に設置することを「念頭」に置き、その組織などを検討していく方向が打ち出された。

 新しい人権救済機関の創設は、国連などからも強く実現を求められている懸案事項だ。千葉景子法相は法案化の時期を具体的に明示してはいないが、できるだけ独立性を高め、人権保障を充実させていきたい。

 かつて民主党は人権擁護法案に対し「行政が加害者になることもあり得る。法務省に置いたのでは独立性が保てない」と強く批判してきた。この指摘の通り、人権委員会の生命線は何といっても政府からの独立性だ。

 実際、諸外国を見ると、国内人権救済機関は、裁判所のように政府から独立した組織であることが多い。国際的に見れば、新たな人権委員会について中間報告が、政府の内部ではあっても比較的独立性が高い内閣府に置く可能性を示したことは評価できるに違いない。

 それにしても、なぜ日本での論議は混迷するのだろうか。一つには、国民に国への信頼が厚く、国が人権を侵害するようなことはするはずがないと考えられているため、独立性には関心が集まらないのかもしれない。しかし国も私人の人権を侵害し得ることは冤罪(えんざい)事件などから明らかだ。

 もう一つは、国が国民生活に介入することへの強い警戒感が考えられる。新しい人権委と言っても、国の機関であることには変わりがない。

 その一方、国に積極的な人権救済に乗り出してほしいという期待感も国民には強い。警戒感と期待の間でバランスを取るには準司法的な独立性の高い機関にするのが最良の選択だろう。

 民主党内には、とりあえず政府内につくり、小さく産んで大きく育てる考え方があるようだ。とにかく創設し、数年後に見直せばよいという考え方も聞こえてくる。

 だが制度というものは、一度できると、その後の大きな見直しはしにくくなるのが通例だ。課題を先送りせず、今、しっかりしたものをつくらなければならない。

 また中間報告はメディア規制条項を「特段設けない」とした。メディアの自主的な取り組みに対処を委ねる考え方といえるが、当然だろう。

 ただ、中間報告には未確定な部分があり、人権被害の救済に当たる中核的な専門機関として機能させるには心配が尽きない。例えば都道府県に下部組織が設けられるが、「既存の組織の活用・充実を図る」とされたことだ。法務局職員や民間の人権擁護委員などを利用する可能性が模索されているようだ。

 法務省の人権擁護局や法務局が横滑りするだけならば、新組織の意味がない。人権問題に詳しい弁護士、学者や非政府組織(NGO)関係者など外部からの職員任用を考えたらどうか。

 法務局の職員を活用するなら、新しい人権救済プログラムに基づく研修も必要だ。民間の人権擁護委員に至っては、ボランティア的な色彩が強く、高齢者も多い。人権擁護の専門家として役目を果たすには、専門性の強化が大きな課題になるだろう。