2012-11-10
血管内治療からおよそ3週間
鼻の奥の上咽頭ガン。ガンが大きくなっていたことで詰まっていた左の鼻が治療を受けたことで、再び呼吸できるようになりました、と書いたのは2週間目のこと。その後はもうひとつ良くなってきません。意識しないと口呼吸になってしまいます。治る方向にあったカーブ曲線がだんだんフラットを描いているように思えます。粘液というか痰が多くでて、夜は2時間おきに目が覚めて、喉がカラカラになって水を飲むような状態です。最近は、日中でもペットボトルの水が手放せない状態です。喉の痛みもあって、ガンが再び活動を始めたのかとも感じたり、でも、そんなはずはありません。この痛みは抗がん剤の副作用によるもの? 抗がん剤の痛みであれば、時期が来れば治まるはず。今はとにかく様子を観察するしかありません。
ガンのところを覆っている痰の色調から赤味が消えました。炎症が起きていれば充血も起きているはず。また、治療を受けるまでは、出血もたまに観察されたのに、今は出血するような気分がまったくしません。治療によってガンの進行が止まったことは確かに思えますが、退縮しているようには思えません。普通、火傷などで組織が壊死した後には、ケロイドになるか、繊維組織が発達して肉芽組織に置き換わるのでしょうが、塞栓処置を行なった後では、局所でどういう反応が起きているのかが想像できません。
医師に尋ねたい疑問点は数多くできました。でも、今のところ遠慮しておこうという気持ちもあります。患者から信頼されていることで、医師も思い通りに実力を発揮できると思うからです。患者さんから疑っているという態度をされると、微妙なところで治療も萎縮してしまうでしょう。まな板の鯉。また、疑問を聞いたところで、この部位のガンに対する経験値が不足しているので、満足する答えは返ってこないでしょう。血管内治療についてブログ検索をかけてみましたが、この治療を受けた患者さんからの報告はそれほど多くありません。10年ほど前からある治療法だそうですが、これからも試行錯誤を経て、完成される治療法だと感じます。ガンの部位により、塞栓する血管が違っているので、血管内治療がガンに対して有効だとしても、これからは部位別に専門医が誕生していくようになると思います。もし、私が肺ガンであったならば、こちらの病院も選択肢にいれていたかもしれません。 こちら。血管内治療に関しても詳しく書かれています。
2012-11-08
成り行きまかせの人生
ガンを患ったのには意味がある。とくに手術という手段が選択てきない上咽頭ガンを授かったのには、きっと理由があると今でも感じています。さぁ、長年、医学を学んできた君は、人生の最大の危機を迎えてどう対処するのだろうと、きっと試されているのです。
唯一示された治療法は抗がん剤と放射線治療を併用する治療法だけで選択の余地がありません。脳や口腔に近く、気道の入り口に出来たガン。治療とはいえ、そこに強い放射線を当てることのデメリットは簡単に想像できました。唾液が出なくなる。食べ物を食べられなくなる。扁桃腺などのリンパ組織がダメージを受ける。風邪や感染症を引き起こしやすくなる。脳にヒットしたばあいはもちろん・・・サドンデスもあり。ひどいもんです。
先輩の患者さんたちのブログを拝見しました。治療の質がとんでもなくつらいことが分かりました。そもそもガン治療に楽なものはありません。しかも、これほどの過酷な治療を受けても、5年生存率が60パーセント程度だとは、まったくコストパフォーマンスが低すぎです。その上、この種のガンは遠隔転移することが極めて多く、治療後もせっせと病院に通い、転移が見つかればそれを治療する。そんなことを繰り返していれば、次第に身体の免疫力も低下し、いずれは負け戦の時を迎えるのは必定。ずっとガンとの闘いがエンドレスで続くことになる。ガンとの戦いが生活の大きなウェートを占めることになる。勝手な思い込みですが、そういう風に理解しました。また、他に治療法がないのだろうか。要するに、これで治るとのイメージが描けなかったのです。
他に方法がないものかと、ガンマナイフやサイバーナイフの施設へ相談しに出かけたこともありました。双方ともに標準の治療を受ける前に治療した場合のエビデンスが存在しないという理由で門前払いでした。後から考えれば、おなじピンポイントでの治療でも、そのときに重粒子線の治療を選択すればよかったのかもしれません。ガンマナイフやサイバーナイフは保健適応の治療機械ですので、だめもとで患者が望んでも使ってもらえません。使える疾患が限られているのです。もっとも、他に治療法がないという今のような段階では、使ってもらえるかもしれませんが、それではピンポイントでの治療効果がうすいことはだれの目にも明らかです。
過去をふり返る作業は続きます。
2012-11-06
よみがえる生命
「わたし、おかあさんを見てると、ガンなんかちっとも怖くないわ」娘がそういうのです。私自身もガンのために死を覚悟していたのが信じられない思いです。いまから10年前のこと、55歳のときにガン宣告を受けました。ガン検診のパンフレットを見て、ものはためしと受けてみたところ、子宮筋腫の疑いがあると医師から告げられました。入院したあと、主人に私が子宮頚ガンであることを伝えたそうです。そのまま手術をして、肝炎を併発したりして、とうとう7ヶ月の入院生活になってしまいました。コバルト照射を受け、7ヶ月後に退院、その後3年間通院を続けました。5年目に再発。ひどい出血があり、びっくりして飛んでいきました。T女子医大病院に入院し、2ヶ月間コバルト治療を受けました。食欲がなくなって、ひどく衰弱しました。もうこれ以上あてられないというところで、退院となりました。主人は、まだ卵ぐらいの大きさのガンが残っていると医師から言われたそうです。
退院してすぐのころ、娘の夫が丸山ワクチンのことを書いた雑誌を持ってきて、これをためしてみてはどうかと薦めてくれたのです。女子医大から紹介状とカルテをもらい、娘に丸山先生のもとに行ってもらいました。その効果には本当にびっくりしました。一日置きに近所の医院で打って貰ったのですが、どんどん良くなるのがわかるのです。食欲が普通になってくるのです。一年もたたないうちに、ひとりで歩けるようになりました。本当に、今こうして元気な毎日を送っているのが夢のようです。髪の毛が黒くなって「若返りましたね」とよく言われますが、副作用のない丸山ワクチンには、髪が黒くなるといううれしい副作用があるようです。村山よしえさん・65歳・主婦・東京都杉並区和田。(上の文章は体験談の要点部分を意訳して縮めています)
昭和51年発行の丸山千里著「丸山ワクチン」には、このような体験談が数多く載せられている。他の人ですが、丸山ワクチンでガンから生還した人の住所が隣町だったので、話をうかがいに出かけたこともあります。詳しいところを直接に聞きたいと思ったのです。もう20年以上も前のこと、小児ガンを患った人で、本人は現在、東京で働いているとのこと、したがって本人とは会えずに、その住所には両親だけが住んでおられました。そして、丸山ワクチンでガンが治ったのは本当てした。丸山ワクチンに感謝しておられた。体験談にある村山よしえさんのケースも本当に、体験談のことが起きたのだろうと思います。第一、カルテが存在するはずです。もっとも、最近はこのような奇跡の症例があまり目につかないとも感じるところです。そして、私ですが、4年間続けた丸山ワクチンに加えて血管内治療を選択しました。この際、丸山ワクチンもA―Bの隔日注射から、A―Aの隔日注射へ主治医と相談の上、変更しようと考えています。治験ですので、濃度の高いA液も、濃度の低いB液も一緒の価格だそうですからね。
2012-11-05
血管内治療から2週間目
先日の朝、目を覚ましたところ、詰まっていた左の鼻からも少し呼吸できるようになっているのに気づきました。片方の鼻をふさいで確認したところ間違いないようです。つまり、この部分の腫瘍が縮小したと思われます。血管内治療の効果によるものとしか考えようがありません。シスプラチンの効果か、それとも塞栓の効果か・・・
しかし、治っていくような気分にはありません。痛みがまったく和らぐ気配を感じないからです。組織が壊れているような痛みが続きます。腫瘍とはいえ自分の細胞ですから、それが悲鳴をあげているようにも感じるところです。先日のブログで非ステロイド系消炎剤はまったく効かない、オピオイドに変えたいと泣き言を書いたりしましたが、それはロキ○ニンのことで、ためしにジクロフェナック、いわゆるボル○レン錠に変更してみたところ、痛みが和らぐことが分かりました。それも、きっちり10時間だけ。それから胃薬と併用して飲むことが習慣になっています。痛みがあると夜も眠れません。安保理論からどんどん離れていきます。「ガンの最後は痛くない」というような表題の本も読んだことがありましたが、本当に患者に接している医者が書いているのかと疑うようになりました。まず痛みをコントロールしなければ、精神も破綻しそうです。ともあれ、ひとつ希望がうまれてきたので、さらに口角をあげて前向きに生きる気持ちが沸いてきました。 一時的な現象かも、という気持ちは頭のすみからも取り払うようにしたいものです。
2012-11-02
信仰心が芽生えてきた
すべての人間の行動は全部が神さま(か仏さま)のおぼしめし。自分で決めたことであっても、実は生まれる前からインプットされていたことだという考え方があります。そして、人は人生が順調なときは神さまの存在を意識することはなく、病気や苦しみに出会ったときにはじめて信仰について考えようになります。そうすると、どうして神さまは自分をこんな苦しい目にあわせるのだろうかという考えに至り、神さまに怒りをぶつけたりもする。でもそれは違うのですね。どんな結果になろうとも感謝する気持ちを忘れてはいけません。違う道を選択していれば、もっとひどいことになっていたかもしれません。神さまは、それぞれの人に、背負わしても大丈夫だと思われるだけの荷物しか背負わせない。現在の状況を受け入れることから始めなければなりません。まだまだ希望は残されている。ちょっと、自分の心の中を整理してみました。
読売新聞の医療ルネサンスという記事。子どもホスピスの話題がシリーズで載せられています。神奈川県にある海のみえる森という施設、奈良県にある奈良親子レスパイトハウスという施設は、重い病気や障害と闘う子供たちとその家族の為のショートステイ施設だそうです。神さまはなぜ、子ども達にも過酷な試練をお与えになるのだろう。世のなかは分からないことだらけですが、多くの医師やボランテァアの方々が協力して、このような施設が運営されている。「海のみえる森」を運営する団体の代表は聖路加国際病院の副院長、「奈良親子レスパイトハウス」のほうは東大寺福祉療育病院の副院長とあります。信仰の力は偉大です。
今日のはひとりごとです。