空の軌跡エヴァハルヒ短編集
第四十四話 2011年 8月10日記念LAS小説短編 麦わら帽子と向日葵の種(前編)
夏休みのある日、街並みを一望できる公園でシンジはレイと待ち合わせをしていた。
じりじりと照りつける太陽の日差しを見つめながら、シンジは集合時間の10分前に来てしまう自分の真面目な性格を自嘲した。
「まあ綾波はトウジ達みたいに遅刻しないから、まだ良いんだけどね」
シンジは自分を激励するようにそうつぶやいた。
「ねえ、第壱中学校はどこか知らない?」
麦わら帽子をかぶった黄色いワンピースの少女がシンジに声を掛けた。
「うん、僕の通っている学校だけど」
シンジが答えると、少女は嬉しそうな顔になる。
「今日、この街に引っ越して来たんだけど、通う学校がどんな所なのか見てみたいのよ」
「へえ、そうなんだ」
「じゃあ、案内して?」
「えっ?」
少女にそう言われたてシンジは困ってしまった。
シンジはレイとの待ち合わせをしているのだ。
「でも、僕は……」
「碇君、その子は誰?」
少女がシンジの言葉に答えようとした時、待ち合わせをしていたレイが姿を現して声を掛けた。
するとその少女は、
「あっ、デートの待ち合わせだったのね、ごめん、アタシは自分で探すから!」
と言って慌てて逃げるように立ち去ろうとした。
「待ってよ!」
シンジは大声で少女を呼び止めた。
少女は驚いて振り返る。
「せっかくだから僕達が案内するよ、いいよね、綾波?」
「う、うん……」
シンジに同意を求められたレイはうなずいた。
「ありがとう、でもデートだったんじゃないの?」
「いや、僕と綾波は幼馴染なんだ」
少女にシンジがはっきりそう答えると、レイはため息をつく。
「碇君は本当に鈍いんだから……」
シンジに聞こえない小さな声でレイはそうつぶやいた。
その少女はアスカと名乗り、シンジとレイはアスカと話をしながら学校まで案内した。
学校は夏休みだったので、部活動の生徒が居る場所以外は閑散としている。
「ありがとう、助かったわ」
「でも、夏休みだからほとんど人がいないけど、いいの?」
「アタシは別に構わないわ。そうだ、シンジとレイも2年生?」
「うん」
アスカに尋ねられたシンジがうなずくと、アスカは嬉しそうな笑顔になる。
「じゃあ一緒のクラスになれると良いわね」
「そうだね、綾波もそう思うよね?」
「ええ、そうね」
レイは少し引きつった笑顔でそう答えた。
「そうだ、学校の中も案内してあげようか」
「碇君……!」
シンジの言葉を聞いて驚いたレイはシンジの腕をつかんだ。
「いいじゃないか、少しぐらい」
「でも……」
誰にでも優しいシンジの事がレイは好きだった。
だけど最近はその優しさを自分にだけ向けて欲しいと思ってしまうのだ。
「悪かったわね、予定があるんでしょ?」
「うん、綾波と新しくできた水族館に行くところだったんだ」
「えっ!?」
シンジの返事を聞いたアスカは目を丸くして驚いた。
そしてアスカはレイと目を合わせた後、慌ててシンジに告げる。
「案内はもういいわよ」
「いいの?」
「うん、後はアタシだけで大丈夫だから、シンジ達は水族館に行きなさい!」
「わかったよ、じゃあね」
アスカに押し切られる形でシンジとレイは街の方へと立ち去った。
シンジ達が居なくなった後、アスカはため息をつく。
「まったく、何て鈍いヤツなのよ」
シンジはレイの気持ちが全く分かっていないと、あきれてしまった。
あの調子じゃレイも大変ねとアスカはレイに同情する。
「……でも、いいヤツよね」
アスカはそうつぶやくと、嬉しそうに微笑むのだった。
次の日シンジは、トウジ達と一緒にプールに行った。
シンジと顔を合わせるなりトウジ達は、興奮した様子でシンジに話し掛ける。
「昨日、街でえらい可愛い子とすれ違ったで!」
「スタイル抜群で、まるでアイドルみたいだったよ」
「あなた達、さっきからその話ばっかりね」
ヒカリはウンザリとした顔でため息をついた。
「街が混んでなければ見失わずに追いかけられたのになあ」
「そうやなあ」
「鈴原っ!」
ケンスケのぼやきにうなずいたトウジをヒカリが怒鳴りつけた。
レイはシンジがヒマワリ畑が描かれた観光用のポスターの前で足を止めた事に気がついて声を掛ける。
「碇君、あの子の事をまた考えていたの?」
「あっ、ごめん……」
レイに言われたシンジは照れ臭そうな顔をして謝った。
「本当に素敵な話よね、ヒマワリ畑で会った女の子って」
そう言いながらヒカリは両手を胸の前で握り目を閉じて陶酔に浸った。
「名前も分からん女の事をまだ引きずっておるんか」
「それよりも、碇が好きだって女の子の気持ちに答えた方がいいんじゃないか?」
「えっ、そんな子居るの?」
シンジがそう答えると、トウジとケンスケはあきれ顔でため息をついた。
「碇君はその子に貰った種を植えて、ずっとヒマワリを育てているんだっけ」
「うん、そのままヒマワリの種を大事に持っていても枯れちゃうからね」
ヒカリの言葉にシンジはうなずいた。
「でもさ、碇の親父の研究所でもいろいろな植物を育てているんだろう? そこに植えれば世話する必要もないじゃないか」
「相田、それじゃあその子もガッカリするわよ」
ケンスケの言葉に、ヒカリはため息をついた。
「まあ、ずっと続けられるとは限らないよ。ヒマワリって受粉が上手くいかないと発芽する種が出来ないらしいから」
シンジは寂しそうな顔をして、ため息を吐き出した。
レイはシンジの横顔を複雑な思いで見つめていた。
シンジの部屋の植木鉢にあるヒマワリが無くなれば、シンジはその少女を想い返すのは止めるかもしれない。
そして自分に目を向けてくれるとレイは思って待ち続けているのだった。
今までもシンジはヒマワリを見ると物想いにふけってしまう時がある。
しかしシンジが今日、ヒマワリ畑で会った少女の事を強烈に思い出したのは、昨日出会ったアスカがその少女に似ていたからだった。
シンジは誰にも話していなかったが、シンジが出会ったその少女も麦わら帽子をかぶっていたのだ。
そして2学期が始まった日、シンジの教室に新しい机が1つ増えているのに気が付いたクラスメイト達は騒いでいた。
「転校生は男と女どっちやろか?」
「男だったら面白い性格のやつ、女だったら美少女に限るな」
トウジとケンスケも転校生の事で話題一色だ。
「碇君、もしかして転校生って……」
「うん、そうかもしれない」
レイとシンジは顔を見合わせてうなずいた。
予鈴のチャイムが鳴っても教室のざわめきは収まらない。
学級委員のヒカリが鎮めようとしても、興奮したクラスメイト達は抑えられなかった。
そして、クラス担任のミサトが教室に姿を現した。
浴びせられる質問の嵐の中、ミサトは笑顔を浮かべながら教壇までハイヒールの靴音を響かせて歩いた。
「みんな、充実した夏休みを過ごせた? じゃあ、さっそくだけど待望の転校生を紹介するわ。……心の準備は出来たかな?」
「はーい!」
ミサトがそう言うとクラスの盛り上がりは最高潮に達する。
「じゃあ、入っていらっしゃい」
廊下に向かってミサトが呼び掛けると、真新しい制服を着た少女が姿を現した。
少女の姿を見たクラスメイト達は歓声を上げる。
その少女がいわゆる美少女に分類される風貌だったからだ。
「惣流・アスカ・ラングレーです、よろしくお願いします」
アスカがそう言って頭を下げると、クラスの男子達からは彼氏が居るのか質問が飛ぶ。
「えっと、彼氏は居ません」
「嘘ぉ!?」
「よっしゃー!」
そうアスカが答えると女子からは驚きの声が、男子からは喜びの声が上がった。
「はいはい、みんな落ち着いて。惣流さんへの質問攻めは程々にね」
ミサトはそう言って、学級委員のヒカリの席の隣に追加した新しい席に座るように指示した。
「私は学級委員の洞木ヒカリ。学校の事で解らない事があったら、何でも聞いてね」
「ありがとう、洞木さん」
ヒカリにアスカはニッコリと微笑んで答えた。
「ねえ惣流さん、彼氏が居ないなんて嘘だよね? 本当はキスとか経験済みじゃないの?」
前の席に座っているケンスケに聞かれたアスカは言葉に詰まってしまった。
「こら相田、何よその不潔な質問は!」
「ちぇっ、委員長ってば固いんだから」
ヒカリに助けられたアスカはホッとした表情を浮かべた。
これからはヒカリがアスカを守ってくれるとミサトは安心して教室を出た。
そして休み時間ごとに、アスカは囲まれて質問攻めにあってしまう。
クラスの外からも生徒が来ているようだった。
そんなアスカを守ろうと必死になっているのはヒカリだった。
「なんやあいつ、アイドルみたいやな」
「差し詰め委員長はマネージャって所だな」
近寄れずに遠巻きにアスカを眺めていたケンスケとトウジはそうぼやいているだけで、ヒカリを助けようとはしなかった。
しかしシンジは勇気を出してアスカを取り囲む生徒達に声を掛ける。
「いい加減にしなよ、惣流さんが困っているだろう?」
「うるさいな、君は惣流さんの何なんだよ?」
生徒達の視線がシンジに突き刺さるが、シンジは逃げずに踏ん張り続ける。
「僕は惣流さんの……友達だよ」
「お、俺もそうだ!」
「ワイだって!」
「……私も」
シンジの後ろに立っていたケンスケとトウジ、そしてレイまでもが名乗りを上げると、アスカを取り囲んでいた生徒達は散って行った。
「ありがとう、碇君」
「うん、どういたしまして」
アスカにお礼を言われたシンジだが、違和感のようなものを覚えて、戸惑った様子で返事をした。
「夏休みに会った時、惣流さんは碇君の事を名前で呼んでいたからじゃないかしら」
「なるほど……でもどうしたんだろう? 僕が惣流さんに嫌われる事をしちゃったのかな」
「そんな事は無いと思うわ」
少しアスカの態度がよそよそしくなった理由を尋ねられたレイは、解らないと首を横に振るのだった。
それから放課後まで、アスカはシンジ達と一緒に過ごしたが、アスカはシンジの名前を呼ぶ事はなかった。
自分の名前を呼ばれるのは照れくさいと思っていたシンジだが、寂しく感じるのだった。
その日の夕方、母親の知り合いの家に届け物を頼まれたシンジは、その帰り道、街の中にある公園を通りがかった。
するとその公園のベンチに、悲しそうな顔で座っているアスカの姿を見つけた。
シンジは少し迷ったが、アスカに声を掛ける。
「惣流さん」
シンジに声を掛けられたアスカは、驚いて目を丸くする。
「あっ、碇君じゃないの」
「悲しそうな顔をしていたけど、どうしたの? 学校で僕達が惣流さんに嫌な思いをさせちゃったかな」
「そんな事無いわ、碇君が友達だって言ってくれた時、とても嬉しかった」
「じゃあどうして?」
「……その方が逆に辛いから」
そう言ってアスカは、シンジに背を向けて逃げようとした。
「待ってよ!」
シンジがアスカの腕を強く引っ張ると、アスカは転んでしまった。
「あっ、ごめん!」
「痛っ!」
アスカは立ち上がったが、苦痛に顔を歪ませた。
どうやら運悪く足をくじいてしまったようだ。
シンジは急いで公園の水道でハンカチを濡らしてアスカの足首に巻く。
「このくらい平気よ」
「僕のせいなんだから放っては置けない、家まで送るよ」
シンジはそう言ってアスカに肩を貸して歩き出した。
「ありがとう、でもこれ以上アタシに優しくしないで」
「理由を教えてよ」
シンジに根負けしたアスカは、自分が小さい頃から父親の仕事の都合で転校を繰り返している事を話した。
せっかく仲良くなれても、すぐに離れ離れになってしまう。
別れる度に辛い思いをするならば、最初から誰とも親しくならなければいいと考えるようになったのだ。
「でもアタシには、独りで居続けるのは無理みたい」
「僕もそう思うよ。洞木さんや綾波と話している時、とても楽しそうだった」
シンジはアスカと話をしながら歩いているうちに、自分の家の方角に向かっている事に気が付いた。
「ねえ、惣流さんのお父さんってネルフで働いているの?」
「もしかして、碇君のパパも?」
「うん、ネルフで働いているんだ」
シンジの家族はネルフの社宅であるコンフォート17に住んでいる。
「まさか、同じ団地に住んでいるなんてね」
「夏休みの間に会わなかったのが不思議だわ」
シンジとアスカは顔を見合わせて笑った。
そしてアスカの家の前で別れようとした所で、シンジ達は女性に声を掛けられた。
「あら、アスカちゃんがお友達を家に連れて来るなんて久しぶりね。しかも男の子だなんて初めてだわ」
「ママっ、碇君は足をくじいたアタシを送ってくれただけなのよ!」
アスカは顔を真っ赤にしてアスカの母親に言い返した。
しかしアスカの母親は別の事が気になったようで、シンジに尋ねる。
「もしかして、碇所長の?」
「はい」
「ええっ、アンタのパパってネルフの所長だったの!?」
シンジがアスカの母親の質問にうなずくと、アスカは驚いた顔になった。
「うん、まあ……でも僕はちっとも偉くないんだけどね」
その後シンジはアスカを連れて来たお礼としてアスカの母親にお茶をご馳走になり、家へと帰った。
そしてその日の夕食に、シンジ達の家族はアスカ達の家族を招いた。
母親のユイに帰りが遅かった理由を聞かれたシンジが、アスカと会った事を話したのだ。
するとたまたま帰りが早く家に居て話を聞いた父親のゲンドウが、アスカの父親に直接会いたいとの事だった。
夕食の席でゲンドウは、新たに日本で立ち上げるプロジェクトチームに、ヒマワリの研究を続けてきた博士であるアスカの父親を一員として招きたいと言った。
アスカの父親はネルフの一員であるが、別のプロジェクトチームに所属していたため、世界各地の支部を回っていたのだ。
所長直々のスカウトでも、アスカの父親は研究者として悩む所があるようで、すぐに応じる返事はしなかった。
しかし諦めなかったゲンドウは粘り強く新しいプロジェクトの魅力を語り、ついにアスカの父親の方が折れてプロジェクト参加を受け入れた。
「良かったわねアスカちゃん、これからはずっと長くここに居られるわよ」
「えっ、本当?」
アスカの母親の言葉を聞いたアスカは目を丸くして驚いた。
「成果が出るまで何年もかかる研究になりそうだ」
「やったわ!」
飛び上がって喜んだアスカは、両親に注意されると顔を赤くして謝るのだった。
夕食が終わると、アスカの両親はゲンドウとユイにお礼を言って帰って行った。
アスカはシンジに勉強を教えてもらいたいと言って残ったのだ。
「でも僕が惣流さんに教えられる事なんて、無いと思うけどな」
シンジは英語と数学の時間、スラスラと問題を解くアスカを見ていた。
「シンジ、これからアタシの事は惣流さんじゃなくて、アスカって呼んで」
「うん……」
突然名前で呼ばれたシンジは、照れくさそうに笑いながらうなずいた。
アスカは海外での生活も長かったので、読み書きができない漢字があるのだと話した。
だから国語の時間、アスカは手を挙げなかったのだとシンジは納得した。
「ずっと日本に居られるようになったんだから、損はしないでしょう?」
「そうだね」
シンジとアスカは顔を見合わせて微笑んだ。
「アタシは今まで何度もパパに転校したくないってお願いしたけど無理だったから、もう諦めかけていたわ。だからシンジのパパにはとっても感謝している、お喋りなシンジにもね」
「それはたまたま母さんに帰りが遅かった理由を話しただけだよ」
「偶然でも構わないわ、アタシにとっては変わりがないもの」
そう言ったアスカはとても嬉しそうな顔をしたが、突然打って変ったように憂鬱な顔でため息をつく。
アスカの表情に気が付いたシンジが不思議そうに尋ねる。
「どうしたの?」
「アタシ、学校で洞木さんや綾波さんと距離を置くような態度を取っちゃったけど、友達になってくれるかしら」
「平気だよ、事情を話せば解ってくれると思うよ」
シンジは優しくそう言って慰めた。
「ありがとう、シンジがそう言ってくれたら、明日学校に行く勇気が出て来たわ」
「良かったね」
「シンジって本当に優しいのね、夏休みに会った時もアタシを案内してくれたし」
「別にそんな、僕が特別ってわけじゃないよ」
アスカがシンジにお礼を言うと、シンジは照れ臭そうに顔を赤くした。
そしてアスカの方も、モジモジとしながらシンジに尋ねる。
「ねえシンジって、好きな子はいるの?」
アスカに見つめられて、シンジは胸がときめいた。
しかしシンジは自分の気持ちを裏切る事は出来ず、アスカに正直に話そうと決意する。
「僕にはずっと好きな子が居るんだ」
「そっか……」
シンジの返事を聞いたアスカの顔は沈み込んだ。
「やっぱりが綾波さん? 幼馴染だし、あの時もデートしてたもんね」
「違うよ、名前も知らない女の子なんだ」
アスカの言葉にシンジは首を横に振って否定した。
「それってどういう事なの?」
「アスカには話してもいいかもしれない、聞いてくれるかな?」
「うん、いいわよ。でも、アタシに話しちゃっていいの? 大事な思い出なんでしょう?」
「いや、綾波達も知っているし、アスカにも話しておきたいんだ」
それからシンジは、ヒマワリ畑で出会った麦わら帽子の少女の事をアスカに話し始めるのだった……。
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