2012-11-10
オタクがリベラルを嫌うのではなく、弱者がリベラルを嫌うという構図。その背景にあるもの。
『リベラル、脱原発はなぜオタクから支持されない?』
http://togetter.com/li/404412
こんなまとめを見かけたので、自分なりの見解をまとめてみた。
これはオタクという属性に問題があるのではない。
もちろんオタクにはリベラルな者達が大勢いるのは、都条例反対運動が大きく盛り上がった事実からも分かるだろう。
ならばどういうことなのか。
これはつまり”同族嫌悪を起こしている社会的弱者達”の中に、オタクやネトウヨもいるということだ。
反原発などのリベラル勢力は本来は社会的弱者(以下、弱者)を保護し、支援するはずの存在だ。多様性やマイノリティを尊重し、平等や平和を旨とする。
そんな彼らをなぜ弱者が叩くのか?
それは 反原発などのリベラルには、基本的に弱者を守ろう・認めよう・共に繋がっていこうという考えが、根底にあるからだ。リベラルを受け入れるには、まず弱者自身が”自分は弱者である”と認識する事が大前提だからだ。
ところが、大きな壁になってくる。
弱者の中には、自分が弱者として認めたくない者、あるいは「自分にはまだ可能性がある、弱者ではない」と考える者がいる。
彼らは自分達の弱さから目を背ける事に必死になり、次第に自尊心を守るためにめに強大なものに縋るようになる。
そして彼らはこう考えるののだ。
――自分たちはあいつ等とは違うと。
しかし彼らのささやかな自尊心を満たす手は現実社会にはない。
本当は喉から手が出る欲しい、素晴らしい性格や容姿、豊かな財産、美しい恋人や楽しい友人関係、暖かい家庭環境などとは無縁なままだ。
そして自分は弱者ではないと思い込むささやかな自尊心と、置かれた現実のギャップが生むストレスは、他者への攻撃や排除に発展する。
しかし他者を攻撃しようにも、脆弱な自我だけではあまりに心もとない。
そこで彼らは頼るのだ。権力や権威を。
もちろん実際にそれらが手に入るわけではない。
つまり、「虎の威を借る狐」となるわけだ。
「威(い)」とは、権力のこと。「借る」とはかさに着ること。本人はたいしたことはないのに、ほかの人の権力をかさに着て、威張る者のこと。
「威(い)」を「借る」ことで、彼らは大義を得て自我を満たした気分になり、他者を攻撃するようになる。
ネトウヨ界隈に流れる罵詈雑言の数々を見れば、その大方が自分の言葉ではなく、「威(い)」を「借りた」ものであるのは容易に読み取れるだろう。
すなわち彼らは”同族嫌悪を起こしている弱者”なのである。
彼らから、反原発やリベラル等が嫌われるのはある意味当然だ。
それが弱者の肯定に立ったものであり、さらに彼らが頼る権力や権威とは全く真逆の方向にあり、何より自分達が弱者である事を直視させる存在だからだ。
どの国でもそうだが、ファシムズ的な排外主義に走る者達の多くが、社会的に不遇の立場に置かれている貧困層であることが、実にそれを裏付けているだろう。
貧しく、満足に暖を取る冬着も無く、孤独で孤立しているとき。
自分を省みる人は誰一人いない。
自分で自分を抱きしめても、暖かくはならなず、いつも寒いとき。
自分のおかれた環境に嘆き、悲しみ、そして自分より恵まれた人達を羨み、憎み、恨み、妬む。
そんなとき、人はどういう反応を示すか。
寒くない、とやせ我慢をする。
そして暖かくしている人達を批判するのだ。「お前らはだらしない、我慢が足りない」と。
人は自分が弱者である現実を認められないとき、自らよりさらに弱い者に対し攻撃し、鬱屈した自尊心を満たす。
しかしただ「だらしない、我慢が足りない」では説得力が生まれない。
そこでこう言い換える。
「日本人ならこれぐらいの寒さは耐えられるはずだ。だらしないぞ、我慢しろ。この非国民が」
と。
権威を借る事で、優越感に満ちつつ他者を攻撃出来る上に、自分の現実から目を背けられる上に、日ごろ抱えていた怒りや憎しみ、恨み、妬みなども晴らせる。さらに自尊心も満たされる。
なんという悦楽。
この味を知ってしまうとなかなか抜け出せなくなるし、ますます深みにはまっていく。
一見社会的地位があり恵まれている人達でも、どこかに満たされない鬱屈した自我や捻じ曲がったストレス、いびつなコンプレックスがあるなら、あっさりとこれにはまってしまうだろう。
攻撃対象が無くなれば、次々に探して悦楽の元にしてしまうから、きりがない、
麻薬の様な、抜けられない無限ループだ。
さらにこうした攻撃行為に喝采を送る人でも現れれば、日常では無縁だった自己承認欲求も満たされ、二度と抜け出せなくなるだろう。
弱者である人々が、なぜ同じ弱者を攻撃するのか、というメカニズムに着目しなければ、「リベラル、脱原発はなぜオタクから支持されない?」という命題には永遠に答えは訪れないだろう。
関連:
「うっぷんばらし政治」の危険性〜貧困に歯止めを
http://wajin.air-nifty.com/jcp/2012/01/post-b1be.html
本日付け朝日新聞「再生日本政治」の内橋克人さんのインタビュー。「貧困の多数派 歯止めを」がタイトル。中間層の崩壊する社会は、危険な時代への兆候。とし、貧困マジョリティの閉塞感が「うっぷんばらし政治」を渇望し、1930年代の政治が繰り返す危険を指摘。
反貧困、グローバル化に対抗する「食糧、エネルギー、介護の自給圏」の確立が政治の役割、と主張する。
以下は、そのポイント。
・日本には、年金など基礎的な社会保障からも排除された新たな階層、「貧困マジョリティ」が生まれている。
・貧困マジョリティの特徴は、国内外の最強の秩序形成者に抵抗する力がなく、生活に終われ、政治的な難題に真正面から対峙するゆとりもない。同時に、精神のバランスを保つため「うっぷんばらし政治」を渇望する。
政治の混乱を面白がり、自虐的に、極めて反射的に選挙権を行使する。「ハシズム現象」なども公務員をバッシングし、閉塞状況の要求不満に答えるやり方。
・民主政治を基盤とする国でのヒーロー待望論は異常。日本古来の「頂点同調主義」に加え、異議をとなえるものを排除する「熱狂的等質化減少」が一体となる。
「うっぷんばらし政治」の渇望を満たそうとすれば、1930年代の政治が繰り返される。グローバリズムが生み出した「貧困ファシズム」の培地となれかねない。
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