偉大なるブリーダー(その2) | 中山競馬倶楽部~競馬場はもっと楽しい~

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updated 2012-04-07

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2009/02/07

偉大なるブリーダー(その2)

☆アメリカ産馬の能力は非常に高かった。

小生にアメリカの血統について様々のレクチャーを受けた木村政司氏という師匠がいた。
同氏は、ニューヨーク・ジョッキー・クラブ会長のレイニー氏と親交があり、同氏の家で書生をしていた阿部新生氏、父の正太郎師の管理馬ベルワイドが目黒記念に勝利した時に木村氏はレイニー氏を招待していた。
当時のJRAにしてみれば雲の上の人であった。レース観戦には私も同席した。
木村氏はアメリカのブリーダーとの親交もあり、アメリカ馬の血統に関する裏の事情に詳しく様々の種牡馬のダミーの父馬など教えられた。
それによると、Nasrullahは受胎率も悪く産駒は気性も荒くダミーが多かった。 
ダミーの仔が良績をあげ皮肉にも人気はうなぎ昇り、殆どがダミーであった。
Nasrullahのダミーを紹介してみよう。
Princely GiftはRevoked,Black Toney系のダミー。(クウォーターホース系)
Never Say DieはKhaled, Hyperionの直仔。
Red GodはYour Host Hyperion系、
Never BendはJester、クウォーター系のTom Fool系かRevokedである。
Bold RulerはPolynesion(クウォーター系)の直仔。
アメリカではクウォーターホースの競馬も盛んで、馬産もサラブレッドとともに行なわれる。
通常、2つ以上の種牡馬を交配した場合には~~~又は===と2つの種牡馬名で申告しなければならない。
特に知名度が高い種牡馬の仔にピンチヒッターの仔が多い。
英国の生産馬Grey Soyereignの父はBlandford系のBig Gameという話をきいた。
1948年産のNasrullahは満7歳の1.75であり、母Kongの父Baytownも1.75である。
申告の通りであれば、不受胎になる確率は90%以上である。 不、生まれても足もとに不安がある。極度の外向で生まれるはずだ。
有名な馬で極度の外向になった例がある。
Seattle Slewは父のBold Reasoningが5歳1,25で交配し、母My Chamerの父Pokerも5歳1,25であって極度の右前外向で生まれた。
日本のマルゼンスキーも父Nijinskyが満6歳の1,5、シルの父Buckpasserも満6歳の1,5で生まれた。これ又、右前外向であった。
Grey Sovereignは写真を見ても外向馬ではない、Big Gameが正しいと思う。
トニービン、ヒワハヤヒデがBlandford系ならば成功しても当然である。
Grey Sovereignは英国産でありながらも世代も伸ばしたのは仏国、伊国産馬である。
又、日本に輸入されたフオルテイノ、ゼダーンは仏国からである。
フォルテイノ・伊国産Caro・仏国産を通して世代を伸ばし栄えている。
日本ではタマモクロスが活躍し、種牡馬としても成功した。
Nasrullahは英国のアガカーンの生産馬であるが満8歳からアメリカで供用された。
4歳~7歳までの英国時代の産駒は1頭も残さず国外に売却している。
Nasrullahの人気はダミー産駒が活躍して作りあげた。
☆ Northern Doncerの遺伝的質量が極度に低いサラブレッドである。 平均の数値は4,00であるが同馬は2,75と遺伝的に体力は弱い。従って性巣細胞の働きも極めて低い種牡馬である。 そのために受胎率も極度に悪く17歳になった1978にはシンジケートの株数の交配も賄えられず、交配頭数を1/2の20頭に減らさざるを得なかった。
種牡馬の人気は頂点にあって当時の種付け料は100万ドルに達した。
株主にしてみれば、種以上に人気の馬名が欲しかった。
一説によれば、種付けは形だけで他の種牡馬の助けが必要であった。正確にはNoethern Dancer or~~~~と申告するべきケースもNorthern Dancerの馬名で申告された。
その結果、1980年~以後代役種牡馬がNorthern Dancerになり済ました馬は比常に多かった。
1980年生まれのDixieland Band、1981年生まれSadler’s WellsはVald’orne(仏ダービー馬・Blandford系)。 セクレト、El GranSenor、パシフィカス(ナリタブライアンの母)などは別の種牡馬産駒である。
1982年生まれのFairy KingはSadler’s Wellsの全弟である。
ジュべナイルフィリーズGⅠの勝馬タムロチェリーはセクレトの産駒である。
同牝馬は血統表上はNorthern Dancerの2×5のクロス馬である。 同馬は2年連続のNorthern Dancerの近親交配馬である。
通常ならば何らかの弊害もって生まれてくる牝馬である、しかし同馬は正常で生まれ、GⅠの勝馬である。
母方のNorthern DancerはLyphardであり若年時7歳の交配であって正確である。
セクレトの父が?であった証明である。
一方、パシフィカスはシャルードを胎して400万円という安価で輸入された。
種付け料1億円の牝馬の評価ではない。
当時ノースフィールドFの代役トリプリオプトミストの仔であった。
BMSのダミーであまり気にしていないがNorthern Dancerの母父はChop Chopの0交配である。(Teddy系)
2002年9月3日のRacing Post誌にアイルランド・ダブリンのトリニティ大学のE,ヒル博士とP,カニングハム教授はサラブレッドの血統についての発表があった。
ジェネラル・スタッド・ブック(血統書)に登録されているサラブレッドは血統が100%正確といえる馬は1頭もいない。
1986年からDNAによる検査の導入によって完全にエラーのない登録システムが確立された。
同大学の研究費は英ジョッキークラブ、有力なブリーダーなど有志のカンパで賄われている。 以上の関係上配合など情報はブリーダーに流れているであろう。
先ず、英国のGⅠ馬のニックスに注意し自身の馬産に引用された方が近道である。
英国発のニックス。
Blushing GroomとNorthern Dancer(1978年以前に生まれている産駒)の組合せ。
Sadler’s WellsとMill ReefなどのNever Bend系、対Mr.Prospector系、対Dante系および以記の裏返しの配合は超ド級のスーパーホースを次々と輩出している。
日本のニックス。
サンデーサイレンスとRoberto系は裏も表も名馬を送り出している。
2008年のJ.C.GⅠを勝ったスクリーンヒーロー、朝日杯フューテュリティSGⅠの勝馬セイウンワンダー、両馬はグラスワンダー(Robertoの直孫)とサンデーサイレンスの繁殖牝馬の組み合せであり、共にNearco系が2度使われた血統構成である。 その何れか1方が0交配である。 スクリーンヒーローは父が0交配。セイウンワンダーは祖母父リアルシャダイが0交配である。
2009年のターフから目が離せない。
≪ドルメロと日本との関わり≫
日本中央競馬会はテシオの最後の配合となったテイエポロを購入。(1955年産by Blue Peter)。
1975年の秋19年ぶりに私はドルメロを訪ねた。 リディアはすでに他界し、そこにはエンリコ・カミーチ氏が支配人になって細々と生産していた。 しかしながら昔日の輝きはなく、つわもの兵どもの夢の跡であった、懐かしさよりも淋しさを覚えた。(エンリコ・カミーチはリボーのジョッキー)
応接室に導かれエスプレッソの持て成しで気持ちは我に返った。
そこには拠狭しと日本の美術品や大きな博多人形が飾られていた。
カミーチにこれらの美術品は…と尋ねると、「日本のオーナー・ブリーダーのシニョール・タニミズ(谷水雄三氏の先代)がリディアに贈った品々であって、日本ダービーに勝ったお礼だ、といった。」
「彼は田中彰治(自民党の代議士)氏の紹介でドルメロに来た」という。
田中氏はアイルランドに牧場を所有し馬産家としての親交があった。 ドルメロの生産馬にタナカと名付けた馬がいた。
ドルメロは紹介者がなければ牧場にはとても行けない。
リディアに馬産のアドバイスを願って再参来ていた、という。
彼女は谷水氏の熱意に答えて彼の願いをきき入れた。
彼は所有繁殖牝馬の名馬の名簿と日本で供用されている種牝馬録を預けて日本に帰った。
リディアの条件は空胎の繁殖牝馬であって彼女が気に入った繁殖牝馬だあれば、という条件で引き受けていた。 そのあたりの事情をカミーチは覚えていた。
谷水氏のカントリー牧場は1960年産のマーチス(皐月賞)、タニノハローモア(日本ダービー)を生産した。
タニノハローモアは父ハローウェーが満24歳の0交配であった。 24歳の高齢馬といえばラムタラ(ニジンスキーの24歳)英ダービー勝馬と同じである。如何にもリディアらしい配合である。普通の考えでは24歳は無視されてしまう。
1962年にタニノムーティエ(日本ダービー馬)を生産した。 これまなムーティエ1953が満8歳時に交配している(0交配)。
1964年にタニノチカラ(天皇賞、有馬記念)を生産した。 同馬はタニノムーティエの半弟(父ブランブルー、Tourbillon系)。
リディアの御利益は実に衝撃的であった。
カントリー牧場はタニノギムレット、ウォッカと4頭のダービー馬を生産している。
余談になるが昭和46年の秋、あのインフルエザで競馬が中止になった年、田中彰治氏から生産の智恵を貸せ、と依頼を受けた。
同氏は私がドルメロのシステムを知っていることをすでに承知していた。
その結果、1973年産からクライムカイザー(日本ダービー)、ロッキライン(東京ダービー、大井)を生産、ロッキラインはフィルダゴ満16歳の0交配。他に全ての生産馬が勝ち馬になった。

自然界からの恵。
◎ 牝馬先祖のクロスは有効な配合である。

元来、遺伝とは自然界に存在するリズムの支配下にある。
この地球上にだけ生命が存在するのも太陽と月との2つの天体が地球に及ぼすリズムがあるからである。
牡には太陽のリズム(ソーラーシステム)牝には月のリズム(ルナーシステム)が支配している。
太陽は8年(1461日×2)の週期で牡の遺伝に関わる。 月は28日+閏の週期を以って遺伝に関わる。
つまり、牡先祖のクロスには太陽が関わり、連産の場合-(マイナス)要因となって産駒に現れる。
牝の先祖のクロスは連産してもマイナス要因はない。 牝の先祖は太陽の支配下に否ず常に0であり、有効なクロスになる。
自然界における繁殖では必然的に牝馬クロスが発生してしまう。 交配するボス牡も、何れかの群で生れている。 そのために群によっては牝馬クロスとなるケースがある。
自然は牝馬クロスは0と0のクロス同じ効力を与えた。 つまり無弊害であり、戻し交配としてちの純粋性に近づく有効な交配となっている。 自然界からの恵である。
例)エルコンドルパサー、ディープスカイ、ノーザンテーストなどが牝馬クロスである。

◎ アメリカ産馬は強かった。
20世紀初頭フランスにTourbillon 1926(仏ダービー)という強い馬がいた。 彼の曽祖母Frizetteはアメリカ産馬であった。
当時アメリカのサラブレッドは非常に強くヨーロッパ産馬とは大きく水が開いていた。
そこでアメリカ産馬の閉め出しが企てられジャージアクトでサラブレッドと認めない。
完全な閉め出しであった。
アメリカのサラブレッドにはクォーターホースが化けた父系の存在をヨーロッパでは知っていた。
英国ではサラブレッドの創始期102頭あった父系も100年の間に3大始祖の3頭の父系(ダーレイアラビアン、ゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク)を残すだめに減らしてしまった。 100年や150年では準異には届かない。
即ち、父系のアイテムが不足してサラブレッドの能力が劣っていた。
アメリカ馬は豊富な父系アイテムを駆使して生産され早い馬が出来あがった。
Himyar系、Ben Brush系、Tom Fool系、Polynesian系、Bull Lea系、などは明らかにクォーターホースを元に作られたダミー系である。以記の馬産は写真で見てもクォーターホースの特徴が現れている。
アメリカ産馬解禁となったのは1945年第2次大戦の勝利の主導権を持ったアメリカの国威がジャージーアクトを解いた。
9代までの血統、年代が正確に記録されている馬はサラブレッドとして認める。という条件が付けられた。
日本のミラ系のようなサラ系の牝系も9世代以上伸ばしてサラブレッドと認められた。

サラブレッドの歴史は350年であり、長い馬の歴史ではほんの一瞬にすぎない。
サラブレッドの生産に野生馬のシステムを引用すべきである。
種牡馬に最適なのはボス争いに勝てる血統である。
勝つ馬がピンチヒッターの仔であり、特にマイナー種牡馬やそれらの仔。
Haloの父はVictoria Parkというピンチヒッターである。 それ故に0交配を受けたサンデーサイレンスは強力な種牡馬である。
アメリカにおけるNasrullahの種牡馬成績はリーディングサイヤー5回と輝かしい。
しかし、彼のピンチヒッターを務めた馬達の産駒が驚異的な成績をあげた。 つまり、Nasrullahは美味しい処取りで栄光の座についてしまった。
Northern DancerもNasrullahと同様である。 Northern DancerとNasrullahの産駒は本家のアメリカを出て主にヨーロッパに輸出されている。 ダミーと判明すれば冷たく扱かわれ、生産国から出ていかねばならない。
サンデーサイレンスとてダミー故に日本に来れた。先ず、Haloの父がVictoria Parkということはアメリカでは可成り知れ渡っているのであろう。 年度代表馬の肩書きをもってシンジケートの募集したが3人(3株)が申し込んだにすぎない。 全く冷たい扱いであった。
日本はPrincely Gift、Never Say Die、後期のNorthern Dancer、Halo、Grey Sovereignなどダミーの吹き溜りであった。
日本産馬が強くなったのもダミーの御蔭である。 人気は別としてダミーは超マイナーの血である。 野生の習性が見事に現われている訳である。
DNA鑑定が導入され新たなダミーの出現は終止符を打った。 先ず、現存する血のアイテムを守るべきである。



―追記―
繁殖期の群における営み。
ドルメロの書斎には、若い頃のテジオが記録したノートが数10冊あった。
その中からリディアが我々の前に差し出した6冊のノートが野生馬の群の観察記録である。
リディアの説明はそのノートを見ながらであった。 そこには見事なスケッチが描かれてあり、馬達の行動が手に取るように解った。
馬の牝は、ある一定期間がFimer(女)になり、その期間の間に交配に最適な発情がある。その際の牝の行動はすさまじい勢いでボス牡にせまる。 他の発情がある牝があるから心中は穏やかではない。 その場は序列が上位の牝馬に優先権があり、争いにはならない。 下位の序列の牝馬は群を離れて、ボス以外の種を求める。
その時期になると、牡馬達の群も近くに居て牝の群をワッチしている。 おこぼれを待っている。
発情がある牝が多い場合、群の外での種付け行為は公認である。
牝自身が種付けに適した発情と判別できる場合は1シーズンに1回~2回しかない。
受胎すると牝の体は中性の状態に変化する。
受胎していない牝馬は繁殖に適する期(約2ヶ月)は牝の状態、不適切な期間は中性(Neutro)になる。 中性の状態になると、血液のphの関係から牡馬の様に運動能力は変化する。 天敵の野獣から逃げる走力も速くなる。 そのうえ受胎している牝は狙ってない。 受胎することは大きなメリットがある。 中性期、繁殖期は2ヶ月単位で交互に現われる。 失敗すると2ヶ月間待つしかない。
やがて、外の牡から得た種から次代のボスの候補となる牡は生れる。と説明された。
ニューマーケットの路上で種付けして生れた牝馬がダービー馬となった、というシニョリネッタの有名な話の情景が脳裏にダブってくる。 シャルルーという無名の種牡馬がニューマーケットの種馬場へ通じる道路をプラカードを掲げてデモンストレーションしていた。
そこへシニョーラという発情が来ている牝がアイシングラスを種付けするため種馬場へと通りかけた。 アイシングラスは当時の最高の種牡馬で人気も絶頂であった。
シニョーラはシャルルーに出会った時一歩も動かなくなった。 そこでシニョーラの馬主でイタリアの心理学者のジニストリッリ氏は、彼等は恋をしている、その恋を成就してやろう。と道路上で種付けを許した。
シニョーラの嗅覚は自身のDNAの最も遠い形の種を判別したのだ。 その種牡馬はマッチェム系で最も少ないマイナーの血であった。 ジニストリッリの英断は、群の1番牝が嗅覚で判別し最適なボスを決める行為に通じている。 神はジニストリッリに英ダービーの栄誉をプレゼントした。
種牡馬の父系を読み取り、繁殖牝馬の持つ3~4代までに積み重ねた父系に無い異父系が最も遠いDNAの形である。
シニョーラの野生本能は正しい選択であった。
ニューマーケットの路上で種付けしたその道端にシニョリネッタのモニュメントがある。
後世への教訓だといわれている。

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