秋谷栄之助(創価学会第5代会長)が、日蓮正宗の勧誡を受けた(帰伏した)との情報が見られますので、これについての私見を述べさせていただきます。
まず、私が得ている情報に照らせば、帰伏までには至っていないと思われます。
体調が思わしくないために、「御秘符」を頂くために日蓮正宗の末寺に姿を現したというところまでは真実のようですが、日蓮正宗信徒でもないのに、御秘符だけをもらえるということはありません。
御秘符によって病状が軽減するのは、強盛なる信を持っていることが最低条件となります。
創価学会が別付嘱(唯授一人血脈相承)を否定するために盛んに用いるところの「信心」であります。
まさしく、信心の血脈なくんば、不思議なる功徳は流れ下ってはこないわけです。
ここに言う信、信心とは、とりもなおさず大聖人への帰命であり、秋谷君が池田教祖への帰命を捨てたからと言って、それがすぐさま大聖人への真の帰命と解釈できるかと言えば、もちろんそんなことはないわけです。
秋谷君は池田教祖によっていわゆる窓際へ追いやられ、ろくな給料はもらえていないと思いますが、それに嫌気がさして抜けたくなるまでは理解できます。
が、あれほどの謗法行為を辞さなかった男が、いまさら正宗の信心を持つでもないでしょう。
保田へでも行けばよいのです。
実際、保田妙本寺へも”密使”を遣わしたという情報もあるほどですが、これについては未確認です。
私は、秋谷君の腹の中は、池田亡きあとの復権、ということだと思います。
そのための足場として、適当な日蓮正宗末寺に目星をつけたのではないかと思います。
かつて創価学会は、業績等が思わしくない末寺に目をつけ、住職を買収して創価学会に協力させました。
ニセ本尊の元になった御本尊を、学会に提供してしまったのも、そんな寺(栃木県・浄圓寺)の住職でした。
今でも、体裁をつくろうために、僧侶不要のはずの友人葬に出てくる僧形の坊主頭の男がそれです。
件の浄圓寺をバリケード封鎖するという、およそ宗教者とは思えない振る舞いも、秋谷君によるものでした。
ふたたび彼は、池田教祖が死んだのち、自分についてきそうな会員を募り、日蓮正宗の末寺を足場にして覇権をt築こうといるのではないか、と私は考えています。
その背後にある事実が、現時の創価学会員における、歯止めの効かない”学会不信”であり、伝統的な宗教施設が無いことに対する、会内外からの不信感、平たく言えば、「外部からはもとより、会員からも”いかがわしい新興宗教”という印象を持たれている」ということです。
日蓮正宗に心(しん)から帰伏すると見せかけて勧誡を受ける創価のスパイが間々あります。
秋谷君の場合は、その筆頭、スパイの親玉と見るほうが穏当だと私には思えます。
2012年11月10日
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日蓮正宗日記
「秋谷栄之助氏が日蓮正宗に帰伏」の”マユツバ”
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