英虞湾周辺における社会情勢の変遷
西暦 |
年号 |
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元禄時代 |
潮止め工法の普及による新田開発が急速に普及 |
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波切大方浦、鰯浦間、明神浦の干拓 |
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船越船越浦、半女浦の干拓 |
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1699 |
元禄12年 |
神明大方新田の干拓 |
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1703 |
元禄16年 |
鵜方小向井新田の干拓 |
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1706 |
宝永3年 |
立神阿鎌新田の干拓 |
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1870年代 |
明治の初め頃 |
マイワシ漁が盛んに行われる |
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1877 |
明治10年 |
内国勧業博覧会に出展された真珠60点のうち英虞湾から6点を出展 |
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1886 |
明治19年 |
神明でナマコの移植試験が行われる |
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1888 |
明治21年 |
御木本幸吉が神明浦においてアコヤガイの養殖に着手 |
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1889 |
明治22年 |
小川小太郎が神明浦でアコヤガイ養殖を行う |
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英虞郡漁業協同組合が小型アコヤガイの採捕規制を行う |
1890 |
明治23年 |
御木本幸吉が神明浦において真珠養殖試験に着手 |
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1892 |
明治25年 |
神明浦で赤潮による被害が発生 |
1893 |
明治26年 |
御木本幸吉が半円真珠の作出に成功 |
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1896 |
明治29年 |
御木本幸吉が半円殻つき真珠養殖の特許権「真珠素質被着法」を取得 |
1897 |
明治30年 |
浜島岩崎の埋め立て工事17,130u(明治31年まで) |
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御木本幸吉が半円真珠をノルウェーの万国博覧会に出展 |
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1899 |
明治32年 |
浜島大矢区浦の浜埋め立て工事 |
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三重県水産試験場が浜島に仮設置される |
1900 |
明治33年 |
神明浦で赤潮による被害が発生 |
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皇太子のご成婚祝いとして、志摩郡から真珠3個を献上 |
1901 |
明治34年 |
三重県水産試験場庁舎が浜島岩崎埋立地に完成 |
1902 |
明治35年 |
三重県水産試験場が鵜方浜でマガキの養殖試験を行う |
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志摩水産補修学校(現在の水産高校)が和具に開校 |
1903 |
明治36年 |
鵜方カヤウの埋立工事が行われ、鵜方港として栄える |
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漁業法の制定により真珠の区画漁業権が設定される |
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1905 |
明治38年 |
神明浦で赤潮による被害が発生 |
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1907 |
明治40年 |
見瀬辰平が真円真珠の生産にかかる「介類の外套膜内に真珠被着用核を挿入する針」の特許権を取得 |
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西川藤吉が真円真珠の生産にかかる4件の特許を出願。1916年および1917年に特許権を取得 |
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「西川式」、「ピース式」と呼ばれ、現在の挿核技術の基礎となる |
1908 |
明治41年 |
西川藤吉が垂下式養殖試験を行う |
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明治42年 |
英虞湾内に巡航船が就航 |
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1914 |
大正3年 |
御木本幸吉が支柱式の養殖カゴの特許を取得 |
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1816 |
大正5年 |
このころ浜島でアコヤガイ増殖を目的に投石事業が行われる |
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浜島真珠組合設立 |
1917 |
大正6年 |
見瀬辰平が真円真珠の生産にかかる「誘導式」と呼ばれる特許を出願(1920年登録) |
1918 |
大正7年 |
御木本幸吉が真円真珠の生産にかかる「全巻き式」と呼ばれる特許を出願(1919年登録) |
1919 |
大正8年 |
鳥羽、鵜方間に乗り合いバスが運行 |
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御木本幸吉がロンドン市場に真円真珠を出品 |
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この頃漁船の機械化・大型化が進み、浜島では遠洋カツオ・マグロ漁業が盛んとなる |
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1921 |
大正10年 |
英虞湾内の巡航船を統合し、鵜方に「志摩巡航船会社」を設立 |
1922 |
大正11年 |
猪野秀三が生殖腺に挿核し、大珠真珠の生産に成功 |
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志摩水産学校が三重県立志摩水産学校に改称 |
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真珠のしみ抜き法が発明される |
1923 |
大正12年 |
三重県水産試験場がアコヤガイの採苗試験を開始 |
1924 |
大正13年 |
パリ真珠裁判決着 |
1925 |
大正14年 |
御木本幸吉と立神村との間で区画漁業権取得の騒動が発生 |
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日本真珠養殖組合設立(御木本幸吉組合長) |
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このころ地撒式養殖から垂下養殖への移行が進み、貝掃除が行われるようになる |
1926 |
大正15年 |
冷潮による被害が発生。三重県で避寒作業が行われるようになる |
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冷潮による被害を防止するため、深谷水道の開削が計画される |
1927 |
昭和2年 |
卵抜き法による仕立て技術の開発が始まる |
1928 |
昭和3年 |
特許の分権化により真珠養殖業者が増加 |
1929 |
昭和4年 |
志摩電気鉄道(鳥羽―賢島)が開通 |
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真珠湾交通株式会社が本社を賢島に移転。英虞湾内に巡航船を就航 |
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1931 |
昭和6年 |
浜島城山埋め立て工事 |
1932 |
昭和7年 |
三重県水産試験場が浜島城山埋立地に移転 |
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深谷水道が開削される |
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1934 |
昭和9年 |
丸太組筏の普及が進み漁場が拡大。海女による管理作業が減少 |
1935 |
昭和10年 |
養殖業者が増加し、生産量が増大したため、価格が低落 |
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1940 |
昭和15年 |
奢侈品等製造販売制限規則による真珠養殖の統制 |
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1942 |
昭和17年 |
真珠生産体制の再構築が図られる(企業合同体化) |
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1944 |
昭和19年 |
東南海地震 |
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1945 |
昭和20年 |
終戦 |
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1946 |
昭和21年 |
伊勢志摩国立公園の指定を受ける |
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冷潮による被害が発生 |
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1947 |
昭和22年 |
三重県水産試験場がアコヤガイの採苗技術を確立 |
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1948 |
昭和23年 |
真珠供養祭が行われる |
1949 |
昭和24年 |
改正漁業法が公布され新規着業者が増加 |
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冷潮による被害と生産増加による母貝不足により母貝価格が高騰。廃業や品質の低下が顕著となる |
1950 |
昭和25年 |
業者数が331となり戦前の経営体数を超える |
1951 |
昭和26年 |
志摩観光ホテルが開業 |
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採苗技術の発達により、母貝養殖漁家が急増 |
1952 |
昭和27年 |
業者数が1200経営体を超える |
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真珠養殖事業法の施行により、計画的な真珠生産が図られる |
1953 |
昭和28年 |
台風13号により大きな被害を受ける |
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1955 |
昭和30年 |
賢島に国立真珠研究所が開設される(〜昭和58年) |
1956 |
昭和31年 |
船越浦、片田浦、立神浦で貧酸素によるアコヤガイの大量へい死が発生 |
1957 |
昭和32年 |
三重県真珠養殖事業条例を制定。筏の台数等に規制が行われる |
1958 |
昭和33年 |
立神浦で貧酸素によるアコヤガイの大量へい死が発生 |
1959 |
昭和34年 |
伊勢湾台風により大きな被害を受ける(9月27日) |
1960 |
昭和35年 |
チリ津波により大きな被害を受ける(5月24日) |
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この頃からアコヤガイの寄生虫による被害や衰弱によるへい死が増加 |
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浜島町に海上保安庁浜島分室を設置 |
1961 |
昭和36年 |
浜島町で第1回伊勢海老まつり開催 |
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1963 |
昭和38年 |
三重県が海水交流調査を実施(浅海漁場開発事業調査として昭和41年まで実施) |
1964 |
昭和39年 |
この頃高圧海水洗浄機の開発や合成繊維の普及により、ビン玉を使用した延縄式養殖施設が開発される |
1965 |
昭和40年 |
鵜方浦で貧酸素によるアコヤガイの大量へい死が発生 |
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伊勢〜磯部間を結ぶ「伊勢道路」が開通 |
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三重交通志摩線が近鉄志摩線となる |
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硫化水素の発生を抑制するため、底質改良剤(石灰)の散布事業が始まる(〜現在) |
1966 |
昭和41年 |
県営志摩用水(神路ダム)が着工 |
1967 |
昭和42年 |
過剰生産、品質低下により真珠が暴落 「真珠不況」に陥る |
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浜島〜御座間を結ぶ「奥志摩フェリー」が就航 |
1968 |
昭和43年 |
県営志摩用水が送水を開始 |
1969 |
昭和44年 |
阿児町鵜方駅前の新田を埋め立て、市街地化が進む |
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浜島町に合歓の郷が開業 |
1970 |
昭和45年 |
近鉄特急が賢島まで乗り入れ |
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アコヤガイの天然採苗が不調となる(〜昭和46年) |
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1976 |
昭和51年 |
アコヤガイの人工採苗技術が確立 |
1977 |
昭和52年 |
第19回自然公園大会が大王町ともやま公園で開催される |
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1979 |
昭和54年 |
浜島港臨海土地造成(水試前埋め立て)が竣工 |
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国立真珠研究所が養殖研究所に統合される(昭和58年に南伊勢町に移転) |
1980 |
昭和55年 |
三重県栽培漁業センター竣工 |
1981 |
昭和56年 |
阿児町鵜方浦で小規模浚渫事業を実施(〜昭和57年) |
1982 |
昭和57年 |
志摩町向井浦で小規模浚渫事業を実施(〜昭和58年) |
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阿児町立神浦で水路開削 |
1983 |
昭和58年 |
志摩町長田浦で小規模浚渫事業を実施(〜昭和59年) |
1984 |
昭和59年 |
三重県水産技術センター竣工 |
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全国豊かな海づくり大会が浜島で開催される |
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阿児町鵜方浦で小規模浚渫事業を実施 |
1985 |
昭和60年 |
志摩町長田浦、越賀浦(〜昭和61年)、和具オコジ浦、阿児町立神浦で小規模浚渫事業を実施 |
1988 |
昭和61年 |
志摩町片田浦、和具浦、間崎で小規模浚渫事業を実施 |
1987 |
昭和62年 |
浜島カントリーが開業 |
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阿児町神明中津浦(昭和63年)、志摩町間崎船隠浦で小規模浚渫事業を実施 |
1988 |
昭和63年 |
リゾート法に基づく「三重サンベルトゾーン」が承認 |
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志摩町布施田浦で小規模浚渫事業を実施(〜平成2年) |
1989 |
平成元年 |
「奥志摩フェリー」が運航を休止 |
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1991 |
平成3年 |
志摩町片田浦で小規模浚渫事業を実施 |
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1992 |
平成4年 |
新種の有毒プランクトン、ヘテロカプサによる赤潮が発生。大きな被害となる |
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1994 |
平成6年 |
ヘテロカプサによる赤潮が発生 |
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1996 |
平成8年 |
貝柱の赤変を伴う原因不明の感染症が蔓延(〜現在) |
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ヘテロカプサによる赤潮が発生 |
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志摩町和具浦で小規模浚渫事業を実施 |
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2000 |
平成12年 |
ミキモト真珠研究所が低水温による感染症対策手法を発表 |
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立神・波切海域で大規模浚渫事業が実施される(〜平成14年) |
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2002 |
平成14年 |
冷潮による被害が発生 |
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志摩の国漁業協同組合が誕生 |
2003 |
平成15年 |
地域結集型共同研究事業が始まる |
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片田・船越海域で大規模浚渫事業が実施される |
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三重県真珠養殖漁業共同組合が誕生 |
2004 |
平成16年 |
志摩郡の5町が合併し、志摩市が誕生 |
2005 |
平成17年 |
立神・波切海域で大規模浚渫事業が実施される(〜現在) |
2006 |
平成18年 |
冷潮による被害が発生 |