今の職業柄、大学教育に関する議論と接することが多い。よく聞くのは、大学教員の教育の質が悪いという意見だ。「質はええけど」とは反論できないものの、すべてを教員のせいにされても困る。
日本の大学進学率を調べたところ、1年古いデータだと思うが、2010年度で男子が56%、女子が45%とあった。これに専門学校や通信教育を加えると80%近くに達する。世界的にも高い数字である。定員を満たせない大学もあるから、大学に入るだけなら簡単である。大学進学率を検索していると、「高卒って恥ずかしくないの」なんて見出しも出てきたから、見栄で大学に進学する者(親が進学させた者)も多いのだろう。
このように、勉強しようという目標もなく大学に入ってどうするのか。同僚から聞いた話では、暗くなると構内を一人で歩けない、「崩壊した」大学さえあるという。
そんな学生を勉強させ、立派な大人として卒業させるのが教員だけの責任なのか。「そうだ」と返答されると、「変な社会」とつぶやかざるをえない。そもそも、親の責任はどうするのだろう。動物でさえ(ごめんね)子供を教育して独り立ちさせる。その教育の責任を学校だけに押し付けるなんて、異常である。
文科省の暗黙の(そう理解している)ルールにより、大学に入った学生は大学が「しっかり教え」、「ちゃんと卒業させる」必要がある。だから、大学は「怠けた学生」でも卒業させることになる。「授業の単位のハードルを高くすることで、怠ける学生を減らす」という強硬手段が禁じ手というわけだ。「大学側の本音は弱腰や」と学生が完全に見破っているわけではないが、「卒業は難しくない」と肌で感じていることは間違いない。
教員からすると、怠ける学生ほど手間がかかる。呼び出したり、状況を聞いたり、時には補講的なこともやらないといけない。そして最後には、余程出来が悪くない限り「可」の単位を与える。
そこで提案だが、「可」の数に応じて追加の授業料を徴収すればどうだろうか。その授業料分を手間のかからない「優」の学生に配分する。こうすれば学生はバイトの代わりに勉強するようになるだろう。親も子供の動向にもっと注意するに違いない。
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