2009年に他界した平山郁夫といえば、東山魁夷、岡本太郎と並び日本で最も高名な画家の一人として知られる。本人の絵を飾っている方もいるかもしれない。
国内において一番知名度があり、値段が高く、画壇ヒエラルキーの頂点にいた事実でいえば「平成の国民的画家」は間違いなく平山郁夫だろう。なにより「芸術家は貧乏だ」という常識を覆す美術界のモンスターだった。
平山自身は画家でありながら、納税額は1995年の長者版付で6億4277万円、年間収入は10億を超えた。ふつう画家と呼ばれる多くの人達は、描いてて楽しい純粋な心からスタートし、家族を顧みず、己の世界に没頭するため金や政治とは無縁、それが一般的なイメージではないだろうか。
ノンフィクションライターである著者の大宮知信氏は、なぜ平山の作品に億単位の値が付き、法案を通したりと権力を持っているのか疑問だった。著者は言う
芸術家はえてして貧乏だと思っていた。それが、どうして裕福になれたのか。なぜ、政治家や財界人と親しく付き合っているのか。ところが多くの謎を解いてくれる人物評論は見当たらず、称賛に偏ったものばかり。それならば自分で解き明かそう。
これまで批評家やジャーナリズムの多くは、大家の素顔に触れようとはしなかった。だが本書は礼賛一辺倒や、単なる批判にもならないよう客観性を持っている。資料収集や平山郁夫美術館の関係者への取材を重ね20年のライフワークを経て発行された。
平山の作品については、広島で被爆、九死に一生を得た経験から「仏教伝来」の作品で画壇デビューした。本人はつねづね「生かされてきた」とインタビューで語っている。事務能力に優れ、師である大家の雑務もテキパキとこなす。平山は若くして、明日の日本画壇を背負って立つ期待の超新星とされた。それから日本〜西域に遡るオリエントをテーマにした作品は、美術ジャーナリズムばかりではなく、一般の美術愛好家からも人気を博した。
「日本一画料の高い日本画家」の地位を占めてからは、画業ばかりでなく、代々総理との結びつきを強め、政治家と皇室と密接になり、さまざまな文化事業に大きな足跡を残していく。
だが、なぜ政治家と密接になるのか?
業界のタブーを破り結論をズバリ言うと、肩書や受賞歴は絵の値段と直結する。これは美術界で常識である。日本では一般の人は鑑識眼を持っていない。よって専門家の意見が作品の評価とイコールになっている。また、所属する団体の地位や受賞歴が絵の評価に影響を与える。平山が多くの団体の要職に就くのは、もちろん周りが彼のマネジメント力に期待するからでもあるが、団体の肩書が権威付けになり、それにより平山絵画のブランド力もアップするからだ。画壇の理事やユネスコ親善大使など、平山の肩書きは150以上あったそうだが、そこまでくると絵を描く暇があったのかが疑問だ。
なぜ日本画が稼げるか?ご存知の方もいるかもしれないが、日本画はしばしば「政治銘柄」として利用される。高額な美術品は金や株券と同様の資産価値がある。とくに大家の作品は換金性があり、企業や政治の贈答用に使われるのは、これまた常識だ。本書のインタビューによれば、永田町では平山のことを「政治換金の道具になる絵を描いている画家」と思っている人もいる。
平山の1号(22×16cm)の値段は850万円。最高名誉である文化勲章を受けた人でも、200万なのでこれはダントツの数字だ。
主に日本画を扱うギャラリー・センバの代表は言う。
株と同じですよ。バブル期のピークと比較して平山さんの絵は10分の1の値段になりましたね。2007年あたりが一番悪くて、最近また持ち直しました。
ちなみに偽物がでると「これで俺も一人前になった」と喜ぶ人もいるが、富岡鉄斎などは贋作の出来がいいと「これは俺よりうまい」と、偽物と知りつつ真筆の証明書を書いたそうだ。
平山は広島で被爆した体験を「画業の原点」と述べている。だが原爆の絵は1点しかない。どうしても筆が進まなかったという。原爆の絵をテーマにすれば世界中に大きな衝撃を与えることができたが、平山はそれをしなかった。平山は自分の絵を説明するときに「平和の祈り」という言葉を使う。画業のコンセプトとしては巧みだ。核廃絶を訴えるでもなく、原爆の悲惨さを告発するものでもない。タリバンのバーミヤン大仏砲撃に大して、「文化遺産を破壊しないでほしい」というアピールはしたが、アメリカのアフガニスタンやイラクでの戦闘行為に講義する政治的なメッセージは発しなかった。文化関係の発信はするけれども、政治的な発言はしない、平山流の世渡り術だったのかもしれない。
平山はまた、生涯で無所属になることはなかった。「よらば大樹の陰」というサラリーマン根性を体現するかのように、彼のいう「画業」はビジネスだ。スタッフを多く抱え、食わせるために稼ぐ。これは経営者の発想だ。文化財の保護運動も展開しているが、彼は社会に関与し、皆の経費を稼がなければいけない。若い頃、居住していた古いアパートの住人を「人はいいけど世渡り下手な人」たちと言っていた。平山は反面教師としたのだろうか。
平山と普通の画家の異なる点は、本人も認めるように「政治を動かす力」があったということだ。芸術家としてはさておき、政治を動かしながら自分の企画したプロジェクトを実現していく力がある点では、極めて有能なプロジェクトリーダーだった。そして権力に奉仕する御用絵師という意味では、皮肉なことに伝統的な日本画集団である狩野派の精神を受け継いでいる。著者はさまざまな証拠を通じて、平山という人物をスケッチしているが、この肖像画は見応え充分だ。
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平山の原動力となる、仏教感にもとづく生き方の理念と処世術がここに。実は平山を巨匠にした要因は内助の功が大きい。さらりと紹介されているが、美智子夫人は平山がひととおり作品を描きあげ一服していると「これから徹夜でもしますか」と制作のコントロールもしていた。夫人は元芸大の同級生であり、主席だった。平山と結婚の際、夫人はサポートに徹するため、自らの筆を折っている。さぞかし気概のある女性なのだろう。
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