明治政府の初代の首相を務めた伊藤博文は、もとは長州藩の下忍(殺し屋)だったと言われていますが、彼は幕末においては岩倉具視と共謀して孝明天皇を自らの手で殺害し、その後継ぎとしての睦仁親王(本来の明治天皇になるべき人物)をも葬り去り、南朝の末裔と言われる大室寅之助(長州出身)という若者を明治天皇に仕立て上げたと言われています。
明治天皇(=ニセ天皇)が伊藤博文の言うことは何でも聞いたと言われている裏にはそのような事情があるようです。
このあたりのところは、太田龍氏の『天皇破壊史』『長州の天皇征伐』(いずれも成甲書房)などに詳しく描かれています。
また『明治維新の生贄(いけにえ)』(鹿島fほか著/新国民社)は伊藤博文が孝明天皇を実際に殺害する現場の様子までリアルに描かれていて、読んでいて戦慄を覚えます。
孝明天皇のあとを継ぐべき陸仁親王になりすました大室・明治天皇は、自分が偽者であるという事実を隠すため、自らの写真は全く撮らせることなく(明治天皇の在任中のご尊影は1枚のみ)、公衆の面前にも顔を出さず皇居の奥で蟄居同然の暮らしを強いられたようです。
それなのに、なぜかダイヤモンドなどの高価な宝石をたくさん購入していたという記録が残っているとか、いないとか。
秘密を握る伊藤博文からねだられたものらしく、その宝石は女好きで知られる伊藤博文が一夜を共にした女性たちにプレゼントしていたようです。
自らの手で天皇を殺害することまでやって“ある筋”に多大の貢献をした伊藤博文は、その功績を高く評価され、以前はわが国で最もポピュラーだった紙幣(千円札)のなかでふんぞり返っていたのでした。
つづく。