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視点・論点 「シリア内戦の現状」2012年09月03日 (月)
東京外国語大学教授 黒木英充
シリアでの流血が18か月目に入りました。残念なことにこの泥沼の内戦が今後短期間で終息する見込みはありません。
現在はどんな状態で、なぜそうなったのか、その意味をどうとらえるべきか、お話ししたいと思います。
現在、シリアの内戦状況の特徴として次の6点があげられます。
まず第1に、政府軍側・反体制側の双方が使う武器・兵器の大型化です。この夏から政府軍は戦闘機や攻撃用ヘリコプターを使って空からの攻撃を始めました。一方、反政府側も対戦車砲や地対空ミサイルを手に入れ、それを撃墜するようになりました。死傷者は今まで以上に増加し、トルコなど周辺国への難民は20万人に達したようです。
第2に、首都ダマスカスと第2の都市アレッポに本格的に戦火が及んできました。昨年末から治安機関を狙った爆弾攻撃が頻発していましたが、春を過ぎて反政府側の民兵が夜間の住宅地で銃を乱射するようになりました。7月になると反政府側がアレッポを陥落させようとして、激しい戦闘が始まりました。またダマスカス中心部では国防大臣など政権の要人4人が暗殺されました。その後、首相が離反してヨルダンに亡命するなど、政権の中心が揺らぎ始めました。
第3に、シリア社会の2極分解です。ダマスカスやアレッポといった大都市の数百万の人口の大半は、まだ消極的に政権を支持しており、反政府側に合流する気配はありません。おおざっぱに言って、反政府側を支持する農村部や都市周縁部が、大都市を包囲する格好になっています。つまり、反体制派は大都市の住宅地を戦場としながら、そこでまだ人々の支持を得られないのです。しばしば、「政府側のアラウィー派と反政府側のスンニー派の対立」という図式で語られますが、大都市の人口の大半はスンニー派であり、この図式は当てはまりません。つまり、これまでにシリアの社会的・経済的なシステムを利用して一定の生活を築いてきた大都市の人たちと、そのシステムからふるい落とされた農村や郊外の人たち・・・この両者の対立関係が、はっきり表れているのです。
これと一見矛盾するようですが、第4に、内戦の宗派紛争の色が濃くなってきました。
人口の大半がスンニー派で占められる村で大量虐殺が発生すると、その下手人が不明であるにもかかわらず、アラウィー派民兵の仕業だと、一方的に報道されてきました。これは必然的に宗派的な憎悪・対立関係を煽ることになります。また各地でキリスト教会の襲撃も起こっています。
第5に、外国からアルカーイダ的な武装組織が続々と流入し、アサド政権に対するジハード(聖戦)と称して、反政府側と一緒になって戦っています。アラブ諸国だけでなく、セネガル、チェチェン、パキスタンなどからも民兵が集結しています。シリア政府はもはや国境管理ができず、これを押しとどめる力はありません。かつてソ連が侵攻したアフガニスタンに世界各地からムスリム義勇兵が集まったのと同じ状況です。
第6に、アサド体制崩壊後の受け皿として西側諸国から支援されてきた「シリア国民評議会」が、ここにきてその信用を失墜させています。昨年トルコで結成されたこの組織は、在外シリア人の反体制派の寄り合い所帯です。アメリカでブッシュ政権時代からタカ派のシンクタンクの支援を受けてきた活動家や、ムスリム同胞団、世俗的な市民運動家など様々で、アサド政権を倒した後の青写真をめぐって互いに相容れない状態が続いています。またシリアで体を張って政府軍と戦っている人々からすれば、「長年海外の安全な場所に身を置いてきた人たちから指図を受ける筋合いはない」という事情もあります。ではシリア国内に受け皿があるかと言えば、地道に非暴力の市民運動を進めてきた組織は、内戦で消し飛んでしまい、全国で2000を超えるバラバラの民兵組織が勝手に掲げる「自由シリア軍」という看板があるだけです。「影の内閣」どころか、どのような国にするのかまったく見えない状態なのです。
どうしてこんなことになったのでしょうか。一番大きな原因は、諸外国の介入と煽動です。昨年3月にダラアで最初のデモが起こったとき、そこで叫ばれたのは、政治的な落書きをした子供たちを連行して虐待した、治安機関の責任追及でした。このデモを政府が暴力的に弾圧したときから悪循環が始まったのですが、これをチャンスと見た国もありました。
サウジアラビアやカタールといった湾岸産油国は、自分たちが敵視するイランと同盟関係にあるシリアの政権をひっくり返すべく、自国のメディアも総動員しながら、反体制派に莫大な資金と武器を、湯水のごとく注ぎ込んできました。
シリアの隣国レバノンは、アサド政権をめぐって真っ二つに割れていますが、その一方は湾岸諸国と結びついて、反体制側を支援しています。
トルコは、南東部でシリアと長い国境線で接していますが、その両側にはクルド人が多く住んでいて、東はイラクのクルド人自治区につながります。このため安全保障上、当初から重大な関心をもってシリアの動きを見ていましたが、早々とアサド政権が倒れると見越して、従来の友好関係をご破算にして反体制派の支援に転じ、自国の内部に民兵の訓練所を作っています。
イスラエルは、国連決議を無視してシリアのゴラン高原を45年間にわたって占領していますが、そのイスラエルにとってシリアは敵国ながら、実際には指一本出してこない安心できる隣人でした。このため皮肉なことに、最初のうちはシリアの反政府運動を警戒して見ていましたが、現在はシリア政府が弱体化すればイランとレバノンのヒズブッラーとのつながりが切れるので好ましい、と考えて静観しています。
欧米諸国、特にアメリカとイギリスは、初めのうち地域の不安定化を恐れて躊躇したものの、何よりも湾岸産油国とイスラエルの利益を優先し、長年、自国でシリアの反体制派を養成してきた経緯もあるので、昨年秋にアサド政権打倒に本格的に舵を切りました。現在は国連決議にとらわれない「有志連合」による軍事介入を検討しながら、最近シリアからトルコに逃げてきた反体制派の人材養成を、シリア国民評議会の頭越しに行っています。
他方、ロシアと中国は国連安保理で拒否権を行使して、アサド政権の防波堤となっています。これは西側諸国への対抗もさることながら、自国でもコーカサスや新疆などで民族問題を抱えていて、そこで暴力的な反政府運動が起これば、シリアのように徹底的に押さえ込まざるを得ない、という事情によります。
かつてシリアの隣国レバノンでも、諸外国が介入した四分五裂の内戦が1975年から15年間も続きました。今、シリアではこのままズルズルと内戦が続いて国家が崩壊してゆくのか、イラクのように大規模な軍事介入を受けて桁違いの人命を失い、先の見えない政体に移行するのか・・・シリアの人々には、途方もない犠牲を伴う道しか残されていません。そしてその混乱のインパクトは中東全域に及ぶでしょう。
政治的自由を認めないシリアの独裁政権を辞めさせて、民主的な政府にすべきだ、という議論は正しいでしょう。しかし、それをシリア人の非暴力の市民運動に任せずに、支援という名の下で暴力的な介入と煽動を行い、結果的にシリアを破綻国家に追い込むことの意味を、いま私たちはかみしめるべきだと思います。