「政府日銀共同文書」を出したことは大きな意義があった。筆者が本稿で述べてきた「政府日銀の協業」というものをやろうとする意思表示である。日銀法改正まではこれしかない。30日の日銀の政策決定会合では、11兆円の枠拡大では、結局は何もなかったに等しい。為替も株もそれを反映した。が、実質的には意味が大きかったのだ。
共同文書の趣旨は「デフレからの早期脱却に向けて、政府と日銀は一体となって最大限の努力をする」というものである。今のデフレは明確に需要不足である。供給力はあまり増えていない。需要が減っているからデフレになる。当たり前だ。75年前にケインズが説き、それには関係なく昭和恐慌で高橋是清が実行した背景である。リーマンショックまでは輸出増加が内需不足を補ってきた。07年から08年にかけては、デフレギャップは解消していて、それを先取りした日経平均株価は、03年春の不良債権処理の一応の完了から4年半で2倍半になった(03年春7,607円〜07年7月18,261円)。
このデフレギャップを、政府日銀が筆者のいう「協業」で解消させようというのだ。ところで為替投機筋は5カ月ぶりに円を売り越しに転じた。米景気次第と日銀の緩和策次第であった。円先物の売り越しは5カ月ぶりに円安を見越したと言える。
投機筋の相場観が変化したためだが、今の日銀では今後の一段の円安には行くまい。日銀の目指した1%インフレが実現困難になったので、一段の緩和を見込んでの相場観の変化だったろうが、30日の会議で僅か11兆円枠の増加では「市場が予期した通りの無難さ」に過ぎず、それ自体では今後の円安誘導にはなるまい。投機筋の相場観の5カ月ぶりの変化を捉えて、日銀が「デフレが終わるまで(英国みたいに)2%のインフレ目標を設定する」とか言い出せば、株も為替も方向を決めたろう。
30日の会合、市場の反応は、為替も株も結局、日銀会合は何もなかったに等しかった。
1)だが「政府日銀共同文書」を出したことは大いに意義がある。その内容はたいしたものではないが、前原氏にセッツカレて作成したものか、いずれにしても政府と日銀が協業でデフレ脱却・円安誘導を演出する意図は大としたい。こういう形で共同文書を声明文めいて出したことは、政府が一歩日銀に踏み込んだと言える。
「中央銀行の独立性」を金貨玉条とする日銀としては、領地を一方譲った思いだろうが、現状の日本にとってはいいことだった。
2)銀行に対して外債を担保として与信を無制限に出すことにした。これで外貨外債を買いやすくした。初めてのことである。為替も株も反応しなかったが、実はこの意義は大きい。
3)また、金融機関が貸し出しを増やした分に応じて「無制限」に資金供給するとした。この「無制限」という表現は、筆者の記憶する限りは1965年3月の山一証券の実質破綻に瀕した時の田中角栄蔵相が、日銀特融を「無制限に、無担保で」と強調した時以来である(あれで山一の破綻も市場は平穏に受け止めた。しかも当時の新聞は良識があって、その無制限融資と同時発表の形で山一破綻を報じた。無論、大新聞同士の申し合わせがあった。ただ九州の西日本新聞だけがすっぱ抜いた)。
「無制限」の表現は、筆者の記憶に間違いなければ、あれ以来の47年ぶりのことだ。逆の言い方をすれば、それだけ日本経済は傷んだデフレだ、ということになる。
4)2カ月連続の緩和は異例で、筆者の記憶によれば03年春以来の9年半ぶりである。
あの時は、福井総裁が「デフレが終わるまで」と表明して、4月のりそな銀行への最後の公的資金注入を以て、不良債権処理の一応の終わりを見て、株式相場は7607円から07年7月の18261円までの2倍半に上昇したという長期大相場を示現した契機となった。従来の緩和策は1カ月おきだったが、今回は2カ月連続で枠を広げたのは大きな変化ではある(70兆円→80兆円→91兆円)。日銀にこうした対応を迫ったのは政府である。
軽率を以て鳴る、と本稿では前原氏を評してきたが「軽率≒セッカチ≒行動が早い」と弁証法的に前向きに解釈したいとも本稿では言ってきた。これが生きたとしておきたい。英国みたいに「2%目標」を断固言えば、為替も株も様変わりになるが、それは言えないという。
1%目標を掲げておきながら、今年度はインフレどころか▼0・1%で、来年度が0・4%、再来年度でやっと0・8%だという予測である。日本のデフレ圧力はそれだけ根が深かったのだと知れた。
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▓ 山崎 和邦
慶應義塾大学経済学部卒。野村證券、三井ホームエンジニアリング社長を経て武蔵野学院大学名誉教授に就任。投資歴51年に及び野村証券時代の投資家の資金を運用から自己資金で金融資産までこなす。
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